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三章 憤怒の雷光



(全く、嫌になります)

 最後の青い缶をポケットに詰めて、用済みの研究室を後にするため昇り階段へ向かう。こんな下らない勝負、私が潰してやる。

(大体大お爺様が先行者としての威厳を見せないからナメられるんです。ビシッと言わないから)

 凄く迷惑だ。誰も彼も私にばかり窮屈な思いをさせて好き勝手している。

「ま、待ちなさいデイシー・ミラー……」

 ほら、侮られている。

「嫌です。どうして私がリュネさんの言う通りにしなきゃいけないんです?」

 彼女の武器は周りの機器ごと壊した。電撃を浴びた彼女自身、もう立ち上がる力は残っていないはずだ。

「あなた、まさか次はエルシェンカを襲うつもり……?」

「はい。あ、流石にあなた方の敬愛するお兄様だけは手を出さずにおきますね。あの人に八つ当たりしても全然面白くないですから」

 彼は私に似ている。無価値な人々に呪縛され、身動きが出来ないまま弱っていく小鳥。私達の違いは反抗心の有無のみだ。

「止めなさい!エルシェンカはあなたの唯一の肉親でしょう……?蟠りがあるならとことん話し合うべきだわ、暴力抜きで」

「リュネさんは本当に大お爺様が好きなんですね。いっそ告白したら如何です?案外OKがもらえるかもしれませんよ?」

「か、からかわないで!!私は一般論を言っているだけよ!」

「ふうん」親切で言ってあげたのに。もう一回電撃を食らわせようか。いや、止めておこう。どうやら新手が来たみたいだし。


「見つけたぞ」


「困りますねシルクさん。私あんまりあなたを傷付けたくないんですよ?」

「リサの姉だからか?頼むデイシー殿、あの子に免じてどうか怒りを収めてくれ。私は貴殿に手を上げたくない」

 チリッ、胸に小さな感情が発生する。初めから飛べない小鳥のリサちゃん。

「リサちゃんをダシに私を説得しようとしないで下さい。無関係でしょう?」

「そうだな……では普通に止めてくれ、死人が出る前に。それにそんな力の使い方では貴殿の消耗も激しいはずだ」

「御心配無く。数年振りなので力は有り余っています」

 バチバチバチッ!

「どいてもらえます?それとも気絶したいですか?選ばせてあげます」

「どちらも断る」

「じゃあしょうがありませんね。今度こそお友達の所へ行って下さい!!」

 電撃が飛んだ瞬間、シルクさんは素早く壊れた機械の後ろに隠れた。放電が止むと同時に右側へ駆け出す。

「無駄ですよ!」

 先手を打って前方の隙間から雷を見舞う。彼女は気付いて体勢を低くし、何とハルバートの先をこちらに構えた。


 バチバチッ!!


 一旦集中した電流が逃げ道を求めて辺りに一斉放電した。だが、肝心のシルクさんに感電の兆候は無い。よく見ればさっきまではしていなかった厚手の手袋に首元のスカーフを身に着け、髪の毛から顔に掛けてはやけにテカテカしている。

「絶縁体の完全武装、その塗っているのはエタノールですね。凄い臭い」

「そうか?医務室で拝借したのだが、どうやら効果覿面だな」

 エタノール等のアルコールは液体の絶縁体。つまり、今の彼女に電撃は殆ど無効。

「どこでそんなサバイバル技術を身に付けたんです?防衛団、じゃありませんよね?」

「独学だ。興味があったんでな」

「へえ。にしては随分慣れた様子ですけど?」

「まさか。偶々上手くいっただけさ」

 その態度に疑問が確信へと変わる。シルク・タイナー。彼女の過去は謎に包まれている。シャバム移住は五年前、防衛団に入ったのは約一年前。それ以前の経歴は一応履歴書に書かれていたものの非常に怪しい。リサちゃんに訊いても、その頃は父親としょっちゅう家を空けていたと言うばかりで判然としない。

 大体考えれば考える程おかしい。食料品店員や配達業の給与で、数年に一度とは言え高額な心臓手術と年十数回の入院費を賄えるはずがない。会った事の無い父親共々、かなり危ない橋を渡って稼いでいたと推測するのは容易だ。

