第一八章 「大海空戦 中編」
ローリダ領ノドコール植民地内基準表示時刻12月11日 午前5時7分 ノドコール南部 ロギノール空軍基地
ギュルダー‐ジェス大尉は、眠りについていたところを当番兵に起こされ、寝台に身を横たえたまま訝しげな目で彼を見つめた。
「……何か用か?」
「……出撃です。すぐに将校集会所に急いでください」
「そうか……」
呟く頃には、眼は自分でも驚くぐらいに覚めていた。撥ね上がるように寝台から抜け出し、一切の装具を整えて宿舎の外へと向かう。外では既に、先着したパイロット達を乗せた軍用車両が彼の到着を待っていた。同僚のレグス‐ルラ‐ガナス大尉が手を延ばし彼の搭乗を手伝った。
「ようギュルダー、ゆっくりと眠れたか?」
「まあまあだ……」
夜明けまでは、未だ時間があった。ヘッドライトを点けたまま走り出した車が、その横手に作戦機の居並ぶ駐機場を見るまで長い時間を要しない。
その駐機場を占める作戦機の数は、開戦前よりも目立って増えていた。それもそのはず、あの衝撃的な開戦直後、植民地ノドコールに展開する空軍は首都キビル防衛に必要最小限の戦力を残しその過半が東方及び南方への前進を命ぜられている。そこに緒戦で蒙った大損害を埋め合わせる意味での本国からの増援も加わり、ゴルアス半島を南東に臨むロギノール飛行場もまた、終結した作戦機とその運用部隊の将兵でこれまでにない活気に包まれていたのだった。
特に、普段植民地では滅多に見られないディガ-12が飛行場狭しと銀翼を連ねる様は、彼自身二日前に展開を果たしたジェスには頼もしいというよりも却って奇異にさえ思われた。上翼配置の細長い機体、その両側にエンジンを各一基吊下式に配置したディガ-12は、まだ本国の、それも首都展開の一個飛行師団にしか配備が進んでいない最新鋭のジェット爆撃機である。その虎の子とも言うべき新鋭機部隊を繰り出さねばならないほど、戦況は逼迫している?―――――
―――――車両の荷台に揺られ、冷たい風を頬に受けながらジェスが思索に浸っていたとき、ガナスが取って置きと思われる葉巻を彼に渡した。
「眠気覚ましにでも、どうだ?」
「……頂くよ」
黄燐マッチで葉巻に火を付け。ジェスはその濃い煙を勢いよく吸い込んだ。こういうときに吸う煙草ほど、美味いものはない。体中に残る倦怠感が一気に融けて行くような気がする。
「うちの飛行場も、手狭になったな」と、紫色の煙を吐きながらジェスは言った。
「本国から増援が来りゃあ、そうなるだろうさ」
「戦力を引き抜き過ぎて、本国の防備が等閑になってなきゃいいがな」
「アダロネスには、アダロネスなりの考えがあるのさ」と、ガナスは苦笑する。ジェスは腕のいい戦闘機乗りだ。戦闘機乗りとしての技量ならスロリアで一番、共和国空軍でも五本の指に入るかもしれない。だが、得てしてこういう皮肉屋なところが上層部の受けを悪くしている……とガナスは思う。
「それで……朝っぱらから俺らを叩き起こした理由は何なんだ?……やっぱり、戦局か?」
「ああ……そのことだが……植民地艦隊が壊滅したらしい」
「何……?」
「当直中に又聞きした程度なんで詳細は知らんが、ゴルアス半島の西方海域で植民地艦隊の主力がニホン艦隊と交戦。壊滅した。全滅に等しい損害を受けたそうだ」
「それは……一大事だな」
「そうだ、一大事だ」
車は空軍の将校集会所前で止まり、パイロット達は足早に集会所の講堂へ駆け込んだ。ガナスの聞いた風聞は、先に講堂のひな壇状の座席に腰を下ろして状況説明を待つ他の部隊のパイロットにも伝わっており、その部屋にはすでに張り詰めた空気が、ジェスが普段知っている余裕ある雰囲気に取って代わっていた。
それにしても……と、ジェスは周囲を見回した。
……このパイロットの多さは、何だ?
約200名を収容できる小さな講堂は、そのひな壇のあらかたが彼の同僚と、先日に本国からここノドコールに前進を果たしたばかりの新顔たちで埋まってしまっていた。単座のレデロ-1、ギロ-18。複座のディガ-12をも想定すると、共和国空軍の編成に当て嵌めれば楽に四個飛行連隊、つまり二個飛行師団相当、否それ以上の戦力がこの基地から一度に動員される計算になる。中にはジェスと同じ考えに囚われたと思われる者もいて、彼らもやはり講堂の各所に驚愕を含んだ視線を巡らせていたのだった。
パイロットの多くが肩に圧し掛かる緊張を払うかのようにしきりに咳をし、出された冷水を煽っていた。講堂では手で食べられる簡単な朝食も出されたが、緊張に強張った胃に、それを受け入れる余裕などあろう筈が無かった。
「空軍司令官!」
不意に響いた号令に、パイロットの全員が反射的に起立する。間を置いて副官と各隊の飛行隊長、そして本土からの司令部参謀エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐を伴った植民地空軍司令官 サルフ‐サラ‐ゴティアムス中将が引き攣った表情を浮かべ部屋に入ってきた。同時に壇の背後に拡げられた地図は、スロリア南西部からゴルアス半島西部に至る沿岸と海とを示していた。
壇上に立ち、咳払いをすると、中将はひな壇上に連なり自分を見守るパイロット達を睨むようにした。
「おはよう諸君。現在戦況は、重大な岐路に差し掛かっている。さる一時間前、精強を誇った我が海軍植民地艦隊がニホン海軍と交戦し、壊滅した。ニホン海軍はゴルアス半島西方に大規模な陸戦部隊を揚陸し、スロリア中部における拠点拡大を目論んでいるものと思われる。そこで本官は諸君らに重大な任務を与える。植民地空軍は本国からの増援部隊とともに出撃、持てる全力を上げ、ニホン軍の侵略を断固として阻止するのだ!」
ゴティアムスに促され、司令部参謀のバーヨ大佐が壇上に進み出た。パイロット達に一礼し、バーヨは言った。
「本官は本国総司令部より派遣されたバーヨ大佐である。作戦の概要は本官の口から説明を行う。攻撃編隊はこれを二次に分け、第一次はロジャス中佐が100機、第二次はドルヴァス中佐が80機を指揮する。第一次攻撃隊が、敵護衛艦隊及び迎撃に出撃するであろうニホン空軍の妨害を排除した後、第二次攻撃隊が揚陸輸送艦隊を攻撃、これを殲滅する……!」
…………!?
パイロットたちは驚愕した。200機近くに達する航空兵力は、おそらくは空軍がスロリア方面に展開しているほぼ全力であるのに違いない。それに二度に分けるとはいえ、一度の作戦に100機以上の作戦機を投入する作戦など、「解放戦争」始まって以来、ひいては空軍健軍以来空前の事だった。この瞬間、事態の只ならぬことをパイロットの過半が確信するに到った。
バーヨ大佐は続ける。
「現在ニホン海軍はゴルアス半島北西より100リークの海域に展開、我が海軍との交戦記録からしてその戦力はかなりのものと予想される。くれぐれも注意して任務に当たれ。気象班の報告によれば現地上空は概ね快晴。敵の識別には苦労しないだろう……この時点で質問は無いか?」
一人のパイロットが手を上げた。ジェスだった。
「ニホン空軍の戦力についてお伺いしたい。ニホン空軍は一体どれ程の戦力をゴルアス半島に投入すると予想されているのか?」
戦争初日に、前線上空の警戒任務に出た味方戦闘機8機が優勢なニホン空軍と交戦し、ほぼ全滅に近い損害を受けたという話はすでに植民地空軍の戦闘機乗りの間に広まっていた。ニホン空軍はローリダ空軍のそれよりも優秀な戦闘機を持ち、その戦闘機はこちらの視界の及ばない長距離から攻撃をかけることができるという話に、少なからぬパイロットが動揺を覚えていたのである。
バーヨは言った。
「結論から言えば、現在の我が軍には敵空軍の戦力、練度を推し量るための資料も、分析能力もない」
動揺……ざわめきを以て当のジェスのみならず他のパイロットにさえも示されたそれを、無視するかのようにバーヨは続ける。
「……確かにニホン空軍は予想に反し強い。我々の戦前の分析の至らなかった点は認め、君たちに謝罪しよう。だが、彼らとて決して無敵ではない。我々が死力を尽くして当たれば……必ず勝機は、ある。君たちも共和国空軍の精鋭ならば最善を尽くせ……私に言えることは、それだけだ」
断固とした口調の中でも、この若い参謀は自分の発言に対する嫌悪感を隠すことはできてはいなかった。彼が根拠の無い精神論に安易に取り付かれるような人間ではないことぐらいジェスにもすぐ判ったが。これでは却って一層我が軍の苦境を察してしまうだけだ。
そのとき、ゴティアムス中将が言った……あたかも、これ以上都合の悪い質問が出るのを防ごうとするかのように。
「質問はこれにて打ち切る……第一次攻撃隊の出撃は午前六時二五分である。諸君らにキズラサの神のご加護のあらんことを……!」
スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前5時16分 ゴルアス半島西方沖
薄れ掛けた暗黒の中で何かが燃え、崩れ落ちる音を若き元老院議員は聞いた。
波間に身を横たえているはずだが、不思議と濡れているとは感じなかった。というより、この寒空で海中に突き落とされては、並の人間ならば数分で生命を絶たれることだろう。
だが……自分は生きている? 何故?
