第一二章 「スロリアに自由の旗を」
日本国内基準表示時刻12月08日 午前7時54分 東京 総理官邸
総理官邸一階の、広大な記者会見室は、早朝から異様なまでの熱気に包まれていた。
スロリアでPKFによる軍事行動が始まったという話は、すでに彼ら記者の間に伝わっていた。従って彼らの間で今回の記者会見は、何か新しい発表を聞くというより、彼等が所属する関係各報道機関が独自に、もしくは共通のルートで得た衝撃的な情報の裏を取るための作業という意味合いが極めて強かった。従って民放の中には気の早いことにすでにテレビカメラまで持ち込み、現在準備中の報道特別番組に備えて記者会見を実況しようという準備すら始まっている。
さらには、同じような動きはすでに海を隔てたノイテラーネでも始まっている。
ここ数日中にPKFが動くという内部情報に基づき、国内外より多くの報道局がノイテラーネには集っていた。そして今日、すでに陸空の部隊で何等かの動きがあったことを多くが察知し、そのことに関してはPKF司令部もまた記者会見の設定を約束していた。それは現地司令部の動きが、本国の政府サイドとも連携していることの、何よりの証でもあった。
新藤 瑞希もまた、多くの記者たちと同じく記者席の一角に陣取り、会見の主が姿を現すのを待っていた。
キャリアはすでに20年、SNN(サンケイ‐ニュース‐ネットワーク)の、夕方の主力報道番組でキャスターを務める彼女が、この場所に足を踏み入れた回数は一度や二度ではなかったが、それでもこの朝の、この部屋の空気は彼女がこれまで知っているそれとは明らかに異なっていた。
「新藤さん、新藤さん……」
と、背後から囁きかける声に、瑞希は何気なく振り向いた。その先、競合する他局のアナウンサーが、戸惑いがちに瑞希に会釈していた。
「どうやら、大変なことになりそうですね」
「大変って、何が……?」
瑞希もまた記者会見で扱われるであろう内容が、国内外を揺るがすほど重大なものであることぐらいすでに想像が付いている。わざと惚けて見せたのは、他の民放局がこの件に関し何を、どのように認識しているのかを探る意図を持ってのことだ。
「戦争ですよ。戦争……向こうじゃ、ウチの専属が空港から発進する爆装した自衛隊機を撮影してるんですから。もしかして……おたくら、知らないの?」
瑞希は、わざとらしく嘆息した……幸いにも、どの民放も掴んでいる情報は此方と大して代わり映えしないようだ。否……地方局を通じて海自に報道クルーを送っている此方が、彼らより三歩ほど先を行っている。
「……うちの方も、報道特番の準備でおおわらわよ。上層部じゃ非番の人間まで呼び出して、二四時間体勢で特番組むって……」
「テレ東の連中、こんな大変な事態なのに、アニメと経済情報は普通どおりに流すんだって」
「まあ、彼ららしいわね。案外そっちの方が数字取るかも」
瑞希は苦笑した。日本経財新聞社系列下のテレビ東都は、他の民放とは一線を画した報道方針で知られていた。端的に言えば時流に流されない、確固とした報道姿勢を取る。それは場合によっては他局より抜きん出た数字―――視聴率の獲得となって現れるというわけであった。
「お互い、忙しくなりそうだね」
と、アナウンサーは言った。資料を捲る手を止めず、瑞希は素っ気無く応じる。
「そうね……あなたは、そうでも無さそうだけど」
「…………」
あっさりと話をはぐらかされた彼が憮然とする時間は、すでになかった。官邸付きの職員が、坂井 謙二郎 官房長官の入室を知らせたのである。
私語の乱れ飛んでいた室内は、忽ち水を打ったような沈黙に席を譲り、待機していたカメラが一斉に未だ主の現れない壇上の一点に集中する。それらの挙動を見届けたかのように、全校集会で生徒に訓戒を垂れる生活指導主任の教師宜しく、坂井 謙二郎 官房長官は謹厳実直そのものの表情と共に壇上に歩を標した。
状況がただならぬことは彼の様子だけではなく、周囲を漂う張り詰めた空気からしてすぐに判った。
昨夜から一睡もしていないのか、官房長官の顔には少なからぬ憔悴の色が見て取れ、握り締めた原稿は遠くから見てもなお、各所に加筆修正を繰り返した痕が痛々しいほどに目立っている。それが、場に集った皆の緊張を否が応にも高めるのだった。
「…………」
一言も発せずに壇上のマイクに向かい、記者席と原稿とを交互に見比べるようにすると、坂井長官ははじめて口を開いた。
『……内閣府発表。20××年12月8日。我が国は内閣総理大臣の権限を以てスロリア亜大陸に展開中の平和維持軍に命令し、現在スロリア東部を不法占拠する武装勢力に対し、実力を以てこれを排除することと決しました。遡る事午前四時未明、PKFはノイテラーネの各空港施設に展開した航空自衛隊機による武装勢力各航空基地に対する爆撃を敢行。空自派遣部隊は所定の目標をすでに達し、現下に至るまで任務を継続中であります。陸上自衛隊及び海上自衛隊派遣部隊も航空攻勢に呼応し、陸自派遣部隊主力はノイテラーネ領ハン-クット西方100キロまで前進。また別働隊が海上自衛隊の支援の下、スロリア亜大陸中部某所に強襲上陸、前進拠点を確保いたしました』
…………!