(それにあの目……どう贔屓目に見ても素人じゃないもの)

 本人は誤魔化しているつもりだろうが、こちらもジャーナリスト。一般人より隠された物を嗅ぎ付けるのは得意だ。――あの時折見せる目は、正に遥か高所から獲物を狙う鷹。ひたすら冷徹で鋭く、まるで小説の中のヒットマンだ。

「あくまで急場を凌ぐ程度の防衛策だ。至近距離で撃たれれば化けの皮が剥がれてしまうだろうな」

 その一言が彼女の強かさであり作戦。今ので他の防御方法、例えば魔力を一時的に蓄積できる魔術機械を懐に忍ばせている可能性と、それがハッタリである可能性を同時に示したからだ。もし私が後者に乗れば接近戦で組み伏せ、前者でも更なる攻撃を未然に防ぐ牽制となる。

(シルクさんが降りてきた階段を使うのは危険ですね……。どんな罠が仕掛けられているか分かったものじゃありません。そう思わせるのも作戦の内かもしれませんけど……)

 相手を疑心暗鬼にさせ、動きを封じる気か。何と言う策士。

でも今は多少のリスクを冒しても有利なフィールドに移動するべき。何せこの部屋は避雷針になる金属ばかり、ただでさえ不導体のシルクさんに雷を落とすのは至難の業だ。

(移動すれば新手に出くわす可能性もあるけど、ここで無駄に魔力を使うよりはずっとマシなはず)

 要は電気を通す何か、純水以外の液体を浴びせればいい。その後最大電圧を掛け、通電させれば倒す事は充分可能だ。尤も、他に隠し玉が無ければの話だが。

 親友の姉はハルバートを閃かせ、本格的にこちらに向かってきた。私は大柄な彼女が入れない機械同士の間をすり抜けつつ、ひたすら距離を置いて逃げる。開放禁止と書かれたドアのノブに電撃を見舞って破壊し、そのまま跳び蹴りで部屋の中へ。


「ぎゃっ!?」踏んづけたアレクさんがヒキガエルみたいな声を上げた。


 どうやらさっきの会議室と繋がっていたようだ。と言う事は、

「約束を破ったなデイシー!早く取りに戻れ!」

 やっぱり。大お爺様は珍しくカンカンだ。

「五月蠅いです大お爺様。縛られながら言っても全然説得力ありません」

「あぁ、駄目だ……完全に力の虜になってる」

 そう嘆息して項垂れる。いい気味だ。

「ここは……アレク殿、それに副聖王!成程、ここに通じていたのか」

 後ろから入って来た危険人物に最大限の注意を払いつつ、怒りで顔を真っ赤にした司令官と対峙する。彼は吐き捨てるようにシルクさんへ命令した。

「何をやっているのです防衛団!?早くこの小娘を捕まえなさい!でないと、分かっていますね?」

「………」

 脅迫してたのか。道理でおかしいと思った。こんな見栄とプライドだけの勝負に価値なんて無いのに。勝てば誠さんに笑顔が戻るなんて都合のいい事、ある訳ない。だってあの人は……もう現在を見ていないんだもの。

