第一四章 「伏撃」
スロリア地域内基準表示時刻12月9日 午前5時53分 スロリア亜大陸東部
隊列は今となっては一本の槍となり、勢いを伴って路を進んでいた。反撃への強い意志が、士官からいち兵士に至るまで例外無く充足していた。隊列を形成する各車両の発するヘッドライトの連なりが、知らず光の槍を作り出していた。飢えた獣の光る眼を、そこに連想した兵もいる。
だがそこには秩序は無かった。少し前、隊列が一軍として出発しようというとき、辛うじてそれは存在したかもしれない。だが出発して時を経るに従いそれが霧散していったのは、進軍が夜間であり、昼間に比べ統制の著しく困難であったこと、そして隊列の先頭に在って隊を指揮する者に、秩序を持たせようという意志が無かったからであるのに過ぎない。実を言えば指揮官は、彼の指揮のもと自軍の火力と闘志を揮うべき対象に、それ程の価値を認めてはいなかったのである。
ローリダ共和国国防軍准将 ドロシス‐デ‐ナ‐ログリタスが、所属部隊の上司である共和国国防軍第57師団 師団長グラーフス‐フ‐ラ‐ディヴァリ少将に、先刻に「敵軍」の急襲を受けて制圧された野営地の奪回を命令されたのは、先日より唐突に始まった「敵軍」たるニホン軍の連続的な空爆に続く、彼らの地上軍の自軍占領地への前進占拠という衝撃の醒めやらぬ時のことであった。
その際、彼に与えられたのは二個歩兵連隊を主軸とした兵力で、一個大隊程度の宿営地を制圧したニホン軍の兵数を一個大隊から一個連隊程度と見積もるならば、彼らに対するに必要十分な戦力であるように思われた。特に指揮を執るログリタス准将自身が、この攻勢には絶対の自信を持っていた。増強戦力として戦車12両と野砲、対戦車砲の火力支援を受け、トラックや戦闘車両に便乗して進軍する二個歩兵連隊。ログリタス自身の戦場経験から勘案すれば、これ程の戦闘部隊と正面から激突して無事で済む軍隊など、この世界の何処を探しても存在する筈がない。
ログリタス准将個人の、単に軍人としての肩書に拠らない、「戦士」としての戦闘経験ならば、彼は上司たるディヴァリに勝った。「転移」後に獲得した植民地への初期移民者の一人であった彼は、少年期より移民開拓者の義勇兵部隊に参加し、「あまりに野蛮で神の救済を得るに値しない」現地の先住者を相手に、凡そ一方的で無軌道な戦歴を重ねることで本国の正規軍入隊への扉を押し開き、国防軍士官としても植民地獲得戦争や列国との利権争い的な紛争に従軍し栄達を重ねていった。
ディヴァリ少将が攻勢の先鋒として彼を指名したのも、そうした「戦慣れ」したログリタスの経験をこの重要な局面で信頼したからに他ならない。そうしたログリタスの武勇から、他の幕僚の中にも彼の起用を「早期過ぎるのではないか?」と師団長を訝しんだ者もいる。逆境――それが本当に発生するかどうかは別として――を打開する「切り札」としての活用を、第57師団の幹部たちはログリタスに望んでいた。
その一方で、自分の所属する組織たるローリダ共和国国防軍の有する純粋な破壊力、言い換えれば暴力に、ログリタス准将は酔っている節があった。そしてその陶酔を引き摺ったまま、未だ見ぬニホン軍へ手持ちの兵力を叩きつけようとしていたのである。その実軍人としての義務感と、「生意気な蛮族」に対する暴力衝動を半々に抱きつつ、准将はディヴァリ少将の命令を承けた。
だが、進軍開始から時を経るにつれ、ログリタスの兵力は前後に間延びし、次第に軍としてのまとまりを欠きつつあった。戦場特有の灯火管制も然ることながら、特に、この地域一帯で装輪車両の通れる道路が、奪取された野営地に通じる一本しか存在しないという事実がそれを加速していた。
「司令官!」
隊列の先頭集団を構成する指揮中隊、専用の指揮通信用装甲車の車内で、副官のエムロ‐デ‐ガムタス中佐が言った。
「何か中佐」
「はっ、偵察隊を先行させ、敵の正確な位置と配置を探らせるべきではないでしょうか? それに日昇まで未だ時間がありますし、そろそろ再度の部隊掌握が必要ではないかと……」
「それは無用だ。中佐」
「は……?」
「反撃には勢いが必要だ。つまりは攻勢機動の速度に比例して部隊の攻撃力は増加する。徒に進軍速度を緩め、敵に防勢を取らせる余裕を与えるがごとき対処はこの際いただけることではないな」
