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第一六章 「混乱」

ローリダ国内基準表示時刻12月10日 午前8時23分 首都アダロネス 元老院議事堂


 荘厳を究める玄関口まで回された公用車から足を下ろした瞬間、元老院議事堂の上空を空軍機の八機編隊が瞬く間に飛び去って行った。


 「あれは……ディガ-12」


 鉛筆のように細長い機体に、上翼配置の幅の広い後退翼の下では、左右各一基のジェットエンジンが鋭角的な爆音とともに噴炎を吐き出していた。就役を開始して一年。未だ首都圏航空軍団にしか配備が進んでいない新鋭の攻撃機の機影に、ルーガ‐ラ‐ナードラは朝空に向けた緑色の瞳を僅かに曇らせた。


 主翼を連ね、ディガ-12攻撃機の編隊が向かう先は、遥か南。


 異変の兆候は、すでに開戦開始の時点で現れていた。


 二日前の壮麗を極めた茶会で、席を外したままなかなか戻らない第一執政官は、茶会も半ばを過ぎ再び戻ってきた時には蒼白な顔をしていた。当初はそれを別段気にも留めなかったナードラではあったが、明確な異変はその直後に起こり始めた。


 その夜から、軍の動静が慌しくなった。


 アダロネス中央の国防省では昼夜の別なく武官が慌しく出入し、軍の基地のみならず首都の主要空港には各地の基地より集結した空軍機が続々と銀翼を連ねるようになった。それらは慌しく長距離飛行の準備を終えると、翌朝には真っ直ぐに南へと飛び去っていく。


 そして……疑念を決定的にしたのは、突然に始まった報道管制だった。開戦前、それに続いて戦闘開始から盛んに対ニホン戦突入を称揚していた各メディアが、茶会から次の日を境にスロリア関連の報道を全く行わなくなったのだ。その代わりに、スロリア戦とは全く関係のない軍の映像を通常より多く流すことを以て、却って隠されたスロリア戦の実相を糊塗しようと努めているかのようであった。


 多くの市民はそれで納得させられたであろうが、ナードラとしてはそういうわけには行かなかった。軍職を退いた現在でも軍とは密接な関係を保ち、国政に関わる身でもある現在、彼女は政治家としての判断に必要な情報を得るべく、関係機関に当然の如く現況の説明を求めたのである。


 だがそれに対する軍や政府の説明は、彼女の疑念を払拭するには到底足りないものであった。もとより何も知らされていない者。知っていても、口を濁し真実を語ろうとしない者……彼女自身関係機関を訪ね、そうした連中を相手に虚しい論戦を重ねている最中、元老院の召集令がナードラの許にも下った。


 ―――――それは、通例から考えればあまりに異例とも言える臨時会の招集。


 元老院の臨時会が召集されるというのは、臨時の予算編成や一定数以上の議員の要請、そして緊急事態など、よほどのことがない限り在り得ないことであった。その臨時会を、第一執政官カメシスは、戦争の最中に開くという……勝つことが確定している戦争の最中に?


 「…………?」


 ナードラが議場へと続く道を歩く際に、さらに違和感を覚えたのは、その警備の通例と異なる厳重さだった。普段は派手なまでの露出と演出とを好むカメシスが、この時ばかりは取り巻きや御用聞きにも等しい記者団の入場を禁じ、その一方ではこれまた通例より増員された警衛が、それこそ数十歩の間隔で立ち議場内を固めていた。


 水をも漏らさぬ警備……だが、何のために?


 部外者を入れまいという配慮の他に、ナードラには感じるものがあった。


 ……それは、これより始まる何かを、元老院の外から一歩も出さぬための配慮?


 白亜の議場に座っても、開会の刻限には未だ時間があった。そして意外な人物が、意外な刻限にナードラの隣席に座る。


 「これは……クルセレス小父」

 「お早うナードラ、祖父上はご壮健かな?」


 雛壇状の席は、クルセレス‐ド‐ラ‐コトステノンの巨躯にはいささか手狭であるようだった。煩わしげに巨体を揺すり、富豪はその富豪ゆえに得た元老院の席上でナードラに微笑みかけた。


 「クルセレス小父は、この時間帯は未だ眠りについておられるかと……」

 

 クルセレスの寝坊癖は元老院でも有名だった。通例朝の九時より行われる常会では刻限どおりに来たためしがない。大抵一時間や二時間、酷い場合には優に五時間も遅れて参内したこともある。それでも情勢に対する分析力や政策に対する提言の数々は恐ろしいほど的を射たものなのだから、この男はやはり天性の富豪であると同時に政治家であるのかもしれない。


