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婚約破棄された元聖女の侯爵令嬢ですが、新聖女が〇〇だったので全部ひっくり返りました

作者: 徳野用一
掲載日:2026/07/05

「リイナ侯爵令嬢。君はもう聖女ではなくなった。だから婚約を破棄する」


 ドレナ国の第一王子サリエルは、突然わたくしにそう宣告したわ。


 ◇ ◇ ◇


 三か月前。


「リイナ侯爵令嬢。聖女である君を愛している。オレと婚約してほしい」


 わたくしたちの国、ドレナ国の第一王子であるサリエルは、わたくしの前にひざまずいてこう言ったのよ。

 愛の告白なんて初めてのことだったから、ドキドキして嬉しかったわ。

 目鼻立ちが整っていて、女性人気の高いサリエルは、はた目から見ても格好良くて、わたくしは天にも昇るような気分でしたの。

 幼いころに絵本の中で見た、王子と聖女の恋。

 それがいままさに自分の身に起こっていて、世界で一番幸せな気持ちを味わっていたわ。

 それがまさか三か月後には全く逆の展開になるだなんて、誰が予想したと思うわけ?

 きっと誰も予想してなかったに違いないの。

 もしも予想してたとしたら、王子を心の底から敬愛していて、わたくしを骨の髄まで憎んでいるような人ね。

 そんな貴族令嬢は探せば一人や二人……いや、十人や二十人はいるかもしれないわ。

 人数が多すぎて、まったく嫌になっちゃうわね。

 世の中、もうどこもかしこも敵だらけなんじゃないかしら。


「わたくしが聖女ではないって、どういうことですの?」

「そんなことも分からないのか? いいだろう。教えてやる。新しい聖女が現れたのだ。だから君はもう聖女ではないのだ。これで分かったか?」


 平気な顔してとんでもないことを王子は言い出したわ。

 聖女って四十年に一人くらいしか現れないって言われてるのに、この一年で二人の出現ですって?

 にわかには信じられないわ。

 いや、信じたくないといったほうが正確かもしれないわね。


「そんなこと言われても信じられませんわ」

「うたぐり深い女だな、君は。よかろう、新しい聖女を見せてやる。ベネッサ伯爵令嬢、出ませい!」


 王子の声を受けて、奥から登場したのは、わたくしたちより三才くらい若い、十四才くらいの可愛らしい少女だったわ。

 そしてベネッサ嬢の後ろには聖女にしか出ない後光が差してるの。

 これには王城のみんなもびっくり仰天よ。

 もちろんわたくしも驚いて、顎が外れるくらい口を開けてたかもしれないわ。

 鏡を持っていなかったから、自分で確認したわけではなかったけれどもね。


「回転の鈍い頭でも、これで理解できたか? 新しい聖女が登場した。つまり君はもう聖女ではないのだ、リイナ侯爵令嬢」

「わ、わ、分かりましたわ……」

「そしたら、聖女引継ぎの儀式を行いたまえ」

「え? いまですか?」


 聖女ってものは新しい聖女が出てきたら、古い聖女が持ってる力をできるだけ与えるの。

 これによって、新しい聖女は先代の聖女よりも強い力を持ち、国は栄えるってわけ。

 だけど、出会って三分で引継ぎって早過ぎない?

 乾燥麺をお湯で戻すわけじゃなくてよ?


「何だ? 君は引継ぎの魔法が使えないのか?」

「いや、使えないわけではないですけど、いくらなんでも早過ぎるっていうか……?」

「早いことの何が悪い。早くて最高ではないか」

「あんまし王族の人が言いそうなことではなくないですか? 王族の儀式って何でも時間がかかって長ったらしくないですか?」

「オレは新しい時代の王族なのだ。早寝。早飯。早儀式。三拍子そろった新しい時代の速度狂だ」

「なんかあんまり良いことに聞こえませんが……」


 速度狂って他人が言うことであって、自分で言うことではないような。

 こういうことを自分で言う人って、相当に珍しいわ、たぶん。

 サリエル王子、頭は大丈夫なのかしら?


