第一三章 「地上戦突入」
ローリダ国内基準表示時刻12月8日 午後4時21分 首都アダロネス 第一執政官官邸
本国より数千リークを隔てたスロリアで、現地軍に襲い掛かっている混乱を知らないかのように、首都アダロネスの第一執政官官邸は華やかな雰囲気に包まれていた。
実際、アダロネスには前線を襲った惨状など知らされていなかった。さらに言えば当の政府自体、自ら進んで作戦の進捗状況を知ろうという意思に欠けていた。その頃、第一執政官官邸の広大かつ優美な造りの中庭で、第一執政官ギリアクス‐レ‐カメシスは国家の主だった重要人物、文化人、財界人を集め、盛大な茶会を催していたのだ。
庭園の上空を放し飼いにされた小鳥が、鮮やかな羽色を羽ばたかせ、設置されたテーブルの上には銀製の蜀台や食器が淡い輝きを放っている。エンデヴァス産紅茶の放つ甘い芳香が中庭一帯に漂い、壮麗を極めた庭園の所々で客人の放つ艶やかな談笑の声は、天界で戯れる天使のそれを居合わせた者に連想させた。
『まるで……戦勝祝賀会ではないか』
と、ルーガ‐ラ‐ナードラは茶を片手に、遠くで取り巻きの財界人と語らい合う第一執政官を見遣った。その眼差しに、暖かさは一片として含まれてはいなかった。
確かに、それはさながら早過ぎる戦勝祝賀会といった趣があった。この場にいる者はもとより、外部にいたる誰もがこの戦争に勝つことを既定路線として捉え(ナードラ自身もまた、それを疑ってはいなかった)、そのように振舞っていた。一例を出せば、キズラサ教会はノドコールにある聖堂を拡張し、ゆくゆくはスロリア全土に対する布教の本拠地とするべく多方面より寄付を募っている。また、戦後のスロリアにおける将来の経済活動の拡張を見越し、少なからぬ資産家や投資家、そして金融機関がそれら関連企業に出資を始めていた。
……だが、誰もが戦争後の事に関しては少なからぬ関心を示してはみても、現在進行形としての戦争には何等関心がないようなのである。それがナードラには笑止だった。
ナードラはといえば、彼女自身が起草した最後通牒の帰結としてのスロリアの戦争が、今現在どのような経過を辿っているのか少なからぬ関心があった。しかし、この場の誰に聞いてみても、それに関し色よい話は聞こえてはこなかった。
何故なら、誰もが知らないからである。
もしくは、誰もが勝手な戦勝を思い描き、戦勝を既定のものと考えていたのだった。勝つに決まっている戦争に関心を示す者など、この場には誰も居なかったのである。
勿論、この場にも客人として、前線の状況を知りうる中央の軍人が少なからず含まれてはいたが、その彼らにしてからか、植民地軍からの報告が未だ上がって来ないことを理由に口を濁すばかり……これは何も都合の悪い事実を隠しているというより、軍の運用に責任を持つべき彼らが、実際には前線の実相を掴んでいないことの現れであった。
「ナードラ……?」
背後から躊躇いがちに呼びかける声に、ナードラは振り向いた。ディーナ‐ディ‐ロ‐テリア‐ヴァフレムスが、ゆったりとしたシルクのドレスに身を包み、女神のような微笑をナードラに投掛けていた。
「ご主人……行ってしまったわね」
と、寂しげなナードラの言葉にも、ディーナは微笑を保ったままだった。
「止める訳にはいかないでしょう、立場上……」
「それ、冗談のつもり?」
少なからず驚き、ナードラは緑色の瞳を曇らせた。ディーナは笑い、言った。
「ロルメスは信念の人よ、止めても聞くわけが無いでしょう……何やかやと理由をつけて前線に行かないお偉方よりは遥かに立派よ」
「…………」
ナードラは頷いた。無理を圧して前線視察に戦地スロリアへ赴いた、ディーナの夫にして元老院の俊英ロルメスが全ての日程を終え帰ってくるのには、未だ時間があった。
「それにしても忌まわしきはニホン人……潜水艦まで使って罪無き人々を殺すとは」
「ロルメスは飛行機で帰ると言っているから、それは心配していないわ。ニホン軍の手も空まで届かないでしょうし……」
最後通牒の示した期限間際に起こった、「ニホン軍の潜水艦」の手による北スロリア沖の商船襲撃は、ローリダの国民をこれ以上に無く憤激させた。多くのローリダ国民がこの非道な敵対行為を最後通牒に対するニホン人の答えと捉え、ニホンへの徹底的な復讐を叫んだのである。
「ローリダ人の財産の破壊1に対し100のニホンの街をたたき壊せ。ローリダ人殺害1に対し老若男女を問わず1000人のニホン人を死刑にせよ」
事件を受け、ローリダの大衆紙「ルグレティラ‐ルーガ」はそう書き立てて大衆の敵意を煽った。もはや表立って戦争に反対する声は影を潜め、誰もが東方の蛮族に手痛い教訓を垂れてやらねばならぬと、本気で信じるまでになっていた。
ナードラですら思う―――――避けられぬ戦争を前に狼狽を覚えたからか、連中は最後の最後で最悪の選択をした。まったく連中は何を考えているのか。つくづく蛮族の考えていることはわからない。