漣の如き騒然――――――その直後、怒涛の如く炊かれるフラッシュの砲列にも、坂井長官は動じなかった。すかさず、一人の記者が挙手し発言を求めた。
「今のところ、PKFに被害は……?」
『現在のところ、防衛省よりそのような報告は入っておりません』
「差し支えなければ、別働隊の上陸地点をお教え願えますか?」
『PKFの任務遂行上支障が生じる恐れがあるため、それは現時点ではお伝えできません』
一息つき、坂井は続ける。
『……ここで首相をはじめ政府が国民の皆さんに望みますのは、スロリアの諸情勢の変化に惑わされることなく、卒なく日常の業務に当たって頂きたいということであります。この戦争の、日常生活に対する影響は殆どありませんし、これからもないことを約束いたします。どうか国民の皆さんには、安心して日々の生活を営んで頂きたい』
一礼し、踵を反して壇上を立ち去る坂井に変わり職員が声を上げた。
『続けて、神宮寺 一 内閣総理大臣の方針演説が始まります。お静かに願います』
その壇上へと続く道すがら、坂井は神宮寺と擦れ違う。
「……総理、あとは宜しく」
「……うむ」
上衣のボタンを嵌めながら、神宮寺は頷いた。巌のような顔で一歩一歩を踏みしめた先に、落雷の如く注がれるフラッシュの束が待っていた。それにも怯む様子を見せることなく、神宮寺はマイクの束の前に向き直った。
『……過去十年に渡り我が国は、この異世界においてそれぞれの故郷より導かれ、境遇を同じくした周辺国との共存共栄を目指し、そのために構想され、推進された悉くを成功させてきました。それはこの世界に生きる何人もが認め、何人にも周知されている事実であり、寄る辺のない異世界における国際協調の精神は、現在のみならず将来に渡り我が国の国是であり続けることでしょう。
我が国はこの未だ全てが白日の下にない世界で、国土防衛以外を目的とした戦争に拠らない手段で名誉ある地位を占めようと日々勤めて参りました。だが、十年のうちに築かれてきた平和と協力の精神とその成果は、我が国とその周辺国に限りない悪意を抱き、暴力的な侵略の意図を持つ者により、いままさに脅かされようとしております。
私は国家間、民族間の相違を解消する方法としての軍事力に、決して信を置く者ではありません。しかし、虐げられた人々を援け、平和を取り戻す力を持つ者には、そのための力を行使する責任があります。平和を愛する民としての義務感より我が国は起ち、異郷の地において平和を収拾すべく戦う決意を固めるに至りました。
この世界の誰であろうと、自らの正義を押し付けるために無辜の人々を殺し、土地を奪う権利はない。
例えどのような信仰であろうと、他者の犠牲の上にしか成り立たない信仰は、その時点で愚昧なる因習に堕するのであります。
かつて、「転移」前の我が国にも、斯くの如き偏狭なる観念に取り付かれ、滅亡への途をひた走った時代がありました。その過程で多くの貴重なる人命が失われ、わが国も国家として必須であるべき多くを戦果の中で失い、その再建に多大なる時間と汗を必要としたのでありました。
困難なる再建を成し遂げ、日本を平和国家として再建させた先祖の経験から、私は声を大にして彼ら侵略者に言いたい!……あなた方自身が滅ぼした数多の人々や共同体と同じく、あなた方もまた、自らも知らぬうちに滅亡への途をひた走っているのだ……と。今次の戦いは、スロリアで苦境に喘ぐ人々を救い、スロリアに自由の旗を立てるための戦いであるのと同時に、彼ら侵略者をも自滅より救うための戦いでもあるのです……!』
神宮寺は、巌のような眼差しもそのままに眼前の報道陣を一瞥した。その視線の厳しさは、隅に控える職員に、質疑応答の時間を取るのを躊躇わせるほどだった。だが意を決し、彼は記者たちに告げた。
「只今より質疑応答を行います。質問する前に挙手をどうぞ……」
一瞬の沈黙の後、一斉に手が上がった。神宮寺はそれにも動ずることなく、考え込むように一人の記者を選び出す。
『――――新聞の石川です。今回の武力行使は、よほどのお覚悟を持っての決断とお見受けいたしました。武力行使への決断は……何時為されましたか?』