 クルセレスは、言った


 「私が早起きするのは、天変地異の前兆と陰口を叩く者もおるが、それは見当違いというものだ。やつらの日頃の行いが悪いから、キズラサの神もお怒りになろうというものだ。現に、寝坊を続ける私には何一つ、天罰らしきことは起こっておらん」

 「災いには、二種類あります。目に見える災いと目に見えない災いです。後者は目に見えてその進行が判らないだけあって前者よりはるかに恐ろしい。小父上の健康もまた後者に晒されているのではありませんか?」

 「ナードラは辛辣だな。確かに……この身体は危うい。私もそろそろ祖父上に倣って節制に励むとするか」


 苦笑するクルセレスに、孫娘の監視の目を盗み、今頃不摂生に励んでいるであろう祖父を想像し、ナードラもまた苦笑する。


 その間、時が進むに従い議席を埋める議員の数は次第に膨れ上がっていく。その中で、顔を強張らせたまま入場する「平民派」の巨頭デロムソス‐ダ‐リ‐ヴァナスの姿に気付き、ナードラは顔から緩みを消した。ここ二日間の、政府や軍の不穏な動きはナードラと同じく彼の耳にも入っているはずだ。それらの事実に基づき、この臨時会の場で彼が第一執政官への弾劾を始めるであろうことは容易に想像がつく。ひょっとすれば、彼等がカメシスに臨時会を開くよう働きかけたのか?


 やはり……今回の臨時会は、スロリアの戦況に関係するものなのだろうか?


 ナードラは、「平民派」議員の集る一角に目を凝らす。そこはすでに、彼らの周辺とは違う、張り詰めた空気が漂っていた。「平民派」は、すでにスロリアの戦況に関する何かを掴んでいる?


 開会を告げる予鈴が鳴り、議場からは一切の私語が消えた。議場が静まり返るのを見計らうかのように、国防相ドクグラムと、その幕僚たる軍幹部を伴った第一執政官ギリアクス‐レ‐カメシスが、重苦しい表情もそのままに壇上に進み出た。その瞬間、ナードラは今回の臨時会が彼自身の意志によるものだけではないことを悟る。


 「…………?」


 幕僚を伴い、議席に腰を下ろすドクグラムに、ナードラは視線を移した。開戦時は第一執政官と同じく威風堂々さを全身より滲ませていた国防相は、その威厳こそ保ってはいたものの、挙動の端々からそれが空回りしているように感じられた。そして……彼の傍らに控える白い制服の海軍将官に、ナードラの瞳が釘付けになる。


 あれは……ヴァルミニウス提督。


 屈強な体躯。強い顎鬚を蓄え日焼けした精悍な細身の顔には、鼻先を横に一閃するかのように生々しい傷痕が走っていた。ロヴトス‐デ‐ラ‐ヴァルミニウス海軍中将は、ドクグラムの妹婿でもあるが、共和国海軍の英雄としても知られる。現在の地位は共和国正規艦隊、別命「白獅子艦隊」の第一艦隊の司令官であり、共和国海軍随一の戦術家、そして人格者として全国民の敬意を一身に集める存在であった。


 そのヴァルミニウスが、この元老院議場にいる?……生粋の武人らしく、政治には余り関心を持たないことで有名なヴァルミニウスが、ここに来たのは彼自身の意思によるものではないはずだ。

 臨時会の開会を告げる書記官の号令の後、普段の堂々さからは想像も付かないほど覚束ない足取りで立った壇上で、乱れた演説の原稿を整え直し、カメシスは咳払いをした。そこにも、つい数日前の自信に満ちた面影など無い。そして、細い眼で傍らに控えるドクグラムに、救いを求めるように目配せする。彼の微かな頷きが、演説開始の合図だった。


 『……スロリアですでに、我が精強なる共和国国防軍の進撃が始まっておることは諸卿らも承知のことと思う。だが、あえて真実を述べるとすれば、現在我が軍の攻勢はニホン軍の予想外の防備の前にスロリア東部で停止し、戦局は膠着状態に陥っておる。しかして信頼に足る現地軍司令部からの報告によれば、精強なる共和国国防軍は数に勝る敵に対し、今現在に至るまで寡勢を以て力戦奮闘中である』


 「虚言を弄すなっ……!」


 怒号にも似た声が、議場の一角から上がった。声の主がヴァナスであることは、もはやわざわざ省みるまでも無かった。分厚い報告書の束を振り上げ、ヴァナスは叫んだ。


 「ここに、真実を記した報告がある。前線視察のため、単身現地に赴いた民生保護局長官 ロルメス‐デロム‐ヴァフレムスが独自のルートで我等に送付した報告書である!……何であればここで、私自身の声で全文を読み上げても構わんぞ!」


 …………!?