「はっ!……そういうことでしたら小官としてはこれ以上申し上げることはございません」
恐縮する中佐に、ログリタスは鷹揚に頷いて見せたが、副官の具申にも聞くべき点を見出したのであろう。彼は無線通信を以て幾下の全部隊に、このまま部隊ごとに移動を続け、奪取された野営地に近い村落――否、先年ローリダ人植民者による「浄化」が実施された、かつて村落であった場所――への全軍の一時集合、そして集合予定時刻たる午前6時30分までの無線封止を命じることになる……無線封止は、明らかに敵の傍受に備えた措置だったが、実のところログリタスにしてみれば「念には念を入れて」という程度の配慮でしかない。
過去に彼が戦った数多の異種族と同様、ニホン人にそのような「技術」などある筈がない、と彼は内心では思い込んでいた。それに何より、夜間を進軍するに従い堰を切ったように増えた各部隊の悲鳴のような位置確認の通信に、ログリタス自身が辟易していたこともある。
「とにかく攻撃開始位置に付ければよい。それから……」
指揮通信車の車上、地図を睨むログリタスの眼が、鷲の様に険しさを増した。
「……偉大なる共和国に刃向かう蛮族を手早く捻り潰して、美味い朝飯を食うとしよう」
スロリア地域内基準表示時刻12月9日 午前6時33分 スロリア亜大陸東部 ダルカ村
近接戦闘車――指揮通信車仕様は村を一望できる小山の中腹で止まり、そこが即座に展開部隊の指揮所となった。連隊本部の展開に先駆け、すでに住民のいない村へと通じる畔道と、その側面を一個中隊が固めている。特に距離のある後者の迅速な機動は、ヘリコプターの支援なしでは到底為し得なかっただろう。ReCs(基幹連隊指揮統制システム)の戦術情報表示端末に表示されているそれら二個中隊の布陣は、部隊が道沿いに反攻してくるであろう敵軍への伏撃に理想的な体勢であることを無言の位置に物語っていた。
時を経るに従い累積する、それも未知の言語から成る無線通信――それこそが、占領地奪回から一転、反攻に迫り来る武装勢力を迎え撃つ形となったPKF陸上自衛隊 第八師団に、迅速な迎撃態勢を取らせることを可能にした。
契機となったのはやはり、師団通信隊による敵反攻部隊の無線傍受であった。発信源が即座に特定され、そこに、上空を警戒するG-STARS地上警戒管制機による索敵が加わった。G-STARSが割り出した敵反攻部隊の正確な規模、進行方向から、彼らが先刻に先遣隊が制圧した野営地の再占領を図っていることはもはや明らかであった。
野営地を確保した二個中隊は、すでに後続の部隊を加え連隊としての規模に拡大している。
PKF陸上自衛隊 第24普通科連隊 連隊長 諏訪 穣 二等陸佐は、仮設の連隊指揮所で部下と位置確認のため野戦地図に走らせていたマーカーを握る手を止め、背後を顧みた。醜く焼け爛れ炭化した黒い柱の連なりと、崩れた屋根の残骸が、今にも怨嗟の呻き声で二佐に語りかけてくるかのように彼には思われた。それが村を守る精霊を奉る神殿の、征服者に焼き払われ穢された終の姿であることを諏訪二佐は知っていた。
指揮通信車に詰めていた通信科員が言った。
「第1、第2中隊より報告、予定位置に展開完了」
「各中隊に命令、これより夜間攻撃を実施する。ただし新たな命令まで攻撃待機」
通信員が復唱し、連隊用指揮通信装置と直結した戦術情報表示端末を通じ命令を伝える。命令と布陣は同時に電子メールとして連隊戦闘団を構成する各隊の携帯通信端末に送信され、各隊は作戦に必要な情報を瞬時に共有することを可能としている。
その逆、ReCsを通じて送信されてくる戦線に在る各隊の状況、位置を指揮所が瞬時に把握し、適切な判断を行うのに必要な情報を集めることもまた可能である。「転移」前より構想され、迅速に導入が進められてきたReCsは、日本版「軍事革命」の嚆矢であり、一つの到達点といっても過言ではなかった。
それでも、不安材料はある――赤外線の発散を抑制する偽装網に覆われた指揮所から、暗視双眼鏡で村の全容を窺いつつ、諏訪二佐はその「不安材料」を思った。
先刻の、二個中隊を主軸とした敵野営地奪取は損害もなく成功した。