「今朝の四時です。私としてはこれまで最大限彼らに譲歩したつもりだが、その結果が昨日の宣戦布告だ。それでも、私は今朝まで彼らの変心を期待しておりました。彼らの浅慮はまことに遺憾であります」
やがて質問は次々に上がり、神宮寺は慣れた様子でそれらをこなしていく。
『――――今回の武力行使は、周辺国の容認を得ているのでしょうか?』
「これまで我が国は、ノイテラーネ及びエウスレニアなど近隣諸国と緊密な連携を以てスロリアの平和回復に当たってまいりました。今回の有事もまた、我が国にとってもこれら周辺国にとっても、過去五ヶ月間の協議の中で想定されたオプションの一つであります」
『――――過去五ヶ月間の自衛隊の転地訓練はやはり、その実際は有事に備えた動員だったのでしょうか?』
「PKFが展開したから戦争が始まったのではなく、武装勢力が侵犯してきたがゆえに、戦争は始まったのだと言っておきましょう」
『――――PKFの増派はあるのでしょうか? また、現段階でその可能性はありますか?』
「防衛省及び統合幕僚監部の基本計画の中に、そのような予定はありませんし、私自身もその意思はない。従って、増派はありません」
『――――PKF出動により、日本本土の防衛体制に間隙が生じることに不安の声もあるようですが、そこのところについてお伺いしたい』
「今月中には作戦は終了するものと私は考えております。作戦終了の暁には、部隊は主力から即座に本土へ戻します。スロリア以外に脅威の存在しない現在、外敵は十分に水際で食い止められると私は考えるが……」
……そして、最後の一人を神宮寺は指差した。
『SNNの新藤です。この事態に関連し、盟友を失った個人としての総理にお伺いしたく思います。個人的な感情……つまり、武装勢力に対する敵意が今回の決断を促したことを、総理は否定なさいますか? つまり……公人として自分は正しい決断を下したと、総理は今でも信じておられますか?』
「ふむ……」
一変し、穏やかな目で神宮寺は瑞希を見詰めた。そこに彼女が予想した不機嫌さなど、総理の表情の何処にも見受けられなかった。
神宮寺は、言った。
「……確かに、わしはこの一連の事件で掛け替えのない友を失った。今度の戦争でもわしの決断により、他の誰かの友人の命が少なからず失われることになるだろう。だからと言って、わしは今回の決断を決して悔いるものではない。何故なら、今立たねば、これより失われる友人の数は、さらに増すことになると思うからだ。
この場を借り、国民にお願いしたい。特にスロリアにいる若者達を友人に持つ方には是非祈って頂きたい。彼ら隊員が戦争を生き延び、無事自分の許に還って来ることを。喩え友人が二度と還らぬ身となったとしても、彼は友人たるあなた方のために戦って死んだのであり、同じく祖国で待つ友を持つ他の誰かの身代わりに尊い命を捧げたのだとわしは思う。そして友を失った者には義務がある。死んだ友の偉大なることを讃え、後世にまで友の偉業を語り伝えるという義務が」
『…………』
瑞希はもはや何も言えなかった。硬直する瑞希に、神宮寺は笑いかけた。
「これで……よろしいかな?」
一言も発することも出来ずに瑞希が頷いた直後―――――
パチパチ……パチパチパチパチパチ―――――
真っ先に拍手が上がったのは、外国人特派員専用の一角だった。感銘の拍手は渦となってたちまち記者席全体に伝染し、一方で原稿を纏めながらそれに眼を細める神宮寺は、すでに何時もの強面に戻っていた。
拍手に同調する様子など微塵も見せないその姿に、瑞希は彼の背負った未来の重く、胸に秘めた決意の固いことを思った。
ノイテラーネ国内基準表示時刻12月08日 午前9時33分 ノイテラーネ ディラ‐ヴィラ空港 PKF前線作戦航空基地
ナンギット‐イリ‐リアンが息せき切ってハン‐クットより海峡一つ隔てた国内線専用空港ディラ‐ヴィラに駆け込んだときには、特設プレスルームはすでに各国の報道陣でごった返していた。
「ナンギットさぁん……こっちこっち」
と、あらかた埋まってしまっていた席から呼ぶ声に、ナンギットは疲れ切った顔を綻ばせた。もとより立ち見はすでに覚悟していた。だが、レスティア出身の新聞記者で、数年来の友人であるグール‐ファイ‐ランが、自分の席まで確保してくれていたのは意外だった。