 場は、騒然となった。執政官と反対派の元老院議員、どちらの言葉が真実か、誰もが明らかに図りかねているかのようであった。議員達は交互に両者に視線をめぐらせ、隣席の同僚と小声で語り合った。

 ドクグラムが傍らの副官に耳打ちし、その副官が早足で議場の外へと向かって行くのをナードラは見た。内容はどうであれ、もしヴァフレムスの報告が真実だとすれば、同じく前線視察で現地にいるバーヨたちがその情報源の一端であることは彼女には容易に想像できた。ドクグラムは当然、身内の「造反」を火消しに走るつもりなのだろう。


 ナードラは挙手し、発言を求めた。


 「第一執政官閣下には、自らのご報告の論拠をお伺いしたい。それは現地軍及び国防省の、正確な情報に基づく分析により生まれた結論としての報告であらせられるのか? また、ヴァナス議員、ヴァフレムス議員の情報源に関しては如何?」


 最初にナードラの問い掛けに答えたのは、ヴァナスだった。


 「報告書に拠れば、ヴァフレムス議員自身は前線には赴いていない。植民地軍司令部が前線行きの許可を出さないのだ。これは従来の戦役では一度として在り得なかったことである。この報告書の内容は、全て植民地軍司令部に近しい人間からの聞き取りに基づくものであることをお断りしておきたい。だが……これに記されていることは、遺憾ながらも大方において真実であると私は信じる」


 「遺憾」という言葉に、ヴァナスが力を込めたことからして、前線で起こっていることが只ならぬものであることをナードラならずとも確信させた。そして、議員の視線の過半が、彼女の問い掛けのもう一方――――カメシス第一執政官――――へと集中する。


 だが……ナードラの問いに答えたのは、カメシスではなかった。


 「……一議員の狭隘な視野に基づく報告書と、政府の収集した広範な情報に基づく見解のどちらを、元老院の賢明なる諸卿はお信じになられるのかな? 国民が欲するのは多方面よりの、正当な経緯を持たぬ風聞に非ず。強固なる政府の示す統一された見解である」


 ガザルス‐ガーダ‐ドクグラムが、よく通る声で言った。口調こそ堂々としてはいても、元老院議員の送った前線からの報告を「正当な経緯を持たぬ風聞」と斬って捨てるのは、ここ元老院では平民派ならずとも敵に回す恐れのある暴言だった。憤然さを滲ませた緑の瞳を、ナードラは彼に向ける。


 「ドクグラム議員、私の質問の相手は貴公ではない。私は、第一執政官閣下のお言葉を直に聞きたいのだ」

 「この戦役に関する限り、我等の意思は同意を見ておる。即ち、このドクグラムの言葉は、カメシス第一執政官閣下の言葉と同義である」

 「…………!」


 その回答には、さしものナードラも言葉を失った。場合によっては、甚だしい越権も同じではないか? すでに論戦に介入する権限も機会も失したカメシスがドクグラムに視線を泳がせ、ドクグラムが再び、微かに頷いた。


 「……以後の戦況報告に関してはこのドクグラムに説明させたい。専門の人間の言葉の方が、この老いぼれの話を聞くより遥かによいであろう」


 すごすごと壇上より引き下がるカメシスに怒号を上げたのは「平民派」だった。彼らならずとも怒るのは当然だった。先程のドクグラムの言動が横暴ならば、今の執政官の言葉は、彼自身の職務と責任を投げ出したのに等しい行為と見られても仕方が無い。それ以上に、追及をはぐらかされたという痛憤の念が、彼らを突き動かしているという事実もまた拭えないが……


 悄然としたカメシスに代わり壇上に立ったドクグラムは威風堂々たるものだった。彼自身もまた事実を知ってはいても、その扱いを彼自身の身を守るためという点において、彼は明らかにカメシス以上に心得ていた。


