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第八章 「最後通牒」


日本国内基準表示時刻11月14日 午前10時21分 東京 総理官邸



 講和条件


・日本は、ノイテラーネ及びスロリア大陸に有する全ての影響力を放棄せよ。

・日本は、ローリダ共和国に対する全ての反抗を停止せよ。

・日本は、その保有する軍事力を削減し、ローリダ共和国の管理下に置かしむべし。

・日本は、今後ローリダの開戦許可の手続き無しに戦端を開いてはならない。

・日本は、今後ローリダ共和国の推奨する内政顧問を採用し、一切の内政、財務体系をその管制下に置かしむべし。

・日本は、今後ローリダ共和国の派遣する徴税官以外の徴税機構を停止、もしくは廃止すべし。

・日本は、スロリア大陸及び日本本土におけるキズラサ教布教の自由を認めるべし。

・今次の周辺地域にまたがる騒乱の責任の全ては日本にある。日本はそれを認め、ローリダ共和国に謝罪し、賠償金5000億デュールを支払うべし。

・もし、日本が上記の条項を拒否したる場合、ローリダ共和国は相応の対抗手段をとる。


 これは、どういうことなのだ?


 先日になって知らされ、文書化された「武装勢力」の提示した講和条件の文面をじっくりと見返すこと三度。文面を睨む自分の目に狂いの無いことを確信した内閣総理大臣 神宮寺 一は頭を上げ、招集された閣僚の居並ぶ円卓の周囲を、我に帰ったかのように見返した。


 「…………」


 利かん気の強い頑固老人そのままの、苦虫を噛み潰したような顔は、普段の彼の表情と何等変わらなかったが、その時ばかりは胸中奥底から沸き起こる溶岩のような感情が、彼の表情に一層の凄みを与えていた。彼と隣席の前自民党国対委員長にして、現在は神宮寺内閣の官房副長官 蘭堂 寿一郎は、そんな彼の表情に、尋常ならざる感情の発露を見たように思ったほどだ。


 ……そして、神宮寺は円卓の一隅で眼を留めた。


 「本多外務大臣……!」

 「ハッ……!」


 血相を欠いた顔色もそのままに、弾かれたように神宮寺に向き直ったのは、与党自民党と連立を組む共和党出身の、本多 栄太郎外務大臣だった。


 「この講和条件の文面は、一字一句、本当に間違いがないのだな?」

 「間違いございません。いささか非礼であるとの観は免れませんが……」


 と、彼もまた、提示された講和条件の内容に困惑の表情を隠しきれていない。外交に関しては強硬派揃いの共和党でも知性派とされ、外交では横死を遂げた河前首相の融和外交路線を継承した神宮寺に、これまで一言も異議を挟まず従っている彼にしてからか、ローリダより提示された講和条件は過激にして度を越えて強硬であるように思われた。


 神宮寺は吐き捨てた。


 「こんなものは、非礼を通り越して横暴というのだ」

 「総理、身内の恥を晒すようですが、外務省内では送付された当初その文面のあまりの過激さゆえ、一部融和外交派が内容の改編もしくは隠滅を図ろうと画策したほどです」


 それを聞いた瞬間、神宮寺の石炭のような目の奥底で、何かが弾けた。テーブルを叩き、神宮寺は烈火のごとく怒鳴った。


 「そのろくでなしどもは、今どうしている!?」

 「はっ……現在私の権限を以て役職を解き、自宅謹慎を命じてあります」

 「懲戒免職だ。一歩間違えれば、我が国は知らぬ間に彼らの要求を呑み、奈落の底へ堕ちるところだったのだぞ!」

 「……ハッ!」


 恐縮仕切りの外務大臣を睨む神宮寺の肩が、荒い呼吸に目に見えて上下していた。年甲斐のない激発に身を任せ、椅子にもたれかかる総理大臣を見守るように視線を注ぎながら、官房長官 坂井 謙二郎が嘆息と共に言った。


 「これではっきりとしましたな。連中には、始めから交渉の意図など無い。我が国に戦争を仕掛ける腹積もりです」


 神宮寺は頷いた。彼に言われずとも、文面だけを見れば彼等が最終的に目指すものが日本本土に対する侵略であることぐらい、小学生でも理解できるだろう。


 他の閣僚からも、声が上がった。


 「彼らに要求の撤回と修正を要求すべきだ。これをどう国民に説明すればいいのか?」

 「いや、この内容を大々的に報道させるべきだ。国民に彼らの非道なる意図を、国民誰もが知らぬ者がないくらいに知らしめるのだ」

 「しかし何故だ?……何故、彼らは我々を目の仇にするのだ? 今になって考えてみれば、最初からそれが腑に落ちない。これまでの外交政策で何か彼らの反発を招くようなものがあったか?」


 と、蘭堂は腕を組み、顔を曇らせた。本多外相が、真摯な表情で蘭堂に向き直った。


 「とんでもない。『転移』以来十年、我が国と彼らとの間には外交を始めあらゆる分野で接触を持った記録すらありません。あったとしても、それは根拠の無い彼らの言いがかりに過ぎない」