薄れ掛ける意識に身を任せたまま、若者は自らが闇に覆われた海中に身を投じるまでの一部始終を思い返していた。
―――――あのとき、旗艦「クル‐ディラ」を襲ったミサイルは「クル‐ディラ」艦橋上部を直撃。そのすぐ下に位置する司令室もまた、無事では済まなかった。衝撃と爆風は司令室を吹き荒れ、詰めていた要員たちの悉くを薙ぎ倒したのである。
彼も例外なく床に押し倒され。そこで一度意識を失った。再び目を開けたのは、彼の親友が頭に傷を負ったにも拘らず、彼の名を叫び若者を揺り起こしてくれたからだ。
……再び目を開けたとき、豪華客船の特等室を思わせた豪奢な司令室は惨劇の場へと変わり果てていた。そしてその様子に愕然とする間を、戦場は与えてくれなかった。
ローリダ海軍の軍艦は、艦の運用と戦闘に拘わる全ての指揮系統が艦橋部に集中している。それは一度艦橋部が被害を受け、各区画との連絡が遮断されたとき、甚大な混乱がもたらされる事を意味する。このとき巡洋艦「クル‐ディラ」でも同じような事が起こった。
「手酷くやられたな……」と、若者は言った。
「ええ……」と頷く親友も長い髪の毛を乱し、その細身の頬は煤に黒く汚れている。若者は、長衣の袖で親友の頬を拭いてやった。突然のことに呆気に取られる親友に、若者は微笑みかけた。
「君はこのロルメス‐デロム‐ヴァフレムスの秘書だ。その秘書にみすぼらしいなりをさせては、私の鼎の軽重が問われるというものだ」
期せずして、親友の顔に明るさが宿った。若者は言った。
「さあ……早くここを出よう」
そのとき、悲鳴のような声が上がり、二人の注意を曳いた。
「閣下!……ヴァン提督閣下は何処……!?」
何かの燃える音以外、一切の静寂と闇に包まれた司令室で、艦隊司令官ルトルス‐イ‐ラ‐ヴァン中将を呼ぶ声の主は、彼の副官イドナス‐ガ‐ロディス大佐だった。乱れた軍服は痛々しく、その顔は煤と血液に酷く汚れている。
「イドナス!……わしはここだ。助けてくれっ……!」
瓦礫とパイプに埋もれた一角から最初に手が上がり、続けて艦隊の将たる提督の変わり果てた巨躯を浮かび上がらせた。
「如何なさいますか?……閣下」
「脱出だ!……旗艦を移すぞ。将官艇を準備せい!」
平静さを欠き、「脱出」「脱出」を連呼する提督に、若者はもはやまともな対話を期待してはいなかった。もう一人の、「クル‐ディラ」の運用に責任のある人物を探り、その先に見出したものに愕然とする。若者の探し出した艦長デラフス‐ギ‐ファルス大佐は、胸と首筋に大きな赤黒い穴を開け、自ら流した血の泥濘の中で絶命していた。
若者は声を荒げた。故人たる艦長にではなかった。
「大佐! この艦はもう終わりだ。今直ぐ総員に下艦を下令したまえ。急いでっ……!」
だが、提督を肩で支えながら部屋を出ようとするロディス大佐の、突き放すような眼差しに若者は愕然とする。自分の乗る艦が、もはや自分の訓令が通用しない世界になったことを自覚したのだ。
「このままでは……死んでしまう」と、親友が言った。
「死ぬのはもとより覚悟の上だ。だが、最善を尽くさずして死ぬのは僕の性格が許さない。君も付き合え」
「ああ……!」
二人は、艦橋を出て歩き出した。断続的に吹き上がる炎の乱舞する中を駆け抜け、あるいは避けて歩き、上甲板の、カッターを吊下した区画まできたとき二人の足は止まった。
規律が崩壊した今、かつてはあれほどの威容を誇った艦で優先されるべきは自己の生命しかなかった。そしてこういう場で生命を守るためには、誰もが醜くなる。負傷した者、動けない者は置き去りにされ、デリックには兵下士官、そして士官を問わず多くの乗員が殺到していたのだ。
「神よ……!」
苦渋に満ちた一言とともに、若者とその親友は混乱の傍を駆け抜けた。途上、将官艇の繋がれた区画まで来た時、若者の蒼い瞳は憤然としてこの艦隊の指揮官だった男と、その取り巻きに注がれる。ここにも同じく多くの乗員が殺到する中を、参謀達は拳銃を振り回し追い払っていたのだ。
進む宛を失い、二人が艦尾まで来た時、艦はゆっくりと前方へと傾き始めた。そのときには、若者には周囲を見渡す余裕が生まれていた。そして若者は絶句の余り、もう一度神の名を口にする。
少なくとも瀕死の「クル‐ディラ」の周囲で、無事な艦は一隻も存在していなかった。特に先程まで旗艦を併走していた一隻の駆逐艦に至っては、艦腹の大半を水面下に没し、その周囲には海上に投げ出された乗員が水面に黒い影を覗かせていた。
「この艦も……ああなるのか」
直後、機関部からの爆発に傾斜は急速に拡大し、それから生まれた爆風は二人を驚愕を覚える暇も与えず海へと放り出した。
――――囁く声を、彼は聞いた。
「ロルメス……ロルメス?」
眼を開けた先で自分を見下ろしていたのは、アドヴァスだった。その顔は寒さで青白くなってはいたが、口元に浮べた笑みは心からの安堵を含んでいた。
「僕らは……生き残ったのか?」
ロルメスは半身を起こした。海に投げ出されて以来、救命筏に救い上げられるまで彼は何も覚えていなかった。冷たい風に濡れた服のままではさすがに辛い、身を震わせながら、ロルメスは静寂と海霧との支配する周囲に目を凝らした。筏には同じく「クル‐ディラ」より逃れた乗員たちが、二人と同じく寒さに身を震わせている。
「ロルメス、見ろ……惨憺たるものだ」
アドヴァスは筏の外を指差した。浮かんでいる船は既に無く、かつてはその船の一部であった木材やら資材やらが海面を漂い、脱出を果したものの結局力尽きた者は、只虚しく海面にその骸を横たえている。何処からとも無く漂う重油のきつい臭いなど、ロルメスにはもはや何の苦にもならなかった。
ふと、ロルメスは呟いた。
「敗戦とは、こういうことを言うのだな。ヴァン提督たちは……?」
その問いに、アドヴァスは苦々しげに頭を振った。あの無能で高圧的な指揮官は、いち早く将官艇で脱出を果たした後、一切の救助作業も行うことなく、横付けさせた砲艦に移乗し真っ先に遠方へと退避して行ったのだ。筏に同乗する水兵たちも苦々しく、時には心からの憎悪を以て、口々にこの場にいない提督を罵倒していた。
「提督は、我々を置き去りにしたのだ」と、アドヴァスは言った。
「そうか、我々はもう死んでいるのかもしれんな……書類上では」
「ロルメス……こんな時に冗談は止してくれよ」
「すまん……でも、そうでもしなければやってられないな」
不意に、誰かが色を為して上空の一点を指差した。
「おい、あれを見ろ」
白みかけた水平線の向こうから迫り来る機影が、見慣れない回転翼機の姿となるのに時間はかからなかった。重厚なローター音を響かせるそれはロルメスたちの上空で停止し、すぐさま探照灯の照射を始めた。
ロルメスは嘆息する。この時誰もが終焉の訪れを予感していたのだった。
「やれやれ……一難去って何とやらか」
ダウンウォッシュに烈しく揺れる筏まで、光の手は延びようとしていた。
スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前5時36分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-181「ひゅうが」
『――――「ありあけ」より報告。敵艦隊の生存者を発見。これより救助活動に入るとのことです』
「ひゅうが」旗艦用司令部作戦室で、島村 速人 海将は受取った報告に複雑な表情を浮かべていた。
「司令、どうかしましたか……?」
「…………」
そのとき、島村海将の脳裏を過ぎっていたのは、去る七月に南スロリアの海上衝突において武装勢力の攻撃を受け、沈み行く巡視船より九死に一生を得て逃れたところを、空軍の無慈悲な銃撃を受けて海の底深くに沈んで行った海上保安庁の職員たちのことであった。当然、味方の救助を受けようとしている武装勢力の水兵たちに対する報復は決して正当化されるべきではないし、そのような行動はこちらの精神性を、蛮行を働いた彼らと同じ程度に堕する効果しかもたらさないであろう。
……だが、今更ながら心の中に渦巻くこの煩悶は何であろうか? 不当な攻撃に対する報復は文明、民族の別無く許されるべきではないのか? 彼ら武装勢力は、報復を受けて然るべきことをしでかしたのではないのか?