 堂々とした口調で、既成事実となった部隊の追加派遣計画を述べ立てるドクグラムを見遣りながら、ナードラはヴァフレムスの報告書に目を通す意思を固めていた。




ローリダ領ノドコール植民地内基準表示時刻12月10日 午前10時28分 サン‐グレス空軍基地


 先々日の空戦で、只一機だけ帰還してきたレデロ-1が、胴体から滑走路の隅に滑り込んだままその悲愴な姿を晒していた。


 『――――こちら五番機、隊長機がやられた!』

 『―――こちら三番!……敵機に狙われている! すごく速いやつだ!』

 『―――七番!……七番が撃墜された! 敵機の姿が見えない!』


 当日の無線通信が、基地ターミナルの屋上から基地の全景を見詰めるエイダムス‐ディ‐バーヨ大佐の脳裏には、未だこびり付いて離れなかった。12月8日の朝方に、上空警戒のため基地を発進した八機のレデロ-1は敵機との空戦の後、その一機を残し残らず未帰還となったのだ。


 敵機の位置、機数とも不明。少なくとも襲われる寸前まで、彼らは敵の奇襲に気付かなかったものと思われた。ノドコール本土の防空レーダー網ですら接近する敵機の存在を確認することが出来なかった。

 それが、バーヨには不可解だった。敵は……ニホン軍は、おそらく我々の知らない恐るべき軍事技術を以て、瞬時の内にこちらの戦闘機部隊を葬り去ったというのか?


 疑問を胸に置いたまま、バーヨは植民地総督府専用テレグラフ通信を利用し、今頃ローリダ本国の然る筋へと届いているであろう「報告書」に思いを馳せた。ディーナの夫で、名門ヴァフレムス家出身の若き当主は、その家名に相応しい働きをした。バーヨやロートの知る限りの前線の実相を真摯に聴取し、ごく短期間の内に簡略な報告文に纏め上げ、通信管制下にも拘わらず職権を利用して本国の同僚に送付してくれたのだ。


 植民地駐留軍司令部でも、場違いなほどに優秀な才幹の冴えを示したセンカナス‐アルヴァク‐デ‐ロートは、「前線視察」の命を受け先日の昼頃にスロリア中部へと向かって行った。発令のタイミングからして、命令した側の意図が、彼をこの任務に適任と見做したのではなく、単なる厄介払いにこの任を押し付けたのは明らかだった。


 「私が掛け合って、命令を取り消してやってもいいが……」


 若き元老院議員ロルメス‐デロム‐ヴァフレムスの厚意を、ロートは苦笑して固辞した。


 「私は、特別扱いが余り好きではありません。それに、そろそろ前線を見たいと思っていた頃ですから、むしろ今度の命令は渡りに船と考えていますよ」


 別れ際に、バーヨはロートに握手を求め、言った。


 「キズラサの神の御加護を……」


 ロートは、頷いた。彼のような人材が重要な場から危険な場所へ追い遣られるのをみすみす見過ごさねばならない自分の立場を、バーヨは心から呪った。


 彼を見送ったのはバーヨとロルメス、そしてロルメスと同じ名門貴族出身の、司令部付きの若い女性士官。ロートを乗せた軽軍用輸送機が徐々にサン‐グレスの滑走路を加速していくのを見届ける一同の中で、ミヒェール‐ルス‐ミレスというその女性士官が皆にも増して暗い表情を浮かべるのを、バーヨは見逃さなかった。


 「彼を……尊敬しているのだな」

 「少なくとも、軍人としての判断力はあの方がノドコールでは一番でした」


 と、悄然とした口調でミヒェールは言った。その口調の中に、もう一つの特別な感情が加わっているのをバーヨは聞いたが、おそらくそれは未だ、彼女の自覚していない種類のものなのかもしれない。

 このときも、バーヨは植民地軍の司令部と一悶着を起こしている。スロリア東部から中部に至る空域が敵の制空権下にある現在、バーヨは輸送機に護衛を付けることを主張したが、それはにべも無く却下された。来るべき反撃に備え、空軍力の温存を図っているというのがその理由だった。そしてそれを拒否するべき論拠と権限を、バーヨは持っていなかった。


 「大佐……此方にいたのか?」


 振り返った先には、若者が立っていた。この場には場違いなローリダ共和国元老院議員の礼装に身を包み、明るい金髪は高貴な身分に相応しい清潔感を際立たせ、少年の面影を残したほっそりとした美形の中には、透き通るような蒼の瞳が煌いていた。若者の両手に握られた、湯気を立てる飲み物を満たした紙コップが、バーヨに新鮮な驚きを誘った。未だ30歳にもなっていないこの好青年がローリダ共和国では将来の有力な執政官候補であり、現在でも元老院議員として国政の重要な地位にあるとは、誰が想像できるだろうか?