「何か言ったか?」

「いえ、何も……」

「それじゃ早速、引継ぎの魔法を使え」

「わ、分かりましたわ……」


 そんなわけでせっつかれるように新しい聖女の前に立つと、わたくしは引継ぎの魔法を使い始めたの。

 それにしても、この子可愛いわね。

 わたくしも可愛いと言われなくもないのだけど、それとは比較にならないくらい、尋常ではないくらいに可愛いですわ。

 目も鼻も耳も、どのパーツを取ってみても美しいのですわ。

 それらが合わさって、その美しさはなお一層のこと引き立ってますの。

 女のわたくしから見てもそうなんですもの。

 男性から見たらもっと凄くショックを与えられることになってそうですわね。

 一目ぼれなんてめったに起きることではないけれど、この子の場合はそれを起こしても不思議ではないわ。

 右手に魔力をいつもより余計に集中させて、わたくしが力を溜めると右手が黄金色に輝きだすわ。

 城内から「おお」というざわめきが起こったわね。

 こんな珍しい魔法を見ることなんてめったにないわけだから、驚くのも当然と言えば当然だわ。

 ヘビが脱皮するのを見るのよりも、珍しいわ。

 え? ヘビ自体を見たことないって?

 珍しいわね。異世界にでも住んでるのかしら。

 それじゃ、新しい王様の戴冠式を見るのよりも珍しいわ。

 これなら三十年に一度くらいかしら。

 それからおもむろに右手で新しい聖女の頭をわたくしはひっつかんだわ。


「ひい!」

「ちょっと何をするんだ!?」


 びっくりして声を上げたベネッサ嬢と王子を、わたくしはギロリと睨んで視線だけで黙らせたわ。

 いま一番大事なところなんだから、邪魔しないでよね。

 少しの間くらい黙って見やがれ、ですわ。


「ぅ……」

「むぅ……」


 ピカッ、と新しい聖女の全身が光りだしたわ。

 こうなれば、あとは決め台詞を吐くだけみたいなものよ。


「汝、父と母と子と聖霊の御名によって、装いを新たにせよ、聖女ベネッサ」とわたくしは言った。

 ベネッサ嬢の身体が何やら七色に光りだしたわ。

 え? なにこれ?

 わたくしこんなの見たことないんですけれど。

 誰か知ってる人いなさそうかな、と思って城内を右端から左端まで見渡してみたのですけれど……。

 残念ながらみんな驚きの表情を浮かべてる人ばっかりで、事態を把握してそうな人は見当たりませんでしたわ。

 城内だけあってこの場には人がたくさんいるというのに、さっぱり役に立ちませんね、はあ。

 ボーっと立ってるだけの上流階級関係者のなんと多いことか。

 やがてベネッサ嬢を包み込んでいた光は治まったわ。


「せ、成功したのか?」


 サリエル王子がきいてくる。

 そんなこと言われたって、正直なところを言って良いなら、はっきり言って分かりませんわ。


「成功したのか、失敗したのか、どっちなのだ!?」


 ああ、もうしつこいですわね。

 しかし、失敗したというわけにもいかないし、なんと言ったら良いものか。

 どこかの誰かに助けてほしいですわ。

 それが誰なんだかわたくしにもよく知りませんが。


「成功したのかときいておる!」

「せ、成功しましたわ!」


 言った。よく分からないのに、なんとなく勢いだけで言ってしまった。

 これでもし失敗してたら、一体どうしましょう?


「そうか、よくやったリイナ嬢。褒美を取らす。休むが良い」


 こうして何だかよく分からないうちに始まった騒ぎは、訳の分からないままに終わりましたの。

 いわゆるひとつの『めでたし、めでたし』……ですの?