だが彼らの愚行によって、今次の戦争推進に弾みがついたという事実は否定しようが無かった……そういう意味では、彼らニホン人には感謝するべきかも知れない。
口をつけたティーカップから、再び唇を離し、ナードラは言った。
「じゃあ、帰って来るのは年明けかしら?」
「……そうみたい」
ディーナの顔に募る寂寥を見たのは、そのときが初めてだった。彼女の夫は確かに有能で聡明な男だが、残された妻の苦悩を判っているのだろうか?……と、同じ女性として人事ではなく心配するナードラだった。
「…………」
さり気無く、ナードラは第一執政官の方へ視線を泳がせた。その彼女の瞳のはるか先で、相変わらず財界の人間や軍幹部と戦勝の分け前の話を続けているカメシスの傍に、彼の秘書が近付き、そして耳打ちする。
「……ドクグラム国防相閣下が、火急の御用と……」
個人秘書の囁きに、カメシスは頷いた。手を上げ、席を外す旨を執政官は告げた。
「諸君、所用が出来たので少し席を外すことにしたい。わしが居ない間にカネと事業の話をした者は……執政官の権限で死刑に処すぞ。わかったかな?」
満面の笑みとともに口に出た冗談に、一同は笑った。
場を和ませ悠然と向かった先は、談話用の一室。卓上の電話を取り、カメシスは国防相で執務中のドクグラムへと電話を繋いだ。
「わしだ。何じゃ? こんな時に……」
―――――数刻の後、先程の余裕は霧のごとくに消え失せ、カメシスは熱病に浮かされたかのように受話器を握る手を震わせていた。
「……それは、事実か?」
『はい……本官にも信じられませんが、事実です』
「…………」
蒼白と沈黙の後、カメシスは表情を一変させ、受話器に向かい怒声を上げた。
「何故現地軍はそれを報告しなかった!?」
『おそらく……失策を知られまいとする打算が働いたのでしょう。全くもって、度し難い連中です』
「うぬぅ……!」
カメシスは全身から飛び出さんとする憤怒を押し殺すかのように呻いた。本来ならこれは閣僚召集、さらには元老院にも諮りたい問題ではあったが、不幸なことにそのための時間を直ぐに取る機敏さはすでにカメシスからは失われていた。それに問題解決の場であるべき執政官官邸は茶会の真っ最中だ。この部屋から不穏な空気を漏らせば、たちまち大衆の不安と不信は重装歩兵の槍のごとくこちらに向いてしまうだろう。
「……それで、打つ手はあるのか?」
『前線に派遣した司令部付参謀の進言通り、すぐさま空軍を増派いたします。それと最寄の植民地からも早速……』
「よしよし、そうせい」
『執政官閣下。今のところ戦況は一進一退です。我が軍にはまだ強力な植民地艦隊と赤竜騎兵団が残されております。反撃は十分に可能です。必ずや、ニホン軍をスロリアより掃滅して御覧に入れましょう』
「ウム!……頼んだぞドクグラム」
電話を置いた後、カメシスは空気の抜けた風船のように椅子に座り込んだ。呆然と床の赤絨毯を見詰めるその目からは、一切の生気が消えていた。
おお神よ!……カメシスは頭を抱え込んだ。戦争初日、スロリア東方に先制爆撃を加えるはずだった植民地空軍が基地ごと壊滅! しかも今度は逆にニホン軍が空軍を駆使し我が軍の前線部隊に被害を与えている?……記憶の箪笥の何処をひっくり返したところで、彼が戦前にそのような想像をしたことは一度として無かった。
共和国国防軍は、無敵ではなかったのか!?……このときカメシスが抱いた驚愕を、後に多くのローリダ人が抱くことになるまで、時間は少ししか残されていなかった。
ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻12月8日 午後5時41分 旧首都キビル郊外 ノドコール駐留軍総司令部
日が沈んでもなお、植民地軍司令部の焦燥は深まり続けていた。
この半日間だけで前線部隊司令部の約半数が沈黙し、補給網及び通信網への被害は現在に至るまで加速度的に上昇している。日が沈めばニホン軍の攻撃も一旦終息するというのが司令部の参謀連中の観測だったが、刻々と入ってくる報告に接するにつれ、かえって彼らの空襲は一層その頻度と規模を増しているようにミヒェールには思われた。
それにも増してなお、ミヒェールが驚いたのは敵空軍の神出鬼没ぶりも然ることながら、彼らの爆撃が余りに正確で、一切の無駄もないことだった。彼らはあたかも事前にその目標の位置を知っていたかのように目標上空に出現し、彼らの投下する爆弾の悉くが狙った目標を正確に破壊している……あたかも、爆弾そのものが意志を持っているかのように。
敵が一切の無駄を出さない一方で、我が軍はじわりじわりと出血を強いられ、部隊によってはこれ以上の戦闘継続すら覚束ない隊も出始めていた。前線の未だ生きている通信網は補給の要請と後退の許可を打診する声でパンク寸前となっていたが、司令部はそれらの切実な声に対し、ひたすら黙殺を決め込み、ただ直情的なまでの徹底攻勢に拘泥している。