自問自答―――――それに続く釈然としない気分に何時しか身を委ねている島村がいた。
「君らは、彼らを許せるか……?」
「は……?」と、傍に控えるFIC当直幹部の「ひゅうが」航海長 佐久間 享 二等海佐に、島村は聞いた。
「彼らは多くの同胞を殺した。その彼らを、我々は救助せねばならない……理屈ではわかってはいるが、今になって思うのだ。これは……本当に、本当に正しいことなのだろうか?」
佐久間 二佐は島村に向き直った。海将の問い掛けに、身を引き締めねばならないほどの重さを感じ取ったのかもしれない。
「司令……我々が為しているのは戦争です。戦争にはそれを為す上で絶対に踏み越えてはならぬ一線があると小官は思います。喩え相手が、いくらそれを土足で踏み越えようとです。我々が一度それを踏み越えたが最後、戦争は只の際限ない殺し合いへと堕落するでしょう。我々が戦っている相手は敵だけではありません。そういう内なる自己もまた向かい合い、打ち勝つべき相手であると小官は考えます」
島村は頷いた。だが、その表情から苦悩が消えたわけではなかった……そして、通信席に向き直る。
「『ありあけ』へ打電……救助作業を急がせろ。それと……」
「は……?」
「特殊作戦群からの報告はまだか?」
「まだ受信しておりません」
腕時計を覗き込み、幕僚が言った。
「上陸作戦開始時刻まで、あと二時間……それまで任務を終えていてくれるといいのですが」
開戦直前、ゴルアス半島上空から敵地の只中に侵入を果たした特殊作戦群。近い未来に予測されうるPKF上陸部隊に対する敵の反撃を防ぐ方策は、彼らの活躍に架かっている。
スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前5時37分 ゴルアス半島東部山中
彼らが森の一部と化してすでに五時間―――――
暗視双眼鏡の中心に浮かぶ人影が、永遠とも思える暗黒の中で朧な緑色に映えていた。
山中から目標の様子を伺う人影と、彼らの指揮官が双眼鏡で捉えた人影――――両者の間には広漠たる丈の高い草原、そして一層の鉄条網が横たわるのみだ。それは今まさに山中から歩を進め、闇に紛れて任務を遂行しようとする彼らには絶好の機会とも言えた。
『行け……』
言葉は無かったが、合図を送る指揮官の手振りが全てを決する。男たちはそれこそヤモリのような素早さと静謐さをそのままに山中を這い滑り、やがては麓の草原と一体化する。先夜の近距離偵察から、歩哨のいない箇所はもとよりこれより制圧する敵の特殊施設の全容に至るまで完全に彼らの手の内にある。生存技術と有事における即興性に優れた精鋭といえど、十分な事前準備無しに敵基地浸入という任務に成功は期しがたい。
――――あとは、制圧を既成事実とするだけだ。
彼らの一人が乱雑に張り巡らせた鉄条網の根元に達し、目を凝らす……高圧電流はおろかトラップが仕掛けられている痕跡のないことを確認し、ワイヤーカッターの刃を入れる――――後方でそれを援護する射撃手が草陰から消音機付の89式小銃を構え、そのダットサイトは、200メートルの距離を置き立哨に付く敵兵の影を完全に捉えている。その彼らは自分たちの基地に重大な脅威が迫っていることに何ら頓着しないかのようだ――――― 鮮やかな手際を前に一分も経たぬうちに鉄条網は破られ、彼らは間隔を置いて進入を始めた。
枯れ草から様子を伺う分隊指揮官が同じく後方に控える一人の隊員を指し、喉元を掻き切る仕草を見せる。隊員は無言で頷き、その姿はたちまち枯れ草の繁みに消えた。数秒も経ずして隊員は繁みを脱し、こちらに背を向けたままタバコを燻らせる歩哨の背後に接近する。その手には刃身に黒く塗装し光を消したコンバットナイフが握られている。
「…………!?」
背後に気配を感じた歩哨が顧みたときにはすでに勝負は決まっていた。瞬間的に背後から伸びた手に口と抗う術を塞がれ、背部から突き立てられたナイフに歩哨は絶命した。やや離れた距離から事態の急変に気付いた歩哨二名が歩を早めるよりさらに早い、援護の89式小銃の抑制された射撃音は一回―――――三点バーストで放たれた三発の射弾は、200mの距離を隔て一発の外れもなく歩哨の急所を捉え、絶叫を上げる間も無く二人は斃れる――――脅威は迅速に、そして完全に排除された。
その後は早かった、彼らは無言で駆け出し、個々に割り当てられた任務を果たすべく日昇を迎える寸前の闇の中へと消えていった。
指揮官もまた駆け出した。直属する陸曹二名も後を追う。
脱兎のごとき、しかし空気のような奔り――――――しかも内一名はその背に総重量16キロあまりの01式軽対戦車誘導弾発射機とその予備砲身を負っている。だが風のように敵地を駆ける彼らから、息切れや歩調の乱れなどその兆候すら伺い知ることはできなかった。これでも装備は任務遂行に必要な分だけしか携帯していない。武器弾薬等、空中からの浸入時に持参した装備の多くは山中に幾つか構築した潜伏地点(LUP)に集積させてある。
侵入を果たした基地内部、三人は規則正しく並ぶカマボコ上の兵舎を縫うように走る、それらの中であらかじめ目星を付けた兵舎の隅に、遠隔発火装置付のC4爆薬をセットする。目を見張るような手際の良さは訓練どおりだ。
事前に為すべき全ての作業を終え、ちょうど基地の中心部に達したところで目指すものを見出し、三人は身を伏せた。暗視装置の視界の、かなり距離を置いた眼前に広がる巨大な無線通信塔の直下に位置する平屋建ての兵舎―――――そこがこの基地に常駐する敵の中枢であることを、彼らはすでに掴んでいた。車両1、トラック2、装甲車1両が駐車し、その周囲をさらに一個小隊ほどの兵士が固めている……これもまた、事前の想定どおり。
イヤホンを打つ、無線の空電音―――――
『―――こちらブラヴォ、配置完了』
『―――チャーリー、安全を確保』
『―――デルタ、掃討完了……』
同時に各方向から浸入を果たし、配置に付いた各隊より続々と集まってくる報告――――通信回線にそれを聞いた瞬間、指揮官は通信基地の外周を警備する一個中隊が文字通りに消え去ったことを把握する……それも、至って静穏かつ短時間の内に。
だが……これもまた想定内。マスクに覆われた下の顔で、指揮官は微かに笑う。だが目標を見据えるその目は冷たく、一切の感情を含んではいなかった。
耳元のマイクを摘み、指揮官―――――二等陸佐 御子柴 禎は始まりを告げる。
「こちらアルファ-リーダー……カウントダウン」
込み上げる緊張。
爆薬の起爆装置をつかむ手。
M24ライフルの暗視スコープを除く狙撃手。
暗視装置のスウィッチを切る指。
マスクの下で固唾を呑み突入の時を待つ隊員。
『……17、16……11、10切った……』
9、8、7、6、5……2、1
ゼロ―――――
―――――轟音。
紅蓮の大瀑布が基地内の各所に生まれ、炎と爆風は兵舎内で就寝中のローリダ軍将兵を巻き込み、爆発の瞬間基地内の敵兵力は宿舎ごとその過半を喪失した。炎はそれまで暗黒に支配されてきた大地を過剰なまでに照らし出し、隊員たちは光に紛れ静から動に転じる。
「…………!?」
これまでの立哨任務で闇に馴れた兵士の目に、突然の発火はあまりに眩し過ぎた。視界を狭められ、応戦する術を忘れたかのように右往左往するローリダ兵。それはすでに各所に潜伏展開を終え、長大なM24ライフルを構える狙撃手の格好の獲物となる。ライフルの狙撃はその数だけ警備兵の喉元、胸板、頭部を正確無比に捉え、ローリダ兵は混乱から立ち直ることもできず即死を強いられていくのだった。狙撃手の援護の下、特戦群隊員がM4カービンを構えて突入する。生き残りの敵兵を掃討しつつ、特戦群は瞬く間に基地の指揮所に達した。
「撃て!」
御子柴二佐の命令一下、01式軽対戦車誘導弾の砲身が対装甲弾の弾体を吐き出し、弾体は赤い光を放ちながらに緩やかな軌道を描き、狙いを付けた装甲車へと吸い込まれそこで爆発した。装甲車は車内を貫く爆発に抗いきれずに跳ね上がり、そして隣接する車両を巻き込み横転、炎上する。
『――――アルファ、オールクリアー……』
「…………」
最後の脅威が排除されたのを見計らい、手信号で前進を命じる。部下の前進を確認し小銃を構えた姿勢で、小走りに指揮所の平屋に向かう。四角い窓から漏れる明かり、だが平屋は水を打ったように静まり返っている。武器をM-4カービンからUSP自動拳銃に持ち換え、御子柴二佐は先頭を切って入り口の脇に陣取った。
1……2……3!