「大変なことになりましたね」
と、グールも驚愕の表情を隠さない。通信社の指示を受けるための大きなイヤホンで塞がれながらも、レスティア人特有の大きな、尖り気味の耳はつんと天井へ向かいそそり立っている。豊かな巻き毛は白く、高地羊のそれを見る者に思わせた。
「戦争を始めるのは簡単だけど、終らせるのは難しいって言うからね……」
「ニホンの総理大臣はすぐに終るって言ってるけど……」
「……さあ、どうかなあ」
とぼやきつつ、空港の風景をナンギットは思い出していた。通常運航を続ける民間の小型旅客機に混じり、爆装したニホン空軍のF-2A戦闘爆撃機が引っ切り無しに離陸する様子は奇異ではあったが、それと入れ替るように、爆撃を終えたクリーン状態の機体が着陸するさまは見る者に鮮やかさと豪快さとを印象付けていた。
もともと、ナンギットはここに来るつもりはなかった。だが、担当のフリーライターが急用で来れなくなった為、何時動くか判らない地上部隊で暇を持て余していた彼女にお鉢が回ってきた形だった。フリーである哀しさか、所属する通信社の要求は大抵飲まねばならない運命にあるというわけだ。
そして、地上部隊に留まった木佐慎一郎による、地上軍はあと三日は動かないだろうとの話をナンギットは信じた。
「おい始まるぞ……!」
声が何処からとも無く上がり、飛行服姿の一人の幹部が壇上に進み出るのを、報道陣は固唾を呑んで見守った。
「…………」
驚愕と興味との入り混じった視線の先を、幹部は淡々と歩き、マイクの前に向き直った。
濃緑色の飛行服の、上腕に縫付けられた日の丸と飛行隊の腕章が鮮やかに映えていたが、待ち構えていた記者たちの関心はそこにはなかった。短めの髪の毛に、がっちりとした体躯、首筋もまた戦闘機乗りに相応しいまでに発達してはいたが、飛行服を着ていたのは紛れもない女性。それが、彼らの興味を誘ったのだ。
三等空佐の階級章が、炊かれたフラッシュの前に銀色に光った。
――――そして空佐は一礼し、会見を始める。
『おはよう御座います。中部航空方面隊第6航空団 第306飛行隊の来栖です。只今よりPKF航空部隊による第一次攻撃の概要説明を執り行います』
そう言って、三佐は会場を一瞥した。その眼差しの鋭さに、少なからぬ人間が彼女を只者ではないと直感する。沈黙を了解と受取ったのか、三佐は口を開いた。
『PKFは空自による航空掃討作戦の第一段階をすでに終了致しました。この結果、スロリア東部より中部に至るまでPKFは制空権を確保することに成功しております。そして現段階でありますが、主に目標を地上の武装勢力補給施設及び通信施設に絞り、誘導爆弾等を使用した精密対地攻撃の段階に移っており、これも現在に至るまで殆ど無傷の内に遂行されております。では……こちらを御覧下さい』
背後に据え付けられたプラズマ式の広角ディスプレイを、来栖三佐はポインターで指し示した、スウィッチが入り、記者たちの前に照準点と複数の数字の羅列が覆う飛行場のモノクロ画像を映し出した。作戦機から捕捉した武装勢力の飛行場だと、その瞬間多くの人間が思った。
「ニホンの戦闘機には、テレビカメラも付いているんですね」
「違うよ、あれは多分……レーダー画像だ。テレビカメラよりもっと上等な代物さ」
交わされる記者たちの囁きを他所に、空佐は続けた。
『航空自衛隊は、GPS誘導により、半径10メートル以内の誤差で目標に命中する爆弾を保有しており、目標の効率的な破壊と人道的な配慮から、これらの兵器を敵航空基地攻撃に大量に投入しております。この画像は、第一回攻撃の際に作戦機より敵の地上目標を捕捉したものです。爆弾投下まで後五秒……四……三……二……投下いま……!』
目標の像が次第に接近拡大し、滑走路に居並ぶ航空機を判別できるまでに接した瞬間。飛行場全体を百雷が落ちたかのような発火と土煙が覆った。
「…………!」期せずして、記者席から驚愕の声が上がる。
『第一段階では、敵の航空戦力を地上に在るうちに叩くことに主眼が置かれました。事前準備として敵の防空網破壊もまた先行して行われ、多大な戦果を収めています。次にこちらを御覧下さい……これは、上空より敵のレーダー施設を捕捉したものです』