 「桃井大臣……」


 神宮寺は、桃井 仄防衛大臣に目を細めた。


 「君は、どう考える?」


 桃井は軽く頷き、神宮寺に向き直った。


 「彼らの真意はどうであれ、一連の事件及び折衝から伺えることは唯一つ……日本は、狙われているということ、その一点に尽きます。ですが彼らの挑発に乗り、こちらから濫りに戦端を開いてよいものでしょうか? 我々を挑発し、先に軍事行動を起こさせ、不倶戴天の敵に仕立て上げた上で戦争に臨むのがおそらく、彼らのやり方でしょう。そして現在、我々が彼らの画策通りに動きつつあるのだとしたら……」

 「だが君は、戦争は不可避と言って憚らなかったではないかね?」

 「戦争を回避しようとは言っていないし、回避はもはや不可能です。ですが、我々には我々に相応しい戦争の始め方を考えるべきです」

 「つまりそれは……向こうから先に手を出させようというわけか?」


 蘭堂が言った。桃井は硬い表情のまま頷いた。だが蘭堂はそれに同調せず、頭を振った。


 「それは賭けだ。危険すぎる賭けだ。もし彼らの第一撃で、スロリアの部隊が反撃不可能なまでの損害を蒙れば……全ては水泡に帰すではないか」

 「その点に関しては、ご心配なく。何も彼らの第一撃を実際に受けるわけではありません。彼らのその意図を事前に察知し、受けて立つという形に持っていくのが理想です。それに、現在の自衛隊にはそれらを可能とするだけの能力があります」

 「君の考えは、よくわかった」


 神宮寺は頷き、続けた。


 「回答期限は来月初旬……それまで、この文面について我々だけが話を持つことはあるまい」

 「では、国会に……?」


 神宮寺は苦笑した。そして講和条件の文面を円卓に放り出す。


 「もちろん、諮るさ。何のための国会だ。彼らの理不尽な要求に対し、日本国民の意思を示す必要がある。坂井官房長官……」

 「はい」

 「午後の定例記者会見で、この文面を公表するのだ。正直国民の反応は見たくないが、我々には事実を伝える責任がある」

 「ハッ……!」




ローリダ共和国内基準表示時刻11月14日 午前10時36分 首都アダロネス中央 アダロネス大競技場 剣技練習場


 軽妙なステップの響きと攻守の息遣い、そして縦横無尽に振り回されるサーベルの克ち合う音に、そこは支配されていた。


 共和国ローリダにおいて剣技は、貴人の嗜みとしてその他の教養と同じく重視されている。首都中央区にあるアダロネス大競技場の一角に設けられた剣技練習場は、その剣技の鍛錬の場としてはアダロネス市内で最も洗練され、格式の高い場であると同時に、剣技を嗜みとする上層階級の社交場的な側面をも持ち合わせていた。上流階層の人間や教養人、そして軍の高級士官がそこで剣技を磨く傍ら、それぞれに面識と人脈を深め、さらには様々な政治談議、もしくは社交界の噂話に花を咲かせる……というわけである。


 ……その剣技場の一角。


 そこでは場に居合わせた全員の視線が、先程から繰り広げられている剣闘に釘付けになっていた。技場の真ん中でサーベルを震わせる二人……その体躯は至って対照的だ。繋ぎの競技服を通しても、否、それ故に際立ってその対照性は明白となっている。だが防戦一方に追われる大柄な方に比して、たおやかさすら漂わせる細身の方は緒戦よりひたすらに攻めを続け、相手の悲壮さすら漂わせた反撃を鮮やかなまでの反しで圧殺し、その様子は闘場の四隅で剣闘の帰趨を見守る者たちをも圧倒する。

 やがて万策尽き、満身の気合を込めた――――または、全てを放擲した――――かに見える相手の突きを細身の方は風のような足捌きでかわし、横に振り上げられた刀身が、相手のサーベルを、放物線を描き叩き落とした。


 直後に続く地割れの如き感銘と驚愕の声……サーベルを落とされた方は、細身の方の突き出す刀身に喉元を捉えられ、蛇に射すくめられた鼠の如くに固まっていた。


 「ま……参りました」


 観念し、気配を押し殺すような声を絞り出した大柄な方は、国防軍総司令部付きの高級士官であった。当然、ここに出入するだけあって出自の方も相当なものだ。細身の方は彼に先に退出するよう促し、皆が固唾を呑んで注視する中で従卒の待つ場外へ歩み寄ると、煩わしげに面を取った。その途端、こぼれ出る豊かな黒髪と共に、女性の芳香と汗の臭いとの混ぜ合わさった、官能的な湿っぽい匂いがその場に広がる。


 従卒がおずおずと彼女――――ルーガ-ラ-ナードラにタオルを差し出した。紅潮した頬を外気に晒し、大きく息を吸い込めば、剣技の疲れなどたちどころに何処かへ吹き飛んでしまう。


 「素晴らしい剣捌きですな。議員」


 周囲の賞賛の声にも、ナードラは無感動だった。かつては軍籍にあった者として、心身の練磨は当然のエチケットのようなものだ。だがそのための努力を、軍籍を離れてもなお彼女は現在に至るまで続けている。その結果として、この剣技場で、彼女に拮抗しうる剣技の持主はもはや軍民にも存在しない。