だがその最大の要因は、そこに敵がいなかったからという一点に尽きる。敵の真意が純粋に逃走を図ったのか、それとも逃走自体予定の作戦だったのかは兎も角、今度は我が方が迫り来る敵を迎え撃つ形を取っている。つまりはここから自分にとっても、隊員たちにとっても「ほんとうの戦闘」が始まるのだ。自分が彼らを勝利に導いてやれるか、そして彼ら隊員たちが実戦の洗礼を潜り、生きて次なる戦いに備えさせることができるかは、これからの数時間、諏訪二佐自身の決心により決まるのだ。
「重迫小隊の展開はまだか?」
「重迫小隊、展開まだ」
村の外れの一隅を、諏訪二佐は暗視双眼鏡で睨んだ。林で巧く偽装れたその一か所には、連隊指揮所直轄の重迫撃砲中隊に属する120㎜迫撃砲一個小隊4門の展開作業が進められている筈であった。彼らが、これより伏撃をかける二個小銃中隊に、間接的な支援火力を提供することになる。指揮所のある高地の麓にも近い、村の出入り口付近には敵軍の追撃、そして不測の事態に備えた予備兵力として普通科中隊一個を展開させていた。そして重迫の他、支援火力は未だ他にも控えていた。指揮所のある山腹、そして村周辺の各所に配された計8両の対戦車車両――中距離多目的誘導弾ATM-06、あるいは「中多」が、それであった。
普通科中隊傘下の対戦車小隊において運用されるATM-6は、戦車、構造物、人員等の多種類の目標を攻撃可能な誘導弾発射システムだ。発射機自体が索敵/照準用レーダー、画像装置、誘導弾管制装置と一体化させることで可搬性、機動力が向上し、誘導弾自体も赤外線画像シーカーによる目標の捕捉追尾能力を有する。また、前線部隊からのレーザー発振機による誘導も可能だ。ReCsとの併用もあって、戦闘の際には対装甲の支援火力として絶大な威力を発揮するはずである……
「重迫小隊、展開完了」
部下の報告に頷くと、諏訪二佐は言った。
「無人偵察機の反応はどうか?」
「無人偵察機、未だ敵影を捉えていません」
巨大だがひと一人で十分背負えるぐらいの大きさ、その箱型の遠隔操縦装置の操作端末を睨む隊員が、憔悴したように言った。連隊直属の情報小隊の運用する近距離用小型無人偵察機は、これまで本土やノドコールで繰り返されてきた演習では満足な成果を出しているが、実戦となると勝手が違うのかもしれない……ふと、そのようなことを二佐は考えた。
野戦用UAVは大きさで玄人向けの大型ラジコン飛行機程の大きさだが、高精度の赤外線カメラを搭載するそれは、連隊にとって国内の災害派遣時、国外の平和維持活動で地上部隊の有用な眼として機能してきている。
「航空支援の予定時刻は?」
「0725であります!」
「……そうか」
自ずと腕時計に険しい目線が向かう。諏訪二佐は自分を奮わせるように頷く。武装勢力の反攻部隊はこちらより数の上で優勢だが、それ以外の要素を入れれば彼我の優位は逆転する。先ず、緒戦の空爆以来制空権はPKFの掌中にある。その余禄としてPKF地上部隊は自在に航空支援を要請することができた。それでも師団本部からは、燃料の補給を終えた対戦車ヘリ隊が我が軍上空に到達するまでかなりの時間を要することを伝えてきた。初の本格的な地上戦への参加故に、現場では色々と支障が生じているのかもしれない……などと専門外ながら考える。
対戦車ヘリ隊による支援に加え、上級の第八師団が、増援として隷下の第8戦車大隊を急追させていた。第8戦車大隊は新鋭の10式戦車を装備し、これは敵反攻部隊の有する戦車に対し絶大な威力を発揮する筈である。だが後者もまた戦場に到着するまでにあと1時間はかかる――
「無人偵察機、敵影視認!」
UAVの操作員が声を上げた。上擦った声に導かれる様に、逸る胸を抑え、諏訪二佐はUAVの操作端末を凝視する。果たして、UAVの暗視カメラは隘路を難渋しつつ進む車列を鮮明に映し出していた。UAVの座標位置から察するに、敵はこちらにかなり接近している。判断に躊躇は許されなかった。UAVの敵影視認の報はそのままReCsの情報端末上に位置及び索敵情報として表示され、一度に連隊全部隊の共有するところとなる。
諏訪二佐は言った。
「戦闘用意、報告」
『第1中隊、準備よし』
『第2中隊、準備よし』
『迫撃砲小隊、準備よし』
「第1中隊は敵先頭集団を視認し次第攻撃を開始せよ」
『――第1中隊、了解』