このままでは、敵の地上軍と戦闘を交えずして、我が軍は壊滅してしまう!……ミヒェールは作戦地図に走らせるペンを止め、若い憤りに頬を紅潮させて植民地軍の最高司令官であるはずの男を睨んだ。彼女の眼鏡越しの瞳の前で、ナタール‐ル‐ファ‐グラス大将は苦虫を噛み潰したような顔をそのままに、ただ司令部の作戦室を行ったり来たりするばかりだった。その間も些細な粗相をした通信兵を怒鳴りつけたり、引っ切り無しに煙草を付けたり消したりとその行動は一軍の将とはとても思えないほどせせこましい。
一方で参謀長 ノイアス‐ディ‐ファティナス中将は、前線部隊との連絡確保に奔走していた。比較的無事なスロリア中部の野戦通信網に直に指示を出し、所在が不明となっていた幾つかの部隊との連絡を確保することに彼は成功していたが、それとて大勢を動かす契機になり得るはずが無かった。それにしても、切断された電話線を繋ぎ直すようなことが、参謀長の仕事なのだろうか? 参謀の任務とは作戦を立案することは勿論、司令官を輔弼し、司令官の意思決定に有益な助言を行うことにある……とすれば、この初老の将軍は参謀たることをすでに放棄してしまったかのようにミヒェールには思えた。他の参謀もまた、大体同類。
――――そして、この場で何の権限も持たない自分もまた、同類ではないか!……ミヒェールは自分が情けなくなった。彼女の昂ぶる性格が、重苦しい空気の漂う中で突発的にそれを否定したい自分を前面に出し、激するに任せて後退を具申しようとミヒェールが司令官に向き直ったそのとき―――――
電話が鳴った。ベルの主たる通常の軍用電話より一回り大きいその電話機が、本土の軍総司令部直通のものであることを、ミヒェールならずともこの場の誰もが知っていた。つまり、遂に此方の窮状が本国に露見したのだ。
「…………!」
狼狽する参謀連を他所に、ミヒェールだけは別のことを直感した――――来るべきときが、来たのだと。そしてロートと共にこの部屋より追われたバーヨ大佐のことを思い出していた。情報が漏れるとしたら、彼からしかない。
ファティナスが、無言のまま傍らのホージ保安参謀に電話を取るよう促した。蒼白な顔で参謀長を一瞥すると、ホージは恐る恐る鳴り続ける電話に歩み寄り、震える手で電話を取った。
「……総司令官閣下。ドクグラム大将閣下よりお電話であります」
弛んだ頬を猪のように震わせ、グラスはホージより電話をもぎ取った。彼としては心持ち安堵を覚えていたのかもしれない。電話の主が彼の最高司令官たる執政官ではなく、身内の人間であることに。
『私だ……』
「ドクグラム……!」
『第一執政官閣下に置かれては貴公の不手際に甚くお怒りであらせられる。貴公が何故これまでのことを黙っていたかはあえて問わん。だが栄えある共和国軍人らしく誠意は見せろ。私の言っていることは……わかるな?』
「もちろん……判っている。我が軍は必ず反撃しニホン軍を撃破する。本職にはその確固たる信念がある!」
『その言葉を待っていた……今度は裏切りは無しだぞ? グラス』
「…………」
憤怒を募らせ沈黙するグラスを他所に、ドクグラムは続ける。
『……本国及び植民地より増援の空軍部隊を送った。これ以上の失策は許されぬ。有効に使うことだ』
「……わかっておる!」
電話の向こうで微かに笑う声を、グラスは聞いた。その瞬間に電話は切れ、グラスは受話器を叩き付ける様にして置いた。
「ドクグラムめ……!」
怒りに任せ椅子を蹴飛ばし、グラスは唸った。それでも意を決し、ミヒェールは自分よりも八階級も上の男の前に進み出た。
「閣下、これは好機です。前線の部隊を後退させ、戦力を再編成するための……!」
「どういうことだ? 中尉」
血走った眼をミヒェールに向け、グラスは言った。それにも気圧されることなく、ミヒェールは言う。
「ここで部隊を後退させてもアダロネスに弁解は可能です。空軍の増援を待つ形を取れば宜しいでしょう」
「なるほど……空軍の展開を待って攻勢に出たことにすればいいのだな?」
と、ファティナスが相槌を打った。ミヒェールが頷き、期せずして安堵の声が周辺から漏れる。この部屋の少なからぬ人間にとって、それは天啓のように聞こえたのに違いない。
……だが、全ては遅かった。
「私の眼が届かぬ間に、貴公らはここで一体何をこそこそとやっておるのか?」
いきなり開かれたドアの向こう側には、このノドコールで唯一のグラスの上司が、冷厳なまでの眼差しでグラスたちを見据えていた。
「総督……?」
植民地ノドコール総督デルフス‐リカ‐メディスは従卒を引き連れ、呻き声にも似たファティナスの呼び掛けを無視し、その長身を司令室の奥まで進めた。当然グラスにそれを咎め立てる権限など、無い。
「話は執政官閣下より聞いた。この痴れ者めが!……貴公らは何の怨嗟あって私の顔に泥を塗ろうとする?」
「……いずれはご説明しようと思っていたのです。総督閣下」
息子のような年頃の総督を、グラスは屠殺前の牛のような悄然とした上目遣いで見詰めた。それを跳ね付ける様に早足で作戦地図の前に歩み寄ると。メディス総督は厳かに言い放った。