 「さあ……」


 ロルメスは、熱い飲み物を満たした紙コップを差し出した。それを受取りながら、バーヨは言った。


 「名門の出ともあろう方が、そのようなものをお飲みになるとは意外です」

 「からかうのは止してくれよ」


 と、ロルメスは笑った。同時に滲むはにかみが、女性ならずバーヨのような男性の琴線にも触れた。そのロルメスは、紙コップの内容ではなくコップ自体に目を細めている。それがバーヨには不思議だった。怪訝な表情で自分の様子を伺うバーヨに、ロルメスは言った。


 「紙のコップか……不思議なものだな。ローリダにはこのようなものはない」

 「現地種族が作っていたんですよ。誰でも作れるが、あれば便利ということに、誰も思い及ばない。そういうものを作ることに、ここの種族は長けているようです」

 「そうではないんだよ。大佐」

 「は……?」

 「気になって調べてみたが、作っているのは現地人でも、製造機械は、実はニホン製だ」

 「…………!」


 絶句するバーヨを他所に、ロルメスは続ける。


 「ニホン人から直に買ったわけではない。様々な国を巡り巡った結果、ここまで流れ着いてきたらしい。見たところでは型は相当に古いが、あれほどの機械と同じものを、我が国の技術で作れるかどうかは甚だ疑問だ」

 「…………」

 「悪い話をしてしまったね、大佐。これは私とて認めたくないことだが、ニホンは……どうやらそういう国らしい」


 すっかり冷め切った飲物へ目を落としながら、バーヨは言った。


 「議員閣下……小官は思ったのですが、我々がニホンと戦争をしなければならない理由とは、何なのでしょう?」

 「…………?」


 ロルメスの興味深げな視線に気付き、バーヨは慌てて頭を振った。


 「いえ……戦争の大義を否定しているわけではないのです。任官以来、一度命令があれば、私は何時でも祖国のために身命を賭す覚悟でこれまでの人生を過ごしてきましたし、今後もその志は揺らぎません。ですが今思えば……この戦争は、何かがおかしい」


 ロルメスは、嘆息した。


 「第一執政官閣下たちは、将来の脅威を除き、この地に平和を取り戻すと言っていたが、我が国の若人の命を危険に晒せば、国益が達せられるという考え方自体、私に言わせればあまりに短絡的だ。戦争を知らない私には、それしか言えないが……」

 「そう……短絡的ですね。よく考えてみれば、戦争以外にも国益を勝ち取る方法は幾らでもあることですし……まあ、そうなれば我々軍人は失業ですけど」


 ロルメスは笑った。勘に触らない、むしろ心地良い天使のような笑いだった。


 「総司令部に君のような洒脱な士官がいるとは、驚きだよ。そういえば、ディーナもそうだったなあ」

 「そうだ……ディーナは……御夫人はお元気ですか?」と、バーヨが話題を変えようとしたのは、眼前にいる若者に、これ以上あれこれと心労を負わせまいとする彼なりの配慮が働いたからだった。


 「ディーナはディーナで、私の留守を守って彼女なりに戦っている。それが判るから、私も頑張る気になる。自分の妻一人の期待に添えない男が、国民の期待を負うに足る存在になることが出来ると、君は思うか?」

 「……思いません」


 ロルメスは微笑んだ。だがそれは苦味を含んだ微笑だった。


 「……実は、植民地海軍に掛け合って、海軍の巡洋艦に乗せてもらうことになった。だから君とも、当分お別れだ」

 「そうでしたか……!」


 ロルメスはバーヨに手を差し出した。躊躇いがちにそれに触れたバーヨの手を、青年はがっちりと握り返した。


 「君と話が出来てよかったよ。エイダムス‐ディ‐バーヨ大佐。アルヴァク‐デ‐ロート大佐に宜しくな」

 「きっと……また会えますよね」


 静かに、だが真摯なまでに眼差しで青年は頷いた。


 そのとき、空港の上空を、レデロ-1の四機編隊が低空で航過していく……それは、本国からの増援第一陣だった。




ローリダ国内基準表示時刻12月10日 午後11時35分 首都アダロネス 元老院議事堂


 執政官側の現状説明への対論という形で提示された「平民派」の報告文に、平民派、閥族派、無派閥を問わず今や元老院議員の多くが、議場全体に蒼白な顔を並べていた。


 『――――この場を借り、12月8日より生起したスロリア戦の現況を元老院の諸卿に伝えたいと思う。12月8日、最後通牒の期限が切れた直後の午前四時四十分。スロリア中部に設営された我が軍の三つの前線飛行場がニホン空軍の強襲に遭い、基地は被害を受けた……! ニホン人は和平推進を装い、着々と我等との戦争準備を整えていたようだ。この奇襲もまた、事前に空軍機を我が軍基地付近の上空に侵入させ、期限切れと同時に基地攻撃に踏み切ったものと思われる』