胸中で数字を数え、御子柴は勢い良くドアを蹴飛ばした。自動拳銃の銃口を先頭に踏み入った指揮所。士官と思しき四人の男が、呆然と立ち尽くしたまま御子柴を迎えた。
「…………?」
「待て、撃つな。お前たちに降伏する……!」
異存はなかった。そして殺風景――――言い換えれば実戦的な造りの部屋の隅に配された無線機に、御子柴は改めて目を凝らす。彼らが最優先で確保を狙っていた無線機は、当初の予測に反し無傷であるように見えた。こちらの急襲に余裕を失ったがゆえか?……だがそれはそれで都合がいい。
部下に捕虜を預け、御子柴は無線機の元へ歩み寄った。通信担当の准陸尉がそれに続いた。ダイヤル式、乱雑に繋がれた配線……トランジスタを多用した敵の無線機は、これまでデジタル通信機の操作に慣れてきた御子柴たちにとって却って使いにくく、とっつきにくいように思えた。
「どうだ? 使えるか?」と、御子柴。
「はい、何とか……」
ダイヤルを捻り、打信器のキーを軽く叩く准尉の顔を覆うマスクには満更でもない表情が滲み出ている。御子柴は頷き、捕虜となった敵の士官を顧みた。
「乱数表があるだろう? 出せ」
一睨みでことは済んだ。捕虜の差し出した手のひらサイズの書類を捲り、准尉は無線機のスウィッチを入れた。
『――――――こちら第26師団司令部、どうした? 何があった? 状況を報告しろ! セルベール基地、状況を報告せよ!』
無線機のスピーカーの遥か向こう側に狂騒混じりの声、それに御子柴と准尉は思わず顔を見合わせる。
「准尉、訓練どおりだ。打電しろ、内容はこうだ――――――」
―――――予定通りに返信を終わったとき、外が騒がしくなるのを御子柴たちは覚えた。戦前の浸透任務。そして開戦後事前に何度も重ねた近距離偵察(CTR)の結果、武装勢力の言うところの「劣等種族」―――――現地種族――――を隔離収容するここ「セルベール収容所」の全容および建造物の配置を、特殊作戦群は幹部から陸曹に至るまで全員が手に取るように掴んでいる。敵兵の居住する舎屋を慎重に選び出し、そこに爆薬を仕掛けるのに何の躊躇もなかった。
任務の結果開放され自由を取り戻した現地人の喧騒もまた、予測済み……その一方で、漏れ聞こえる女子供の声に、ローリダ兵の生き残りが竦み上がるのを御子柴は見逃さない。
「……その分だと、よほどここで好き放題やっていたようだな」
「…………」
哀願するような表情で、捕虜は御子柴を見上げた。それに心を動かされるような御子柴では、勿論なかった。
後の始末を任せて外に出た先では、炎こそ未だに燃え盛り周囲を赤く照らし出してはいたが、それは周囲の景色と同様に強制収容所の桎梏から解かれ、久方振りでの自由を取り戻しつつあった現地の人々の影をも周囲の暗がりとともに映し出していた。その影の何れもが例外なく憔悴し、ひどく汚れている。そこに住んでいる人間の姿から、その場所の環境を察することに特殊作戦群の精鋭は何れも吝かではなかったが、ここの居住環境の劣悪ぶりはあまりに彼らの想像を超えていた。
任務を終えた隊員が彼らを一箇所に集め、ある隊員は人々の労苦をねぎらうと同時に、群がる子供たちに携帯糧食や水を与えている。漸くで救出を果たした現地人の様子に、あることに気付き御子柴は部下に聞いた。
「……存外、子供の数が少ないようだが」
「それが……子供は西の方角へ連れて行かれたと……」
「何……?」
「子供で今残っているのは、あまりに病弱か連中に反抗的で矯正の余地無しと看做されたためのようです」
別の隊員が寝間着姿の男を連れてきた。この場に余りに不似合いな身なりの、頭頂の禿げ上がった小太りの男――――火傷の後も痛々しく引き摺られるようにして連れてこられた男の姿に、御子柴の眉がやや険しさを増した。
「この男は?」
「収容所の所長です。兵舎から焼け出され逃げ出そうとしたところを捕まえました」
拘束を解かせ、御子柴は男に聞いた。
「子供を拉致した目的は?」
「そんなこと決まっているではないか……教化のためだ! お前ら蛮族には我々ローリダ人の崇高な使命など理解できまい……!」
「何時だ?」
「一週間も前だ……もはや間に合うまい」
「…………」
男を睨む御子柴の目に宿る、それも、これまでとは明らかに違う硬質の光……収容所所長との不毛な会話を終えた直後、一人の隊員が声を上げた。
「隊長……!」
顧みた先に立つ隊員は、一人の子供を伴っていた。
「この少年が、日本人が葬られた場所を知っていると……」
ともすれば縺れそうになる細い足を踏み出し、少年は意を決したかのように一点を指差し、御子柴に声を振り絞った。
「……あそこだよ。あの荒地の下にニホン人……いっぱい居る」
少年の導くまま歩いた先、敷地内の草原から一転し、明らかに人の手が入れられたことがわかる窪地の前で、御子柴たちは歩を止めた。ぽっかりと開いた穴からは収容所内に増して漂う異臭。その穴を埋め合わさんばかりに積み上げられたゴミ屑の類……そして暗視装置で捉えたかつては人間であった複数の影の山に、御子柴たちは全てを察した。
少年は言った……悲しむことに疲れたかのような表情で。
「ここは……やつらのゴミ捨て場なんだよ」
「……そうか」
所長を前に引き出し、御子柴は聞いた。
「何をした……?」
「…………」
「何をしたか聞いている」
その問いは穏やかだったが、それを投げ掛けられた者に対する拭い難い怒りを明らかに含んでいた。だが御子柴の迫力に圧されてもなお、所長は悪びれる風もなく言った。
「神より与えられた権限により、神に導かれるに値せぬ暴戻なる異教徒どもに天罰を与えたまでだ……お前たちもいずれ罰を受けようぞ……!」
「収容しますか……?」
部下の一人が言った。形こそ問い掛けだったが、その語調の端々に、請願にも似た感情が宿っていることを御子柴はすぐに察した。そして御子柴は、その請願が今回自分たちに課せられた任務の埒外であることを知っていた。
「……それは、我々の仕事じゃない」
そして踵を返し手を上げる。それは撤収の指示だった。事前の指示通り数名の現地人が隊員によって指揮官の前に連れて来られ、御子柴は彼らに目を細めた。
「彼らが、運転を知っていると……」
隊員の補足に御子柴は頷き、現地種族の代表に言った。
「君たちは自発的に暴動を起こし、敵の車両を奪いこの収容所から脱出した……いいな?」
「それは……どういう事でしょう?」
「我々の存在及び行動は今後一切他言無用だ……でないと身の安全は保証しない」
「わかりました……」
現地人の全員に戦慄と同意の表情が交互に浮かんだのを確認し、御子柴は言った。
「向こうに敵の車両がある。君たちにはトラックを運転し、収容者を乗せて西の海岸線まで走って欲しい。そこで待っていればいずれ助けが来る。出発は10分後、それまでに全ての準備を完了しておけ……了解?」
「…………」
「安心しろ、ここから南西は敵の勢力圏外だ……保証する」
現地人の表情にさらなる了解の色が出るのを見計らったかのように、部下が切り出した。
「隊長……捕虜はどうします?」
「取るつもりだったが……方針を変更する。自由にしてやれ」
「…………!?」
一瞬、部下は指揮官の真意を測りかねる。だが御子柴の真意は彼らの想像を超えていたのだ。捕虜の身を解いたローリダ軍将兵を現地人の前に連行し、怒りに満ちた形相で彼らを睨み付ける現地種族の前で、御子柴は静かな、だが重い口調で言い放った。
「彼らの処置は…………君たちに任せる。後は好きにしていい」
「…………!?」
絶句したのは、所長たちだった。あまりの宣告に言葉を失い、彼は弛み切った顎を震わせながら敵の指揮官を見上げる。
「貴様……いま何と?」
「自由にしてやると言ったんだ。君たちの信じる神が異教徒の俺にこう囁いた……君たちを自由にしなければ、我々に天罰を下すとね」
「そんな……!」
「自由になれたことを、キズラサの神とやらに感謝するんだな」
この期に及び、部下たちにも異存はなかった。絶叫を上げ抗議する捕虜たちをかつては彼らが虐待し蔑視した現地人の前に放り出すや否や、何処からとも無くシャベルやツルハシを持ち出した現地人の男どもが、憤怒の任せるままに彼らを取り囲んだ。ローリダ人の最後に関心を払うような御子柴ではなかった。彼らを突き放すかのように踵を返し先程の窪地へと戻ると、付き従う通信兵に任務終了の通信を送るよう告げる。
「こちらエス、任務完了」