 「何でも、今次のニホンに対する最後通牒を作成なされたのは、議員自らとか……」

 「あれを受け容れようが受け容れまいが、彼らもいずれはああなる」


 と、ナードラは先程の試合を総括してみせる。首都配備の部隊が前線へ出征したお陰で、最近は骨のある相手がめっきりと顔を出さなくなって久しい。だがそれだけ、未知の若手と合間見える度合いも増えようというものだ。


 戦い足りない、と言いたげにサーベルを振り、ナードラは言った。


 「彼らの出す手出す手、全て我等の手の内にある。やがて追い詰められた彼等が、抗い難い怒りへの衝動を暴発させる時こそ、我等の反撃の時だ」



 「ニホン人、我々の最後通牒をどんな眼で見るやら」


 とは、出征前日、剣技場の常連である士官を送り出すささやかな宴を開いた際に、彼らと同じくスロリアへ向かうこととなったエイダムス‐ディ‐バーヨ大佐が語った言葉だ。ナードラとは士官学校の同窓であり、現在は首都防空の精鋭部隊第一飛行師団司令部付きである彼は、今次の戦役に際し空軍派遣部隊司令部に随行し、前線視察に赴くこととなっていた。


 「共和国空軍の勇者様は、敵のいない空で、遊覧飛行でもするつもりかしら?」

 「上司にこう言われたよ。休暇を楽しめって、ね」


 そう言ってバーヨは片目を瞑って見せた。確かに、目ぼしい空軍戦力の無いニホン軍に対するに、空軍戦力の追加派遣など無意味であるようにナードラにも思われたのだ。


 「そういえば、ディーナの良人もスロリアへ行くそうだ。今後の研鑽のため前線視察に赴くと……」

 「将来の執政官候補を危険に晒すほど、現地軍も馬鹿ではないわ。ヴァフレムス長官にはさぞ不本意でしょうけど」


 会場の一角では近衛騎兵連隊の若手士官が席を囲み、蛮声を張り上げて歌を歌っていた。こういう場で軍人が歌うのは必ずしも軍歌ばかりとは限らない。それは故郷を思い、恋人を慕う内容の、哀愁の篭った歌であった。若者達の溌剌とした様子を見遣りながら、バーヨは言った。


 「彼らと一緒に、また祖国に帰れればいいな」

 「あなたらしくない言い方ね。帰れるわよ、きっと……」

 「……ディラゲネオスのこともあるからな」


 潜水艦艦長として早くからスロリアで活躍していた旧友は、今年の7月末から艦もろとも出撃した海域で音信不通となっていた。当初はニホン軍の艦艇に撃沈されたという噂が実しやかに囁かれたものだが、それは共和国全体が戦勝ムードに沸く現在では殆ど立ち消えになっている。


 「あなたのような勇者にとって、心配なんて無用のものではなくて? そんなに神経質だとロフガムスに笑われるわよ」


 と、ナードラは士官学校の同期生の中でも一足早く前線で活躍中の、ロフガムス‐ド‐ガ‐ダーズの名を出した。西進当時は少佐であった彼も、今では現地編成の「グルヴァーデス」戦車連隊を預かる気鋭の中佐となっていた。


 バーヨは笑った。だがそれは、決して明るい笑いではなかった。


 「正直……今回の前線出張はあまり気が進まないんだ」

 「何故かしら?」

 「何となく全てが上手く進みすぎていることに違和感を覚える……有体な言い方をすれば、悪い予感がするんだ」

 「…………」


 バーヨが気付いたときには、ナードラは真剣な眼差しをして彼の表情に見入っていた。先程の友人に見せるような和やかさなど、既に何処かへ消え去っていた。


 「ナードラ……?」


 ナードラは無言のまま、ゆっくりと頭を振った。


 「気のせいよ。エイダムス。しっかりなさい」


 その瞬間、バーヨは神妙にしていた顔を綻ばせた。


 「君に真面目な顔でそう言われたの、士官学校で落馬した時以来だな」

 「覚えていたのね。あのときのこと」

 「あれが……僕と君との、初めての出会いだった」

ナードラは、溢れんばかりに微笑んだ。


 ――――あのときバーヨに見せたのと同じく真摯な顔を、姿勢矯正用の鏡台の中で、サーベルを構えたナードラはしていた。


 「…………」


 悪い予感がするんだ――――先程から何度も脳裏で繰り返される旧友の言葉を、ナードラはサーベルの一閃と共に振り払った……否、振り払おうと勤めた。

 だが、振り払おうと勤める内にサーベルを振る回数、そして挙動の荒さは彼女自身の眼に見えて目立ってきた。地平線の彼方より込上げてくる暗雲を払おうとするのと同じくらいの徒労感とともに、ナードラはサーベルを虚に向かい振り続け、突き続ける。


 「突きが甘いわよ。師範(マステール)さん」


 再び紅潮した顔を上げた先には、黒い導服が立っていた。だが後ろを振り返ることなく、ナードラは言った。

 

