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ほら穴の彼  作者: 透水
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第四話

 れいがほら穴が見えるところまで到達したとき、すでにあの男のいたほら穴の周りには、人だかりができていた。入り口をふさぐようにではなく、まるで覗き込むように。

「町の人……ほとんど来たんだ」

 息を切らしながらも、れいはまた走った。町の人たちの後ろにやっと着いても、皆ほら穴に注目していて、誰もれいが来たのに気付いていない。

「誰かいるんだろう! すぐに出てくるんだ!」

 誰かの声が、ほら穴に入ると大きく響いた。微動だにしない暗闇が揺れたのは、一分ほど経ってからだった。

「あ……」

 あの男だった。初めて陽光の下で見る男は、あの暗闇での生活せいかかなり細かった。そのため、身長もかなり高く見える。ジーンズ生地の長袖のジャケットは袖が捲くられ、全て薄汚れていた。ぼろぼろになってはいないものの、上着以上に男のズボンは汚れていた。白と思わしきスニーカーも、泥だらけだ。頭はぼさぼさの長髪だったが、顔ははっきり見えた。

「あんたか、家の娘を脅したのは」

 れいの父の声だった。思わずそちらを見ると、見たこともない恐ろしい顔で、れいの父は男を睨んでいた。

「すまないが、俺は何も話を聞いていない。何の事を言っているのか、説明してもらいたいんだが」

「とぼけるな! 自分でやったこともわかってないのか!」

「俺は迷惑をかけないよう、ほら穴からは一歩も出ていない。それなのになぜ怒る」

「女の子が、あなたのところへ来てたでしょう。あれは娘なの。どうしてここを避けていた娘が、突然あなたのところに来るようになったの?」

 今度は母だった。

「……ああ、あの女か。突然入ってきたんだ。それで何を思ったか、俺に食べ物を持って来るようになった」

「お前が命令したんだろう」

「俺は食料を持っていた。別にいらなかったのに、勝手に持って来るんだ」

「嘘をつけ!」

「違う! お父さん違うよ!」

 今にも男に掴みかかりそうな父の前に、れいは飛び出した。ほら穴の男をかばうように。

「れい! 家にいろと……」

「お父さん、どうして勝手にそんなこと言うの? この人は何もしてない! したのはあたし!」

 殺気に近かった人ごみの雰囲気が、弱まったようにれいは感じた。

「あたし、つい興味がわいて入ったの、ここに。それでこの人に会って。この人は来なくていいって言ったんだけど、あたし心配で……。それで食べ物とか買って、この人に渡しに行ってたの。全部あたしがしたことなんだよ。だから、この人は何も、何もしてないのに……」

 感情の高まりのせいか、れいはわけもなく泣き出した。

「……いいやつだ。……れはこういう…………さがし……」

 れいが涙を流していたせいか、それとも男が小さく微笑を見せながらうつむき、呟いたせいか、男の言葉は、れいの耳には途切れて聞こえた。

「あんた……似てない?」

 れいがお世話になっているコンビニの松木が、一歩出て男の顔を覗き込み言った次の瞬間、空高くにまで響き渡りそうなクラクションが二度、続けて鳴った。

「な、なんだ!」

 その場にいた浮浪者以外の人間は、皆後方の道路を振り向いた。漆黒のクラウンが、ゆっくりとこちらに脇腹を見せ、停止したところだった。

「どうしたんです? こんなみんなでお集まりになって」

 運転席から出てきたのは、若い男性だった。スーツを着たその男に、れいは見覚えがあった。

「あ、あなたは」

「あれ、この前のお嬢さん。その後ろのは?」

 社長の息子だと自称した男性は、れいにどけろとも言わずに、ほら穴の男を首をかしげて見ようとした。

「……あ、あんただ! どこかで見たと思ったら」

 松木の驚いたような声だった。松木は息子を見て、そしてほら穴の男を見た。

「この男の顔、この人と似てるんだよ!」

 ほら穴の男を指しながら、息子に怒鳴り散らすように松木は叫んだ。周りがざわめき、そして松木の意見に同意する声が随所から上がった。それを見回し、小さくため息をつくと、次期社長は喧騒に負けないような大きさの声で、言った。

「ま、出てきたって事は、見つけたんですね? 兄さん」

「ああ」

 弟の言葉にしんとなったため、兄の言葉は小さいながらもはっきりと聞こえた。

「皆さん、僕に会った人は、僕が社長の息子だと言ってたと思います。だけど嘘だったんです、それ。確かに息子ではあるけれど、僕は次男。現に次期社長なのは、僕の兄である長男、つまり」

 元次期社長は、故意に間をあけたようだった。

「そこにいる、浮浪者のふりしてる人です」

 町人たちは一気に驚きの色に染め上がった。れいだけが事情を飲み込めておらず、ただ呆然とつっ立っていた。

「兄さんはね、本当に優しい人を探していたんだ。だからって、ここまでやることないと思うんだけどね。街で知り合った女性が、よっぽどひどかったらしい」

「偽善で世話をしてくれていただけなら、ここでいい機会だとばかりに、追い出す側に転じるような女しか知らなかったんでな。まさかかばうとは考えていなかった」

 暗闇で聞いた声とも、先ほどまでの無表情に近い顔ともかけ離れた、しかしどこか共通する声に、れいは浮浪者ということが架空なのを実感した。

「じゃ、決定かな」

「え、何が、ですか?」

 次期社長を振り見ていたれいは、弟の唐突な声にまた体を戻した。

「あなたが嫌じゃなければ、家に来てくれないかな。兄さんのお相手として」

「えっ……」

「外見を気にしないで、人を助けてくれるようなとこに、兄さん惹かれたんだよ」

「何をしでかすかわからない浮浪者のとこに通うのも、どうかと思うがな」

「兄さんが手出ししなかったから、彼女信じたんでしょ?」

 しばし兄弟の話が流れ、れいは弟の言葉を理解することにした。家、とは、やはりあの豪邸だろうか。相手、ということは……

「自分より他人のほうが心配だなんて言うやつが、いるとは思わなかったよ……」

 その言葉が形になったように、れいの肩に手が置かれた。

「来てくれるか?」

「……あたしでよければ」

「そんな謙遜の言葉は初めて聞いたよ」

 振り向いたれいが見た、男の初めての表情は、あの態度とは遠くかけ離れた優しい笑みに満ちていた。

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