「……貴公ら、この期に及んでまさか後退など考えてはいまいな?」
「…………!」
その瞬間、自分の献策が、もはや生きる未来を失ったことをミヒェールは知った。
「……というと総督閣下は……?」
「後退など有り得ぬ。下賎なる蛮族相手に何故光輝ある共和国国防軍が、神に選ばれしローリダ人が退かねばならぬ?」
「その通りです総督閣下。精強無比なるローリダ国防軍はすぐさま反撃に転じ、暴戻なるニホン人をスロリアより殲滅することでありましょう!」
進み出たホージ大佐の言葉に、メディスは満足気に頷いた。ミヒェールの隔意に満ちた眼など、彼は塵ほども意に介する様子は無い。
「……よろしい、グラス将軍、すぐさま全軍に攻勢を命じるのだ。彼等兵士が休む先は後方に非ず。占領地にしかない!」
「ハッ……!」
グラスは畏まるようにメディスに一礼した。だが彼が、この若き総督と今後の責任を共有するつもりで恭順を示したとは、ミヒェールには到底思えなかった。明らかに司令官は安堵していたのだ……いざという時の責任を転嫁できる相手を、自分の傍に見出したことに。
そして彼は放棄した――――ここから遠く離れた地に前進の夢を断たれ、敵の空襲下でただひたすらに指示を待ち続ける数万の将兵の命運を掌ることを。
スロリア地域内基準表示時刻12月08日 午後11時28分 スロリア亜大陸東部
『――――カエデよりヤマイヌへ……送れ』
「―――こちらヤマイヌ1、さらに西進するも依然敵影なし」
縦横に延びる蔦を切り裂き、踏み潰すようにして、それは闇夜の森をひた走っていた。
ルートが正しければ、上空10000メートルを飛ぶG-STARSの指示する敵中に既に入ってしまっている。
だが……実感は無い。その敵中にあることすでに二時間。その間人一人として敵の影を認めていないからだ。
後方の排気管より吹き上がる抑制されたディーゼルの炎と、高い車高を持った角張った図体の、覗き窓と思しき一角から覗く暗視装置の赤い光が、さながら獲物を求めて森を疾駆する肉食獣を連想させた。PKF地上部隊 陸上自衛隊第8師団幾下、第8偵察隊所属の87式偵察警戒車小隊長 中迫 篤 陸曹長は、戦術表示端末上のマップから眼を離し、赤外線暗視鏡を再び覗き込んだ。
緑のフィルターの掛かった視界は、鬱蒼と茂る木々しか映し出していない。そして目を凝らすにつれ、自分たちもゆくゆくはこの森の中に取り込まれてしまうのではないかという、不安のような感覚に囚われてしまう。
87式偵察警戒車は、本格的な威力偵察を想定し、敵との在る程度の戦闘能力を持った陸上自衛隊の主力偵察用装輪装甲車である。日本国内の地勢に適応した丈の高い車体と、それを最高時速100キロで疾駆させる巨大な六輪のコンバットタイヤは、狭隘な地形に於ける作戦には適しているのかもしれないが、車体の安定性の面でかえって劣るかもしれない。
武装は、砲塔部に25㎜機関砲と7.62㎜機銃を各一丁ずつ積み、さらに現地改修として87式対戦車誘導弾発射器一基を搭載している。これだけで、装甲車程度までは十分撃破できる装備だ。
また、データリンクの付与により、G-STARS地上警戒管制機とのリアルタイムでの情報送受信機能すら追加されていた。偵察隊はG-STARSの協力を得てスロリアの大地を移動し、的確な偵察情報を師団本部にもたらすことを期待されている。
やがて警戒車は森を抜け、開けた平原に出た。
風にさざめく草むらを踏み潰し、掻き分けながら、心持ちか速度が上がってくるのを感じる。
だが平地に出たら出たで、あたかも敵に裸を晒しているかのような不安は拭えない。遮蔽物の無い地形では、こちらは格好の目標だろう。それを避けるためには、こちらが早く敵を見つけ、二通りの行動を取るしかない――――即ち、ここから素早く退避するか、攻撃を仕掛けそいつを撃破するか……中迫は、前者を選びたかった。戦うことは偵察隊の本来の任務ではない。敵情を拾い、味方にもたらすことに我々の存在意義がある。
その一方で中迫は思う……戦争は、本当に始まっているのだろうかと。
西方への進撃が下令された今朝以来、中迫の隊はおろかPKFのどの部隊も敵手たる武装勢力の姿を見ていない。事前情報として断片的に判明した敵の装備、編成についてはさんざん教えられてきたが、それを実際に目にしないことには、明確に存在する敵と戦争をしているという感覚が湧いてこないのだった。
「…………?」
前方の森の一点に、微かに何かが光っているのを中迫は認めた。
最初は、味方かとも思った。無用心にも、灯火を点けて動いている……苦々しい思いとともに前進を命じ一喝でも入れてやろうかと向かった先――――
「…………!?」
「隊長……あれは?」
と、同じく照準用の暗視装置を覗きこんでいた砲手の木場三曹が、困惑したかのような表情を中迫に向けた。二人の暗視装置は、ほぼ同時に幕舎と思しき建物を映し出していたのだ。
敵陣……?