 『――――我が軍の損害は、我が空軍が全前線に投入していた空軍部隊の悉くが壊滅。飛行場も全てが現在に至るまで使用不能である。内一つは……ゴルアス半島に位置する一つは、すでにニホン軍の占領するところとなったという未確認情報もある。ニホン人は大胆にも、ゴルアス半島東岸に別働隊を強襲上陸させ、そこから半島を横断して飛行場を攻撃してきたというのだ……!』


 『当初の予測に反し、ニホンには実は強力な空軍が存在する。ニホン軍の攻撃機は我が軍の防空網をいとも容易く突破し、正確無比な爆撃により我が軍の指揮系統及び補給通信網は次々と破壊、寸断され、作戦の遂行に重大な悪影響を来たしている』


 『―――― 一方、地上戦の経過であるが……開戦初日より開始されたニホン空軍の猛烈な空襲により我が軍の前線三個師団は大損害を受け、さらに翌日からのニホン軍三個軍団の進撃により、三個師団は……三個師団は……壊滅。12000名の将兵が戦死または行方不明……!』


 『現地軍司令部はこれら一連の経緯を本国に報告するどころか、事態の実相を糊塗し隠蔽に走った。本国への報告を主張した参謀は更迭され、現地軍司令部は未だ本国へ事実の正式な報告を行っていない。今回の事態は、前線視察のため現地に赴いた総司令部参謀の告発を受けた本国の総司令部が、直に現地軍司令部を問いただした結果、総司令部の周知するところとなったものである』


 あまりに予想外の事態に、議員達は言葉を荒げ話し合った。


 「これは……どういうことなのだ?」

 「どちらかが嘘をついている。今ここにいる第一執政官閣下か、ここより2000リークを隔てた彼方にいるヴァフレムス家の当主かどちらかが、だ」

 「だが二人とも、勝っているとは言っていないし負けているとも言っていない……もう少し情報が集るまで、経過を見たほうが良いのではないか?」

 「馬鹿な……!」


 と、一人の議員が拳で机を叩いた。


 「12000名……12000名……私も軍職を経験したことがあるが、これが事実とすれば戦闘の初期でこれだけの損害が出た戦を他には知らない。要するに我が軍は一会戦に敗北したのと同様の大敗を被ったのだぞ!」

 「もっと言えば、戦闘が拡大するにつれ、我が軍の損害はさらに増えるということになる」

 「今更、どうやって終らせると……?」

 「いや、問題はこれをどう民衆に説明するか、だ。下手をすれば暴動になる」

 「説明? 現在の情勢が露見した際の経済的影響というものを考えて頂きたい。あの植民地に幾人の人間が少なからぬ投資を注ぎ込んでいるか、あなた方も知らぬわけではありますまい。あなた方だって……」


 額を突き合せて話し合ったところで、結論が出るのでもなければ、問題の解決になるわけでもない。彼等が為すべきは、相反する二つの報告によりもたらされた混乱を、この場で、今日のうちに収拾することであった。要するに、もたらされた報告に基づき、この臨時会で今後の方針はもとより現地軍に与える勧告や訓令を策定せねばならない。


 ある一団は主張する。元老院は現在、10月に増派した三個師団相当の戦力を、植民地軍の統制を飛び越えて動かせる権限を持っている。もはや現地軍司令部の監督下に、スロリアに展開する全軍を任せて置くわけには行かない。元老院は現地軍司令部に部隊のスロリア中西部への後退を命令し、一方でこの増派部隊を本国の指揮下で前線に投入し前線部隊の救援に当たらせるべきである。


 さらに過激な意見も出た。事実の隠蔽という点からして、現地軍が重大な訓令違反を犯したことは明らかである。元老院は直ちに現地軍司令部より指揮権の一切を取り上げ、スロリア方面に展開する全軍を元老院の直接指揮下に置くべきである。当然、彼らの独断を許した執政官サイドの監督責任も問われねばならない。