「第2中隊は敵車列最後尾を確認し次第攻撃を開始せよ」
『――第2中隊、了解!』
作戦は事前、秘匿通信回線を通じたブリーフィングで、テキストデータとして幾下全部隊に共有させてある。敵車列の先頭集団と最後尾を襲撃して敵の動きを止め、続いて遠距離から制圧射撃を実施、敵の指揮系統を寸断したのち包囲殲滅する。包囲が成功せずとも、敵を撤退に追い込めれば上々である。
それでも――
みんな……生き残れよ。
緊張が、指揮官の内心に悲壮感を与えていた。
スロリア地域内基準表示時刻12月9日 午前6時53分 スロリア亜大陸東部
草叢の中を何かが蠢いている。その明確な輪郭をなぞれないのは、一切の光の無い闇夜であることも然ることながら、その「何か」もまた、全身を草木に覆われていたからだ。そして「何か」は、道に面した草原の一帯にかなりの範囲で潜んでいた。
「……指揮所より受電、車列の接近まであと三分」
草原の奥まった場所、携帯式の戦術情報表示端末を見詰める通信兵が言った。その傍らで暗視双眼鏡を睨みつつ、報告を受けた中隊長は指示を告げる。
「中隊長より各小隊へ、車列はやり過ごせ。狙いはあくまで後列だ。復唱しろ」
『――第1小隊、了解。後列を狙います』
『――第2小隊、了解。後列を狙います』
『――第3小隊、了解。後列を狙います』
周辺に散り、潜伏する幾下の小銃小隊からの返信、その声はいずれも上ずっていた。無理もない……と中隊長は思う。先刻の戦闘に「勝利」はしたが、実質今夜、これから始まる戦闘が初陣という者がこの中には圧倒的に多い。中隊長たる彼にしてからかそうである。
『――中隊長より各小隊へ、IRストロボを確認せよ』
新たな指示……隊員各自の戦闘防弾服に取付けられた赤外線ストロボ発振機のチェックを命じるのには理由がある。夜間において敵味方の識別を容易にするのと同時に、友軍による誤射を防ぐためだ。特に航空支援を期して戦場上空に進入する攻撃ヘリや戦闘機にとって、敵味方の判別は重要な問題である……
島 亘 三等陸曹と彼の分隊員たちもまた、思い思いに89式小銃とカール・グスタフ対戦車無反動砲を構えて伏撃に備えていた。事前の打ち合わせでは、戦車は中多で潰し、各小銃小隊はその他の車両を狙うことを決めている。中多が打ち漏らした戦車は小銃小隊のカール・グスタフ無反動砲、あるいは01式軽対戦車誘導弾で片付ける。その旨、島三曹も対戦車砲の射手には徹底させている。
傍らに控える対戦車砲の射手を島三曹は呼んだ。灰色の肌、引きつりかけた若い表情……その理由は何も暗視ゴーグル越しだけではないだろう。
「いいか田伏」
「はっ……!」
「狙いは俺が指示する。それまで撃つなよ」
「はい……!」
田伏と呼ばれた射手は、声を上げて頷いた。真新しい一等陸士の階級章が、擬装に纏った草に隠れて、よく見えなくなっていた。彼らのさらに向こうでは、数名の隊員が暗視双眼鏡を構えている。彼らが双眼鏡に組み込まれた照準用レーザー発振機を使い、中多や重迫撃砲の着弾誘導をする役割を与えられている、それは何よりの証であった。
展開する各小隊の中で、携帯用のレーザー発振機を持った前進観測班が対戦車誘導弾及び重迫撃砲の誘導と着弾修正を担当する。重迫撃砲の展開には、車列の前後を潰したところで移動の自由を失った敵部隊を、制圧射撃で叩くという意味があった。重迫撃砲の威力は大きく、一昔旧型の榴弾砲並みの破壊力を有する。つまりは面制圧にはもってこいの効果を発揮する。
微かではあるが、道路が震えた。
何か質量のあるものが迫る気配を感じ、島三曹は反射的に身を屈めた。身を屈めたのは皆も同じだった。草叢越し、それも暗視ゴーグルの狭い視界の中で、ディーゼルの音もやかましく巨大な影が道を疾駆するのを見る。戦車だ!……と内心で直感する。その後にはより軽快なエンジン音を連ねつつ複数の車両が続いた。戦車は各車の中に一両ずつ紛れて走っている。つまりは、敵歩兵の火力支援的な役割なのだろう……と島三曹は思う。
『――こちら1中隊長、射撃要求、目標敵戦車。目標位置送信する――』
『――こちら前進観測班、目標位置確認する――』
中隊本部と前進観測班との交信をまた聞きするうち、島三曹の胸中で心臓が高鳴り出すのを覚える。もう「戦闘」は始まっている……!