一気に吹き上がるアドレナリンに任せるまま、中迫は重苦しい声で命じた。
「微速前進……勘取られるな……!」
そして……部下の車両からも続々と報告が入ってくる。
『――――こちらヤマイヌ2、大規模な宿営地の存在を確認』
『――――車両を視認。兵員輸送トラックと思われ――――』
此方の存在は察知されてない?……だが、その次の報告が、中迫の想像をある意味越えていた。
『――――アベックと思しき敵兵の男女と遭遇……見付かった!』
「何っ……!?」
スロリア地域内基準表示時刻12月08日 午後11時38分 スロリア亜大陸東部 ローリダ陸軍第57師団 第125歩兵連隊野営地
宿営地は、丈の高い草むらに遮られすでに見えなくなっていた。
息せき切って、ナタス‐ドゥ‐サレス中尉は草むらへと駆けていた。
彼は一人ではなかった。後ろへ一杯に伸ばした手の向こうに、同じく彼から離れまいと手を延ばす女性を連れていた。二人の手はがっちりとお互いを掴み、逢引きの場である丈の高い草むらの只中を、二人は互いに後れまいと駆け抜けていた。
「ナタスッ……ナタスってば!」
恋人の看護兵、レリュシラ‐ダ‐ド-ネスの呼びかけに、ナタスは歩調を緩めて振り向いた。紅潮した頬は、何も息切れした故だけではない。振り向きざまのナタスのキスに、肩の力が抜けていくのをレリュシラは感じた……そして二人は、草むらの底へと沈んでいく。
通信施設が落雷にも似た敵空軍の爆撃で破壊され、後方の本部や友軍と連絡が取れなくなってすでに四時間……敵中に孤立したことへの絶望が、恋人達にかえってお互いを貪る欲望を掻き立てていた。
レリュシラを押し倒し、吐く息も荒くコートを脱がせるナタスに、レリュシラは言った。
「ナタス……結婚してくれる?」
「ああ……!」
力強く、ナタスは頷いた。レリュシラの哀願にも似た問いには、重大な意味があった。キズラサ教の影響色濃いローリダでは、結婚前の情交など神の意思に背く不道徳な行為とされる。だが、いずれ結婚するものと思えば、そのような罪悪感も少しは和らごうというものだ。ただ順序が違うだけではないか?
やがてナタスもまたコートを脱ぎ、レリュシラの上に覆いかぶさるようにした。重なる唇に、お互いは雲行きの怪しくなった戦況をしばし忘れる――――
「…………?」
唇を重ね合わせたまま、ナタスは目を動かした。何か途轍もなく量感のある何かが、不意に此方の傍に現れたようにナタスには思われたのだ。ややあって、恋人の異変に気付いたレリュシラが顔を上げ、そこで彼女の表情は固まった。
「何あれ……?」
「さあ……」
星々の瞬く夜空を背景に、その山のような何かは二人の間近で草むらの中に立ち尽くしていた。それが砲塔を持った戦車であることに思い当たるまで、ナタスには数秒も要しなかった。そして連隊には、あんなに角張った形状の戦車は配備されていなかった
考えられる可能性は、二人にとって最悪のものだと、ナタスは思った。その瞬間、レリュシラを抱く手に力が篭った。レリュシラもまた同じ。
扉が開く音がし、現れた乗員の影が、抱き合ったまま固まる二人を見下ろした。影から煌く二つの赤い光が、二人には怪物の出現を連想させた。
「…………!」
「…………!」
外の様子を伺おうと、87式偵察警戒車のハッチより顔を出した先……暗視装置の中には、草むらの中で抱き合う男女の姿があった。
こんなところで、一体何をやっているのか?