 とんでもありませんわ。

 わたくしは聖女をクビになって、婚約破棄になったのですから。

 これから一体どうすればいいっていうのでしょうか。


 ◇ ◇ ◇


 一週間後、王城にて。


「リイナ嬢。そなたを国外追放にする」


 ◇ ◇ ◇


 国外追放宣告の三時間前。

 聖女クビと婚約破棄のショックで何もする気にならない一日を今日も過ごしているわ。

 物心ついてからいままでずっと続けてきた、聖女のための修行とは何だったのか。

 つらい日があっても、きつい日があっても、何があっても聖女になる日のためだと思ってがんばってきたのですが。

 おまけに夢に描いたような王子と聖女の婚約まで、破棄されてしまったのよ。

 何のためにいままで精進してきたのか。

 まるでわたくしが水の底に沈んでいて、身体の一部が泡となった努力として水面に上がっていくのを、水の底から眺めているような心境よ。

 新しい聖女に力を与えた影響で半分ほどになった自分の後光を見ながら、わたくしはそんなことを考えていたの。

 そう。

 一度は失敗したかと思った引継ぎの魔法だけれど、こうして半分の後光を見ていると成功だったと確信できるわ。

 力は確かに分け与えられたのよ。

 これからのわたくしはたぶん歴代の聖女がそうだったように、やがて完全に聖女としての力を失うのね。

 そんな悪い気分でいると、これ以上悪いことは起きないのではないか。

 これからはもう良いことしか起きないのではないか、と思ってたの。

 ところがそうはいかなかったわ。

 わたくしは王城に呼び出されたの。

 そして今度は王子がわたくしを国外追放にする、と言ってきたの。


「こ、国外追放? わたくしが? 何かの間違いではなくて?」

「間違いなどではない。正真正銘の国外追放だ」


 目の前が真っ暗になる、という言葉があるじゃない。

 まさにそのことよ。

 光あふれて見えていたこの世界が、明るさを失っていったかと思ったわ。

 気が付けばわたくしは、お城の冷たい石床に座り込んでいたの。

 いつの間にか、膝から崩れ落ちていたのね。


「な、なぜでございますか? わたくしは国外追放になるようなことはいたしておりません」

「一週間前に引継ぎの魔法を使ったであろう?」

「はい。たしかに使いました」

「ところが、新しい聖女ベネッサに聖女の力が引き継がれておらぬ」

「なん、ですって?」

「それどころかベネッサの聖女の力が弱くなっておる。いままでの歴代聖女の歴史でそのようになった例はない。そなたのせいだ。責任を取れ」

「そんなはずはございません」


 確かに最初、引継ぎの魔法には失敗した恐れはあったわ。

 それは認める。

 でも、だからって新しい聖女の力が弱くなるなんて、そんなことあるはずがないの。

 わたくしはそう言ったわ。


「ほう。失敗を認めるか」

「……はい」

「しかし半分しか認めぬと言うか、この不届き者が」

「それは……そんなはずがございません」

「信じられぬというか。ならばその目でしかと見よ。聖女ベネッサ、出ませい」


 王子のその言葉を受けて、新しい聖女であるベネッサ伯爵令嬢が姿を現したわ。

 そしてその聖女の後光がこの前の半分ほどに減っていたの。


「なんてこと……」

「これで納得したか。そなたの犯した罪は余りある。よって国外追放とする。分かったか、リイナ嬢?」

「はい……」


 そんなふうに短い返事を絞り出すだけで、わたくしは精いっぱいだったの。

 聖女の力が半分になる。

 それが聖女にとってどんなに苦痛であるか、わたくしには分かるわ。

 いや、わたくしほどに分かる人間は、この世には他にいないと言っていいでしょう。

 胸の苦しみをこうしてわたくしは二人分背負うことになったの。


 ◇ ◇ ◇


 三日後、隣の国との国境。

 わたくしは三日間をかけて、故郷のドレナ国の王都から隣の国ペイジまで運ばれたわ。

 今回は貴族用馬車では考えられないような、クッションのまるで利いてない馬車だったのよ。

 舗装されてない悪路を、ガタゴト、ガタゴトと三日間揺られっぱなしで、身体がどうにかなっちゃうんじゃないかと思ったくらいだわ。

 上級貴族として生まれて、そんな目に遭ったのは生まれて初めてのことよ。

 これが罪人か、と改めて自分の境遇をわたくしは思い知ったわ。

 貴族としての価値観を物理的に揺さぶられたの。

 そして国境に到着したのよ。

 割と簡単な手続きがいくつかあって、晴れて隣の国のペイジへ追い出されたわ。

 わたくしを送り届けた人は、あっさり過ぎるほどそそくさと帰って行ったの。

 お元気で、もなければ、さよなら、もなし。

 がんばって、と言われることは、もっとなかったわ。

 元々あまり期待はしていなかったとはいえ、こんなことで期待通りでも全然嬉しくないわね。

 わたくしの生まれ故郷とは、こうやって縁を切ったの。

 いえ、切らされたのよ。


「さて、これからどうしたものか」


 誰に言うでもなくわたくしはそう言ったわ。

 当然ながらこの場所に知り合いなんて住んでいないのよ。


「よう、姉ちゃん、ウチに来ないか?」


 知り合いがいないはずの土地で声を掛けられたわ。

 これは、人身売買目的か、とわたくしは身構えたの。

 考えてもみれば、国境と言えば治安が悪いわ。

 犯罪率が最も高い地域なのよ。

 そんなところにいい年齢の少女が一人、無防備でいれば、気を付けるべきは人さらいよ、人さらい。

 ちなみに別に自分が可愛いって思ってるわけじゃないのよ?