 ナードラは当初こそ沈黙を守ったまま議員たちの遣り取りを聞いていたが、議論の一向に正論へと辿り着かないことへのもどかしさは、もはや隠しようもなかった。それでも元老院議員として、そしてかつての軍事専門家として、彼女なりに冷静に考えを廻らせていた。


 『指揮官を替えるべきだ。元老院の総意の下、中央より指揮官を派遣し、その上で増派部隊も指揮官に委ねるのだ。意思の統一こそが状況打開への第一歩ではないか……』


 その一方……ナードラが報告書のもたらす衝撃をさらりと受け流すことが出来たかといえばそうではなかった。強力な空軍の存在も然ることながら、こちらの常識を超えた迅速な部隊の展開、そして味方の間隙を突く戦力の集中……ニホン人は事前にこちらの配置と弱点とを完璧に知り尽くしていたとしか思えないほど手際良く攻撃を仕掛け、明らかにこちらに匹敵、もしくは凌駕する高度な組織力と計画立案能力を背景に作戦を進めている……!


 一体……どうなっている?


 何時の間にか、ヴァフレムスの報告に慌てふためく議員たちとは違った意味で驚愕に囚われている彼女自身に、ナードラは気付いていたのである。




ローリダ国内基準表示時刻12月10日 午後1時30分 首都アダロネス 元老院議事堂 



 小休止を経た後、議員達の多くは会派を超えて増派部隊の東進と、再度の野戦決戦あるを予測し駐留軍主力のスロリア中部への集結を決定、一致してそれを第一執政官カメシスに要求した。


 それが度重なる議論の末の折衷案として出たとき、さしものナードラも口堰切って反対を唱えざるを得なかった。スロリア中部で敵に決戦を挑むのは戦略として妥当ではある。だが……敵がその決戦に乗ってこなかったらどうするのか? 敵の機動力の高さは緒戦ですでに実証済み。正面からぶつかる事を避け、あるいは隊を二分して一方が味方を釘付けにしている間にもう一隊が進撃、迂回して直接ノドコールへの連絡路を遮断すれば、今度は逆に守るこちら側が帰る家の無い孤児も同然となる。

 それに、報告書通りならばゴルアス半島東部すらすでに抑えている敵は、そこから自在にがら空きとなったノドコールへと何の苦も無く進撃できるのだ。スロリア中央に主力を配置すれば、我が軍は東方と南方から同時に二つの脅威に対処せざるを得なくなる。


 実のところ、スロリアにおける共和国国防軍の作戦計画にはナードラも一家言持っている。敵の進行速度が如何に速くとも、そして如何に強力な空軍戦力を持っていようと、結局のところスロリアにおける戦闘の帰趨を決するのは地上戦である。味方と同様、敵の地上軍もまた補給なしで永久に進撃が出来るわけが無い。


 作戦としては陽動と後退とを繰り返しつつ軍主力を思い切ってスロリア中西部、あるいはノドコールまで後退させ、敵の補給線が限界まで延びきったところで反撃に移るのだ。その間ゴルアス半島方面には一個旅団相当の抑えを置き、その方面より迫る敵に膠着を強いればよい。また、主力をいち早くノドコールまで後退させた後には、東方と南方より迫る敵に時間差を置いて対応でき、最終的には各個撃破を可能にするという利点もあった。よく考えてみれば、今次の戦役の緒戦も、こちらの補給路が延びきったところをニホン軍の反攻に遭ったようなものである。


 それに、敵がゴルアス半島を押さえたとはいっても、船舶による即時展開可能な兵力の輸送量には限界がある。さらには、事前の作戦計画通りに我が海軍もまた数隻の潜水艦を配置し敵の海上作戦に備えているはずだった。大兵力を積載した輸送船団は、彼らにとって格好の獲物となる―――――ここに、ナードラの誤算があった。潜水艦は緒戦の段階で全て撃沈されてしまったし、彼女は日本自衛隊が強力な揚陸艦艇と揚陸作戦に特化した陸戦部隊を保有していることを知る由も無かったのである。


 だが……ナードラの主張を、議員たちは一笑に付した。彼らはこの期に及んでも、ニホン軍が「文明人と同様」の精緻な作戦計画の下で動いているとは考えていなかったのである。敵は「非文明的な野蛮人」らしくその攻撃本能の赴くままに我々の主力を捕捉し、これを撃滅する機会を伺っているはずだ。こちらの挑戦に靡かないはずがない、というわけだった。


