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第一七章 「大海空戦 前編」

スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前3時17分 ゴルアス半島西方沖 ローリダ共和国海軍潜水艦「ディギ‐ヴァリ」


 「……潜望鏡深度まで浮上。吸気塔(シュノーケル)準備」


 艦が軽くなるという感覚と、艦が不安定なまでに揺られるという感覚が、潜水艦の浮上時には一気に襲って来る。それは決して不気味なものではなく、ローリダ海軍の潜水艦乗りにとっては神の救いを得られるかのような開放感を伴うものだ。


 ローリダ共和国海軍潜水艦「ディギ‐ヴァリ」は、ニホンの海上交通路破壊任務を帯び、東方へ向かう途上にあった。本来なら北方航路を経て東方に回航されるはずだった「ディギ‐ヴァリ」が、南方方面への移動を命ぜられた背景には、南東方面における潜水艦戦力の増強も然ることながら、開戦以来一切の音信を絶った僚艦四隻の捜索という任務もまた課せられていたためだ。


 決して気楽な任務ではなかった。四隻が無事に存在しているという確証はなかったし、開戦に先立つこと五ヶ月前、やはり一隻の潜水艦が消息を絶っている。自分達もそうならないという保証もまた、なかった……つくづく、スロリアの海は共和国海軍潜水艦隊にとって相性が悪い。


 「潜望鏡深度に達しました。吸気塔稼動させます」

 「艦橋まで浮上しろ。ディーゼルエンジン起動準備……」


 と、「ディギ‐ヴァリ」艦長 アルクレス‐ガ‐ナーザ中佐は厳かに命令した。この辺まではまだ安全域だという安心感が、彼に潜水艦の指揮官にしては大胆な行動を取らせていた。


 それでも……戦局の容易ならぬことは、一潜水艦の艦長たる彼も知るところとなっていた。空軍は緒戦の打撃から未だに立ち直れず、東方に展開していた三個師団は侵攻するニホンの大軍と激闘を繰り広げた結果、大損害を受けて後退を余儀なくされ、敵軍はスロリア亜大陸中南部に位置するゴルアス半島の一端にも少なからぬ数が上陸し、東進軍主力の存在するスロリア中部を伺っていると聞く。


 それならば……と、ナーザ中佐には期するところがあった。半島に上陸を果たしたのならば、敵の艦隊が半島の東岸にいる可能性が高い。運良くこれに遭遇することが出来、さらに攻撃をかけることが出来れば戦局の挽回に寄与するのはもちろんのこと、自分にはあらん限りの賛辞が送られ、考えられる限りの名誉と恩賞を得られることだろう。


 「水上、対空レーダーに反応は無いか?」

 「ありません……水上は、恐ろしく静かです」


 踵を反したナーザ中佐に、先任士官のグルラフ少佐が聞いた。


 「……艦長、どちらへ?」

 「艦橋に上がる……」


 と、ナーザ中佐は言った。防水コートを着込み、水滴の滴る梯子を上った先に、潮の臭いのする冷たい外気が急激に飛び込んできた。


 艦橋ではすでに当直士官と二名の水兵が陣取り、海に空にと双眼鏡を向けていた。煙のような霧の漂う中を、やや荒れ気味な海原が三角の歯を蹴立てて艦橋に向かって来ては左右に分かれて行った。際どい深さだが、この分だと濡れずに済みそうだ。


 肺にたっぷりと新鮮な外気を吸い込んだ後で、中佐は双眼鏡を覗きこんだ。周囲に船影の見えないのを確かめ、中佐は発令所へと通じるインカムを掴み上げた。


 「充電完了まで、後何分か?」

 『……二〇分』


 と、くぐもった声が聞こえてくる。部下を順番に上がらせ、久しぶりの空気を吸わせてやるには十分であるようで足りないかもしれない。警戒を当直に任せ、慣れた挙動で梯子を滑り降りると乗員に、時間の許す限り順番に艦橋に上がるよう命じる。


 「艦長、そろそろ戦域ですな」


 と、線を引いた海図に目を通しながら、グルラフが言った。


 「こうしていられるのも、今のうちだ。ニホン軍はどんな手を使うかわからん……」


 従兵が飲物を持ってきた。それを一度啜り、ナーザは続ける。


 「充電を終え次第すぐに潜航する。当分、お日様をおがめんだろう」

 「ハッ……!」


 そのとき―――――


 「艦長!……対空レーダーに感! 急速に接近してくる!」

 「急速潜航っ!……一分で潜れ!」


 その後の乗員の手際の鮮やかさは、訓練どおりだった。全員を艦内に収容し注水弁を全開した「ディギ‐ヴァリ」は、艦首を海中に突き立てて波間を割り、あたかもベッドの中に潜り込むようにその艦体を没していく。電動機の奏でる単調な推進音は、聴覚に全神経を集中する聴音士を苛立たせない程度に抑えられ、それが一層艦内の静寂を引き立てるのだった。


 「深度40……50……60……」


 と、抑制された声で報告は続く。効き始めた空調に、冷気に引き締まった肉体が緩み出すのを感じる。それでも、心中の緊張は緩むことが無い。


 「まいったな……奴ら、ここまで来ていたとは」

 「味方では……?」

 「……いや、探知した方角からして、それは在り得ない」


 中佐は聴音手へ向き直った。


 「……反応は?」

 「ありません……いや、待ってください!」


 聴音手が聞いたのは、艦の遥か遠方で何かが水面を跳ねる音だった。そして数刻の後、それは彼の聴覚に明らかな魚雷の推進音となって飛び込んできた。


 「魚雷接近! 方位0-1-3!……急速に接近して来ます!」

 「機関全速!……面舵一杯!」


 正しい措置ではなかった。だが、彼らは敵が音紋追尾式の魚雷を持っていることなど、想像だにしていなかったのだ。そのような状況で彼らのミスを責めるのは酷というものであるし、また彼等がこの失敗を次に生かす機会もまた失われようとしていた。


 「ディギ‐ヴァリ」が対空レーダーでその存在を捉えるよりも早く、搭載レーダーから敵潜水艦の存在を察知したSH-60Kの放った97式対潜魚雷は一発。そのシーカーは「ディギ‐ヴァリ」の推進音を捉え、正確無比に「ディギ‐ヴァリ」を追尾しその艦尾を貫通、爆発した。


 「…………!」


 烈しい衝撃と艦内を食い破る水流の刃は乗員を混乱の内に薙ぎ倒し、漏電した電動機から発火した炎は艦が圧壊するまでの僅かの間艦内を暴風のように荒れ狂った。絶命した多くの将兵をそのままに、「ディギ‐ヴァリ」は、祖国より遠く離れたスロリアの水底深くにその生涯を終えようとしていた。

 



 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前3時24分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-181「ひゅうが」


 『「ありあけ」01より報告、魚雷の命中を確認……ソナー室、敵艦の圧壊音を認む……撃沈です』

 「電波は出していないだろうな?」

 「策敵波以外は探知しておりません。大丈夫でしょう」


 左寄りに据えられた艦橋の右隅、そこに位置する艦長席からは、飛行甲板上で機体を休めるSH-60K哨戒ヘリコプターの列線を手に取るように眺めることが出来る。「ひゅうが」型の飛行甲板は本格的な航空母艦のそれと見紛う程に広く、一度に四機の哨戒ヘリを駐機、離発着させることができる。それだけ、対潜、対空、対水上に迅速かつ濃密な警戒網を形成することができるのだった。


 その飛行甲板―――――準備を終えた先頭の機体がホバリング音も高らかに、艦首から今なお闇の濃い海空へと飛び出していく様子を、海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-181「ひゅうが」艦長 嶋崎 譲 一等海佐は、羨望に満ちた眼差しで見詰めていた。


 「…………」


 自分も再び対潜ヘリの操縦桿を握り、あの夜空へ飛び出せたら……防衛大学校卒業後、HSS-2B対潜ヘリの操縦士から自衛官としてのキャリアをスタートさせ、「前世界」のインド洋派遣任務にも四回参加したことのあるほど歴戦のヘリコプター乗りだった彼が、この「ヘリ空母」とでもいうべき「ひゅうが」型の指揮を任され、すでに二年が過ぎていた。