 可愛くても、可愛くなくても、若い少女っていうだけで、それは価値があるものなの。

 詳しいことは知らないけれど、世の中とはそういうものらしいわ、なぜか。

 そういうわけで、わたくしは全力で逃げ出したの。


「ちぃ、待てや! 逃がすか!」


 人さらい(?)は、わたくしが逃げるとびっくりした様子で、追いかけて走ってきたわ。

 意外にもわたくしは最初、順調に逃げていたの。

 このまま行けば逃げ切れるんじゃないかと思っていたんだけど、突然逃げ道が行き止まりになっちゃったわ。

 いわゆる袋小路っていうやつよ。

 こうしてわたくしは捕まったの。


「放してよ、人さらい!」

「ひ、人さらい?」

「何よ、違うっていうの。わたくしはドレナの住民なのよ。それを捕まえるんだから人さらいじゃないの!」

「ああ、そういうことか。だけどドレナからは国外追放になったんだろ? もうドレナの住民じゃねえだろう」

「何でわたくしが国外追放になったと知ってるの?」

「聖女様のことならお見通しだ。聖女リイナ元侯爵令嬢」

「え? わたくしを知ってるってあなた、誰よ?」

「申し遅れた。オレはペイジ国の第一王子アベルだ」

「ペイジ国の王子? あなたが?」

「三年前に会ったことがある。覚えてねえか?」

「そういえば、どっかで見たことあるような気がするわ。アベル王子」

「そうだろう? ドレナの王城とペイジの王城で一回ずつ会っている。あとアベルでいい」

「よく覚えてたわね、アベル」

「好きになった女のことは忘れねえよ」

「え?」

「そのときからずっと好きだった。ペイジに来ねえか? オレと婚約してくれ」

「で、でもわたくし、もう聖女じゃないのよ」

「ああ、そのことについても話がある。我が国の聖女について話をしよう。王城に来てくれ」

「ペイジの聖女……」


 こうしてわたくしは隣国であるペイジ国の王城へと行くことになったのですわ。


 ◇ ◇ ◇


「リイナ嬢。いまペイジには聖女がいなくて困ってるんだ。ペイジで聖女をやってくれないか?」

「わ、わたくしなんかでいいんですか? 聖女の力がなくなるかもしれないんですよ?」

「たとえそうなっても構わないから、ぜひやってもらいたい。我が国にはいま聖女がいねえ。あんたは我が国の希望なんだ、聖女リイナ様」


 わたくしがどう返事をしようかと迷っているとアベル王子は続けてこう言ったの。


「それ以上にオレはあんたに惚れているんだ。聖女であってもなくてもどっちでもいい。オレと婚約してくれ」


 ◇ ◇ ◇


 一週間後。

 わたくしは新しい土地で聖女としての活動を始め、ペイジの人々に温かく迎え入れられたわ。

 その歓迎ぶりは予想以上だったの。

 ドレナでもこんな歓迎をされたことはないわよ。

 ドレナの二倍、いや三倍は歓迎されたの。

 わたくし、聖女をやっててこんなに戸惑ったことはなかったわ、びっくりよ。

 そして、それ以上にアベル王子はわたくしを大切に扱ってくれたの。

 胸の中がこんなに温かくなることって、いままでにないわ。

 本物の愛がここにある。