 「今日、スロリアに戻るのではなくて?」

 「呼んだのは、あなたでしょう?」


 サフィシナ‐カラロ‐テ‐ラファエナスの問い掛けに、ナードラは苦笑する。だが彼女を振り返ることなくナードラが歩を進めた先は、サーベルの置場だった。


 「御用は何?……議員」

 「一戦、やらない?」


 と言ったときには、振り返ったナードラの手はサーベルを放っていた。サフィシナは手を延ばしてそれを見事に捉え、笑った。


 「聖職者に、武器を持たせるつもり?」

 「満更でもないでしょう?」


 試合ではなく、「剣の輪舞(サヴィア‐ロンデ)」――――いわゆる組手をナードラは欲していた。かと言って両者の息が合わなければそれは成り立たず、この状況では最悪事故に繋がる。だが、防具なしでもそれをなし得るほど二人の技量は拮抗し、お互いの癖を知り尽くしている。


 「…………」


 自信有り気にサーベルを弄びながら、サフィシナは闘場に進み出た。それが、始まりの合図だった。

飛燕の如く交わされた数合の後、鍔を接し合ったサフィシナに、ナードラは囁く。


 「あなたに、聞きたいことがあるわ」

 「何……?」

 「先月、議会に女の子を連れてきたわね?」

 「それがどうかしたの?」

 「あの話は……事実?」

 「…………」


 ナードラを覗き込むサフィシナの顔から、表情が消えた。


 「サフィシナ……!」

 「ナードラ……怖い顔をしている」

 「私は真剣に聞いている……話を逸らすな!」


 サフィシナの腕に力が篭り、鍔迫り合いが解けてもなお、ナードラは食い下がるように突きを続けた、鮮やかな手さばきでそれを防ぎながらも、サフィシナは後退している。


 その後退を続けながら、サフィシナは言った。


 「ナードラ……あなたは正義の何たるかを知っている。だけど、それを如何にして実現するかを知らない」

 「正義は創るものではないわ。そこに在るものよ」

 「正義なんて……神ならぬ身がそれを真摯に騙ろうなどと、おこがましいとは思わなくて?」

 「…………!?」

 「勝った者のみが、神の名を唱えるに足る資格を得るものなのよ。ルーガ‐ラ‐ナードラ」

 「騙るな……!」


 両者の色の異なる瞳に、裂帛の気合が篭ったその瞬間、両者の動きが止まった。同時に突き出されたサーベルの尖端が、両者の喉元に接せんとするところで留まったのだった。そして、ナードラの放った一閃は、サフィシナの白い肌に僅かに一文字の傷をつけていた。


 「…………」


 傷口に触れ、朱に染まった指を舐めると、サフィシナはナードラにサーベルを放った。サーベルを受取ったまま呆然とするナードラに背を向け、サフィシナは言う。


 「腕が落ちたわね。師範(マステール)……」


 そして、歩き出した。


 「あなたは、何時も私の問いに明確な論拠を以て応えてくれた……何故、今度は答えをくれないの?」

 「あの子が言ったことは、いずれ事実になるわ。共和国ローリダがスロリアからニホン人を逐い、征服するであろう将来には……」


 ナードラには、その一言だけで十分だった。胸中から込上げてくる熱い感情を押し殺し、彼女は言葉を搾り出した。


 「……そうならなかったら、どうする?」


 サフィシナの足が、止まった。


 「そうならなかったら……」


 肩越しに、サフィシナはナードラを省みた。


 「ナードラ、キズラサの神の力は偉大なの」

 「嘘をついたこともない子供に、嘘をつかせるくらいにか?」


 それには答えず、サフィシナは歩き出した。


 追おうとして、ナードラは止めた……サフィシナの突き放すような視線を予想し、そして恐れて。




日本国内基準表示時刻11月15日 午前0時12分 東京 総理官邸地下 緊急事態対応センター


 照明を落とした広大な空間には、無機的な光を放つ複数の端末の連なりと、オペレーターの交わす会話の(さざなみ)のような響きが、見渡す限りに居並び広がっていた。


 「…………」


 蘭堂 寿一郎 官房副長官は、閣僚の肩書きを得て初めて足を踏み入れたこの部屋を、感慨と緊張と共に見回した。安全保障政策にも精通する彼が、最新技術の粋を凝らしたこの部屋の存在と全容を知らないわけではなかった。


 だが、神宮寺「戦時」内閣の一員として、この部屋で行われる安全保障会議の末席に加わることを許された現在。身の引き締まる思いと、国家の将来への少なからぬ不安とともに席の背凭れに身を委ねる蘭堂がいることもまた事実であった。


 こうして会議を始めようという瞬間もこの部屋、ひいては総理官邸の外――――日本中を困惑と激昂とが渦巻いている。


 先日の夕刻。坂井 謙二郎 官房長官の定例会見の、その衝撃的な内容は、まさに電撃となって日本列島を駆け巡った。ローリダ共和国を名乗る「武装勢力」の突きつけた「最後通牒」を、多くの日本国民は背筋を震わせる戦慄と、静かなる怒りと共に迎えたのであった。発表直後に某民放が行った緊急世論調査の結果では、「武装勢力」に対する武力行使を容認する意見が総数の七割を越え、その他テレビを始め新聞やネットといった主要な報道媒体もまた、その多くがPKFによる軍事行動を既定路線とした論調に変わった。


 普段はTVへの露出度の少ない植草 紘之 統合幕僚長すら、退庁の際待ち構えていた記者団に取り囲まれ、少なからぬ困惑を感じたものだ。その彼もまた、困惑した顔を隠さず安全保障会議の末席を占めている。それでも今日の会議では、軍事の専門家たる彼が大きな役割を果すこととなるだろう。