 「前世界」のアメリカ合衆国海軍原子力空母には程遠いが、海上自衛隊の水上戦闘艦として最初に基準排水量一万トンを超え、従来のヘリコプター搭載護衛艦に比べて各段に搭載機の運用能力の向上した「ひゅうが」型は、艦そのものが一つの浮かぶ洋上航空基地である。その格納区画は最大で一〇機前後のヘリコプターを搭載でき、従来にはなかった搭載機の補修設備すら持つ。搭乗員が待機し、飛行前のブリーフィングを行う待機室(レディ-ルーム)は四つ存在し、合計370名に上る艦及び搭載機の運用要員に加え、場合によっては艦隊の作戦全体を指揮する指揮要員を最大で150名収容することもある。艦自体も、アスロック及び艦対空ミサイルを発射する垂直発射セル(VLS)と二基のCIWS 20㎜多銃身機関砲で武装し、独立した対潜/対空戦闘能力を持っている。


 また、限定的ながら他の艦に対する洋上給油、補給機能すら持つ「ひゅうが」型は、一個の完成された航空機運用艦艇であると同時に護衛艦隊の戦術指揮艦的な性格をも併せ持っていた。海上自衛隊ではこの「ひゅうが」型に限り、艦長にウィングマーク持ち、いわゆる航空畑出身者を充てることがその就役以来通例となっている。これは空母の艦長にパイロット経験者を据えるアメリカ海軍の慣例に倣ったものでもあったが、対潜航空作戦を直に知る者に艦の指揮を取らせ、一層艦の運用効率を向上させようという意図の表れでもあった。


 艦隊の周辺警戒任務から帰艦した哨戒ヘリが、直進する艦に機首を向け、艦尾の左舷から滑るように、そしてやや上向きに姿勢を保ちながら高度を落として来る。艦橋の管制室で着艦角度を指定する発着艦管制士官(LSO)と、いままさに着艦しようとするヘリのパイロットとの遣り取りが、インカムを伝い艦橋まで聞こえてくる。


 闇の中を行き交う甲板員、誘導灯を振る航空要員、機材や装備を牽引する作業車両……甲板上にあるそれらの動きは、艦橋からでは肉眼の及ぶ範囲の中において、気配として辛うじてそれらを掴むことができる程度だ。灯火は甲板の作業に必要な最小限に絞られている。つまりはそれだけ灯火管制が徹底している。外と同じく一帯を闇に覆われた艦橋で、当直幹部が配るコーヒーを慎重に取り上げながら、嶋崎一佐は淡々とした口調で言った。


 「『ありあけ』といえば、7月の戦闘でも武勲を挙げた艦だな」

 「はい、アスロックで潜水艦を一隻沈めました」

 と、副長の小野 征雄 二等海佐が応じる。

 「恵まれているのだな……武運に」

 「本艦も、そうだといいのですが……」


 再び、目を落とした飛行甲板に居並ぶ哨戒ヘリは、実はその何れもが所属する艦が違う。例えば、最前の機はDDG-177「あたご」の搭載機、真ん中の一機はDD-110「たかなみ」の搭載機……最後尾の機はDDH-143「しらね」の搭載機……といった風に。「ひゅうが」型も当然、固有の搭載機を持ってはいるが、艦隊作戦時には柔軟な航空機運用を期すべく護衛艦隊哨戒ヘリ部隊の中央空港的な役割をも要求されている。つまり、他の艦の搭載機が「ひゅうが」型の航空設備を利用することも有り得る。


 準備を終えたヘリが、警戒任務で艦隊外縁へ出るべく上昇を始めた。妥当な高度に達したところで新たに任務を終えたヘリが着艦コースに入ってくる。


 『――――「ありあけ」01、着艦する』


 インカムに響く自信に満ちたパイロットの声は、女性だった。座席越しに振り返った先、新たにアプローチに入る哨戒ヘリの姿が目に入った。勝者としての自信を覗かせるその機影に目を細めながら、嶋崎は下部の旗艦用司令部作戦室(FIC)へと通じる内線電話を取った。FICには、スロリア方面派遣艦隊司令にして、開始まで後四時間を残すのみとなったゴルアス半島西岸上陸作戦の、上陸部隊指揮官も勤める 島村 速人 海将が幕僚達と共に詰めている。


 「……嶋崎です。ご報告いたします。わが方の哨戒ヘリが敵潜水艦一隻を撃沈しました」

 『――――そうか、始まったか……』


 その声に驚きは無い。そべてを予期し、諦観したかのように淡々とした声を、嶋崎は聞いた。


 『――――引き続き、警戒と索敵に当たってくれ』

 「ハッ……!」


 二人の会話を見守る小野二佐に、嶋崎は口元を歪めて見せた。


 「聞いての通りだ副長。戦闘が始まったぞ」




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前3時44分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-181「ひゅうが」


 「……コーヒー頂戴」


 乗機を甲板員にまかせ、「ありあけ」搭載SH-60K機長 谷水 美紗緒 一等海尉が搭乗員待機室に入った瞬間、パイロット達の歓声が大して広いとは言えない部屋に満ちた。


 「ヒューッ、エースの凱旋だぜ」

 「早速武勇談でも聞かせてくれよ」


 感嘆とも冷やかしとも取れるパイロット達の声に、谷水一尉はトレードマークのミラーグラスを煌かせた。


 「運が良かったのよ」


 待機室の最後列の隅にどっかと腰を下ろした一尉は、コーヒーを啜りながら二時間後のフライトプランに目を通した。その間、待機室の液晶ディスプレイは多分割表示で忙しげに変更されるパイロットのローテーションと甲板上のヘリの離発着の様子を表示し、時折ヘリの着艦する振動で艦は少なからず軋んでいる


 谷水よりかなり遅れ、副操縦士の石和 綾 二等海尉と航空士 菅生 裕 二等海曹の両名が満面の笑みを浮べ、もつれ合うように待機室に入ってきたところを、彼女は怒鳴りつけた。


 「何をしていたの? ブリーフィングの時間がなくなるでしょうが!」

 「スイマセン、整備の連中が撃沈の話を是非にっていうもので……」


 と、苦笑交じりに石和が頭を掻いた。白々しく距離を置こうとした菅生の襟をすかさず石和は掴み、自分の許に引き戻した。


 「申し訳ありません……!」


 弾かれたように背を正し、機長に一礼する二人を一瞥し、谷水は無言のまま二人に座るよう指差した。同じパイロットとは言っても、石和二尉は自分が未だ谷水一尉に一人前に扱われているとは思っていない。彼女を前にしてブリーフィングに向かう度、まるで航空学生時代に戻り、鬼教官との練習飛行前の事前打ち合わせを続けているかのような錯覚に陥ってしまう。


 次の飛行時刻と飛行ルートはもちろんのこと、接敵時の手順まで確認を済ませたとき、菅生二曹が挙手した。


 「我々に前方警戒任務は回って来ないのですか?」


 哨戒ヘリの主任務は、対潜策敵/攻撃任務の他、搭載レーダーを以て艦隊の策敵電波水平線外を捜索。探知した敵の水上目標を識別、追尾し、データーリンクにより敵目標のデータを味方艦隊に送信、対艦攻撃や対空戦闘の支援を行う「前方警戒」もまた主要な任務に含まれている。


 「菅生二曹は、そっちの方が好みなの?」

 「敵潜撃破の一番乗りも我々ですから、今度は敵艦隊発見でも、我々が一番を取りましょうよ」

 「コラッ……自惚れるんじゃない!」


 と、石和が菅生に目を剥く。こういう二人の掛け合いが、実は二人の機長は内心で好きであったりする。


 「喧嘩なら、戦争が終ってからでもできるわよ。まあ、世間じゃあ石和クンみたいな人をツンデレというらしいけど……」

 「誤解ですから!……機長殿っ!」

 「自分が?……この人と?」


 唖然とする菅生の、神妙な視線に気付き、石和は一層声を荒げた。


 「何見てんのよ! あんた!」


 谷水の、飛行計画を記したノートの束が机を叩いた。


 「ハイ! じゃあ無駄話をせず、静かに本官の話を聴く!」

 「ハイッ!」


 教師の指導を受ける学生よろしく、ほぼ同時に二人は返事をした。


 ――――そのような遣り取りがヘリコプター搭載護衛艦の艦内で行われている一方で、事態は確実に動き始めていた。


 


 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前3時54分 ゴルアス半島西方沖


 飛行甲板を蹴り一度夜空に舞い上がるや否や、上下の感覚の掴めない奇妙な空間の中に、所在無げに放り出されたかのような感覚に襲われる。


 だが……ヘルメットに装着した夜間暗視装置は、周囲を取り巻く夜空の大体の状況を、凡そ飛行に差し支えない程度に教えてくれる。


 艦隊前衛のヘリコプター護衛艦 DDH-143「しらね」搭載SH-60K哨戒ヘリコプター機長 上総 栄一郎 三等海佐は、目線の先を塞ぐかのように広がる密雲の壁に、身を握り潰されるかのような錯覚に囚われかけていた。