『――こちら前進観測班、目標位置確認。これより誘導弾射撃――』
きたっ!……驚愕と絶句とともに、車列が最後尾に達するのを島三曹は見た。最後尾はトラックだった。星明りの生む輪郭が、彼にはそう見えた。
「田伏っ! あのトラックだ!」
怒声と共に目標を指向し、砲手の後頭部を叩く。反射的に指示された目標へ向けられたカール・グスタフの砲身が火焔に煌めき、直後に飛び出した光の矢はトラックの荷台部分を直撃した。
火花を散らし、闇夜を突く炎の柱――
『――誘導弾発射!……飛翔中!……目標まで5,4,3……弾着いま!』
鼓膜を打つ通信の直後、路上に複数の炎が生まれ、それは次の瞬間には火の暴風となった。敵の隊列に直上から流星の如く飛び込んできた誘導弾、それらは正確に敵戦車の砲塔上部を貫き、車体を乗員もろとも焼き尽くした。この瞬間、中多の同時弾着で、ローリダ軍反攻部隊の有する全ての戦車が四散するか戦闘不能となった。そして一方的な破壊は、それだけでは終わらなかった。
「撃てぇ!」
「テェッ!!」
草叢の各所から飛び出してきた幾条もの火焔の矢――それまで各所に潜んでいたカール・グスタフ軽対戦車無反動砲、01式軽対戦車誘導弾の砲手がその凶悪な火矢を一斉に放ったのだ。特に01式軽MATの威力は絶大だった。中多と同じく赤外線画像誘導式のそれは、一度虚空に解き放たれるや獲物に回避の機会を与えずその脇腹を食い破り、炎の牙に掛けるのだった。
通常の直進、曲線状のダイヴ軌道を描くそれら誘導弾はローリダ軍に反撃の機会を与えることなく、彼らの装甲車を、輸送車を破壊していく――道は炎と黒煙の支配する巷と化し、禍々しいその明るさの中に、伏撃に成功した自衛隊員が新たな狙いを付ける機会が生じた。
「前進観測班へ、こちら2小隊長、重迫射撃要求、目標位置送信する――」
『こちらFO、目標位置受信確認。これより射撃――』
共通回線に通信を又聞きするのと同時、第2小隊長の饗庭三尉が、無線機に指示を飛ばすのを島三曹は見た。彼の指示は無慈悲だが的確だった。前進観測班の連絡を受け、空を切る独特の響きと共に、重迫撃砲の砲弾が瀕死の車列に続々と着弾する。砲弾の直撃に軽く跳ね上がり、千切れ飛ぶ車両、車列の各所から逃れ出たものの、着弾の衝撃に抗しきれず吹き飛ばされる人影、また人影――それが、島三曹たちが初めて見た「敵兵」だった。その「敵兵」の幾人かが、こちらへ銃を向けるのを島三曹は見た。
饗庭三尉が叫んだ。
『――これより小隊は速やかに突入する! 前進よーい!……前へ!』
「分隊、前へ!」
隊員の前進と同時、水流のように勢いよく黄色い弾幕が延び、夜の空気を割く。MINMI分隊支援機関銃の一斉射撃――敵兵の影が銃撃に怯み、その大半が側方から撒かれた弾幕に囚われて動きを止めた。それが分隊の突進に勢いを付けた。89式小銃やMINIMIをフルオートで撃ち、時折匍匐前進で迫りつつ、隊員たちは道を目指す。その間も誘導弾と迫撃砲の着弾は続き、生き残りの車両、そして敵兵の抵抗を粉砕していく……
進撃の途上で、島三曹も敵兵を倒した。睨んだダットサイトの中に飛び込んできた敵兵。それを見出した瞬間に彼は引鉄を引いていた。セミオート――一連射に続き駄目押しの二連射目で崩れ落ちるように倒れた敵兵――89式小銃を構えながら島三曹は草原を疾駆し、そして道の上に出た。
「――!?」
遮蔽物の無い場所、身を屈める。暗視ゴーグルを撥ね上げ凝視する――陸自のそれとは明らかに違う軍服姿の、光の無い眼を開けたまま倒れる人体――穴の開いた腹部を血塗れにしたその骸が、島三曹が初めて直に見たローリダ人だった。