皆が席に付いたのを見計らい、上座に座る神宮寺は口を開いた。


 「夜分にご苦労。ことは急を要するので早速議題に入りたい。先日14日、坂井官房長官の定例会見の内容は皆もよく存じていると思う。わしの記憶が正しければ、彼らの突きつけた内容は紛れもない最後通牒であり、『前世界』に於いて、戦時国際法上期限を定めた最後通牒はその期限を過ぎた時点で宣戦布告と同様に見做されるそうだが、桃井防衛大臣……?」


 「はい……?」

 「それで間違いないかね?」

 「間違い御座いませんわ。総理」


 と、桃井防衛大臣は頷く。それを確認し、神宮寺は続けた


 「彼等がなしたことは、我が国に対する明白な宣戦布告であり、対話による今次紛争の、一切の解決手段はここに潰えた。そこで今夜、夜遅くに諸君に集まってもらったのは他でもない、ここに来てもらっている自衛隊統合幕僚監部の面々に戦時の作戦計画を説明してもらい、閣僚諸君に周知してもらうためである。植草統合幕僚長……」

 「ハッ……」


 植草が神宮寺を注視した。


 「早速、始めてくれ」


 植草は頷くと、手元の端末を操作した。間を置かずして出席者の手許に据え付けられた情報端末が開き、スロリア亜大陸の地形を映し出した。


 「PKFは現在、スロリア東部のハン‐クット郊外に地上戦力の集積を続けております。集積は現在に至るまで順調に進み、所定の戦力の80パーセントの移動を完了いたしました。同時にノイテラーネ国際空港をはじめ、ノイテラーネ国内に存在する三つの主要空港にはノイテラーネ政府との協定に基づき、総理の裁可が降りた時点で、速やかに航空部隊を展開させる手筈を整えてあります。また、南東スロリア洋上には現在五隻の護衛艦が展開し、沖縄を根拠とする哨戒機部隊と協同して現海域の警戒、監視に当たっております」


 説明の都度、地形図に詳細な拠点の位置及び情報がマークされ、詳細な戦力配置が浮かび上がっていくようになっていた。液晶端末を注視する出席者の顔に、明確な緊張が浮き出てくるのも、それほど時間はかからない。


 「―――――部隊の展開が完了し、総理のご命令が下り次第、スロリアを不法に占拠する武装勢力の掃討作戦を即座に開始致します。第一撃は、ノイテラーネ及びスロリア東方の航空拠点より発進した航空自衛隊の支援戦闘機による敵の航空施設への攻撃です。これは敵の作戦用航空機を地上で破壊し、飛行場を使用不能とすることにより、迅速なる制空権奪取を目的としたものです。


 制空権を掌握した時点で、我が方の航空攻撃は速やかにその主目標を敵野戦部隊の司令部及び補給、通信施設へとこれを集中させます。これはスロリア東方に渡って展開する敵地上部隊の連携と補給路を断絶させ、味方地上部隊の進撃を容易ならしめるための措置です。これを完遂した時点で、地上部隊の本格的な作戦行動が開始されます。


 地上部隊は攻勢発起と同時に直ちに敵勢力圏内に進攻。主攻は第八、九、十の三個師団であります。第11、第12の二個空中機動旅団及び第71、第72の二個機甲旅団は共にその機動力、打撃力を以て主攻部隊を側面より支援。最終的には敵野戦部隊の連携を遮断しこれを各個撃破、主攻と連携して敵主力を挟撃し、これを消耗させるということになります」


 地形図のスロリア東方にマークされた、複数の青い矢印は、PKF各部隊の配置状況を示していた。植草がキューを動かすと同時に矢印が動き、作戦発起の際の部隊移動が鮮やかなまでに表示される。


 「―――――海上機動群は開戦と同時に海自の支援の下スロリア亜大陸中南部のゴルアス半島東岸に上陸。ここに橋頭堡を敷設します。上陸部隊の主力は西部方面普通科連隊。同時にPKF司令部もここに移動します。上陸し、敵の抵抗が無いと判断された時点で西部方面普通科連隊は即座に空中機動を行い東進し、半島西岸に位置する敵飛行場を攻撃、これを制圧します。ゴルアス半島における作戦は、南部に於ける橋頭堡確保と同時に、敵勢力圏に楔を打ち込むことで敵侵攻部隊主力の注意を惹き、東部への増援を遅らせるという意図に基づいて行われます。橋頭堡確保完了後、ノイテラーネより海路及び空路で後続の部隊を移動させ、ここに第二戦線を形成します」


 一人の閣僚が手を上げた。新沢 渉 国土交通大臣だ。


 「スロリアを占拠している武装勢力の、規模及び陣容をお伺いしたい。もちろん……現在わかっている限りで」


 「事前の各種情報収集活動により、スロリア全土に展開している敵の戦力は完全に把握しております。これらの情報収集活動の結果、敵兵力は最も東部に突出した部隊だけでも三個師団相当の30000。中部には一個師団及び二個旅団と思われる総数20000余り。さらに後方かつ、敵の策源と思われるノドコールにはおそらく総予備と思われる二個旅団相当の12000。これに外部よりの依然移動中の増援を加えれば、敵戦力は陸戦部隊だけでも最大10万に膨れ上がると予想されます。また、これは未確認の情報ですが、増援部隊の中には我が方の第七師団に相当する機甲部隊も含まれているものと思われます」