寧ろ驚愕したのは乗員の方だった。そして彼等が、PKF陸上自衛隊が初めて遭遇したローリダ兵であり、捕虜第一号となった。
スロリア地域内基準表示時刻12月08日 午後11時41分 スロリア亜大陸東部
「―――ヤマイヌよりカエデへ……敵の夜営地を発見。規模は大隊と思われる……位置は――――」
手早く報告を終えた後、中迫陸曹長は意を決した。
「前進よーい……前へ!」
全開にされたディーゼルエンジンの爆音は、さながら獣の咆哮。
全力で突き進んだ先に、目指す獲物があった。暗視照準機のピパーは、すでに一台の車両に向けられていた。敵に打撃を与え、敵戦力の規模と攻撃力を把握することに攻撃の真意はある。典型的な威力偵察だ。
「撃てぇーーーーーっ!」
ドドドドドッ……数珠繋ぎに放たれた25㎜機関砲の一連射は、闇夜を裂き軍用トラックの中に吸い込まれた。機関砲弾の弾着にトラックはその車体各所を貫かれ、次の瞬間には天高く断末魔の炎を吹き上げた。火柱は各所より起こり、四方に展開した味方の巧妙な浸透を中迫に伺わせた。
『―――こちら3、幕舎を破壊。次の攻撃に移る』
『―――こちらヤマイヌ4、捕虜を確保』
『4号、退避しろ。援護する!』
イヤホンの中で交わされる緊迫した遣り取りの中にも、中迫は自分でも驚くほど冷静だった。砲手が25㎜機関砲の射撃を続けている間にも、彼は砲塔から頭を乗り出し、暗視双眼鏡を手に周辺の敵情を伺っている。
『―――こちらカエデ(師団本部)、ヤマイヌ、状況報せ』
「こちらヤマイヌ1、われ現在敵部隊と交戦中! 敵車両多数撃破。捕虜二名を確保……送れ!」
『―――カエデ、了解した……これ以上の継戦は認められない。直ぐに交戦を終え、安全圏に退避せよ』
「了解……!」
覗き込む暗視双眼鏡の視界に、燃え上がる幕舎の間を蠢く人影が散見された。野営の各所からはこちらの襲撃に気付いた敵兵の射撃も始まっていたが、その多くは小銃で、方向もバラバラだ。彼らが此方の位置に気付くまでに、手早く撤退する必要を感じた。
「ヤマイヌ1より全車へ、われが援護する。全車後退し、安全圏まで退避せよ!」
期せずして全車より応答が入り、数秒間射撃を続けた後、中迫は操縦手に後退を命じた。
「全速で森に入るぞ。急げっ!」
一個小隊四両、それも軽武装の87式偵察警戒車では与えられる損害などタカが知れている。敵が体勢を建て直し反撃に転じる前に退避を終えておく必要があった。
……未だ戦闘の興奮冷めやらぬ中迫たちが、車内に充満する硝煙の臭いに気付いたのは、森に入って暫くが過ぎた後のことだった。
―――同時刻、偵察隊の報告を受取り、それに続く交戦を知った第8師団司令部は、色めきたった。何故なら幾下部隊の遭遇戦闘が期せずしてPKF地上部隊の、栄えある先鋒を飾ることとなったからである。しかしその後の対応を巡って、幕僚達の意見は二分された。
一方の幕僚はすぐさま進撃を主張した。大隊規模の野営地なら、8師の戦力を以てすればすぐさま確保できる。勝利の事実を既成のものとし、隊員の士気を高める上でもそれは大きな利点がある。
だが一方は反論する。G-STARSからの情報に拠れば、現在偵察隊が交戦した敵部隊からその他の、最も近い敵部隊まで距離にして20kmしかない。航空攻勢により通信の遮断に成功したとはいっても確保が敵に察知されるのに時間は掛からないだろう。この状況で師団の前進は、PKF司令部が現在禁じている全面交戦に繋がる恐れがある。
「…………」
喧々諤々の議論を、第8師団長 市丸 健夫 陸将は、沈黙の内に聞いていた。やがて全ての議論が出尽くし、静まり返ったところで彼は言った。
「我々が接近したということは、近い内に敵の知るところとなろう。それなら確保しようがしまいが、結果は同じである。防勢を固めるよりも、早急に前進し、敵を防勢に追い込むことこそ敵に与える衝撃もまた大きい……攻勢を本官は選ぼう」
前進は、決まった。
スロリア地域内基準表示時刻12月09日 午前一時四六分 スロリア亜大陸東部
日が変わるのと、前進命令が下されるのと同時。
暗闇に包まれた平原を、装甲車両の一団は進んでいた。