 「前方密雲、回避する」


 コレクティヴ-レバーを下げ、エンジン出力調整グリップを緩めるのと同時――――SH-60Kはその巨体に似合わず機敏な反応を見せ、機体は雲間を掻い潜るようにして夜空を駆け抜けていく。雲々の掌を逃れ、SH-60Kは単調なまでに夜空の中に航跡を刻み続けていた。


 この艦隊で四回目の飛行任務について、すでに一時間は過ぎただろうか……暗視装置の、緑のヴェールの掛かった視界に映える波間に、上総三佐は目を凝らした。

 SH-60Kのレーダーは優秀だ。機種下部に搭載された捜索レーダーは、目で見るより遥かに長距離、広範囲に探知した全てを何の先入観も交えることなくその画面に映し出すことが出来る。こちらがわざわざ鵜の目鷹の目で海面を探さなくとも、背後でレーダーを操作している航空士 柘植 大太 一等海曹が不審な船影を見つけてくれるだろう。


 だが人間というものは不思議なもので、機械よりも自分自身の肉体的、精神的な感覚に重きを置く性向がある。上総三佐はもとより、副操縦士の遠藤 達郎 二等海尉もまた、ヘルメットに接続した円筒形の暗視装置(PNG)を繋げた目を下方へと向けていた。


 「ありあけ」搭載のSH-60Kが、僚機と連携し一隻の敵潜水艦を葬ったという報を、上総たちは前方警戒飛行の途中に受取った。その時の通信の一部始終を思い返し、上総は背後を振り返る。外殻を隔てたその先には、一発の97式短魚雷が吊下されている。自分がこれを実際に使うときが来るまで、あと何度飛ぶことになるのだろうか?


 艦隊の外周及び予定針路上にいち早く展開し、敵艦隊を捜索、味方にいち早く通報するのが彼らに課せられた任務であった。上総三佐はさらに出力調整グリップを緩め、機体を暖降下に入れた。もう少し高度を落とし、眼下の海原に目を凝らしたかった。

 バンクさせた機体の、暗視装置(PNG)を通した緑のヴェールの掛かった視界の遥か先で、水平線が大きく傾く。実感は無くともPNGスクリーンの中心を占める水平基準軸の動きでそれが判る。高度が下がるにつれて海面の揺らぎが次第に、そして明瞭なまでに広がっていく。

雲の層は、すでに頭上にあった。


 そこに、唐突な報告――――


 『レーダーに感!……方位3-3-2。距離82……速力20で我が艦隊目指し依然航行中』

 「了解っ……!」


 来たかっ!?……との思いは左へフットバーを踏むのと同時に湧いた。


 「航空士、識別信号を打て」

 『了解』


 一瞬の後、捜索レーダー画像を映したMFDマルチファンクションディスプレイの上で、味方なら色が変わる輝点に変化は無かった。その直後、操縦桿からのボタン操作により、輝点を囲むようにシーカーが現れ目標追尾モードに入る。これら発見から追尾までの一連の状況はデータリングを通し、即座に母艦はもとより作戦中の全艦にも伝達されている。敵艦隊との遭遇に、今頃護衛艦隊の各艦とも色めき立っていることだろう。


 「航空士、画像を出せるか?」

 『距離(レンジ)70になるまで待ってください』


 コレクティブ-レバーを握る手に、力が篭った。レスポンスの良さ故か瞬く間に最高速に達したSH-60Kが、目標へさらに接近するのに時間は掛からない。


 「航空士、逆探に反応は……?」


 これは、敵の対空レーダーにこちらが捕捉される可能性を考慮しての言葉だった。対処策はもちろんある。機体が対空レーダーに捕捉されるや、追尾をかわすための電子妨害(ECM)が起動するのは勿論のこと、機体からも瞬時に等間隔でフレアーを排出するよう事前に設定してある。


 『反応なし(ネガティヴ)……!』と、力強い返事。


 その間も距離はさらに詰った。こちらの電子妨害(ECM)が上手くいっているのか、それとも向こうのレーダーの性能が悪いのか……現時点ではおよそ判断が付きかねる。


 『機長……画像出ました!』


 探知モードを変換し、直後にMFDの中に映し出された画像に、上総の眼は釘付けになった。レーダーはそのノイズ交じりの暗灰色の像の中に、見事なまでに洋上を此方へ向かい驀進する敵艦の艦影を映し出していた。目を凝らすうち艦影はさらにその数を増し、個々の艦の城郭のような威容もあいまって、やがては堂々たる横隊となって上総を内心で圧倒させた。


 そして―――――上総の腹は決まる。


 操縦桿を中正に戻し、機はホバリングの姿勢を取った。


 「『しらね』01より戦闘情報室(コンバット)へ、敵艦隊と思しき艦影を発見。規模大型艦六、中型艦一、小型艦艇一二……速力20ノットで南西方向に移動中―――――」


 急報はデータリンクを通じ、ヘリの収集した敵艦隊の戦術情報データと併せ瞬時の内に護衛艦隊に知らされる。そして―――――


 「…………!」


 心臓を直に掴み上げられたかのような絶句――――イヤホンを打つ甲高いレーダー警報音に、上総は反射的に操縦桿を倒し海面スレスレの高度へと機首を転じた。


 ローリダ艦隊もまた、期を同じくして自軍の針路上に存在する不審な機影を察知した―――――




 スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前4時4分 ゴルアス半島西方沖 ローリダ共和国海軍巡洋艦「クル‐ディラ」


 『――――愛しき我が妻 ディーナへ、

 僕は今、ニホン海軍の撃滅を期してスロリア南方洋上を進撃する共和国海軍巡洋艦の艦内でこの手紙を書いている。正直言うと、今直ぐに母国ローリダに取って返し、君に会いたい。堂々たる海の軍勢の中にも、暗然とする気分を隠せない僕がいる。

 確かに、この艦に乗り込む前に植民地軍の総司令部が太鼓判を押してくれたのに相応しく、僕の乗り組むことになった巡洋艦「クル‐ディラ」ほど強く、巨大で、堅牢な船はこの世界の何処を探してもないだろう。「クル‐ディラ」は共和国の誇る、誰にも貶すもののない程立派な船だ。だが、その艦を操っている人間はどうだろうか?

 僕は今、少なくともこの艦を、ひいてはこの艦隊を操る人間たちに絶望している。特に司令官たるヴァン提督はその最たる者だ。彼ほど横暴で、破廉恥な人間を僕は他に知らない。僕ら中央の人間が目を光らせていなかった間に、艦隊はもはや食べることと飲むこと、そして淫楽に耽る事しか考えていないこの愚か者の私物と化している――――――――』


 進みかけた筆を止めたのは、急変を告げるベルの癇に障る響きだった。共和国元老院議員ロルメス‐デロム‐ヴァフレムスが席を立ち、ドアを開けようとするよりも早く、彼の秘書アドヴァス‐レ‐ヴァン‐ラムスが彼の部屋に駆け込んできた。


 「ロルメス、戦闘が始まる! 危険だからここから出ては駄目だ!」


 アドヴァスはロルメスの乳母の息子であり、ロルメスとは幼少時から些細な癖に至るまで互いに知り尽くしている親友だった。ロルメスと同年の彼は秘書として決して年を取っている方ではなく、寧ろ彼が仕えるロルメスが、政治家として異例に若過ぎるのである。


 息を弾ませ、主人の様子の許に駆け寄ってきた秘書を、ロルメスは穏やか眼差しで凝視した。


 「アドヴァス、この艦における僕の使命は何だ?」


 「それは……」アドヴァスが語を詰らせたのは、問い掛けの答えを知らないからではない。彼の主君が何にも況して政治家としての職務を優先することを知っているからであった。アドヴァスの困惑しながらも真摯な眼中に、自らの問い掛けに対する答えを見出し、ロルメスは頷いた。


 「そうだ……僕は、僕の使命を果すために、これから上に行かなければならない」


 そう言うと、ロルメスは手早く筆記用具を纏めて部屋を出た。ロルメスの使命。それは、この戦役で彼が見聞きした全てを在るがままに記録し、本国へともたらすことであった。廊下を行き交う幾人もの水兵と擦れ違いながらロルメスは早足で甲板を駆け、アドヴァスもまたその後を追った。だが、衛兵で固められた艦橋司令室への入り口に、二人は愕然とする。