 と同時に、端末に衛星画像が映し出される。それは、港湾の埠頭に居並ぶ戦車の一団を上空より俯瞰していた。


 「今月の初め、我が方の情報収集衛星によって捉えられた武装勢力のMBT……主力戦車です。ノドコールの港湾に陸揚げされたところと思われます。我々の情報収集活動によれば、こうした重装備の陸揚げは、未だ進行中です。彼らもまた、決戦に備え戦力の集積を進めているものと考えられます」


 再び、端末画像が地形図をメインとしたものに戻った。


 「敵空軍の実戦部隊は主に攻撃機を中心に100~200機余り、大きく四つの飛行場に分散して配置されているようです。その一つがノドコールの主要都市キビル近郊のサン-グレス飛行場で、後の三つは前線に突出しております。この原因はおそらく、作戦機の航続距離上の問題もしくは敵空軍の運用思想でしょう。その三つは全て作戦初期の航空作戦の主要目標であり、内一つがゴルアス半島に位置し、今回の我が上陸部隊の制圧目標です」


 「敵空軍の運用思想とは……?」


 「飛行場といった航空作戦の拠点を、味方前線のすぐ後背に位置させることで、前線部隊に対する迅速かつ効果的な支援を行うという考え方に基づき、作戦機と支援部隊の運用を行っているのです。但しこれには欠点もあります。味方が劣勢に陥った際、前線近くに展開する航空部隊もまた、壊滅の危機に晒されるという点に問題があります」


 端末は、再び別の画像を映し出した。今度は赤外線で撮影された航空写真だ。その内容は、滑走路の傍で列線を形成する、後退翼を持った戦闘機の機影を映し出していた。


 「敵作戦機の陣容は……航空偵察及び衛星写真より判断する限り、我が方の主力機と比べ必ずしも性能的に優越しているとは考えられません。制空作戦において、これらの敵機による妨害は我が空自のF-15J及びF-2Aで十分に排除できるものと判断されます。また、航空施設のみならず、我が方が把握している敵重要施設の周囲には、拠点防空に必須のSAM……地対空ミサイルの設置が確認されておりません。従って、敵はそれらの運用能力を持っていないものとも考えられます……まあ、これはあくまで推測でありまして、SAMに遭遇した際の対策は十分に準備してあります。これが、我々統幕が制空権の早期確保に自信を持つ根拠の一つであります。


 敵の海軍力は、水上艦艇8隻、哨戒艦艇5、補助として小型のミサイル艦艇が12、その他快速機動艦艇が30余り……あとは軽武装の警備艦艇が20隻余り確認されております。また、潜水艦も四隻保有しておりますが、我が海自の潜水艦隊が接触した限りでは極めて性能の悪い代物であるようです。藤堂海幕長は、護衛艦隊の実力を以てすれば、必ず敵海軍は撃滅できると言っております……古の東郷元帥の如くに、です」


 「だが問題は地上戦だ。海や空で勝っても、地上で負けては話しにならんじゃないか」

と言ったのは、刈谷 幸之助 総務大臣だ。

「その点に関しては、ご心配なく、攻勢発起の際には陸、海、空に至るまで我が方の保有するあらゆる探知システムを駆使し、敵部隊の位置を捕捉し、行動を追尾できる目算も立っております。これを御覧下さい」


 次に現れた画像は、格納庫内で翼を休める大型機の姿を映し出していた。一見したところ灰色一色のそれは、民間用の大型輸送機を自衛隊向けに改装しただけの機体だったが、機体下面から姿を覗かせる棒状のレードームに、忽ち全員の視線が注がれる。


 「制式名称E-102EJ 『G-STARS』。航空自衛隊飛行実験団による実用試験を経たばかりの、試作型の地上警戒管制機です。お集まりの皆様には、早期空中警戒・管制機AWACSのことは概略としてもご存知のことと思います。


 AWACSが空中に在る一切の航空機を監視、追尾するための機材ならば、この『G-STARS』は陸上に在る全ての地上目標を監視、識別するための機体です。搭載レーダーによる監視可能範囲は、20平方キロから最大600平方キロまでを選択でき、8時間の飛行で最大140万平方キロメートルの広範囲を探査できる性能を持っております。また、車両などの小目標の識別も可能です。


 有事の際には、我が方の保有する試作型二機全てを前線に投入します。この『G-STARS』とスロリアに展開する地上部隊はデータリンクで結ばれ、『G-STARS』が収集した全ての情報をリアルタイムで共有することが可能です」


 「つまりだ……実際に敵と接触する遥か前の段階で、敵の位置や規模、そして布陣を覗き見ることが出来るというわけだね?」


 植草は頷いた。


 「その通りです。さらに言えば、より重点的な探査を行うことにより、敵の弱点及び心臓部をも知ることが出来ます」


 なるほど、F-35の調達が先送りになった本当の理由はこれか……「転移」前、通産官僚時代から関わってきた時期主力戦闘機の配備計画が一時頓挫した真の理由を、蘭堂は今になって悟る思いだった。自衛隊は、突出的なハードウェアの取得より陸海空一体を指向したソフトウェアの更新の方を優先したわけである。