モノクロの、ややノイズ交じりの像――――その中で巨大な虫取り網を思わせるアンテナが、やや乱れ気味のレーダー画像の中で回転している。だが、捕捉している側がそれに勘付かれたような素振りは全く見えなかった。そして……
上空から降り注がれた二条の光の矢がアンテナの土台に突っ込むや否や、アンテナは土台から爆発を起こし、積木のように崩れ去った。
『これは、レーダー波追尾ミサイルによる攻撃ですね……』
「クルス少佐も、攻撃に参加されたのですか?」との質問の声に、彼女は淡々と答える。
『……私は、北部飛行場攻撃時の作戦班長です』
期せずして会場を揺るがすかのような動揺の声が上がった。あるいはその抑制の効いた説明に、好感を覚えた者もいたのかもしれない。
すかさず、ナンギットは挙手した。
「今後の作戦予定をお伺いしたいのですが」
『空自派遣部隊は現在進行中の第二段階作戦を終了後、直ちに進攻する地上軍の支援に移ります。今後の目標は敵野戦軍ですから、精密誘導爆弾よりむしろ大型の、通常誘導型の爆弾が多用されるでしょう』
「大型の通常誘導型なんて上手い言い方するな。要するにクラスター爆弾とかナパーム弾のような広範囲攻撃兵器を使うってことだろ」
と、近くで囁かれる声をナンギットは聞く。
応答の後に再び広がる静寂――――来栖三佐は静まり返る周囲を見回し、言った。
『概要説明は以上を持ちまして終了です。次期開始時刻は今夜1930に予定しております……では、ご静聴有難う御座いました』
会見はあっけなく終わり、席を立つ記者たちで再び喧騒に包まれる会場の中で、やはり自身もいそいそと身支度を始めるナンギットを、グールは怪訝な表情で見詰めた。
「急ぎですか?……一緒にランチでもと思ったのに」
「雇われライターは辛いのよ。普通の記者のような休みもそうそう取れないんだから」
「じゃあ、またハン‐クットに?」
「あんたも来る?」
と、意地悪そうな笑みを浮べるナンギットを、グールは引き攣った笑顔で見詰めた。
「ぼくは……編集会議がありますので」
「じゃあねー」
颯爽と会場から駆け出すナンギットを、若者は微笑ましさを含んだ苦笑とともに見送るのだった。そのとき――――
―――――何処かから、離陸に向かうジェットエンジンの金属音が爆音に変わり、やがて蒼穹の一点へと消えて行く。
スロリア地域内基準表示時刻12月08日 午前10時23分 スロリア亜大陸中部上空
――――雲海を飛び越える爆音。
一回目に飛んだとき低く垂れ込めていた灰色の雲は、二回目では沸き立つよう層雲に居場所を譲っていた。
一回目は、早朝の気象観測飛行。
西部航空方面隊第8航空団 第304飛行隊所属のF-15Jイーグル要撃戦闘機パイロット 永瀬 宗佑一等空尉が気象を報告し、基地に機体を滑り込ませるのと前後して第一次攻撃隊は発進した。
第一段階の航空作戦において、304飛行隊は予備戦力としてひたすらに待機を命ぜられてきた。予備戦力確保の必要性も然ることながら、他部隊に比して展開が後れたことも影響していたのかもしれない。
二回目のフライト――――304飛行隊のこの武力行使における最初の任務は、スロリア中部まで進出してのCAPだった。ノイテラーネ側の航空管制に従って離陸後、スロリア東部上空に展開するコールサイン「フクロウ」ことAWACSの指揮下に入り、「フクロウ」の導くままに優位な位置から敵機を邀撃する。
待ち焦がれた実戦任務への参加は永瀬たちにとっても嬉しかったが、それでも競合する203飛行隊に戦果の面で遅れを取ったという悔悟は否めない。第203飛行隊は緒戦の直援任務において在空の敵戦闘機と交戦、二機を撃墜し損害ゼロ、意気も大いに上がっている。こちらも彼らに追いつき追い越したいと思う永瀬だった。
永瀬の直属する二機のF-15Jは層雲を潜るように飛び、それから距離をだいぶ置いて。もう二機が主翼を接して雲の森を突き進むように飛んでいた。永瀬自身F-15Jの操縦桿を握ってすでに一〇年。もとよりF-15Jの操縦桿を握っている限り、どんな敵機が来てもそれに打ち勝てる自信はある。