 それに、彼らは戦略のためとはいえ、確保した占領地を一度放棄することに明らかに消極的だった。国内はもとより対外的な印象の悪化を恐れた観があった。戦争はその過程ではなく結果によって評価される。どんな経過を踏みさえすれ、勝てばいいのだ……という発想など、身奇麗に戦争を終らせたい彼らの脳裏には微塵もないようであった……大体、戦争と言う行為そのものが、身奇麗という言葉からは程遠いものであるというのに。


 彼等が現地軍司令部と政府に対する説明責任の追及に走り、徒に当面の危機への対処に必要な時間を浪費しなかっただけ、まだ理性があったと見るべきか……そう考え、ナードラは激発しかける自己を抑えるのだった。その傍らには、提示された議員達の要求を受けて長々とそれを論評する第一執政官の姿を無感動に見遣るクルセレスがいた。彼はといえば、この臨時議会では真っ先に傍観者たるを決め込み、「議会中の飲食禁止」という条項が無いことをいいことに、時間中も彼の体躯に相応しい分量の食物を持ち込んでは容儀に喧しい古参議員の失笑と敵意を買っていたものだ。寧ろその点で彼は、「騎士の小娘」たるナードラに対する彼らの隔意を、一身に引き受ける役割を果してくれたのかもしれない。


 「私は、君の意見の正しさを信じておるよ」


 と、クルセレスはナードラの耳元で囁いた。


 「……なんと言っても君は、あのカディスの孫娘だからな。正しい判断をしないはずが無いさ」


 『――――わしは、全面的にヴァナス殿をはじめ諸卿の意見を支持するものである。これまで彼とは、互いの出自の相違の故か長年に渡り共に対抗者の立場にあった。だが国家の危急にある今現在、わしは彼がわしと同じ愛国者であり、自由と文明のための戦争を推し進めるという点において同志であることを知り、誠に感銘に堪えない。わし、共和国第一執政官ギリアクス‐レ‐カメシスは、彼デロムソス‐ダ‐リ‐ヴァナスと合意を見たことを、神とヴァナス殿自身に感謝するものである……!』


 偶然に合意を見たというより、あたかも平民派の行動などすでに織り込み済みという風なことを、カメシスは捲し立てていた。確かに、このような時に弾劾やら追及やらで余計な波風を立てては、かえって戦争遂行の大儀を信じる一般市民の、平民派をはじめとする反執政官派に対する支持は遠のいてしまう。カメシスはそれを計算していたからこそ、一歩間違えば弾劾裁判になってしまう臨時会議をあえて開き、平民派の意図に反し戦争遂行の正当性を確固たるものにしようとしたのだろうか?……それとも。


 『……そこでわしは諸卿に提案したい。わし、ローリダ共和国第一執政官ギリアクス‐レ‐カメシスは、スロリアに第二戦線を設けることを決断した。だがそれはスロリアの大地に設けられるものではない。ニホンの蛮族を迎撃するにあたり、我々が設定する新たな戦場は海である。我が共和国の強力な海軍力を以てニホン海軍を叩き潰し、ニホンの海上交易路を破壊するのだ! 地上の国防軍将兵を支援するためのあらゆる方策を、わしはわしの権限に基づき喜んで摂るであろう!』


 …………!


 その瞬間、議場が静まり返った。驚愕もその度合いを過ぎれば、沈黙で表すしかなくなることの現れであった。


 すかさず、ドクグラム国防相が立ち上がり、叫んだ。


 「海軍中将 ロヴトス‐デ‐ラ‐ヴァルミニウス 前へ……!」


 ゆっくりとした歩調ではあったが、それは巨人の歩みのような安定感と圧倒感を以て彼の様子を見守る議員達の視覚に迫ってきた。ヴァルミニウス提督はカメシスの勧めるまま壇上に立つと、その鷲のような眼を見開いて上段の議員達を睥睨し、言った。


 「スロリアの海を、ニホン海軍の墓場にして御覧に入れましょう」


 …………!!


 直後、怒号の如き歓声が議場一帯を覆い、それは「平民派」の議席からも上がった。感動の余り提督のもとに駆け寄って来る議員達の様子を無感動に見やりながら、ナードラは彼女達の敵のことを考えていた。


 ……その経緯はどうであれ、我がローリダは本腰を入れてお前たちへの反撃に乗り出したのだ。どう出る?……ニホン人?





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