 「植草幕僚長……?」


 蘭堂は、声を上げた。


 「は……?」


 「自衛隊のRMA(軍事革命)は、どれくらい進んでいますか?」


 そのとき、植草は微笑んだ。


 「少なくとも正規軍同士の戦闘に関し、我々がこの世界で負けを喫することはありません。その点はご安心ください。ただし……」


 語を次ぎ、植草は言う。


 「我々がこれまで想定し、訓練して来たのは国外及び領空、領海内で勃発する規模、期間ともに限定された戦闘です。我々自衛隊としては今回のスロリアの戦闘をごく短期間の内に終結させる目算を立ててはおりますが、物事にはときとして想定外の事態というものが起こり得ます。現時点の我が国は社会的な面から見て局地的な紛争を戦えても、かつての太平洋戦争のような総力戦を行える状態にはありません。万が一、我々が作戦に失敗し、戦闘そのものが長期化したそのとき、政治が大きな意味を持ってくることとなります……総理を始め閣僚の皆様方には、そのお覚悟はおありですか?」


 沈黙……それを破ったのは、神宮寺総理その人だった。


 「幕僚長、わしはこれを単なる国家間の利害に基づく紛争とは認識していない。これは防衛戦争だ。我が国に対し明確な悪意を持ち、侵略の意図を持つ勢力を駆逐し、地域に平和を取り戻すための戦いだ。わしは、国民もそのことを理解し、防衛戦争を完遂すべくわしの下すであろう多くの決断についてきてくれることを信じる……それでいいかな?」


 「…………」


 無言のまま、神宮寺の言葉を噛み締めるように、植草は頷いた。だがそれは、彼の真に求めていた答えだったのだろうか?……この場の誰もが、確信を持てなかった。


 ――――説明が終わり、出席者の一人が質問した。本多外務大臣だ


 「……で、PKFが動くのは何時頃になりますか?」

 「それは……敵が明白な再侵攻への意図を示したときだ。だが、前線では未だその兆候はない。そうだな? 植草君」


 と、神宮寺。


 「仰るとおりです。総理」

 「……うむ」


 詰めていた息を吐き出し、神宮寺は正面へと向き直った。


 「他に質問はないか?……では、これで会議は終わりとする。ご苦労だった……解散!」


 神宮寺のその顔は、会議の始まりとは打って変わり、異様なまでに晴れ晴れとしていた。




ローリダ領ノドコール国内基準表示時刻11月17日 午前9時34分 サン‐グレス空軍基地


 案内の警備兵の声が、空虚な廊下には鼓動のように響いた。


 「こちらです」


 老朽化が烈しく、もはや誰も使う者のなくなった格納庫に、それは運び込まれていた。

二週間前に味方邀撃機の手で撃墜されたニホンの偵察機が、専門家の手でサン‐グレス空軍基地に運び込まれたという報告は、日々の単調な司令部付き勤務に飽きていたセンカナス‐アルヴァク‐デ‐ロート大佐の興味を惹くのに十分な材料ではあった。


 「機体を見せてくれよ」


 自分の肩書きと共に口に出た要求に、意外にも基地サイドは乗り気ではなかった。名前だけに等しい閑職ではあっても、植民地軍司令部参謀というその役職名は、植民地では圧倒的なまでの威力を誇る。それを持ち出してもなお、彼らの警戒心を解くには及ばなかったのだ。

だが、それが一層、ロートの関心を惹いた。


 ――――そして、自分でもよくもここまで熱心にいられたものだと感銘を受けざるを得ないほど、説得に


 労力を使い果たした末、ロートは警備兵に先導されその「機密事項」の収められた格納庫への道を歩くことが出来たのだ。


 「正直、驚きましたわ」

と、ロートの背後から女性の囁く声。ミヒェール‐ルス‐ミレス参謀中尉が、ロートに付き従い歩を進めていた。階級は四階級も下ながら、国防軍参謀としての彼女の仕事量は、おそらくロートの四倍にも上るであろう。機密保持を理由に渋る警備隊司令を口説き落とし、見学までこぎつけたのは、何もロート個人の力量のみの為すところではない。寧ろ彼女の交渉術の巧みなることの貢献度が、ロートのそれよりも遥かに大きかったのかもしれない。


 「参謀には、敵の持つ装備を目にし、敵の正確な実力の程を量る義務があります」


 と、渋る警備兵司令を、ミヒェールは一喝した。


 「それを妨げるかのごとき行為は、利敵行為以外の何物でもありません……!」


 「利敵行為」という一言が多分に効いたのであろう。遂に警備兵司令は折れ、二人の参謀を「機密」の保管された格納庫へと招じ入れたのだった。


 「正直、助かったよ」


 と、ロートはミヒェールに言った。だが、彼女はロートからあからさまに視線を逸らし、事も無げに言う。


 「小官は、あくまで小官自身の敵に対する興味から、こうして大佐とご一緒しているのです。何も大佐の困っているところを助けようという、友愛の精神でご一緒しているのではありません」