高度24000フィート。速度650ノット。主翼下と胴体中央線に取り付けた増加タンクは重く、機体の挙動をいくらか鈍重にしていた。
武装は胴体下にAIM-7Mスパロー中距離AAMが四発。主翼下ハードポイントにAAM-3短距離空対空誘導弾が同じく四発。単純に考えればこれだけで計8機の敵機を撃墜できる計算になる。またF-15J自体固定武装として20㎜M61A1バルカン砲を右主翼付根に一基搭載する。
地上に存在するあらゆる戦闘機を圧倒できる制空戦闘機―――――それが、F-15の開発時の目標だった。そして「前世界」のあらゆる実戦の場で、F-15は結果を出し、度重なる近代化改装を経るとともにその圧倒的強さを実証してきたのである。
F-15Jの幅の広い主翼は、低アスペクト比に起因する良好な操縦性及び俊敏な運動性を生み出し、二基の搭載エンジンは最大10840kg。機体重量以上の推力を叩き出し、たちまち敵機の追尾の及ばない空域まで機体を導くことが出来る。高出力エンジンはまた、ほぼ垂直に近い姿勢での上昇、さらには離陸すら可能にしている。これはF-15が離陸から数分のうちに有効な邀撃戦闘態勢を整えられることを示した。敵に対し迅速かつ優位な戦闘体勢の確保は、分単位で推移する現代の航空戦で勝利を得る上で必須の要素だ。
その策敵レーダーもまた強力だ。搭載するAPG―70パルス‐ドップラー‐レーダーは探索、策敵の状況によって精度及び走査距離を切り替えることで、16kmから296kmの範囲において優れた識別を得ることが出来る。レーダーはまた下方の目標探知/射撃能力をも持ち、低空より侵入する敵機への対処も可能だ。
「転移」後の日本において、F-15Jは就役からすでに30年以上の月日が過ぎていた。その間イーグルはアビオニクスなど日本独自に度重なる機体改修を経て熟成され、多くの用兵者や戦闘機乗りを満足させてきたが、忍び寄る老いは確実に迫ってきていた。
――――CAPに付いて、すでに二時間。
ダイヤル式の燃料計に、永瀬はさり気無く目を凝らした。ノイテラーネの空港より進出すること700kmあまり。そして警戒のため同じ空域を行ったり来たりすること二時間……そろそろ燃料の心配をしなければならない。
「…………」
顔の下半分を覆う酸素マスクに反響する、落ち着いた息遣い。
層雲の麓には、見渡す限りの雲海が広がっていた。
こうやって見下ろしていると不思議な気分がする。今自分が眼にしている雲海こそ、大地であるような錯覚に陥るのだ――――異世界の上に広がるもう一つの異世界……その言葉が思い浮かび、永瀬は苦笑する。その雲だけの異世界は、イーグルの操縦席から臨む全周360度にわたって広がっている。それ位F-15Jの視界はよく、操縦席に腰を下ろした姿勢では、あたかも空の上に放り出されたかのような感じを受ける。
時計は、あと五分で交替が来ることを教えていた。
永瀬は息を吐きながら瞑目する……今日は、何の成果も無さそうだ。
そのとき……
『フクロウよりマリオ‐リーダーへ、不明機8機が警戒空域に入った。方位2-3-7。高度18000。対処せよ』
「―――マリオ、リーダー了解」
来たっ!……心臓が踊り出すのを、永瀬は覚えた。
同時に、眼前のHUDに矢印の輝点が浮かび上がり、F-15Jが向かうべき方向を指し示した。AWACSはデータリンクにより、その管制下にある味方機のコックピットパネルに自動的に目標の方向を指し示し、パイロット自身の判断により機体を誘導させることが出来るようになっていた。パイロットは、あとは現れた輝点がHUDの真ん中に入るように機体を飛行させればよい。
間隔を置いて付き従う列機に、永瀬は指示を与える。
「―――隊長機より全機へ、これより接敵する……!」
『……ツー了解』
『スリー……』
『フォア!』
イーグル各機は一斉に主翼を翻し、間隔を開いて層雲の間へと機首を向けた。輝点がHUDのベロシティ‐ベクターに重なり、加速したイーグルのコックピットで、下に広がる層雲が永瀬の眼前で過ぎ去っていく。同時に、このとき初めてレーダーを起動させる。自機からレーダー波を出さなかったのは、こちらの発するレーダー波を敵機が感知し、かえってこちらの存在を気取られるのを避けるためだった。