 そういうふうに思ったのは生まれて初めてのことだったの。

 このような幸せがずっと続いたら、なんと素敵なことでしょう。

 いままでわたくしの人生で幸せな日々というのは長くは続かなかったので、こういうときが来るなんて思わなかったわ。


 ◇ ◇ ◇


「聖女リイナを我がドレナ国に返してもらいたい」


 突然そう言ってサリエル王子がペイジの王城に乗り込んできたわ。

 横には聖女ベネッサを引き連れて、結構な剣幕なの。

 というか、隣国の王族が予約も無しで突然来るなんて異例のことで、周囲の人々も何事が起こったのかとどよめいているわ。

 しかも内容が内容よ。

 聖女を返せ、なんて前代未聞の要求に違いないわ。


「どういうことでえ? あんた方のドレナ国は聖女リイナ様を捨てたんだろ? 聖女リイナ様は我が国の聖女になられた。いまさら返すも返さないもねえよ。我が国の宝のように大切な方だ」


 ペイジのアベル王子が疑問を呈するわ。

 それにしてもアベル王子のお言葉、何とも温かみがあるわね。

 ありがたいわ。


「その件だが、新しい聖女ベネッサがどうにも調子がおかしい。その原因は引継ぎの魔法が不十分だったせいだと判明した。引継ぎは行われなかったのだ。そこでリイナ嬢の国外追放は取り消し。ゆえにまだ聖女のままである、という運びとなったのだ。聖女の仕事は聖女リイナにしてもらう」

「ちょっと待て。聖女リイナ様に対してあんまりな対応じゃねえか。捨てておいていまさら聖女に戻れとか、どの口が言ってんだ?」

「しかし、今回の原因はリイナ嬢にあるわけだから仕方ないのだ。ドレナとしては新しい聖女が生まれれば古い聖女には去ってもらう。ペイジにおいてもその方針は同じはずだ」

「同じじゃねえな。ペイジでは古い聖女を国外追放したことなんかねえよ。一緒にとかしてもらいたくねえぞ」

「多少悲劇があったのは認めないではない。しかしドレナの国民であるならば、ドレナに尽くして尽くして、尽くしつくす責務があるはずだ」


 ちょっと、わたくしは奴隷かなんかと扱いが同じですが?

 選択肢ってものが、どこにも存在しないですわ。

 ドレナに尽くすの一択だけしかないではないですか。


「ろくに守りもしねえのに責務とかあるかよ。民ならばまず守るのが先だろ」

「王族ならば民よりも国を優先するのが当然だと思うが?」

「そんなことねえよ。民があってこその国だ」

「どうやらあなたとは根本的に意見が違うようだな。これ以上の議論は平行線だ」

「それで聖女リイナ様を仮に返したとしたら、あんた方は一体どんなことをやらせるつもりなんだ?」

「我が国としては新しい聖女が予想以上に、不調なために困っているのだ。しばらく普通の聖女の仕事をしてもらったあとで、古い聖女リイナには新しい聖女のための礎になってもらう。この前とは別の引継ぎの魔法を使っていただく。完全に力を失うことになってもだ。仮に十中八、九、死ぬことになったとしても構わない」


 いや、待って待って、わたくし死にたくない、死にたくないわ。

 そんなに簡単に人の命がなくなるようなことさせないでくださる?