96式装輪装甲車及び高機動車、軽装甲機動車に便乗した第8師団の普通科隊員は、車内では意外なまでに饒舌であった。カネの話、食い物の話……そして、女の話。いかつい装甲車の中で、彼等が訓練のときでもこのような話をしているとは、一般人にはよもや想像すらつかないだろう。
だが……彼らの真意は一個分隊を与る島 亘 三等陸曹には判っている。初めての実戦に臨むに当たり、彼らもやはり不安なのだ。先年、アーミッドにおける武装勢力制圧任務に参加し、そこで初めて「本物の」戦闘を経験した島には、彼らの気持ちが自分のことにように思えていた。その隊員のいずれも一時間後、激戦の只中に置かれる自分を想像し、顔中を彩る真黒いドーランの裏に緊張の色を抱いていることは確かだ。
命令が下ってからは、その後の展開は早かった。
作戦としては、UH-1J4機に普通科一個小隊40名を分乗させ、対戦車ヘリコプター隊のAH-1S二機の支援の下これを敵野営地後背に進出させる。同時に普通科二個中隊250名を前進させ迫撃砲の支援の下攻勢を試み、敵地を確保する……それが、第8師団、ひいてはPKF地上部隊がここスロリアで初めて下した攻勢計画だった。
命令が下されたからには、躊躇するまでもなかった。もとより第8師団の隊員全員が進撃し、武装勢力と一戦交えることを熱望している。島三曹の分隊もまた、地上戦の勃発まで未だ時間があると言われていた頃から、訓練や鍛錬はもとより、装備の手入れに余念が無かった。
車列はなおも進み、分隊の木島一等陸士が言った。
「おい、聞いたか? きのう捕まった捕虜な、ヤッテルところを偵察隊に見付かったんだと」
「ヤッテルって……あれをやっていたんか?」
「そうさ、前線だっていうのに、お盛んなことさ」
「で……その捕虜は一人でやっていたのか?……それとも二人?」
「バカ、お前じゃあるまいし、ちゃんと相手もいたんだよ……女のな」
隊員たちは笑った。入隊以来厳しい訓練を潜っては来ていても、その笑顔は市井の若者のままだった。それは今年で三十を越え、近くで彼らの様子を見遣る島には微笑ましい。
『――――G-STARSより報告。目標地点の敵は撤収準備を始めつつある模様。車両及び人員が西方へ移動を始めている』
『――――ムササビよりカエデへ、われの目標を明確にせられたい……当隊の目標は敵地の確保か? それとも敵の追撃か? 送れ』
『――――カエデよりムササビ。貴隊の目標は敵地の確保である。追撃はするな、繰り返す、追撃は不要……』
スウィッチの入った無線機からは、中隊本部と師団本部との通信が引っ切り無しに流れてくる。車両の速度が落ち、さんざんに蛇行を繰り返した挙句に停止した。
始まる?……と、照明の落ちた車内で誰もが思った。戦闘が。
『――――ヒバリよりカエデへ、野営地上空に到達……敵影は認められない。分隊長判断によりラペリングの許可を要請……送れ』
出発時刻は車両隊より遅れても、やはり空から行った方が早い。車両隊と期を同じくして敵地上空に到達したUH-1J隊は大胆にも敵野営地のど真ん中に降りようとしている。
『――――カエデよりヒバリ……降着を許可する。対戦車ヘリはこれを援護せよ』
通信の最中に降車タイミングを示すブザーが鳴るのと同時に、島は命令を下した。
「総員下車、急いで散開!」
後部ハッチが開くのと同時に、冷たい外気が入り込んできた。それが、彼等が最初に嗅いだ戦場の臭いだった。
隊員は、駆け降りた。他の96式装輪装甲車からも続々と完全装備の普通科隊員が降車し、脱兎の如く周囲の平原に散開し闇夜に向かって銃を構え前進を始めた。
『―――こちら3号、宿営地に複数の熱源を確認……火災であると思われ……』
複数の人影は丘を駆け上り、やがてなだらかな丘の中腹からさらに先に広がる目指す敵地を見出す。反射的に身を伏せ、銃を構え直す彼らの携帯無線機に、先行したヘリ班の声が入ってきた。
『――――人影は認められない……無人だ。誰もいない』
「…………?」
島は傍に居た木島一士と顔を見合わせた……これはひょっとすると、罠ではないのか?