操縦桿のレーダー波変換スウィッチを押す指、スロットルレバーのレーダーレンジ調節用ダイヤルを回す指が、索敵に最適なモードをレーダースクリーンに導き出す。そして……
「こちら隊長機、レーダーに不明機を捉えた……方位0-9-7。距離75。高度17……」
AWACSの誘導は完璧だった。敵機は下方……喩え敵機が自機より下を飛んでいても、F-15Jの搭載する策敵レーダーは自動的に地表乱反射を処理し、敵機の機影を明快な四角の点として映し出していた。
その数8、4機ずつが二群になって永瀬たちの前方を飛んでいた。眼前を塞ぐ絨毯のような雲など、レーダーの前では関係がなかった。
敵は?……おそらくこちらに気付いていない。
「―――全機へ、航空戦闘機動準備。増槽を捨てろ」
『了解……!』
一瞬の間を置き、各機の両翼下より投棄された燃料タンクが、クルクルと回転しながら空の向こう側を流れていく。これで、イーグルはだいぶ身軽になった。
同士討ちを避けるため、レーダーで質問波を送る……応答があればスクリーン上の四角い輝点はダイヤモンド状に変わるはずだが、変化は無かった。この瞬間、永瀬は覚悟を決める。目を凝らしたレーダースクリーン上の敵は、こちらのレーダー波を感知した素振りも見せない。
……その瞬間、不明機は敵機となる。
「……スリー、フォーは後方の四機をやれ。こちらは前方をやる」
『――――スリー、了解』
『――――フォー……』
緊張に満ちた響きを、イヤホンから聞いたように永瀬は思った。
スロットルを開いてはいないものの、身軽になったせいか距離は詰っていく。目標との距離が50マイルを切った時点で、永瀬は慎重に隊長機と思しき一機を選択し、ロックオンした。武装は、予め中射程ミサイルを選択している。
HUDに正方形の目標指示ボックスが現れ、敵機のそれと思しき位置で止まり点滅した。中距離誘導弾の射程に敵機を捉えた証だった。TDボックスの中には敵機の速度、相対距離まで表示される。まさに至れり尽くせりの戦闘機!
シーカー固定……ミサイル安全装置解除……距離はすでに25nm。
そのとき、永瀬は眼下に棚引く幾重もの白い尾を目にした。敵機の航跡だと直感した。冷え切ったこの空では、低い高度でも容易に飛行機雲を曳いてしまう。
TDボックスの下に、三角形のMRMシュート-キーが出た。それが発射の合図だった。
『――――隊長機、中射程空対空誘導弾発射……!』
ミサイル発射ボタンに触れた指に、力が篭った。轟音とともに白い尾を曳き、AIM-7Mスパローが軌道を描き、肉眼では未だ見えぬ獲物へ一直線に突っ込んでいく。それでも、セミアクティヴ誘導方式のスパローでは、発射母機がレーダーで目標を照射し続ける必要があった。これが新しい型のAAM-4なら……と思う。
アクティヴ誘導方式のAAM-4は、弾体のシーカーが発する索敵波の、目標への反射を感知し追尾、命中する。つまり、発射後は母機がレーダー照射を続ける必要が無い「撃ち放し式」ミサイルだ。これは迅速な多数目標撃破、そして一撃離脱を行う点でAIM-7よりも有利だった。
……だが、永瀬機にはそれは搭載されていなかった。空中戦で威力を発揮するはずのこうした新型ミサイルは、殆どが攻撃を担当する支援戦闘機隊に防御用として回されている。
―――――レーダー照射に従い、レーダースクリーンの中でスパローと敵機との距離がみるみる詰り、目標と重なった瞬間。
「……!」
永瀬の眼前で、何かが光った。
HUDに「撃墜」の表示が出るまでも無く、すでに被弾し吹き飛ぶ敵機を確認できるまでに彼我の距離は迫っていた。すかさず、指先の動きでモードを短射程ミサイルに切り替える。AAM-3のシーカー範囲を示す円型が現れるのと、シーカーが一機の敵機を捉えるのと同時。
同時に永瀬機の至近で、炎の花が咲いた。
『ツー……一機撃墜!』
その報告に、二番機早乙女二尉が、スパローで敵二番機を葬った事を知る。一方で永瀬機のHUDにはすでにTDボックスとシュート-キーが現れ、反転上昇に移る敵影を捉えていた。反射的にミサイル発射ボタンを押した。まさに訓練通り!