『――――本部了解。速やかに予定回収地点まで移動せよ。目標座標は―――――』
交信の様子を背後に聞きながら、無言のまま御子柴は窪地を見下ろした。
「…………」
漸く白みかけた異郷の空の下で、見渡す限りの芥山の一部と化した同胞と現地住民の無念を、御子柴は思った。特殊任務に就く者である以上、個人的な感情を殺さねばならないことぐらい、理解はしている。だが現在、彼の煮えたぎる心中を癒すものはここから遠くで現地人の報復を受けているローリダ人の絶叫のみだ。そしてそれで喪われた人々の生命が戻って来るわけではないことぐらい、御子柴にはよく判っている。だが……
御子柴二佐は目を瞑った。
あらゆる煉獄に耐え、鍛え上げられた身体でも、圧倒的なまでの理性と感情の相克にはさすがに抗いかねた。
「兵隊さん……?」
「…………?」
「ニホンの兵隊さん?」
呼びかけられ、振り返った先には、先程の少年。
「…………」
「助けてくれて……有難う」
躊躇いがちに、少年は掌を差し出した。長期に渡る拘禁と抑圧を耐えたか細い手に、歴戦の勇士と言えど思わず目を奪われる。
「握手……してください」
言われるまま少年の手をゆっくりと、かつ包み込むように掴んだ瞬間、少年の手を通じ伝わってくる、芯から胸を震わせる何かに、驚愕にも似た感情を禁じえない御子柴がいた。そして彼はそれが、度重なる任務と訓練を経るうちに鈍磨し、忘れかけようとしていた感情であることに気付いた。
「そうだ……」
声にならない声で呟き、御子柴は悟る。
俺はこのために、自衛官たるを択んだのだ。
そして新たにする覚悟――――
作戦は終わった……それでも、我々の任務はまだ続く。
スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前6時12分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊汎用護衛艦 DD-109「ありあけ」
夜明けを迎えたばかりの護衛艦DD-109「ありあけ」のヘリ甲板は、その広さと乗員数に比して異様なまでの喧騒に包まれていた。
『――――こちら01……着艦』
『――――こちらLSO。ベアトラップ始動……01を拘束した。エンジンカットしろ……以上』
『――――ゼロワン了解』
回転翼機のドアがスライドし、飛行の間妨げられていた冷気が容赦なく共和国海軍将兵に襲い掛かってきた。機上整備員と思しき乗員が先に機から降り、彼らに降りるように手招きする。着艦を果たした哨戒ヘリの鼻先では、先に収容されていた将兵たちが、格納庫を埋め尽くさんとするかのように集り暖を取っていた。
「さあ、降りろ」
その頃には回転翼機の乗員だけではなく、灰色のヘルメットと防弾服を着用し、小銃を肩に提げたニホン軍の水兵までが機に走りより、彼らの突然の乗客にヘリから降りるよう促していた。そして、促されるがままに降り立ったロルメス‐デロム‐ヴァフレムスは、眼前の光景に胸の奥底から抗い難い感慨が沸くのを感じていた。
これが……ニホンの軍艦か。
艦の復元性と容積の許す限り、あらゆる武装を詰め込もうとするローリダ海軍の軍艦に比して、ニホン海軍の兵装はあまりにシンプルだ。自分が一歩を標したこの艦など、広い回転翼搭載機用甲板からして、戦闘艦というよりはむしろ航空機輸送艦といった趣がある。
だが……自分達の艦隊を、ほんの数分で完膚なきまでに叩き潰したのは、この艦隊なのだ。それを思えば、ロルメスにはこの単調な艤装の艦が一層不可解だった。
ニホン兵に促されるまま、ロルメスは格納庫へと進み出た。ニホン人は、本来彼ら自慢の回転翼機用に設けられたはずの格納庫を、我々が暖を取るために解放してくれたようなものだった。生存者たちは全員に行き渡る分だけの毛布をニホン人から渡され、ニホン人は熱い飲物まで出してくれた。それはどす黒い色をした苦い味の飲物だったが、それでも口に含めば冷え切った心まで暖が戻ってくるような気分に囚われたものだ。
だが……本来なら救済を受けたと言っても過言ではないこの状況下で、共和国海軍の生存者達に広がっていたのは困惑にも似た感情だった。彼らは一度ニホン人に捕らえられれば、命はないものと教えられ、信じきっていたのである。ロルメスとアドヴァスもまた、実際に囚われの身となるその時までそう思っていた……だが今のところ、こうして生かされている?
「我々を安心させてから、殺すつもりなのでしょうか?」
と、アドヴァスは聞いた。
「いや……本当に殺すつもりなら、我々が漂流していた段階で始末をつけているはずだ。我々がつい五ヶ月前、彼らにそれを為したように……」
会話を交わしている端から、再びSH-60K哨戒ヘリコプターのエンジンが鼓動を刻み始めた。新たな救助要請が入ったのではなく、救助した捕虜の中で重症の人間を、より医療設備の整った艦へ搬送する為だった。担架に乗せられた共和国海軍の将兵が数名、手際よくヘリコプターの胴体内へ運び込まれていく様を、ロムレスたちは無心に見送っていた。
『――――01離艦を許可する。以上』
『――――01、只今離艦する』
高まるローター回転の為す渦は、格納庫まで押し寄せてきた。冷え切った身体のままでそれに耐えながら、ロルメスは眼前の回転翼機がゆっくりと離陸していく様に、何時しか目を見張っていた。
「ニホンにも、このような強力な海軍があったのですね」と、アドヴァスが囁く。
その一方で、ロルメスは嘆息した。
「ああ……だが、彼らには規律がある。我々の海軍には無い規律が……」
機関の奏でる振動が、ロルメスたちのいる格納庫に一層の重みを持って伝わってきた。機関の稼動音はこれまで聞いたことの無い、まるでジェット機の轟音のような金属的な独特の響きを持っていた。それでもニホンの軍艦が加速を始めたのだと、艦船に余り知識の無いロルメスでも察することが出来た。そのとき、分厚い救命胴衣に艦内帽を被った幹部がロルメスたちの前に立ち、声を上げた。
「この中に指揮官相当の人間はいるか?」
三、四名の士官が手を上げ、幹部に促されるまま前へ進み出た。同時にロルメスも進み出ようとするが、アドヴァスに止められた。
「だめだ……君の正体が露見したら何をされるかわからないぞ」
「いや……すぐに判るさ」
ロルメスの眼前でニホン軍の士官と話しこむ海軍の士官は、その間も時折ロルメスの方に視線を走らせていた。そしてニホン軍の士官もまた、こちらを凝視していることに、二人はすぐに気付く。
そして、ニホンの士官はロルメスを指差し、言った。
「君、前へ……」
二人は顔を見合わせた。悄然とした表情で主君を凝視する親友に、ロルメスは微笑みかける。
「大丈夫、直ぐに戻れる」
ロルメスを呼び寄せるや、ニホンの海軍士官は聞いた。
「あなたは、民間人か?」
「そうだ。私の名はロルメス‐デロム‐ヴァフレムス。ローリダ共和国の元老院議員だ。前線視察の途上、君たちに艦を沈められ、今はこうして囚われの身となった。望むべくは君たちの指揮官と話をしたいが、掛け合ってもらえないか?」
数秒の沈黙の後、ニホンの士官は頷いた。幹部は傍らの海曹を呼び寄せ、耳打ちする。ロルメスはアドヴァスの方を振り向き、再び微笑んで見せた。一端外に出た海曹は間を置いて再び幹部の元へ戻り、耳打ちした。
「艦長が貴方とお会いになるそうです。ご足労でしょうが、こちらへ……」
士官の口調は一転し丁寧なものとなった。それがロルメスに安堵を誘った。
「言葉が足らず済まないが、私は君たちの艦隊の総司令官と会いたいのだ。君の艦長がそうか?」
「いえ、違います」
「では、君たちの艦隊司令官は何処にいる?」
「それは軍機につき今の段階で申し上げることは出来ない。ご容赦願いたい」
ロルメスは振り向くと、アドヴァスを呼び寄せた。怪訝な顔を浮かべる幹部に、ロルメスは言った。
「彼は私の腹心だ。私とは一心同体の関係にある」
だが……同行は認められなかった。幹部と二名の海士に周囲を固められ、ロルメスは艦橋へ続く通路を歩き始めた。「クル‐ディラ」と比べ小柄な敵艦の通路は意外なほど広く、余裕を確保した設計にロルメスは少なからぬ感銘を覚えた。
艦橋に通された時にロルメスが奇異に感じたのは、それがローリダの軍艦に比して各部が遥かに機能的に配置されており、広々としていることも然ることながら、そこに配置された人員が四~五人と少ないことであった……これほどの少ない人数で、この艦を動かしている?