狐に抓まれたような顔もそのままに、意を決し、島は言った。
「よし……俺と二名来い。あとは接近し援護しろ」
島が駆け出すと同時に、すぐさま二名が追及してきたのは彼に安堵を覚えさせた。他の班でも同じ決断を下した分隊指揮官がいたと見えて、数名の人影が身を屈めながら野営地へ近付いていく。
その彼らの上空を、二機のAH-1S対戦車ヘリコプターが低空で航過して行った。
据銃の構えを崩さないまま、余影に紛れ緩やかな斜面を駆け上り、野営地まで20メートルを切ったところで島たちは身を伏せた。その姿勢のまま周囲に目を凝らす……うかつに前へ出るのは危険だ。ブービートラップが張られているかもしれない。
数刻をその姿勢のままで過ごし、周囲の安全を確認した後、島は背後を振り向き、二人の部下に合図を送った……お前達はここで待て、と。
ドーランに覆われた二つの顔が頷くのを確かめ、島は再び駆け出した。鼓動の高鳴りが、一層彼を疾走に集中させた。自身でも驚くほどの速さで敵陣の境界線を越え、半壊した天幕が眼前に迫ると、その近くで彼は歩を止めた。
「…………」
構えた小銃の銃身で天幕を剥がし、内部へ向かって彼は銃を構えた……その先は、無人。
溜めていた息を吐き出し、銃を構えたまま島は歩き出した。その先には、見渡すばかりに空っぽの幕舎が居並んでいた。その幕舎の一角、何かが蠢く気配を感じ、彼はそこで歩を止めた。
引き金に当てた指に、力が篭った。
踏みしめる一歩一歩が、重く感じられた。
延びた手が幕舎の入り口を掴み……そして引き摺り下ろした。
眼前に飛び掛ってきた黒いものに、反射的に島は銃を向けた。撃つまでも無かった。鎖につながれたそれは、島に牙を剥き吼えかけてもそれ以上のことを島になし得るはずがなかった。
「犬……?」
犬だった。それも巨大で、見るからに凶暴そうな。それでも吼えかけられる度に、沸き起こった安堵が鼓動を抑え始めた。
本当に、誰もいない……?
一息つき、島はマイクを抓んだ。
「こちら島……分隊全員来い。大丈夫だ……誰もいない」
やがて息せき切って駆けつけてきた部下達が集るのと、すでに降下を果たしたヘリ班と合流するのと同時。
ヘリ班の分隊長に、島は言った。
「人間はいたか……?」
ヘリ班の分隊長は首を振った。
「逃げたみたいだな。皆」
振り返ると、追及してきた分隊員が犬をからかっていた。仲間に置いて行かれた犬に憐憫の気持ちこそ示しても、行為でそれを表すには犬は余りに頑なで、性格が荒々しすぎた。
「戦闘になるかと思ったが……拍子抜けだな」
「まあ、人死にが出なかっただけ良かったですよ」
遠くから警笛の声が聞こえてきた。本隊の前進が始まったのだ。
遠方より轟く車両のディーゼル音、大部隊の足音、装備の擦れ合う音、上空を旋回するヘリコプターのローター音……急に周囲が騒がしくなるのを誰もが感じ、「戦闘」が終ったことを知った。
12月9日 午前三時四三分。第8師団はローリダ軍占領地の奪回に、PKFで初めて成功した。
スロリア地域内基準表示時刻12月9日 午前5時20分 スロリア亜大陸東部
……そして一方で、彼らの奇襲を受けた形となったローリダ軍125連隊、そして彼らの属する第57師団では、深刻なまでの動揺が広がっていた。
発端は、やはり第8師団偵察隊による突発的な野営地への急襲だった。突然の砲声と各所で上がる炎……孤立し、一切の補給を断たれた前線に身を置くローリダ兵たちが、それを単なる小兵力による威力偵察と受け止めるのには、前線に孤立した彼らの持っている情報はあまりに少なく、また士気も低下していた。
混乱は拡大し、連隊司令部は一連の急襲を敵の大規模な反攻が始まったものと誤認した。その時点で偵察隊による攻撃はすでに停止されていたのだが、連隊司令部のほうではその後の展開―――敵の主力による全面攻勢―――を想像し、急追してくるであろう敵主力より逃れるべく撤退を決断してしまったのである。その敵主力は、驚愕した彼らの脳裏では師団規模、或いは軍団規模にまで拡大していた。
そして撤退……否、それは撤退と呼ぶにはあまりに無秩序だった。「敵襲!」の掛け声とともに寝床から起き出した兵士の多くが装備を放棄し、我先に前線を放棄してしまったのだ。
――――5時20分。急報は着の身着のままで合流を果たした125連隊将兵により、後方に位置するローリダ国防軍第57師団司令部にまでもたらされた。
「ニホン軍の三個軍団が西進を開始……!」
報告が入った頃には、「幻の敵」の規模は三個軍団相当にまで拡大していた。当然、師団司令部は驚愕した。だが突然の戦闘に慌てふためき、不甲斐ないまでの敗走を喫した125連隊の司令部ほど、第57師団長 グラーフス‐フ‐ラ‐ティヴァリ少将は怯惰ではなかった。
「三個軍団もの大軍が、何処から湧いて出たというのか? 誤認である。我が師団は直ぐに体勢を整え、反撃に転じる!」
各所で通信が切断され、後方の補給集積所が壊滅してはいたものの、57師団には未だ継戦能力があり、全体的にはまだ将兵の士気も高かった。師団司令部では伝令を出して各隊の連絡を維持するとともに、すぐさま斥候部隊を前線に放ち全軍に戦闘準備を下令したのである。
「二個連隊を前進させ、すぐさま陣地を奪回する……!」
――――こうして、日本陸上自衛隊とローリダ国防軍陸軍との、スロリア方面における本格的な地上戦開始の下地は整えられた。