「……短距離空対空誘導弾発射!」
勢いよく放たれたAAM-3空対空短距離誘導弾は一発、高い機動力を持ち、目標と外気との摩擦熱を感知し目標へ向かうシーカーを持つAAM-3から敵機が逃れる術など無かった。
一秒も満たずしてAAM-3は敵機の左主翼を食い破り、大きく二つに飛散した敵機はそこで同時に爆発した。
「ツー、何処にいる?」
勝利の余韻に浸る間も無く、永瀬は周囲を見回した。イヤホンに飛び込んできたのは、マイクボタンの「カチカチ」という音。それは敵機の追尾に夢中になっているが故か、それとも……
索敵のため逆落としになったコックピットから仰いだ空の一点で、永瀬の眼は止まった。二番機の早乙女機は、一機の敵機を機首でつつかんばかりの近距離で追いまわしている。あんな距離では、ミサイルはおろかガンも撃てない。撃ったところで巻き添えを食ってこちらも墜落してしまう。
「ツー、このバカ! もう少し距離を取れ」
余裕の故か、罵詈雑言すら永瀬の口から出た。これでは訓練と同じだ……否、訓練よりはるかに楽!
『ツー……ラジャー』
と、沈んだ声が応じる。本人でも頭に血が上っていることに気付いたのかもしれない。早乙女に付き添うかのように合流し、永瀬は機体を寄せた。
そこで、眼前を必死に逃げ回る敵機に、改めて目を凝らす。縦にエンジンを二基配置した、円筒形の胴体に後退翼の機体。それは永瀬に防衛大学校時代に図鑑や写真で見た「前世界」の旧型戦闘機、MiG-15か19を連想させた。
「…………」
こんな戦闘機で、おれたちに戦いを挑もうとしたのか?……永瀬は愕然とした。これでは……勝って当然の相手だ。彼我の間には越えられない壁ほどの性能の差がある。
やがて……敵機と追う早乙女機との間が開いた。ミサイルを撃つには絶好の距離!
『ツー……フォックス‐ツー!』
早乙女機の翼下が煌き、AAM-3の矢型が、封印から解かれたように飛び出した。一直線に伸びた白い軌道はそのまま敵機の尾部に突っ込み、敵機を四散させる。
『ツー……スプラッシュ』
早乙女二尉の弾んだ声とともに上昇……そして高度30000で姿勢を回復する。周囲を見回したが、敵味方を問わず機影は見受けられない。
「……隊長機より全機へ、こちらは全機撃墜。スリーとフォーは返事をしろ」
『スリー……二機撃墜』
『フォー……一機撃墜。一機失探した』
よかった。全機無事か……嘆息とともに彼らに集合を命じ、永瀬はAWACSを呼び出した。
「マリオ‐リーダーよりフクロウへ、全機無事。燃料が尽きる前に帰還したい。周辺の状況知らせ」
『こちらフクロウ。一機の敵機が空戦域を離脱中。深追いせず、基地に帰還せよ』
「了解……」
永瀬が再び周囲に視線を凝らした時、列機は全て集合を果し、四機は見事な密集編隊を作っていた。酸素マスクの中で永瀬は笑い。指示を出す。
「こちら隊長機、全員よくやった!……基地に帰還する」
その永瀬編隊の横を、交替に駆けつけたF-15J四機が、飛行機雲を曳きながら通り過ぎて行った。同時に先程から自分の方を注視している早乙女二尉を認め、拳を振り上げて叱り付ける振りをする。あんな相手に梃子摺るとは何事だ……とばかりに。その早乙女二尉はヘルメットを掻く素振りもそのままに、恐縮しきりのようだ。
だいぶゲージを減らした燃料計を見遣りながら、永瀬は思った。この分だと、還ってからのヴィクトリー‐ロールはお預けだな……と。
――――空戦は、終った。
12月8日。この日の空戦は、PKF航空自衛隊とローリダ空軍との、初の本格的な遭遇戦として記録されることになる。