艦橋の右隅に座る中年男が立ち上がり、ロルメスの前に進み出た。彼もまた灰色の鉄兜と救命胴衣に身を包み、彼らの軍隊の実戦的な様式の程を伺うことが出来た。男の顔立ち、身体つきは若々しく、小皺混じりのその表情からは抑制された静謐さが漂っていた。
「『ありあけ』艦長の沖 二佐です。武装勢力の重要な地位にあるとか?……」
「私は、ローリダ共和国という国家の国民であり、議員だ。武装勢力などと不穏極まる呼称を使うのはやめて頂きたい」
「喩え国家であれ、我が国と貴方の国との間に国交はありません。従って我が国の政府はあなた方を国家とは見做していない。政府の見解に従うのが我々の義務でありますので、その点はご了承頂きたい」
「……では、我々は?」
「我が国の言葉を使えば、テロリストということになります」
「テロリスト……?」
「我が国の政体と社会に破壊と混乱をもたらす者、という意味です」
「馬鹿な……!」
ロルメスは顔を曇らせた。
「君たちこそスロリアを恐怖で支配し、あまつさえ我々にも侵略の手を延ばそうとしていたのではないのか? それを……」
「あなた方にも言い分はあるのでしょうが、残念ながらここは互いの意見を戦わせるべき場所ではないし、小官にも私見を述べる権限はない。それ以外に、他に仰りたいことはありますか?」
「我々は、どうなるのだ? 兵士達は動揺している。自分達が殺されるのではないかと……」
沖艦長は頭を振った。
「命までは取りません。作戦が終了し次第、あなた方は我々の後方地域まで移送されることになります。そこで戦争終結まで過ごして頂く事になるでしょう」
「そうか……我々はやはり捕虜というわけか」
「不服ではありましょうが、従って頂く他ありません」
「艦影見ゆ。方位0-4-4。距離3000メートル……『あたご』と確認」
当直員の報告に、沖艦長は双眼鏡を大分闇の引いた海原へと向けた。
「……どうやら、艦隊に合流したようだな」
「艦隊……?」
ロルメスが目を凝らした水平線の彼方で複数の黒点が広がり、隊伍を為していた。艦が進むにつれ、黒点は明確な軍艦の形となって眼前に現れ、ロルメスを戸惑わせた。
「これは……」
この艦もそうだが、ニホンの軍艦は我が国の軍艦と比べ遥かに武装も少なく、その一方で艦型に余裕を持って造られている。どの艦も後甲板に回転翼機を搭載できるようになっており、彼らの艦隊作戦にあの回転翼機は欠かせない存在となっているようだった。
……では、彼らはどのようにして我々を打ち破ったというのか?
その疑問を解く機会は、そう遠くないはず……今のところロルメスに判っているのは、ただそれだけであった。
スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前6時17分 スロリア西部
『ニホン軍の大部隊がゴルアス半島北部に出現。一部部隊はセルベールを包囲。主力は西進しノドコール侵攻を図るものならん――――』
かつては戦前の「解放作戦」で得たニホン人虜囚及び劣等種族を収容し「処分」するべく拓かれ、現在では植民地軍の前進拠点としても機能を始めていたセルベール基地は、つい一時間前に打ったこの無電の直後に一切の音信を絶った。かの衝撃的な奇襲攻撃以来間断なく続くニホン空軍の空襲下で、その通信の大部分を途絶させていたスロリア中南部の各拠点の中で、唯一通信が確保されていた基地の通信途絶は、単なる前線基地の失陥以上に重大な意味を持って、ローリダ軍の鼻先に突きつけられることとなったのである。
敵軍のノドコール侵攻―――――それが何を意味するか、士官学校を出て間もない少尉候補生ですらわかる。例え一個師団とはいえノドコールへの敵軍の侵入を許せば、東方に戦力を引き抜かれ手薄になっているノドコール本土の守備部隊では到底対応できないことは勿論、現地で渦巻いている独立運動を一層勢い付かせる恐れすらあった。そしてそれらが全て現実ものとなれば、今現在緒戦の勢いを駆り西進中のニホン軍を迎撃すべくスロリア中部に全戦力を集結中の植民地軍は、進路はおろか退路すら絶たれ文字通りに孤立する。さらに最悪の場合、ローリダはスロリアにおける自国の権益全てを喪い、その国威も地に陥ちるであろう。
「――――二個旅団相当の兵力を各師団より抽出、南下させ、ニホン軍のノドコール侵攻に備える。決戦を前に兵力の分派は正直苦痛ではあるがこの際仕方があるまい」
スロリア中部に集結する各師団長の最先任たる第26師団長 エイギル‐ルカ‐ジョルフス中将の決定に、幕舎に集まった各師団長及び参謀のほぼ全員が同意の色を示そうとしたとき、場に醸成されつつあった空気を霧散させたのは、末席に腰を沈める一人の若者だった。
「お待ちください……将軍」
「…………!」
顕にされた隔意もそのままに、場の全員の視線が招かれざる新参者に集中する。視線の集中を受けてもなお、ノドコールより派遣された無任所参謀――――センカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート大佐は平然と続けた。
「本当に……本当に、ニホン軍の大部隊はゴルアス半島北部に展開しているのでしょうか?」
「何が言いたい? アルヴァク‐デ‐ロート大佐」
「これが、ニホン軍が我が軍の兵力を分散させ、かつ東進を遅らせるための作戦である可能性も否定できない……ということです」
「だが現に、セルベール基地はニホン軍の攻撃を受け壊滅したではないか!? これまでの戦況から何を見ていた大佐?」
ジョルフスの悪意に満ちた視線を真に受ける様子など微塵も見せず、ロートは淡々と言う。
「電文以外にセルベールが陥落したという確たる証拠はないし、セルベール程度の規模を持つ基地なら一個中隊でも制圧は可能です。何も師団単位の部隊を動かす必要は無い」
「破壊工作か……!」
ざわめく幕僚……変わりかけた自分に対する風当たりに対しても、ロートは超然としていた。
「おそらく……彼らの意図は我が軍がゴルアス半島北方の防備に専念する間、空白地帯と化したゴルアス半島西岸に真の大部隊を上陸させ、ノドコールから至近に事実上の第二戦線を形成することにあるのでしょう。一連の状況は架空の地上軍をでっち上げ、我が軍のゴルアス半島への本格展開及び東方への戦力集中を防ぐためのニホン軍の策略と思われます」
「では……どうしろというのか?」
搾り出すように出てきたジョルフスの疑問。ロートはそれに対してもやはり、淡々とした口調で続ける。
「半島広しとはいえ、敵が上陸可能な地点は限られております。自走榴弾砲及び対戦車砲の増強を受けた一個旅団で結構。いち早く南下させた上でゴルアス半島西岸に貼り付け、敵の上陸作戦に対処するだけでよろしいかと……」
「だが貴公の言うまやかしが、本当にニホン軍の大部隊だったらどうする? それもノドコールへの浸透を意図したものであったとしたら……」
「ですが……」
ジョルフスは、ロートを睨み付けた。余所者に対する嫌悪は隠しようがない。
「本職は前線にて体感したこれまでの戦況から、奴らの戦術からその意図まで全てを知り尽くしておる。後方で皮算用まがいの兵棋演習に明け暮れていたヒヨコ共に何が判るか!」
「…………」
そこまで反駁されては、ロートとしても引き下がらざるを得ない。何せジョルフス中将はこの場にいる全指揮官の最先任であり、対するロートに課せられた任は指揮官の輔弼ではなく単なる前線視察であるのに過ぎない。これ以上の抗弁で統帥の混乱を誘発する事態は避けるべきであろう。
その時、一人の将官が発言を求めた。第48師団司令官 ギュレイ‐ル‐ラ‐ゴーズ少将だった。
「確認のため、ジョルフス中将にお伺いしたい、増援軍は……本国軍は植民地軍と共同してニホン軍と戦端を開くのか? またその際本国軍と植民地軍のいずれが指揮を執るのか?」
「本国軍……!?」
場がざわつきだすのをロートは覚えた。おそらく、この場の将官及び参謀の多くが、戦前に行われた会議でロート自身が提起した疑念を反芻したに違いない。もしゴーズ少将の言うように、本国軍と共同戦線を展開できれば、西進するニホン軍に対して兵力で十分対抗できることは勿論、ゴルアス半島にも展開する敵軍に対処できるだけの兵力を回せるだろう。
だが……戦略とか戦術とは違う「技術面」で、それは不可能な相談だった。本国軍――――軍中央と元老院の威光を笠に着たあの鼻持ちなら無い連中は、例え共同戦線を張り敵軍に勝利したとしても、その戦功の悉くを自らの側に帰しこちらには骨すら残さぬに違いない。実のところゴーズ少将の問いは、植民地軍と本国軍との共同戦線の可能性に決して期待を込めたものではなく、それを警戒してのものであった。彼とて本国軍に戦功を独占させるつもりは毛頭無かったのである。
「……我々植民地軍としてはあの連中に倍する戦功を上げ、それをアダロネスに強調しておく必要がありましょう? 少なくとも、戦域の区別は明確にしておきたい」