 「ヴァン提督閣下のご命令です。戦時に付き入室はお控えください」

 「馬鹿な!……戦争はもう三日前から始まっているではないか? それを今になって……!」


 激昂に任せて衛兵ににじり寄るアドヴァスを、ロルメスは制した。


 「元老院議員の権限に基き私は君たちに命令する。私は君たちからではなく、提督から直に入室禁止の真意を聞きたい。それならいいだろう?」


 衛兵は、困惑した顔もそのままに顔を見合わせる。意見の合わないとき、誰も傷付かない選択肢を相手に提示するという点においてロルメスの才幹は際立っていた。これこそ上に立つ者に相応しい美質だと、傍らのアドヴァスは心から信じている。


 折れた衛兵の促すまま、司令室に足を踏み入れたロルメスたちを、ローリダ共和国海軍植民地艦隊司令官ルトルス‐イ‐ラ‐ヴァン中将は、豪奢な指揮官専用席から腰を上げることもせずに、害虫でも見るような目つきで睨み付けた。


 「通すなと言っただろう?」


 その嶮しい眼は二人に注がれていたが、苛立った声は明らかにその他に向かっていた。そしてロルメスは、改めてこの艦の司令室の内装、調度に愕然とする。

 一面に金銀を塗し、流麗な彫刻の施された司令室は、灯火管制の中にも放たれる煌きを察することが出来た。それらの装飾は艦の就役時より施されていたものではなく、もはや軍艦のそれではなかった。


 「……君の訓令を無視したのは君の部下ではない、このヴァフレムスだ。ここで君に問う、何故我々をここに入れまいとした?」

 「危険だからです……閣下は国政の全般を与る身。狭隘な戦場にて最善を尽くすのみでよい我々とは、お立場は天と地ほどの違いがあるのではございませんかな?」

 「無礼な……!」


 と、アドヴァスが声を荒げた。彼ならずとも提督の態度と口調に、若さに対する嘲弄の要素を感じ取ったはずだ。


 「それが畏れ多くも元老院議員に、一介の将官が席を立たずして語る言葉か!」


 ロルメスは自ら提督の前に進み出た。


 「私も愛国者の端くれ、もとよりこの船に身を預けた時点で、この身は既に死を覚悟している。提督、君もまた同じではないのか?」

 「…………!」


 言葉に詰り、提督は忌々しげに若き元老院議員を見下ろした。勝負は付いたと思ったのは、アドヴァスだけではなかった。


 『―――総員、配置完了しました!』


 と、艦内通信を以て報告が飛び込んできた。同時に、艦橋の奥まった部分にあるレーダースクリーンを覗く士官が、抑制された口調で敵艦の接近を告げた。


 「敵艦隊視認。針路3-4-7、依然北上中」

 「管制官、敵の陣形が判るか?」

 「これは……輪形陣です! まっすぐに我が方に接近してきます」

 「何ぃー……!」


 ヴァン中将の口元が歪む。それは勝利を確信した笑みであるのと同時に、いたぶり虐げるべき獲物を見出した虎を思わせる残忍な笑みだった。

 

 実際、ロルメスの目からしても艦隊の規模と戦闘力から見れば敗北を喫するべき要素など何処にも見出すことができなかった。出撃した艦隊は、巡洋艦「クル‐ディラ」及び「クル‐ヴァロ」の二隻に駆逐艦四隻、そして前方に展開する駆潜艇が二隻、さらに随伴のミサイル艇が六隻と魚雷艇と砲艇が各六隻。その規模、そして攻撃力ともにスロリアで最強の水上打撃部隊であるはずだった。この艦隊を以て植民地艦隊はスロリア南西洋上に進出、邀撃してくるであろうニホン海軍を撃破し、ニホンとスロリアとの海上交通路を遮断する計画が開戦前より策定されていたのだ。


 事実、その想定に基づいた艦隊編成は、戦前に勃発した南スロリア海での武力衝突では予想以上の威力を発揮した。主力艦によるミサイルの集中攻撃は装備に劣る「ニホン艦隊」を圧倒し、完膚なきまでに殲滅したのである。今次の戦争でも、この戦術は有効であるようにローリダ艦隊の誰もが確信していたのだった。


 ……だが、戦争初日に起こった番狂わせが、戦前の進撃計画に微妙な変更を加えることとなった。本土の海軍本部の予想に拠れば、攻勢に出、さらにはゴルアス半島東岸に拠点確保を果たしたニホン軍は地上部隊の進撃に呼応し、いずれゴルアス半島以西にも有力な艦隊を投入してくると考えられていた。従って、以降の作戦計画からは攻勢的な要素が影を潜め、ゴルアス半島方面における守勢的な制海権確保に重点が置かれることとなったのであった。


 ゴルアス半島に拠点を確保できるだけの兵力を海上輸送しているという点からして、ニホン軍が強大な海軍力をスロリアに投入していることは容易に想像が出来るというものである。それでも、ヴァン提督をはじめとして植民地艦隊首脳部が強敵を前にした緊張を抱いているかといえばそうではない、彼らは未だ、主敵として軽装備しか持たぬ貧弱な「ニホン海軍」を脳裏に思い描いており、彼らが貴重な輸送船とともに西進してくるというのならその針路上で重厚な布陣を敷き、長駆進撃してきた彼らを包囲殲滅する腹積もりだったのだ―――――まさに、ほんの四ヶ月前にそれを成し遂げ、愚かなニホン人に痛烈な教訓を垂れたように!……彼らが未だそれを理解できていないというのなら、我々は世界を導く高等文明の担い手たるべく、何度でも「海戦の下手な蛮族」に教訓を叩き込んでやるべきであろう。



 「わざわざ火中の宝玉を拾いに来るとは……蛮族の考えは理解できぬわい。 従兵、酒肴の用意をせい!」


 ヴァンの蛮声に、ロルメスとアドヴァスは我が耳を疑った。唖然として彼を見上げる二人の若者を、提督はすでに勝ち誇ったような顔で見下ろしていた。


 「勝利は確信している。本職が為すべきはその勝利の光景を余すことなく見物し、すべてを本国に報告することにある……お判りかな議員?」

 「…………!」


 この艦隊にお前たちの居場所はない!……そう悪罵する眼光も鋭く睨みを聞かせる提督の巨躯を、ロルメスはきっと見返した。その青い瞳に、威圧に対する怯惰など一片たりとも見出すことはできなかった。


 『――――彼我の距離90リーク!……』


 電測士官の報告が、艦橋に冷たく響き渡る――――


 「機関全速! 艦を艦隊の先頭に付けよっ……!」


 過剰なまでに装飾された専用席から身を乗り出し、ヴァン提督は命令を下した。反射的にロルメスは、艦橋の隅に無言のまま佇むデラフス‐ギ‐ファルス大佐の横顔へ視線を転じた。艦隊を自らの持ち駒程度にしか考えていない提督は、その権限を不当に行使し本来彼の指揮下に置かれるべき「クル‐ディラ」までも自家用車の如くに扱っていたのである。そしてアドヴァスはロルメスに対する提督の、つい先刻までの言行を反芻し、殺意にも似た眼差しを提督に向けるのだった。


 蒸気タービン機関の加速力では、艦隊の前に出るのに少なからぬ時間が必要だった。そしてその最高速度に達した「クル‐ディラ」が艦隊の先頭に立つ頃には、二隻の巡洋艦を中心とした輪形陣は大きく乱れ、既下の艦艇は僚艦との距離を調整するだけで手一杯となっていた。もともと夜間に、統一された艦隊運動を可能とする能力をローリダ艦隊は持っていない。そこに来て事前の打ち合わせを無視した独断専行にも等しい指揮官の命令が下り、状況を一層混乱させた。


 『―――こちら「イグロ」、機関出力が上がらない。各艦へ要請する。もう少し減速してくれ』

 『―――「ル‐ガサ」より「ル‐ルファ」へ、貴艦の背後1リークにいる。減速は困難、もう少し速度を上げてくれ。このままは追突してしまう』

 『―――「バロテーク3」!……反応が遅いぞ。もう少し艦を寄せろ!』


 悲鳴にも似た複数の通信が闇夜の海原を交錯する。それの意味するところを、未だ見ぬ敵手を内心から侮っていた彼らがこの段階では全く知る事は無かった。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前四時二四分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-181「ひゅうが」


 『―――――通信波を探知。方位3-3-4。距離83(マイル)。発信源、依然増加中』


 この海域で、重複した通信波の発信源として考えられるものは一つしかなかった。そして、捜し求める敵艦隊とは、すでに予定時刻を過ぎて母艦に帰還を果たした索敵機を通じ遭遇を果たしている。監視の継続と敵味方の識別を経て、総員を戦闘配置に付かせるのに迷いは無かった。