 神父はいつものアルカイックスマイルを湛え、双剣の短い方の刃を大お爺様の首元に突き付ける。

「動かないで下さい。家族が傷付くのは嫌でしょう?」

「馬鹿止めろ!今のデイシーにそんな理屈は通じない!」

「そうですよジュリトさん。大お爺様を人質にしたって無意味です。煮るなり焼くなり好きにしちゃって下さい」右掌で小規模放電させ、「何なら私がやってあげましょうか?」

「お、おいデイシー……?どうしちまったんだ?」訳が分からないのかアレクさんが呟く。

「何を言っても無駄だ。今の彼女は憎しみに満ちている」

「そうです」

 バチバチッ!撃たれたパイプ椅子が黒煙を上げる。

「下手な事を言えば雷の餌食って訳さ」

「流石大お爺様。適切な表現です」

 私は部屋を見回し、同級生達はどうしたのか尋ねた。

「二人共お前とクレオを探しに行ったんだよ。会わなかったのか?」

「会いましたよ、さっき中庭で別れましたけど。クレオさんの事ならシルクさんの方が詳しいんじゃないですか?」

 意地悪く言ってみる。予想通り、仲間思いの彼女は歯噛みして睨んできた。

「何だって?シルクさん、クレオの奴まさか……!?」

「………」

「あれ、言わないんですか?クレオさん、あんなに必死であなたを庇っていたのに?報われないですね」彼女の頭上の空間を指差し、「今頃その辺で泣いてますよ?」

「勝手に殺すな。彼は貴殿等と一緒にいた少女に任せてきたのだ」

「あの子が?そうですか」

 どう言う風の吹き回しだろう?あれだけ鬱陶しがっていたクレオさんを直そうとするなんて。彼の何かが心にでも触れたのだろうか。

 その時、シルクさんが「ジュリト神父」と呼び掛けた。

「何です?」


「もう充分裏切り者を演じたぞ――リサを返してくれ」


「………え?」

 解放された状態なのに、一瞬頭が真っ白になった。

「それが約束できぬなら私はデイシー殿を止めない。勿論破壊活動に協力もしないがな」

「このような危険人物を放置して何が防衛団ですか!これだから六種は」

「王である聖者様の意向に反し人質など取る方が余程職務怠慢だ。とても誇り高き不死族のする事ではない。靭殿のように、卑怯な手など使わず戦いたかった者も大勢いるだろうに」

 リサちゃんが人質?シルクさんを引き入れる、そんな事のためだけに?


 バチバチバチッ!!!


「赦せない……!リサちゃんはどこです!!?」

 自分でも制御できない程の放電が起こり、慌てて大お爺様が印無しで防御魔術を使う。

「デイシー落ち着け!!」

 ちゃんとした防御でないせいか、金髪の毛先がチリチリ燃えていく。シルクさんは放電の届かない部屋の外へ退避し、神父は壁際で防御魔術を発動させていた。

「暴れていいのですか?彼女は我々の掌中」やや余裕を失った声で言い、ポケットから携帯電話を取り出す。「私が指示すれば取り返しの付かない事にな」

 次の瞬間、拡散する雷が巨大な龍となり襲い掛かった。目を開けていられない程の閃光。後には黒焦げの壁と床、うつ伏せに倒れた手には粉々の携帯。

 殺してやる、寸前頭はその一言に支配された。不死でなかったら間違い無く死んでいただろう。

「……嫌われちゃいますね、絶対。ねえシルクさん?」

「何の事だ?」

「惚けないで。私おかしいでしょう?こんな、無差別に人を襲ったのに良心の呵責が無くて、どころかもっと力を振るいたい、快楽を求めて身体中が叫んでいる……今の姿、とてもリサちゃんには見せられません」

 あの子には絶対見られたくない。だけど一番の恐怖は、逆上した自分が小鳥の弱い心音を止めてしまう事。今の私では近付いただけで心臓に異常を起こし、破壊してしまう。


「いや………やだ、嫌ぁ――!!!!」


「デイシー、落ち着け。深呼吸して魔力を安定させるんだ」

「大お爺様怖いよ!力に意識を飲まれそうで!私、きっとリサちゃんを殺しちゃう!!」

 過呼吸気味になった途端、更に魔力が身体中を荒れ狂う。熱い!苦しい!

「大丈夫だ、そんな事僕が絶対させない。とにかく気をしっかり持つんだ。いつも魔術を使う時と同じだ、精神に静寂を満たして」

 ブンブン!私は狂ったように首を横に振った。

「駄目、駄目大お爺様!!」

 普段は言う事を聞いてくれる集中力はまるで海岸の砂のよう。固めようとした傍からボロボロ崩れ、ザアザア鳴る暴風に攫われ手の届かない場所に散ってしまう。

「シルク・タイナー、僕等の縄を外してくれ」

「分かった」

 ハルバートの刃が二人の固く結ばれた縄を一刀両断。自由になった大お爺様が私の元へ駆け寄ってくる。手を握った拍子に静電気の火花が散った。

「さあデイシー、僕が補助する。持て余した魔力をこちらに流して御覧。昔みたいに、君が制御できるレベルになるまでだ」

 言われた通りやろうとするが、手首から先に魔力が動いてくれない。今まで抑え込まれていた蟠りが熱い痛みとなって出口を塞いでしまっている。

(周りの人間のいい様にされるのはもううんざり!私はただ自由に生きたいのに、どうして誰も認めてくれないの!!?)