しばし目を奪われ、島三曹は慌てて自身を現実に引き戻す――彼が死んでいることを確かめ、彼は追及してきた分隊を顧みた。
「各員、怪我はないか!?」
「分隊異状なし!」
副官格の木島一等陸士が声を上げる。その間、分隊の全員が道に集まって来る。全員が揃っているのを確認し、島三曹は新たな指示を出した。
「分隊道の両側に散れ。それから前進する!」
第1小隊を構成する各分隊もまた道に達し、そして前進を始めていた。彼らの進む先では未だ戦いが続いていた。銃火が瞬く前途、大打撃を受けたとはいえ敵の数は多く、漸く態勢を整えた生き残りが必死の防戦を図っているかのようであった。
瀕死の敵隊列を必殺の意思を持った自衛隊員の群が囲み、そして圧殺する――
『――前進観測班より各隊へ、まもなく航空支援、各隊道の外側へ待避せよ。繰り返す――』
「――!?」
反射的に、島三曹は手信号で部下たちに退避を命じた。全速で道を駆け降り、道からかなりの距離を走って草原へと身を潜める。間髪入れず、タービンエンジンの轟音が夜の雲海を越え、空一帯を圧した。
「うお――!?」
絶句――見渡す限りの視界が眩く輝き、生じた紅蓮の炎が赤い波となって視界を圧する。上空から進入した攻撃ヘリが敵軍の上空にロケット弾をばら撒いたのだ。直列隊形からの突進――ローター音をばら撒きつつ破壊と殺戮が拡大する。此処まで来れば、やりすぎというものではないか?――不意に周囲の空気が熱くなるのを島三曹は感じた。それも、喉まで焼き尽くすかのような――再び戦場に静寂が戻った時、道の上から一切の生命の気配が消えていた――それは烈しくも、呆気ない終末。
12月9日午前7時50分。後に戦闘の舞台となった廃村の名を取って「ダルダ村の戦い」と呼ばれることになる、日本陸上自衛隊とローリダ共和国国防軍との最初の戦闘は、陸上自衛隊の勝利の内に終わった。それも、圧倒的なまでの勝利――
ローリダ軍反攻部隊の指揮官たるログリタス准将は、業火の只中にも似た混乱の中で、逃げることも、部隊を掌握する事も出来ないまま死んだ。彼自身、おそらくは自身と彼の軍を襲った混乱の正確な正体を知ることなく死んだのに違いない。対戦車誘導弾の直撃を受けて横転し、原形も留めぬほどに焼け爛れた指揮官専用車、恐らくはそれが彼と彼の幕僚たちの棺であった。あの「転移」以来、ログリタス准将はローリダ共和国史上で最初に戦死した将官となったのである。
反攻部隊の衝撃的な敗北を、上級指揮官たる共和国国防軍第57師団 師団長グラーフス‐フ‐ラ‐ディヴァリ少将が辛うじて知るに至ったのは、戦闘の終結から2時間を経過した頃のことである。彼が新たな攻勢に出ることが無かったのは、孤立した状況で戦力と物資を蕩尽した師団にもはや予備兵力は無かったし、師団自体、航空自衛隊による断続的な空爆により残余の兵力を消耗しようとしていたためでもあった……
スロリア地域内基準表示時刻12月9日 午前8時23分 スロリア亜大陸東部
『――第2中隊、敵前方を制圧。敵兵の逃走を確認』
『――2中隊、追うな。現在地を確保し第1中隊を援護せよ』
『――第2中隊、了解!』
馬鹿野郎……こっちの戦闘ももう終わってるよ……
共通回線を通じて聞く交信に内心でぼやきつつ、島三曹は草叢から腰を上げた。分隊の部下を連れ、完全に生命の気配の消えた道へと島三曹は足を踏み入れた。再び生きて拝むことの出来た朝日の昇ろうとする下、道を埋め尽くすかつて車であった何かの残骸、あるいは何かの兵器と思しき金属の残骸――それら以外の、生々しい何かが焼ける臭いに顔を顰めつつ、島三曹は白みかけた空を仰いだ。回転翼の空を切る爆音――