 「総員に戦闘配置を下令……私はCICに移る」


 艦橋の指揮を副長に任せ、DDH-181「ひゅうが」艦長 嶋崎 譲 一等海佐はその足を艦中央奥深くに位置する戦闘情報室(CIC)へ向けた。護衛艦隊のどの艦も、戦闘時に比較的被害を受けにくい艦橋より下の区画に指揮所としてのCICを持っている。センサー、火器管制など艦の有する全ての情報はここに集約され、指揮官はそれらの情報を元に艦全体の指揮を取るのである。


 赤い夜間照明に一帯を照らし出されたCICでは、配置に付くオペレーターが|LSD《ラージ‐スクリーン‐ディスプレイ》より表示される各種戦術情報に目を凝らし、各諸元の報告を始めていた。見たところでは全ては日頃の訓練通り……当直幹部の敬礼に応じ、嶋崎は指揮シートに腰を下ろす。


 視線を転じた先、各艦の位置表示用LSDには、「ひゅうが」CICよりさらに下層に位置する旗艦用司令部作戦室(FIC)の指揮の下、敵艦隊に向け一斉に運動を始める僚艦が輝点として表示されている。輝点のそれぞれには護衛艦隊各艦の名称、艦種、速度、そして損害状況が表示され、迅速な識別を可能としている。


 艦隊指揮官の意思はデータリンクにより即座に各艦の指揮系統に反映される。護衛艦隊を形成する12隻はあたかも一個の意志を持つ生き物のように運動を続け、「ひゅうが」と揚陸艦「しもきた」「くにさき」、掃海母艦MST-463「うらが」、そして二隻の補給艦と六隻の事前集積船を中心に置いた輪形陣を崩さずに一斉回頭、一糸の乱れも無く第二戦速――――21ノット/時に達した。


 只の12隻ではない。DDG-173「こんごう」、DDG-174「きりしま」、DDG-177「あたご」、DDG-178「あしがら」―――――護衛艦隊は4隻のイージス艦を伴っている。艦橋部全体を占めるSPY-1フェイズドアレイレーダーに起因する圧倒的な索敵能力と攻撃力を持った電子戦闘艦は、ここスロリアの洋上戦闘では圧倒的な威力を発揮するはずであった。旗艦たるDDH-145「ひゅうが」もまた艦橋部にFCS-3 索敵/火器管制システムを搭載し、彼女らに準ずる索敵、防空戦闘能力を持つ。


 これら4隻が輪形陣の四隅を固め、4隻の間隙を埋めるように旗艦「ひゅうが」の他、機動打撃群を形成する汎用護衛艦3隻が脇を固める。DD-110「たかなみ」、DD-106「さみだれ」、DD-109「ありあけ」は対潜、対空、対水上のいずれの戦闘もこなせる万能艦であり、イージス艦と協働し揚陸部隊に迫るあらゆる脅威を積極的に攻撃、排除する任務を課せられていた。


 揚陸艦、補給艦、輸送船を護衛する部隊としては、ヘリコプター搭載護衛艦たるDDH-143「しらね」、DDH-144「くらま」、対空誘導弾搭載護衛艦たるDDG-171「はたかぜ」、DDG-172「しまかぜ」が各一隻ずつで戦隊を構成し接近する脅威に対処する。護衛艦隊でも古株とはいえ、DDHの対潜戦闘能力、DDGの対空戦闘能力、そのいずれも数々の訓練や実任務で折り紙付だった。


 ―――――その護衛艦隊。


 急激な回頭に巨体を傾ける「ひゅうが」艦内。嶋崎一佐は無言のまま受話器を取り上げた。内線電話を繋いだ先は、旗艦用司令部作戦室(FIC)に陣取る艦隊司令 島村 速人 海将。


 『島村だ。何か?』

 「揚陸艦と補給艦を切り離さないのですか?」


 護衛を付けた上で、それらの艦艇を安全域まで退避させないのか? と、嶋崎は聞いたのだ。その返事は即座に、そして明快に返ってきた。


 『旗艦を含め前衛の8隻に対処させる。発信源の方向へ哨戒ヘリを向かわせろ。アウトレンジで叩く』

 「ハッ……!」


 島村海将の考えていることはわかっている。前面に哨戒ヘリを押し出して敵艦隊を捕捉し、護衛艦隊のレーダー走査範囲外からミサイルを発射、哨戒ヘリからの中間誘導により敵艦隊の攻撃射程圏外からの必中を期すのだ。


 キイィィィィィ……ン!


 期せずしてガスタービンの咆哮が疾駆する各艦から上がり、鉄を切り裂くかのごときそれは洋上一帯を埋め尽くさんばかりの勢い―――――護衛艦隊前衛8隻は、ほぼ一瞬にして達した30ノット以上の駿足で輪形陣を解き、鮮やかな一斉回頭から槍の如き単縦陣へとその装いを換える。夜間にも拘わらずそれら自体が一体の生き物のような精緻極まる機動―――――帝國海軍以来の伝統に培われ、絶え間ない訓練で鍛え上げられた艦隊運動は、本土より遠く離れた異世界においても健在だ。


 『―――レーダーに反応。目標大型艦六、中型艦一、小型艦艇一二! 方位依然変わらず……画像出します!』


 LSDに映し出された彼我の位置、そして敵艦隊の陣形に、嶋崎の目が釘付けになる。


 「これは……!」


 レーダー画像の示す敵艦隊は、横一直線に並びながらもその隊列は乱れ、戦う前からもはや艦隊の体を為していなかった。彼我の位置関係を俯瞰すれば、横列で南東に針路を取るローリダ艦隊26隻の二時方向より、単縦陣で北進する護衛艦隊前衛8隻がまっしぐらに突っ込んでいく形だ。LSDに表示された彼我の位置関係、数値化された敵艦隊の様子から、嶋崎は敵の練度の拙劣さを直感する……だが、同情する義理など無かった。


 『――――レーダー照射を探知!……敵艦、誘導弾発射しました! 誘導弾多数、急速に接近中!』


 突如LCDに出現した複数の輝点、それらはあたかも意志を持つかのように速度を得、こちらへ向かってくる。だが―――――


 『――――「こんごう」、「きりしま」、スタンダードSM-2発射しました!……命中(エンゲージ)まで30秒!』


 無限とも思える漆黒に支配された海原の一角、突然に生まれた超新星にも似た煌きは暗黒の水平線を照らし出し、次には天を裂く昇竜のごとき勢いで駆け上っていった。それこそまさに、艦隊防空を担当するイージス艦が応戦の咆哮を轟かせた瞬間だった。

 



スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前4時27分 ゴルアス半島西方沖 ローリダ共和国海軍植民地艦隊


 『――――全艦ミサイル発射完了! 命中まであと一分!』


 その心中に勝利を確信していない者は、旗艦「クル‐ディラ」の艦橋にはもはや皆無と言ってもよかった。未だ見ぬ艦隊の圧勝と凱旋を誰もがその胸中に思い浮かべ、それを既定のものと捉えていたのだ。ヴァン提督と幾下の艦隊司令部に批判的なロルメス、アドヴァスの両名もまた、提督の傍で共和国艦隊各艦のミサイル一斉発射という絶景に目を奪われるあまりに、その脳裏から僅かばかりの敗北の可能性をしばし忘れるのだった。


 「愚かな蛮族めが……!」


 艦橋の中央、他より一段高い指揮官専用席からヴァン中将は毒づいた。傍らに置かれた美酒の瓶は戦闘開始からわずか三分足らずの内にその半分が消え、酔いに上気させた頬を震わせつつ提督は声を張り上げる。


 「お前たちの拙い航海術でここまで来れたことは褒めてやる! だがここはお前たちの墓場以上でも以下でもないわ!……お前らごとき蛮族が、我ら高等種族に逆らうことの愚かしさを噛み締めながら死ぬがいい!」


 もはや提督の胸には翼が生えていた。敵に対する蔑視に起因する暴力的な衝動の任せるまま、提督は前方を指差し叫んだ。


 「引き続き第二撃、第三撃発射を準備せよ! あの目障りな船どもを一隻残らず沈めるのだ! 撃ち漏らすことは許さん!」

 「ハッ……!」


 命令そのものは粗暴だったが、それは的確に処理され、実行された。艦隊各艦の通信回路を同一の命令が駆け巡るや、火矢のごとき煌きを放ち空を裂くミサイルの群れまた群れ――――第一撃と合わせればそれらは総計40基に達した――――これほどの飽和攻撃を防ぎきる艦隊など、この世界の何処に存在するというのか?