少将の口調の端々からその真意を悟り、ロートは内心で幻滅する……皮算用とは、こういうことを言うのではないのか? そしてゴーズ少将を注視する各将官の表情も、彼に対する同意を示すものであった。ゴーズの意見にジョルフス中将は鷹揚に頷き、口を開いた。
「安心召されよ。本国軍は我が軍と合同せぬ。個々に戦線を構築しニホン軍に当たることとなろう。その点はロート大佐が詳しかったと思うが……」
と、ジョルフスは再びロートを睨むようにした。その目に嘲弄の要素が混じっているように思えるのは、おそらくは事実であろう。
「我が軍はある意味すでに分断されております。この上さらに兵力を分散すれば、敵を利しその間隙を突かれるは必定」
「ロート大佐。くどい……!」
自身に意見具申の権限は無い。だが言って見ずにはいられない……そこに、外面には出さないロートの苦渋があった。もはや最後の望みは、増強成った空軍がスロリア南方海上を西進中という敵艦隊を撃破し、ゴルアス半島南西海上の制空権を確保できるかにかかっている。
方針は、決した。
スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前7時2分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊護衛艦DD-109「ありあけ」
『――――01、離艦を許可する』
「こちら01、只今より離艦――――」
完全に闇の消え去ろうとしている白一色の空へ舞い上がるべく、T-700-IHI-401Cガスタービンエンジンのタービン音が急激にその鼓動を高めていく。同時に間隔を狭めていくローターの回転音を聞きながら、コレクティヴ-レバーのハンドルを調整していくのにも、もはや完全に馴れた。
飛行中ならともかく、普段なら離着艦時にまずこちらに操縦桿を預けることのない機長が、離艦時に操縦するよう言ってくれたのは、副操縦士の配置にある石和 綾二等海尉には意外ではあった――――特に、今この時のように「特別な乗客」を乗せているときには……
―――――つい一時間半前の海戦で撃沈した敵艦の乗員の救出と、より医療設備の整った旗艦や補給艦への重傷者の後送―――――戦闘時の任務飛行に続きそれらの飛行作業を慌しく終え、漸く母艦での休息時間を取ることのできた機長と自分、そして航空士の菅生二曹がこれまた慌しく艦橋に呼び出され、そして引き合わされたのは、敵軍の重要人物という二名の青年だった。
「ご苦労だが、この二名を至急『ひゅうが』まで運んで欲しい」
機長たる谷水一尉が移送時の打ち合わせを飛行長と行っている傍ら、石和二尉は移送の対象となった二人の青年をまじまじと見詰めた。二人の、それぞれに背の高さの違う青年もまた、興味と警戒―――それぞれに趣の異なる色の瞳で石和二尉を見返している。
「…………」
年の頃は自分とほぼ同じ。二人の青年はおよそ活動的には見えない、「転移前」の世界の、古代ギリシアかローマのそれのような長衣にその均整の取れた体躯を包んでいた。顔立ちは……鼻筋、目元、顔の輪郭――――それらにおいて二人とも彼女の好みと大筋で合致している。特に背の低い方、金髪に青い目をした青年はそうだった。その傍らに、まるで侍従のようにつき従う黒い長髪の青年はといえば、目が合った瞬間、間の抜けたように会釈する菅生二曹に、一層に警戒心の篭った眼差しを注いでいた。
思わず目礼……そのとき不意に青年の手が伸び、石和二尉の救命衣に触れた。
「…………!」
「済まない。驚かせてしまったね」
思わず距離を置いた石和二尉に、金髪の青年は微笑みかけた。そして青年は天使のような、耳に心地いい声で彼女に話し掛けてきた。
「君は、操縦士なのか?」
石和二尉は頷いた。そして青年はさらに言った。
「この艦隊に入って、何年になる?」
「うーん……艦隊勤務はちょうど一年だけど……?」
自衛官としての自覚を意識しながら、彼女は慎重に言葉を択んだ。
「故郷に家族は?」
「います」
「仕事は何をしている?」
「家は……野菜を売っています」
「野菜を売っている?……商人か?」
「儲けはぼちぼち……だけど」
そう言って、石和二尉は人差し指と親指とで「少し」という仕種をして見せた。アドヴァスを省み、ロルメスは声を弾ませた。
「聞いたかアドヴァス。ニホンでは商人の娘が飛行機の操縦士になれるらしいぞ」
事実、彼女の答えを聞いたロルメスにとって、それは特別な感慨をもたらす答えであった。
共和政を敷いているとはいえ、社会の様々な面で厳重な階層の壁に分かたれているローリダにおいて、将官や士官とは上流階層に属する人間のなるものであり、眼前の女性操縦士のように庶民に属する人間が軍隊でどう頑張ったところで、結局は下級士官止まりであろう。それより下層の農民に至っては下士官まで進級できるかどうかすらも覚束無い。その共和政において最上位に位置し、さらには為政者の末席を汚す身、されどそうした階層間の格差是正を理想とするロルメスにとって、石和二尉との会話は正直天啓を受けるような重みを持って耳に入ったのだ―――――
―――――開かれたスロットルに与えられた浮力の赴くままに上昇を続けるSH-60K哨戒ヘリコプターのコックピットからは、今しがた飛び立った母艦「ありあけ」の、朝空の白を吸い込み銀色に色づき始めた海原を割り驀進する後姿を、十分な眺望を以って見下ろすことができた。
このまままっすぐに飛べば、ヘリは五分も経ずしてキャビンに乗せた二人の異国人を護衛艦隊の旗艦へ届けることができるだろう。だが十分な高度に達したところで石和二尉は操縦桿を傾け、機を横に滑らせる。
全く必要の無い操作―――――機長席の谷水機長が訝しげにこちらへ視線を注ぐのを感じる。だがキャビンにいる「乗客」は、眼下の艦艇の姿を十分に堪能できるはずだ。その姿を想像しながら、石和二尉はゆっくりと操縦桿を前に傾ける。
「あ……」
完全に夜の残滓の消えた空からは、護衛艦隊と輸送船団との織り成す見事な輪陣形を海上に見出すことができた。ほんの二時間近く前の海戦が嘘のように、艦隊は目的地へ向け整然と航海を続けている。ヘルメットの遮光グラスを上げた眼からは、その一隻一隻があたかもプールの上に浮かべられた模型のような輪郭で迫ってくる。
インカムには、航空士の菅生二曹と「乗客」が話をする様子が耳に入ってくる。ここでも質問の主導権を握っているのは、あの金髪の若者のようだ。
『君たちの海軍には、どれくらいの伝統がある?』
『――――うーん……50年以上はあるかなぁ』
『50年? わが国の海軍よりずっと若いじゃないか?』
『帝國海軍って言ってた時代を合わせれば、100年は行くんじゃないですか?』
『その帝國海軍とやらと、君たちとではどう違うんだ?』
『帝國海軍には空母や戦艦があったけど、海自にはない……まあ、それ位ですかねえ』
『……ということは、君の国には、戦艦を作れるほどの技術力があるのか?』
『そりゃああるでしょう。下走ってる輸送船なんて、排水量7万トンぐらいあるんだから……』
『石和二尉、二時方向……!』
突然とも思える機長の声に、石和二尉は弾かれたように我に返った。声に促されて視線を巡らせた先で、揚陸艦より発艦した陸自のUH-60Jが一機、その機番号はおろか開け放たれたキャビンに身を沈める陸自隊員の姿まで直に識別できるくらいにまで接近している。
「…………!」
反射的に再び傾けた操縦桿。だが荒い操作が祟り機は不気味に振動した。思えばこうした注意散漫ぶりが、機長への昇格を妨げているのではないか?……と、彼女は自分の迂闊さを呪う。しかし……あのUH-60Jは? その目的を自問した直後、石和二尉は艦隊がすでにその上陸地点を捉えていることに思い当たった。あれが乗せていたのは、上陸地点への事前偵察に赴く西部方面普通科連隊の隊員だったのだ。
――――そこに、機長の声。
『――――操縦、代わる?』
「いえ……」
インカムにそう囁かれただけで、機長が強引に操縦桿を取り上げなかったのは幸いだった。パイロットになって日の浅い彼女にとって、本来なら有無を言わさずそれをされてもおかしくない失態……だが彼女の機長はそうせず、SH-60Kは石和二尉の手で旗艦「ひゅうが」の巨大な飛行甲板を見下ろす位置に達する。それを見計らったかのように通信機の向こう側の声が、上空警戒機の全飛行を統括する旗艦の航空管制官から発着艦誘導士官に切り替わる。
『――――「ひゅうが」より「ありあけ」01、着艦を許可する』
「機長……着艦を」
『――――やりなさい』
「了解」
着艦は難しいが、その対象が「ひゅうが」型の全通式飛行甲板なら、汎用護衛艦の狭い飛行甲板に比べればその困難さも強いられる緊張もどうということはない。確実な収容を期すための着艦拘束索を使うこともなく、ごく普通の滑走路に舞い降りるような感覚で機を滑り込ませればいいのだ。しかもこのとき、幸いにも甲板からは全ての搭載機が出払った直後であった。もしくは、敵の重要人物を速やかに艦内に収容するべく意図的に甲板を空けていたのか?