「お――?」
地上へ捜索の光を注ぐ丸みを帯びた機影が、友軍のUH-1汎用ヘリコプターであることに思い当る。そのとき同じく道に出、上官と交信する饗庭小隊長の姿が目に入った。
『――全隊員を掌握し、負傷者を報告せよ。送れ』
「2小隊、了解。終わり」
交信を終えた饗庭小隊長と眼が合った。饗庭三尉は言った。
「島、怪我人はいないか?」
「こちらは全員健在です」
「そうか……よかった」
安堵のため息を漏らす饗庭小隊長の肩越しに、島は友軍の人影を見る。両脇を同僚に支えられ、脚を引き摺りつつ歩く隊員の後ろ姿。そのさらに向こうでは、道端に寝かされた隊員が衛生兵による治療を受けていた。2機のUH-1が、地上から誘導を受けつつ高度を下げていくのが見えた。負傷者を後送するのだと直感した。
「第2中隊には死者はいないそうだ。負傷者は何人かいるようだが……」と、饗庭三尉は言った。また別の怪我人が叫ぶのを島三曹が見たのはそのときだった。
「分隊長!……自分は日本に帰されるんでしょうか?……帰国はイヤです。こんなのみっともない……!」
「…………!?」
道端でうつ伏せの姿勢のまま、間の抜けた声で泣き叫ぶ隊員。どうやって負った傷か、戦闘服のズボンが擦り剝け、血塗れの尻が露出しているのが見えた。その傍らで彼の戦友らしき隊員たちがしゃがみ込み、苦笑もそのままに声をかけている。
「大丈夫、また戻って来れるさ。戦闘が続いていりゃあな」
「とりあえず、ケツを直して出直して来いや」
「ちくしょおおおおおお!……てめえら人事だと思って!」
「見ろ、夜が明ける……」
饗庭三尉が言った。山稜を越えるように延びてくる赤い朝日を前に、不意に笑いが込み上げてくる。それが勝利の味というやつか、戦場の中に滑稽な日常を見出したが故の微笑ましさによるものか、島三曹には判らなかった。
「――第1中隊より報告、負傷者12名。死者なし。以上です」
「わかった……状況終了!」
自信を以てそれを口に出した途端、指揮所に詰めていた全員が表情を安堵の内に緩めたかのように第24普通科連隊 連隊長 諏訪 穣 二等陸佐には思われた。
事実、戦闘は終わった。それも我々は勝った。前線から上がって来る報告は、激戦に比して連隊の損害が微々たるものであることを伝えている。だが、戦いは未だ続く。
「衛生小隊より報告、ヘリの到着を確認、我これより負傷者を後送す。以上です」
「全中隊に連絡、重症者を優先して後送するように」
「衛生小隊を通じ、すでに各隊に連絡してあります」
部下の報告に、諏訪二佐は満足げに頷いた。
「師団指揮所より入電、連隊の損害を再集計し報告せよ。以上です」
新たな入電に、諏訪二佐は副官と顔を見合わせた。その理由は察しが付いた。師団は恐らくは信じられないのだろう……こちらの軽微な損害に。だがそれも無理からぬことであろう。
諏訪二佐は言った。
「再集計し報告する旨、師団指揮所に返信せよ」
「はっ!」
通信員の弾んだ声を背に、二佐は指揮所から出た。光の戻りつつある高地、朝の空気は冷たいが、それでも今では若干の眠気を感じている。連隊長として初の実戦に、気負い過ぎたが故か……などとも思う。
ローター音を蹴立てて、UH-1汎用ヘリコプターの機影が指揮所の上空を通り過ぎる。遺体ではなく、前線で出た負傷者を後送する機影……それこそが、諏訪二佐が戦闘における勝利を確信した光景だった。
とにかく、連隊の全員が夜を戦い抜き、次の戦いに臨めることになったのだから――