 人間の命にはかけがいのない価値ってものがあるでしょうよ?

 馬とか牛の命じゃないんだから、そんなホイホイと使い捨てにするようなことはしないでちょうだい。


「おいおい、聖女リイナ様に犠牲になれってのか?」

「一言で言えばそうだ。新しい聖女ベネッサが本調子になればリイナ嬢など比較にならぬ。大事の前の小事だ」

「ふざけんな。聖女リイナ様は大事なんだよ」

「いや、大事とは聖女ベネッサのことだ。見てみろ、聖女ベネッサを! 聖女ベネッサ、後光を全開にするのだ!」


 サリエル王子がベネッサ嬢の手を引いて前に引き出すわ。

 そして、力をこめるベネッサ嬢。

 力をこめる前よりは、後光が大きくなるけど……。


「見ろ、この後光を! 完全な後光とは比べるべくもない弱々しい後光だ! これでは聖女の仕事はできない! 我がドレナ国の未来もこれでは不安だらけだ! アベル王子はこの聖女に国を任せられるか!?」

「いや、それは……」

「そうであろう! ゆえに聖女ベネッサの力を完全にするために、我々には聖女リイナが必要なのだ! もらっていくぞ!」


 サリエル王子がわたくしの腕を掴んで、引っぱり始めたわ。

 王城の中を引きずられていくわたくし。

 ああ、このままわたくしは、サリエル王子に連れ去られてしまうの?

 楽しかったペイジでの日々は終わりを告げて、暗いドレナでの生活が始まるのだわ。

 そのときだったわ。


「待て、サリエル王子! 掴んでいる手を離してもらう!」


 アベル王子がわたくしたちの間に割って入ってきたわ。

 アベル王子の剣幕に押されて、思わず手を離すサリエル王子。


「な、何だ、アベル王子! もう話はついたではないか!」

「そのベネッサ嬢。一見、本物の聖女に見えるが……」

「本物なんだから、本物の聖女に見えて当たり前だろう!」

「いや、どうも怪しい。試させてもらう。元宮廷魔術師、こっちに来い!」

「はっ!」


 アベル王子は元宮廷魔術師を呼んだわ。

 彼は昔、ペイジで働いていた有能な魔術師なの。

 いまはよそにいるんだけど、アベル王子が一時的に王城に呼び寄せたわ。


「アンチ魔法を放て!」

「承知いたしました! 古より受け継がれし大地のマナよ。この地に巣食う邪悪を照らし、偽りを暴け。邪悪光顕現(ディアブロルミナ)!」


 元宮廷魔術師からベネッサ嬢に向けて黒い光が発せられるわ。

 光に直撃されたベネッサ嬢は叫び声を上げる。


「ギャアァァァアァァァ!」

「聖女ベネッサに何をする!? ただでは済まんぞ、アベル王子!」

「おっと、文句を言う前に、聖女様の後光をよく見てみろよ!」

「なっ!」


 ベネッサ嬢の背後を見てみると、後光に黒い紋章が浮かび上がったわ。

 それを見て人々は戸惑いの声を上げるわ。


「何だあの紋章は!」

「何てことだ、あの紋章は!」

「まさかあの紋章は……!」

「悪魔の紋章だ!」


 そう、それは悪魔の紋章だったわ。

 人々はそれが悪魔のものだと分かると、正面から見ずに目を逸らしているわ。

 聖女と最も縁遠い存在である悪魔、その紋章が聖女の後光の中にあるってどういうことなの?