「01、 着艦する――――」
母艦の着艦誘導装置と連動したMFDは、機が順調に着艦コースに乗っていることを示していた。
操縦桿の、トリムスウィッチに当てた親指に篭る力――――
迫り来る飛行甲板の全容――――
アスファルトの黒一色に染まった矩形の空間。
艦首甲板に映える「145」の艦番号。
白いセンターライン。
眼下で振られる誘導灯の放つ赤い光。
影とともに蠢く複数の人影。
―――――それらはまさに、海に現出した人口の発着所。
ミリ単位の精緻さで、あるいは体に覚え込んだ間隔の導くままに緩めるコレクティブレバー。
急激に間延びするジェットの鼓動―――――それは程なくして、少しずつ弱まり行く。
ドスンッ……!
軽い衝撃―――――ゴムタイヤのアスファルトを擦る音。
誘導員の導くまま、機を前へ滑走させる。特徴的なアイランド状の艦橋付近まで進んだところで、誘導員の首を切る仕種――――――
「01、 エンジンカット……!」
機内に戻る静寂、入れ替わりに入ってくる艦上の喧騒と艦外の潮騒。待ち構えていた甲板員が、こちらに駆け寄ってくるのを見る。ドアは開け放たれ、そして「乗客」は速やかに艦に引き渡された。石和二尉たちもまた整備と休息を兼ね艦に残ることを命ぜられる。予定上陸作戦開始時刻が近いことがおそらくはその理由であろう。
機体を航空要員に引き渡し待機室に引き上げようとするところを、彼女は谷水機長に呼び止められた。呼び止められる理由も、大体見当が付く。
「石和クン……?」
彼女を見詰める悪戯っぽい笑み……石和二尉もまた、ばつ悪そうな、引きつった笑顔で応じた。谷水一尉の指が伸び、勢いを付けて弾かれた人差し指は強かに石和二尉のおでこを弾く。
「見張り不良につき、罰金100円ね」
「ハイ……」
背後でクスクス笑う声。カッとなり石和二尉は菅生二曹を振り返った。
「何笑ってんのよ。アンタ!」
「敵の人間に色目使うからですよぉ、いい男なんてここにもいるじゃないですかぁ」
「え?……どこどこ?」
「ヒドイなあ、石和さん」
先に艦橋に向かっていた歩を止め、谷水一尉は振り返った。作戦開始を前にしても相変わらずの二人……いつの間にかその様子に、安堵にも似た感触を覚えている彼女がいた。
旗艦DDH-181「ひゅうが」艦橋。そこからは進撃を続ける艦隊の威容を、ほぼ全周に渡り眺めることができる。その中でロルメスとアドヴァスを迎えたニホンの提督は、彼の率いる幕僚と代わり映えのしない作業服姿をしていた。
艦の内装もローリダのものとは違う。贅の限りを尽くした豪華な内装を誇る植民地艦隊の旗艦と違い、ニホン艦隊の旗艦は外見からその内部にいたるまで徹底して機能的、悪く言えば無個性に造られている。それがローリダの若者には驚きであり、却って新鮮であった。
島村海将とロルメス―――――艦橋で会合を果たした二人はしばらく互いを観察し、ほぼ同時に伸びた互いの手を握り締めた。
「本艦へようこそ。ロルメス議員」
「ご厚意痛み入る。あなたがこの艦隊の提督か?」
島村海将は頷き、ロルメスに椅子を進めた。それを固辞し、ロルメスは言った。
「あなた方は、素晴らしい装備をお持ちのようだ……それに、規律もある。悔しいがそれは認めよう」
「できれば、あなた方とはこういう形で出会いたくはなかった。残念です」
「何を白々しいことを……!」
と、色をなして海将の前に進み出たのはアドヴァスだ。
「あなた方はこうしてスロリアに侵略の手を延ばしているではないか? ここは神が我々ローリダ人の手になることを約束した地だ。異教徒のあなた方が立ち入るべき処ではない」
「その約束の地とやらにも、異教徒は住んでいる。あなた方は、現在あなた方に住む場所と生きる術を追われ、艱難辛苦に喘ぐ人々のことを微塵でも考えたことはあるか?」
「…………!」
不意打ちにも等しい一言を前に言葉を失った二人……若者の顔を交互に、噛み締めるように見比べ、島村は言った。
「申し上げておくがあなた方が国を持っていることはおろか、あなた方の国が何処にあるのかを知っている日本人は我々を含めごく少数でしかない。それなのにあなた方は我々を敵と看做し、戦争を誘発した。その結果が現在の状況ではないか」
「では聞くが……あなた方にはスロリアはおろかローリダに対する侵略も、領有の意図もないということか?」
「本官は自衛官であるから政治のことはわかりません。だが我々は攻めるためではなく守るためにここにいる……とだけ言っておきましょう」
「…………」
ロルメスの頬から次第に血色が失われていくのをアドヴァスは見逃さなかった。それが相手に対する怒りでも失望のためでもなく、純粋な驚愕のなせる業であることをアドヴァスは即座に理解する。
僅かながら醸成されつつあった和解の空気。
だがそれはほんの数秒で瓦解する――――――
『――――――「あしがら」CICより報告。ノドコール方面より機影多数南下中。方位3-3-0。距離90』
艦橋に響き渡る報告とともに、島村海将は「ひゅうが」艦長 嶋崎一等海佐を顧みた。
「総員に至急戦闘準備を下令。あとは、この二人を別室に案内してやれ」
「提督……」
と、ロルメスは意を決したように島村の前に進み出た。
「できれば、ここで戦闘の成り行きを見守っていたいが……」
「…………」
唐突とも思える申し出に、島村は顔色一つ変えずロルメスの顔を注視する。急激に慌しさを増す艦橋。周囲に対しては超然としたまま、島村は言った。
「身の安全は保障できかねる。それでも宜しいのですか?」
「それでもいい。これは……私の使命なのだ」
「わかりました。そこまで仰るのなら本官に止める気は無い。ご自由になされれば宜しかろう」
「提督……あなたの配慮に感謝する」
異国人の若者の、蒼い瞳に宿る光の質と志の高さを、島村は見逃さなかった。