 ――――否、かつてローリダ海軍が戦い、勝利を収めた相手にそれを為した敵は存在しなかった。


 ――――だからこそ、艦隊の誰もが勝利を確信し、無謀なる敵手を嘲るのだ。


 『第一波、命中まで40秒!――――――』


 電測士官の弾んだ声は、だが彼自身の絶句により遮られた。


 『―――――閣下! ミサイル応答ありません! 第一波送信途絶! これはっ……!』

 「…………!?」

 『閣下! 敵の迎撃を受けています!』

 「何……!?」


 提督の驚愕は、先程の余裕から急転し慌ただしさを増す艦橋の中では聞こえなかった。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前4時27分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊


 『――――目標誘導弾、依然接近中……数13……16。あと5秒で防空(エリアディフェンス)(ゾーン)に入る』


 そのLSDラージスクリーンディスプレイに高速で南下を続ける複数の輝点を見出した瞬間、その漆黒の空間は静かにその真の姿を現す。


 速度、方位、位置――――艦の360度全周を取り巻く世界全てに識別と捜索の眼を伸ばすSPY-1 フェイズドアレイレーダーに捉えられ、数値化された目標情報――――を読み上げる海曹。海曹の報告を受け、インカムのスウィッチに当てた指に力を篭める砲雷長――――彼らが目を凝らすLSDの蒼い矩形の中で彼我の位置から殺到する輝点が次々と交差し、そして画面上より消えていく。それらは敵艦隊の放ったミサイルと、海上自衛隊イージス護衛艦 DDG-173「こんごう」の放ったスタンダードSM-2中距離艦対空誘導弾との数十浬を隔てた洋上で繰り広げられている対決の光景であった。


 『――――SM-2命中! 目標誘導弾全弾撃破(グランドスラム)!』

 『――――捜索を継続し、第二波に備えよ』


 イージスとは、日本の「前世界」におけるギリシア神話の最高神ゼウスが、娘にして闘いの女神アテナに与えた、あらゆる邪悪を防ぐ盾の名前である。そして、異世界の日本においてイージスとは通常、およそ海上に存在する最強の防御システムのことを指す。


 艦橋部に固定配置された八角形のフェイズド‐アレイ‐レーダーは全部で四基、いずれも全周360度方向をカバーできるよう四隅に配置されている。一基のレーダーの走査範囲は90度であり、その策敵範囲は半径450kmから1000km以上の長距離――――しかも、半球状の空間――――に及ぶ。捕捉目標に至っては航空、水上いずれの目標にも対処可能だ。


 これは従来型のレーダーに比べ飛躍的な進歩だった。従来型では数秒をかけてレーダーアンテナを回転させていたがために目標の探知と追尾にタイムラグが生じ、特に上空を音速の数倍で飛来する対艦ミサイルや弾道弾への対処など不可能に近い。だが、イージス艦のフェイズド‐アレイ‐レーダーならば瞬間的に最大200以上の目標を探知、捕捉、追尾を同時に行うことを可能とする。そして次発装填機構の省かれたVLS発射機構は一度に多数の中距離艦対空誘導弾スタンダードSM-2を発射し、12~16の対空目標をほぼ同時に迎撃できるのだった。また、護衛艦隊間のデータリンクにより、イージス艦は他艦より発射された対空ミサイルの誘導すら可能にする。


 PKF海上自衛隊スロリア派遣艦隊はこの最強の盾を五隻展開させている。PKF旗艦DDH-181「ひゅうが」と、イージス護衛艦DDG-173「こんごう」、DDG-174「きりしま」、DDG-177「あたご」、DDG-178「あしがら」の五隻だ。これに上陸船団直衛の任を帯び後方に控える通常型の対空誘導弾搭載護衛艦DDG-171「はたかぜ」、DDG-172「しまかぜ」を加えれば、PKFスロリア派遣艦隊の対空戦闘能力はこの異世界で最強と言っても過言ではなかった。


 『――――目標誘導弾第二波、距離50(マイル)を切りました』


 ヘリコプター搭載護衛艦DDH-181「ひゅうが」の戦闘情報室(CIC)で、「ひゅうが」艦長 嶋崎 譲 一等海佐は、刻々と入ってくるオペレーターの報告に、無言のまま耳を傾けている。従来の護衛艦のそれに比して「ひゅうが」型のCICは目を見張るほど広々としていて、あたかも地上の司令部に身を置いているかのような錯覚に囚われてしまう。


 そのCICの内壁の半分近くを占める広角ディスプレー(LSD)の連なりは、このCICに詰める要員に艦の被害状況、現在位置及び速力、搭載機の状態、残弾数や僚艦の情報など凡そ戦闘に必要なあらゆる情報を表示する能力を持っており、その他無数の液晶小型戦術情報表示端末がこれを補助するように配置されている。そのCICの中央、艦長専用席に陣取り、嶋崎一佐は艦内帽を目深に被り直した。もとより乗員は全て戦闘配置に付かせている。


 「ひゅうが」自体、発展型シースパロー(ESSM)艦対空誘導弾を収めた垂直発射セル(VLS)と、艦橋前後に配された計二基の近接防御兵器システム(CIWS)を搭載し、艦橋のフェイズド‐アレイ‐レーダーも併せ高い対空戦闘能力を持っている。たとえ一隻でも、少なからぬ数の敵機を前にした防御戦闘―――個艦(ポイント)防御(ディフェンス)―――に十分対応可能だった。



 ――――ふたたび、護衛艦「こんごう」CIC。


 『――――目標誘導弾第二波、距離(ディスタンス)50浬北(50マイルノース)!』


 LSDの一枚は、艦隊に接近する敵ミサイル編隊を明瞭な輝点として映し出していた。輝点は多く、規則正しい編隊と間隔を保ったまま接近を続けていた。その輝点の一つ一つには、各弾の速度及び高度までが数値化して表示されている。


 『―――距離(ディスタンス)45北(45ノース)……40(マイル)を突破……!』

 『目標誘導弾7、艦隊防空圏エリアディフェンスゾーンに入りました』


 そこに満を持した、管制担当海曹の報告。


 『――――目標誘導弾。迎撃準備完了(リコメンドファイヤー)!』

 『SM-2一斉発射(サルヴォ)!』


 砲雷長の号令一下、「こんごう」後甲板から噴出する四条の排煙。上昇して程なくして音速に達したそれらは十秒後には自衛艦隊のはるか前方で敵ミサイルと交差、これを撃墜する。後続する「きりしま」、「あたご」、「あしがら」も次々に中距離艦対空誘導弾SM-2を射出し、SM-2は撃ち出されたその数だけ敵ミサイルを捉え、血祭りに上げていく。


 瞬く星々を圧倒するかのように広がる光芒――――それは対空誘導弾の迎撃を受け夜空に散った、必中を企図し海原を駆けたローリダ艦隊のミサイルの断末魔の光であった。


 『――――目標誘導弾3、艦隊防空(エリアディフェンス)(ゾーン)突破。個艦防空(ポイントディフェンス)(ゾーン)に入ります!……「たかなみ」、「さみだれ」発展型シースパロー(ESSM)発射しました!』


 LSDに現れた3基の輝点、それらは速度を得るや意志あるもののように目標を示す三つの輝点へと向かっていく―――――


 『――――命中!……引き続き報告、目標誘導弾第三波、艦隊防空(エリアディフェンス)(ゾーン)に達しました。目標数17……!』

 『――――撃ち漏らすな。全弾叩き落せ!』


 命令を下すまでもなかった。イージス艦の艦隊防空システムは敵艦隊の放ったミサイル第三波17基の内10基をSM-2で撃墜、2基が護衛艦の放ったESSMにより撃墜された。だが迎撃を潜り抜け生き残った5基が個艦防空(ポイントディフェンス)(ゾーン)に侵入する―――――


 『――――目標誘導弾、進路変更! 突入コースより離脱!』


 LSDの画面の中で、艦隊防空圏より逸れるミサイルの動き――――3基が急激に軌道を転じ、海原に突入し瀑布を吹上げた。護衛艦各艦の搭載する統合電子戦装置の発する妨害電波に捉えられ、目標を見失ったのだ。


 それでもなお迫る2基―――――


 パン!……パン!……パパン!