 強力な情動に対し、私は理性で以って叫び返す。

(いけないよ!そんな事したら私の周りに誰も来れなくなってしまう!お願い止めて!!)


 バチバチッ!!


「ぐっ……」

「大お爺様!!?」

「だ、大丈夫……」繋いだ手は電流に依って力を奪われ、今にも離れそうだ。「僕の事は気にするな。集中しろ」

 私は大お爺様の声を頼りに意識を魔力へ向けようとした。

(馬鹿な私!生まれ持った力を封じられてヘラヘラ笑っていられるものですか!!)

(止めてよ!私はリサちゃんを殺したくないの!!)

 抑えようとすればする程、力は言う事を聞かなくなる。そして決定的な言葉が頭の中に響き渡った。


(私が自由になれないならあんな子、死ねばいいのよ!!)

「駄目、駄目……私、ここにいちゃいけない!!!」


 バッ!手を振り払い、ドアを走り抜ける。追ってきたアレクさんとシルクさんを電撃で足止めし、階段を一気に駆け上がった。

「はっ……はぁっ……!」

 自分がバラバラになりかけていた。傷付けたい人格と守りたい人格がせめぎ合い、頭がクラクラする。どうして不用意に解放してしまったんだろう?

 もうどこを走っているのかも分からない。気付いた時には政府館を飛び出し、近くの林の奥で荒い息を吐いていた。

「う、うぅ………」

 全身に回った魔力のせいで咽喉が痛い程乾いていた。林の中を流れる小川の清水に触れた。とても冷たい。掬って飲むと少しだけ魔力が落ち着いてくれた。


「デイシーちゃん……?」


 空耳だ。あの子がこんな所に来るはずない。


「どうしたのデイシーちゃん?具合、悪いの?」


 振り返り、信じられない光景に悲鳴を上げそうになった。親友は私の眼鏡を両手で大事そうに持ちつつ首を傾げる。

「そ、そんなに吃驚させるつもりじゃなかったのに……ごめんね。これ、デイシーちゃんの眼鏡でしょ?」

「まさかずっと探していたの、私を」

「うん。だって今見えてないんでしょ?きっと凄く困っていると思ったから……余計なお世話だった?」

 そのまま何の危険も感じず湧き水の小川へ歩いてくる。心臓が破裂しそうになりながら「来ないで!」精一杯の制止の声を上げた。

「!?」

「あ、あのねリサちゃん。こっちに来るの、ちょっとだけ待って。いいって言うまで動かないで、絶対」

「う、うん……具合悪いの?大丈夫?お医者さん呼んで来ようか?」

「いい、そう言うんじゃないから」

 深呼吸して身体中の魔力に意識を集中させる。先程と全く違い、力は私の制御を素直に受け付けた。感情の叫びも聞こえない。

(リサちゃんを待たせる訳にはいかない……そう、そうよ。このまま上手く納まって)

 暴れていた自分も不思議なぐらい大人しい。

(自由よりあの子が必要なの?)ただ少し寂しそうにそう訊いてきた。(そうだよ。だって親友だもの、知っているでしょう?)(……うん。あの時からだよね?)



 魔力を封じられた生活。学校に友達は沢山いたけれど、勿論誰も私の本当の姿は知らない。毎日が息苦しくて窒息死しそうだった。

両親の事故のしばらく後。唯一の理解者である大お爺様は、その頃仕事で忙しく殆ど家に帰らない日々が続いていた。精神的ストレスの溜まった身体に、数日に及ぶ急激な気候の変化。風邪をこじらせ肺炎を起こした私は、家政婦に連れられて即日中央病院へ入院した。