 「そうかい……冷たいなあ」


 それから無言のまま、二人は歩き続けた。だが、それも数刻の間。


 「……驚きましたね。ニホン軍に、こんな緻密な偵察活動を行う余力があったなんて」


 と、何となく躊躇いがちにロートに話しかけたのは、ミヒェールだ。


 「搭乗員は、今どうしている?」と、ロートが聞いた先は先導する警備兵だ。そんなロートをミヒェールはきっと睨んだが、既に彼の眼は廊下から見える練兵場に注がれている。

「それはもう……今じゃあ市の英雄扱いですよ。もっとも……勝手に作戦機を持ち出すという規則無視の廉で、外出禁止は免れませんでしたが」


 「いやいや……墜とされた方の搭乗員のことだよ」


 その途端。警備兵は困惑したような表情を浮かべた。


 「それが……」

 「それが……何?」

 「まあ、見て頂ければわかります」


 ……そして、扉は開かれた。


 「……?」


 視線の先、そこでは、かつては機体と呼ばれていたものが、格納庫の真ん中で寝そべるように横たわっていた。

 そして現在ではそれは、撃墜され、大地に叩き付けられることで四散した部品を収集し、繋ぎ合わせることで辛うじて機体としての全容を保っていた。それでも、さらには炎に晒され、醜く焼け爛れてもなお、ロートにはその流麗なフォルムを想像することが出来た。


 「駄目じゃないか!……部外者を連れて来ちゃあ」


 と、二人の姿を認め、白衣を着込んだ技官が目を剥いた。


 「警備兵司令の許可はとってあります」


 と、ミヒェールが言うと、苦々しい顔もそのままに、彼は二人についてくるよう促した。


 「こいつはプロペラ機です。ジェット機ではありません。ですが、使われている技術は……凄いものです」

 「具体的には……?」


 というロートの問いに、技官は、かつては主翼だった機体の破片を取り上げ、ミヒェールに触らせた。破片に手を触れ、目を凝らした次の瞬間、あることに気付いたミヒェールは、信じられない、という色をその端正な表情にありありと浮べる。


 「どうした……?」

 「……金属じゃない」

 「どれ……」


 と、ロートも破片を手に取ってみる。手触りは冷たく、整形された金属のように滑らかだが、破片の繋ぎ目からは、何か繊維を組み合わせたような構造が僅かに顔を覗かせていた。それに気付き、怪訝な顔をしたロートに、技官は言った。


 「技術部では現在空軍の技官や博士を動員して分析に当たらせていますが。こいつが何で出来ているか未だに見当もつきません。ただ、今分っていることはこの未知の材質が、我々が航空機の外皮に使っている金属より軽く、それでいて遥かに丈夫であるという事です」

 「ローリダでは、造れない……?」


 ロートの問いに、技官は申し訳無さそうに頷いた。そしてさらに手招きした。


 「偵察機のエンジン部です」


 エンジン部に、ジェット機に使うのと同じタービンを流用していることは、航空に疎いロートにもすぐにわかった。


 「彼らも、ジェットエンジンを作れるみたいだ」

 「はい……当初は技術が未成熟なのかと思いましたが。彼らはおそらく、燃料消費効率の点からプロペラ推進を採用したのでしょう。しかしジェットエンジンをプロペラ機に流用するなんて……我が国では未だ試行錯誤の段階です。さらにこれを見てください」


 と、技官はエンジンの部品と思しき破片を取り出した。


 「偵察機のエンジン部のタービンブレードです。セラミックで出来ています」

 「セラミック……?」


 と、ミヒェールは目を丸くした。ローリダにおいてセラミックは「夢の金属」と称され、その生産技術も未だ確立してはいなかったのだ。それを知っているからこそ、ミヒェールは驚愕する。


 「ローリダには……このようなエンジン内の燃焼に耐え得るだけの、純度の高いセラミックを製造する技術はありません。実用化までには早くとも30年はかかると思われます」


 技官の説明を他所に、ロートは機体を見上げた。


 「なあ……先程から気になっていたんだが、これ……操縦席は何処にあるんだ?」

 「操縦席?……結論から申し上げますが、そんなもの、存在しません」

 「え……?」

 「大佐は、子供の玩具で、有線で操縦する車をご存知ですか?」

 「ああ、知ってる。アダロネスでは、流行ってるらしいね」

 「それと同じですよ。おそらくこれは……あまりに突飛で認めたくないことですが、遠距離から無線で操縦する飛行機と考えられます」

 「無線操縦……!?」

 「そうか……人間を乗せずに済む方が、いろいろとやり易いだろうからな」


 と、感嘆交じりにロートは呟いた。


 「実際、証拠もあります。現在解析中ですが、他の調査班が内部から誘導アンテナと思しきものを発見しました。導線からネジ一本に至るまで、我々の全く知らない技術を使っているそうです」

ロートは、ミヒェールを呼んだ。


 「……なあ、中尉」

 「はい……?」


 咄嗟の呼びかけに、ミヒェールは驚いたように振り返った。


 「我々の政府は、こんな途轍もない物を造る国と、戦争をしようっていうんだぞ? どう思う?」

 「手強そうですね……」

 「手強いで済むか。これは……自殺も同じだ」


 純粋な困惑を、ミヒェールはその胸に聞いたように思った。




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