 連続し絶海に響き渡る乾いた炸裂音。ミサイルの接近を察知した各艦が一斉に射ち放った欺瞞片(チャフ)が夜空に散り、銀色の雲となって艦影を、そして夜空を鮮やかに照らし出す。チャフの雲は敵艦、そしてミサイルの発するレーダー波を惹き付け、飛来するミサイルの針路を狂わせるのだった。


 『――――左砲戦用――――意! 撃ちー方はじめ!』


 チャフを撒き散らしながら回頭を続ける護衛艦「ありあけ」、「さみだれ」のCICをほぼ同一の命令が駆け抜け、76㎜単装速射砲がバネのように旋回するや、凄まじい短間隔で砲弾を吐き出した。追い縋るミサイルの針路上に瞬間的に形成された弾幕の壁。近接信管の炸裂に絡め取られた2基が忽ち火達磨となって海面に突入し、脅威は完全に排除される。


 そして攻守は、先攻したローリダ艦隊の意図しない時点で転換する――――


 『哨戒ヘリ、敵艦隊を捕捉しました……! 彼我の距離70哩!』


 直後に、データリンクを通じ護衛艦隊の各艦より対艦ミサイル(SSM)発射準備完了のサインが上がる。LCDの青い輝きを放つ矩形の中で、敵艦を示す輝点はすでにその大型艦の全てが目標捕捉シーカーの矩形に囲まれていた。


 オペレーターの報告は続く。


 『――――彼我の距離68。目標の針路、平均速力依然変わらず』

 『……60哩で各艦二発ずつSSMを発射。その後全艦針路2-8-2に回頭せよ』と、島村海将。一撃を放った後で敵艦隊の右翼を突っ切る算段だ。


 護衛艦隊の戦闘艦艇は一二隻。SSM運用能力を持たないDDH-181「ひゅうが」とDDH-143「しらね」、DDH-144「くらま」を除き、各艦二発ずつSSMを発射すれば、合計で18発のSSMが敵艦隊に向かう計算になる。そして―――――


 『――――距離(ディスタンス)60北東(ノースイースト)!』

 『目標敵艦船。全艦、SSM発射(ファイア)!』


 直後、洋上に上がる幾重もの咆哮と幾条もの白い軌条。それは各艦より吐き出されたSSM-1B対艦ミサイルの曳く噴煙だった。最大射程約150km。ターボジェット推進式の鋼鉄の矢は、敵の策敵レーダーの及ばない海面スレスレを慣性誘導により飛行し、一定の距離に達したところでアクティヴ-レーダー波を発振。水上目標を探知するや迎撃回避プログラムと目標識別アルゴリズムの導くまま急上昇と急降下、急旋回を繰り返し、凡そ考えられるあらゆる妨害手段を排し最後には寸分の狂いも無く目標の急所をピンポイントで直撃する。それはまさに、海という野原に放たれた忠実にして獰猛なる猟犬だった。


 そして猟犬は、鋭い牙を持っていた。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前4時30分 ゴルアス半島西方沖 ローリダ共和国海軍植民地艦隊


 『対艦ミサイル第二波、第三波……全て撃墜……撃墜されました!』


 …………!?


 闇により一層増幅された驚愕の支配する中で艦隊はもはやその陣形を失い、今や堂々たる威容をすっかりと欠いていた。それが旗艦「クル‐ディラ」で指揮を取るヴァン提督を始め誰にも実感できなかったのは、見渡す限りの周囲が未だ褪せる事を知らない闇に覆われていたからに過ぎない。


 海域には、まちまちの速度で洋上を駆ける大小様々な艦型が横一直線に並ぶように入り乱れ、あたかも湖上のボート競走を思わせた。これが僚艦をはっきりと視認できる昼間ならば、誰もがその様子を眼前にして「殺到」という単語を連想したに違いない。そして殺到する艦隊は、当初の目論見が外れ、未だ掃滅すべき敵を我らが海と恃むスロリアの海の奥深くに叩き込んではいなかった。


 だが、現在の混乱を伴った進撃の中にあっても、予想外に早い敵艦隊との接触とそれに続く攻撃の破綻を前にしても、艦隊の将兵の士気は高かった。ほんの五ヶ月前の戦闘経験から、誰もが「貧弱な」敵との海戦に必勝を期している。彼らにとってニホン海軍とは、巧緻を極めた艦隊運動や最新のミサイルを以て対するのが惜しく思われるほどに技量は拙劣で、遅れた装備を持つ艦隊と呼ぶもおこがましい「船団」であったのだ。


 ――――否、あったはずであった。


 ローリダ植民地艦隊の一翼を担う駆逐艦「クネロ」も本来なら今頃、そうした先入観の醸し出す、そこに現実の勝利も加わった熱狂の中にいるはずであった。旗艦「クル‐ディラ」と並び艦隊主力の先頭を行く「クネロ」は敵陣に向かいサーベルを振り上げ疾駆する海の軽騎兵であり、艦長スラフオス‐ノ‐タ‐デーラ中佐は、さながら騎兵指揮官そのものだった。だが――――


 「どういうことだ?……何が起こった?」


 艦橋前に仁王立ちになり、がっちりと腕を組んだ姿勢のまま、俄か作りの海の勇者は厳然とした眼差しで進む先に広がる闇に目を凝らしていた。だがその表情は、これ以上にいかないほどの蒼白さに侵食されている。


 「ディラムス少佐……!」と、デーラ艦長は彼の忠実な副長の名を、苛立たしげな口調を隠さずに呼んだ。

 「何でありますか? 艦長!」

 「命中は確認できないのか!?」

 「命中確認……しておりません!」


 あまりに自信に満ちた口調で否定され、デーラの目に不快感が一層に宿った。


 「馬鹿な!……ミサイルの故障ではないのか?」

 「それは……ありえません!」

 「何ぃ……!」


 そのとき、眼前にあるものを見出し、デーラ艦長は目を凝らした。二つの丸い光の環。それが未だ見ぬ水平線の向こうから一時方向からもの凄い勢いで迫って来たのだ。


 「あれは……何だ?」


 声にならない声で、デーラは呟いた。そして次の瞬間には、二つの環は矢状の光となり艦長の眼前で撥ね上がった。


 『こちらレーダー!……一時より飛行体の存在を確認! 急速に接近してくる……!』

 「ミサイル……!?」


 ディラムス副長の驚愕は、もはやこの場の誰にも聞こえなかった。聞こえるよりも早く艦橋に飛び込んで来た光は立ち竦むデーラ艦長の眼前で急速に広がり、やがて艦橋全体を包み込んだ。


 …………!


 体中を包む灼熱感とともに薄れ行く意識の中で、デーラ艦長は次第に自分の身が軽くなるのを感じた。彼の意識が完全に消えたのと、SSM-1B対艦ミサイルの直撃により艦橋を破壊された「クネロ」が、弾薬庫に引火し深紅の炎を吹き上げるのと同時だった。


 「クネロ」だけではなかった。植民地艦隊の主力艦目掛けて殺到したミサイルは艦橋、機関部等艦の急所とでも言うべき箇所に次々に命中。初弾の命中から一分も経ずして、被害は主力全艦に広がっていった―――――



 『駆潜艇「ガルアス」、砲艦「レアルス」被弾!……轟沈しました!』

 『駆逐艦「デ‐ヴァロ」轟沈!』

 『巡洋艦「クル‐ヴァロ」被弾!……炎上中!』

 「何ぃ……!」


 悲鳴にも似た報告。期せずして複数の幕僚が双眼鏡を向ける。暗視の効かない双眼鏡でも、海面を照らし派手に燃え上がる数多の艦影を探り当てるのは容易だった。そして視界の先に断末魔の僚艦を捕らえた士官から、歯噛みにも似た呻きが次々に上がっていく。その間にも被害は拡大を続け、ローリダ植民地艦隊の主力は敵艦隊との遭遇からわずか五分も満たぬうちにその戦闘力の過半を喪失した。敵のミサイルの機動と速度はローリダ艦隊の対応能力を超え、その威力は強大だった。


 「何が起こったというのだ……!?」


 先程の自信に満ちた表情から一転し、愕然とした表情もそのままに呻くヴァン提督の周囲では、各所で命中弾を浴びた主力艦が炎を上げていた。艦によってはすでにその艦体の過半を水面下に没し、艦隊が一瞬にしてその戦闘能力の過半を失ったことは誰の目にも明らかだ。


 旗艦「クル‐ディラ」もまた機関部に一発の命中弾を受け火災が発生。搭載機関の一部の緊急停止により、その速力はぐっと低下してしまった。続々と各方面より上がってくる報告に、驚愕と怒りに巨躯に相応の大きな顔を歪ませ、ヴァン提督は唸った。