 相部屋には既に一人の先客。年下の少女は私と同じような咳をし、点滴を受けていた。

 大お爺様と家政婦の三度目の様子見の後、彼女は初めて声を掛けてきた。布団から鼻の上まで出し、恥ずかしげにもじもじと。

『いいですね、えっと、デイシーさんは。毎日お父さんとお母さんがお見舞いに来てくれて。羨ましいな……』

『親じゃないよ。後見人のお爺ちゃんと家政婦さん。仕事あるから別に来なくていいのに』

『そんな事言わない方がいいよ。デイシーさんを心配してくれているのに……お姉ちゃん今度は何時来てくれるんだろう?ちょっと寂しいな』溜息。

 リサ・タイナーと名乗った彼女は、心臓が弱く小さい頃から入退院を繰り返す生活をしているらしい。肉親である姉は、義父と出稼ぎに行ってよく家を留守にする。マメに見舞いに来る時もあれば、一週間以上顔を出さない時期もあるそうだ。忙しい所は私の大お爺様と似てるね、そう言って今度は自分の身の上を語る。リサちゃんは真剣に聞き入り『私も本当のお父さんとお母さんは死んじゃったの。覚えてないけど、お姉ちゃんが話してくれた』

 私が退院するまでの数日間、私達は診察の時以外一日中お喋りした。家族、学校、趣味、将来の夢……体質の話題以外ありとあらゆる事を。敢えてその話をしなかったのは知られたくなかったという以前に、リサちゃんの方がその話を嫌ったから。心臓のせいでちょっとした風邪でも入院を余儀無くされ、学校に行っても友達が出来ないまま進級してしまうらしい。単位は通信で取っているから落第はしていないんだけどね、と寂しそうに呟く。

『この前お医者さんからもね、来年は通信教育だけの方が楽じゃないかって言われたの。年間出席日数一ヶ月以下じゃ仕方ないし……私もそれでいいかなって。お姉ちゃんは私が選んだ方でいいよって言ってくれてるの』

 件の姉、シルクさんを最初見た時は男性だと思った。歩き方が颯爽とし過ぎて、しかもそれまで出会ったどんな女性より筋肉質でガッシリしていたせいだ。

『退院後も出来れば仲良くしてやってくれ。姉として不出来な事だが、私は余りこの子に構ってやれなくてな。頼む』そう精悍な顔で頭を下げられた。

『もうお姉ちゃんてば。デイシーちゃん気にしないで。お姉ちゃんの言う事はいっつも重過ぎるの』

『仲良いね。私も姉さんか妹が欲しかったな』彼女が帰って開口一番言うと、リサちゃんは破顔して『私も前は一人ぐらい妹がいたらいいなって思ってたよ。今はデイシーちゃんがいるからいいけど』

『そうだね』

 偶々一緒の退院日と決まった時は嬉しかった。当日は病院を出てすぐに互いの家を訪問し合い、荷物整理もそこそこにはしゃいだ。リサちゃんは私の家の蔵書の多さに目を丸くし、私も親友が作った機械の山に吃驚仰天。事故の後遺症でフラッシュの調子が悪くなっていた両親の形見のカメラも、彼女の手に掛かればあっと言う間に復活した。その後も一回レンズ交換とズームの調整をしてもらったけど仕事振りは完璧で、多分二人が使っていた頃より性能は上がっているだろう。

 季節が巡り、何度彼女が入退院を繰り返しても私達の友情は変わらなかった。そして現在も――。



「――ごめんね。もう大丈夫」

 何時の間にか小川に足が浸かり、靴下まで水を吸っていた。半月前なら冷たさに身震いしていただろう。

 口を開こうとする親友に先立ち、自分から歩み寄る。両手で差し出された束縛に自ら嵌って、そのまま彼女を抱き締めた。

「え、で、デイシーちゃん!?」

「ありがとうリサちゃん……あの、今まで黙っていたんだけど私」

 ふるふる細い首が横に振れる。

「知ってたよ、ずっと前から。デイシーちゃんが検査の時、エルシェンカさんが危険だよって注意しに来たの。私、ただでさえ心臓がこうだから心配したみたい。――勿論話半分に聞いたけど」