 「おのれぇ……蛮族め! この借りは100倍にして返してやるぞ……!」

 「提督、あれは軍艦による攻撃か? それとも航空機によるものか?」と、幕僚より借りた双眼鏡を覗きながら、ロルメスは聞いた。

 「議員! これは我々の直轄すべき範疇の事態です。我々の判断を惑わすが如き言を差し挟む軽挙は、どうかお慎みあられたい!」


 唖然として提督を見返したのは、アドヴァスの方だった。自分よりまる一世代分若い議員に目を剥き、見当違いなことを怒鳴り散らす当たり、到底分別のある武人が為すべきことではなかった。この提督は、完全に冷静さを失っている!……不快な確信とともにアドヴァスはロルメスに歩み寄り、囁いた。


 「ロルメス、もうここを出よう。こんな場所に身を置いたところで、得るものは何もない。君自身と君の救いを求める人々の未来に傷を付けるだけだ」


 ロルメスはアドヴァスを見返した。親友の眼光の厳しさに、アドヴァスは一瞬にして内心で圧倒される。提督に対する絶望と同時に、親友と自らの身の安全を確保しようとの意図で為した言動。その矮小さを見透かされたかのように彼は感じた。


 ロルメスは言った。勇壮な進撃から一転、阿鼻叫喚の惨状が広がる海原に視線を転じ、それを真っ直ぐに見据えたまま―――――


 「駄目だアドヴァス。ここにいない人間のためにも、僕には最後までここに立つ義務がある」


 その間も、旗艦「クル‐ディラ」の被った損害は拡大を続けていた。これまでの弱敵を対象にした植民地獲得戦争の結果、個艦を守る上で必要なダメージコントロールの概念が等閑にされて来たツケを、彼らは今更ながらに手痛い教訓を以て払わされようとしていた。


 「火災、依然鎮火しません!」

 「乗員を退避させろ!……急げ!」


 熱を帯びた煙が漂う中を、応急修理班の水兵が消化機や補修材を手に駆け抜けて行く。だが彼らにとっての大敵は炎の他にも存在した。


 『左舷機関区画より浸水中!……冷却水パイプに亀裂が入ったようです!』

 「応急班、修理できるか?」


 と、機関部より上がってくる声に応じたのは、艦長のファルス大佐だった。だがその答えは絶望的だ。


 『無理です、このままでは防ぎきれません! 要員退去の許可を下さい!』

 「……こちら艦長。区画を封鎖し、全員脱出せよ」

 「馬鹿なっ!」と声を荒げたのはヴァン提督だ。

 「わしの旗艦を傷つけるとは断じて許さんぞ。共和国海軍水兵の矜持を持って、生命を賭し浸水防止に邁進せよ!」


 このような混乱の中にあっても、ロルメスは冷静だった。激昂する提督の下に歩み寄り、彼は諭すように言った。


 「提督、艦の指揮は艦長の掌中にあるべきものと私は考える。指揮官たる貴官には貴官に相応しい職務というものがあるだろう? 特にこのような局面にあっては……」

 「黙れ!……家名の威光のみで分不相応の顕職に身を置く若造が、この期に及んで何を口出しするか!」

 「…………!」


 アドヴァスは抑え様のない憤怒に胸を詰まらせ彼の主君を見た。アドヴァスの若く聡明な主君は、彼に罵詈雑言を放った提督を、只一切の感情の消えた蒼い瞳で無言のうちに凝視するばかりだ。だがアドヴァスは知っている。それが、心からの憤怒に身を委ねようとしているロルメスの表情であることに……


 『――――浸水止まりません!……退避命令を……!』と、涙声の報告の背後には、迫り来る奔流の立てる咆哮。それは通信回線を通し、あたかも此方まで達して来るかのごとくに、次第に大きくなっていく。


 ロルメスは、聞いた。


 「提督……艦と人命と、どちらが大切だ?」

 「退避は……許さん!」

 『艦長――――――っ!……』


 通信が切れ、それがいっそう提督の苛立ちを煽ったのか、ヴァン提督はその太い指を司令室入り口に向けて叫んだ。


 「議員を連れて行け。作戦の邪魔だ……!」

 「愚かな……!」


 言われるまでもないという風に、ロルメスは踵を返した。沈黙の内にも、アドヴァスに向けた目が「もう行こう」と語りかけていた。だが―――――


 『敵ミサイル第二波接近!……本艦にも二発接近します!』

 「…………!?」


 ロルメスは振り返った。その振り返った先、毒蛇のごとくに闇夜を裂き迫ってくるミサイルの軌条に、ロルメスは目を見張った。


 ……神よ!


 「クル‐ディラ」を捕捉したSSM-1Bは二発、一発は「クル‐ディラ」艦橋上部に命中してマストを破壊し、もう一発は瀕死の機関部を再び直撃し、巨艦を業火の内に包み込んだ。




スロリア地域内基準表示時刻12月11日 午前4時47分 ゴルアス半島西方沖 海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦 DDH-181「ひゅうが」


 『――――報告します。撃沈、大型艦六、小型艦十二……残余の艦はご指示通りミサイルの照準から外しましたが、再度攻撃しますか?』


 報告を聞かずとも、この僅か五分間程度の海戦で海自が圧倒的な勝利を収めたという事実は、指揮情報室のLCDに表示された敵艦隊の位置情報が雄弁に物語っていた。敵艦の輝点の色はその過半が沈没を示す黒に変わり、撃破を示すサインがモニターの中で踊っている。その一方で、対照的なまでに陣形を乱さずに敵艦隊の側面を北方にすり抜けていく護衛艦隊。今この瞬間、スロリア南西方面の制海権が日本の手に渡ったという象徴的な光景が展開されているはずだった。だが分単位の戦闘を経た皆にはその実感は乏しく、その乏しい実感の中に敵に対する関心も薄れようとしていた。


 島村海将は言った。


 「いや……彼らにはここから退避してもらう。然るべきことを済ませたあとでな」


 敵艦を撃沈したからには、当然沈没の途上で海面に投げ出される者も出るであろう。故意に脅威度の低い艦を残したのは、それらの艦に彼らの味方遭難者の救助に当らせるためであった。オペレーターの質問に答え、島村海将は腕時計に視線を沈める……上陸作戦開始時刻(ゼロアワー)まで、あと三時間。


 「敵艦に通信を送れるか?」

 『やってみます……内容をどうぞ』

 「発、海上自衛隊スロリア派遣艦隊司令。宛、敵艦隊。汝、力戦奮闘するも我に抗することあたはず。願わくは今一度戦力の再編に当たり、再戦を期さんことを望むものなり。我同じ海を戦場とする武人の誼を以て汝に再戦の機会を与えんと欲す。海面を漂流せし同胞の救命に当たり、泊地へと戻られたし。当方その間の攻撃は一切これを慎むものなり」


 その程度の電文で、ここから30海里以上を隔てた海域に散っていった敵艦隊の将兵に対する償いになるとは、到底思えない島村海将であった。送信を終え、一人の幕僚が彼の気分を察したかのように言った。


 「二隻ほど、現場周辺に残すべきです。敵艦隊の監視に当たらせましょう」

 「わかった……そうしよう」


 現場海域に「ありあけ」と「さみだれ」とを残し、護衛艦隊はふたたび増速。一路目指すゴルアス半島西岸へと北上して行った。舳先で黒い海原を割る間に時は払暁を迎え、ゴルアス半島方面より延びた陽光に右半身を照らし出された猛撞たちは、勝利で得た自信を胸に堂々と海原を驀進しているかのようであった。


 『―――――哨戒ヘリより報告。残余の敵艦の方向転換を確認。北方へ針路を取りました』

 「逃げたか……無理もない」


 苦々しげに、海将は呟いた。護衛艦隊は勝った。だが戦いの勝利とは、これほどまでに実感に乏しいものであったのか?


 ――――12月11日。後に日本側の呼称で「西スロリア沖海戦」と呼ばれた、「スロリア戦争」における両軍初の大規模海戦は、PKF海上自衛隊の圧勝に終った。だがそれは、後に続く熾烈な上陸作戦の序章に過ぎなかったのである。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 哨戒ヘリを飛ばしている自衛隊側が先制攻撃を受けている点が謎です アウトレンジと言いながら自ら近寄っていくのも謎 ヘリを差し引いても互いに視認してヨーイドンで先制できるローリダ側の海自を…
2023/03/24 09:45 通りすがりの海豚
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