「え?」

「だってデイシーちゃんが私に危害を加える訳無いもの」

 瞳の中にあるのは全幅の信頼。応えられる程の物が、私には無かった。

「私、さっきまで政府館の中で一暴れしてきちゃったの、不死族の人達相手に」舌を出して告白する。「ちっちゃい頃以来一度も解放してなかったから酷かったよ」

「本当に?」おろおろ。「大丈夫なの?怪我は?」

 その一言に安堵の感情が湧き上がってくる。あぁ……さっきはごめんね。本当にごめん。

「無いよ。でも今頃、皆血眼になって探し回っていると思う」自業自得だ。「そう言うリサちゃんはどうしてここに?誘拐されていたんじゃ」

「何の事?私、朝から子供達とずっと玄関でかごめかごめしてたよ。お姉ちゃんに頼まれたとかで。あれ、やっぱり嘘だったの?おかしいとは思っていたんだけど、中々言い出すきっかけが掴めなくて……」最後は気弱げに言葉を終える。「ごめんなさい。迷惑掛けた?」

「全然。でも、シルクさんには早く無事な姿を見せてあげた方がいいよ。本気で心配してたから」

 何せ信念を曲げて卑劣なスパイに成り下がったぐらいだ。

「お姉ちゃんが?そう……」

 日差しは樹木の枝葉に遮られて涼しいけれど、座って休めそうな場所は無い。私は親友の手を引いて林の出口を目指し始めた。歩き疲れた彼女をどこかで休憩させたい一心で。

「デイシーちゃん、このポケットの缶は何?」

「ただのゴミだよ」

「三つも拾ったの?」

「うん、早く屑籠見つけて捨てなきゃ」

 もう反則負けでも何でもいいや。忘れかけていた一番大事な物はこの手の中。それだけで充分。

「帰ったら久し振りに家でお茶しようよ」「うん」

 談笑している内に、樹々の幹の間から政府館が覗く。出口だ――――え?

 トンッ。リサちゃんの柔らかい胸が背中に当たる。

「どうしたのデイシーちゃん?」

「見ちゃ駄目……」

 叢のすぐ横で男女が折り重なって倒れている。上側の女性の背中には深い刺し傷、血は固まりかけていた。周りに凶器は見当たらない。

だが私が肝を潰したのは死体そのものではなく、その隣にいる人物に対してだった。


 彼は惨殺体を見下ろしてニタニタ嗤っていたのだ。背筋が凍り付き、そのままショック死してしまいそうな程不気味に。


 リサちゃんを庇いつつ私は後ずさった。脳裏に大お爺様の苦痛に歪んだ顔が浮かぶ。いけない、もしこちらに気付かれたら……思わず掛けたばかりの眼鏡に手を持っていく。

「リサちゃん、私が行ってって言ったら迷わず後ろへ逃げて」

「!?デイシーちゃんは」

「大丈夫、私もすぐ追い付くから。とにかく、真っ直ぐ進んでいけば街のどこかに」


――……わいい坊や。お眠りなさい……――


 ドッ!優しい歌声に反応して冷や汗が大量に噴き出す。

(何これ……こんな、立っていられなくなる程の恐怖……感じた事が無い……!!!)

「リサちゃん!?」慌てて振り返る。親友は胸を押さえ苦しそうに蹲っていた。拙い、発作だ。「大丈夫!?薬は?」

「家に置いてきちゃった……ごめんねデイシーちゃん、こんな時まで……」

 吐息からはまだ生の香りがした。だけど微かなそれは、辺りに漂い始めた酷く甘い死の臭いに今にも掻き消されそう。吸い込んだ私も何だか頭がボーッとしてくる。

「う………」

 網膜の色彩感覚がおかしい。青々としていた草や葉っぱが黄色、段々赤へと変わっていく。なのにリサちゃんの顔色だけは真っ白のまま。紫色の唇を震わせた小鳥は今にも天国へ行ってしまいそう。

(いけない……!とにかくこの場所から逃げなきゃ!)

 身体中の力を振り絞って立ち上がり、彼女の肩を抱えて半ば引き摺るように林の奥へと戻り始める。


――……くすくす……もうすぐ皆、こっちに来るんだね。


 笑い声が耳に入った途端、足が縺れた。親友を守りたい一念で自ら両手を地面に着ける。瞬間、掌を鋭い痛みが走ったが気にしていられない。

「リサちゃ―――ひっ!!」

 背後から氷のように冷たい手が私の首を掴んだ。光の魔術を使おうともがいたけれど、相手の力は圧倒的だった。頸椎の骨がギシギシと生理的に厭な音を立てる。

「止めて!!………お願い、殺すなら……私だけにして………!!」




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