 まさか……

「まさか聖女を名乗る者が悪魔の力を行使しているだなんて、誰も思わねえだろうよ」

「そんなこと、あるはずがない……」

「ところが実際にあるんだな。目を背けねえでしっかりと現実を見るんだな」


 アベル王子の言葉で、恐る恐るベネッサを正面から見るサリエル王子。

 するとベネッサは人間ではないような表情でニィと笑った。


「ずっと聖女のフリをしていようと思っていたけれど、バレてしまっては仕方なし。それにしてもサリエル王子よ。ずっと傍にいたにもかかわらず、いつまでも騙されっぱなしで傑作だったぞ。ドレナの王族とはバカばっかりであるな」


 ベネッサの言葉にサリエル王子の顔色が青白くなるわ。

 

「な、ベネッサ嬢、なんたる暴言……」

「暴言? 賢い者にバカと言えば暴言であろうが、バカにバカと言っただけであろう。適者適言であるからにして、暴言には当たらず」

「あ、あまりにも失礼だ……」

「悪魔に失礼も何もあったものではなかろうと思うが? それはそうと、失礼だったらどうするつもりだ?」

「せ、成敗してくれる……」

「ほう、趣深き。やってみせるがよかろう」


 サリエル王子がガタガタ震えながら剣を抜くわ。


「ハハハ。そんなに震えていてちゃんと剣を振るえるのか? 大丈夫か? 手伝ってやろうか?」

「よ、余計なお世話だ。ええい!」


 サリエル王子が気合と共にベネッサへと切りかかる。

 その振り下ろされる剣の軌道は、ひょろひょろとしたものだった。

 ベネッサがサリエル王子の腕を掴むと、そのままひねりあげる。


「ウワアァァァ!」


 サリエル王子は剣を落とす。

 ガチャンという音を立てて、床に落ちた剣をベネッサが拾った。

 そして悪魔にしては意外というべきか、洗練された動きでなめらかにサリエル王子を少し斬った。

 少しずついたぶるつもりかもしれない。


「ウギャアァァァ!」


 サリエル王子が悲鳴を上げながら床を転がり回る。

 床に血の跡が点々とついていく。


「ハハハ。いい悲鳴だ。悲鳴の中でも、王族の悲鳴は格別に良き。もっと聞かせたもれ。さあ、もう一回!」

「ヒィイィィィ! 悪魔が襲ってくるぅぅぅ! もうダメだぁぁぁ!」


 ベネッサが剣を振り下ろす。

 しかし、ガッという音を立てて、剣が空中で止まった。

 見えない何かにぶつかったように、それ以上剣が前に進まない。


「ぬっ! 空中障壁か。この魔法を使える者と言ったら……」


 ベネッサが周囲に視線をめぐらす。

 そして視線を止めた先にいたのは……、


「聖女リイナか」


 聖女リイナが魔法を行使するポーズで構えていた。

 この構えは空中障壁を使ったときの構えだ。


「ふん。邪魔な奴だ。剣のサビにしてやろう」


 ベネッサがリイナ嬢に斬りかかる。

 しかし、剣が再び空中障壁に阻まれる。


「ちぃ、固い! 剣が通らぬ!」


 ベネッサが舌打ちをする。

 予想外の事態にいら立ちの表情を見せる。

 さらに力をこめようとするが、それでもダメだ。

 聖女リイナが手を前に出す。


空気弾(エアロバル)!」

「グアァァァ!」


 聖女リイナから放たれた空気弾がベネッサを襲い、弾き飛ばした。

 見えない弾によって、ベネッサの身体がピンポン玉のように弾む。

 悪魔の身体とは意外と弾力に富んだ身体をしているのだ。

 そして、弾んだ先でベネッサが倒れる。


「え! まさか悪魔が倒されたのか?」

「た、倒したの?」

「せ、聖女様の力とはこれほどのものなのか?」


 王城の人々の間から驚きの声が上がる。

 先ほどまでは絶望の色に沈んでいた彼らの顔に、喜色がにじむ。

 アベル王子や元宮廷魔術師やサリエル王子などが聖女リイナに近づいてくる。


「聖女様、お見事でした」

「これほど立派な魔法、見たことがありませんぞ」

「せ、聖女リイナ。すまなかった。私が間違っていた」


 聖女リイナは言い寄って来る人々に違和感を感じた。

 何なんだろうか、この妙な違和感は。

 何だか普通の人間ではないような気配が混じっている。

 いや、違う。

 人々のずっと後ろ。

 聖女リイナは見た。

 倒したはずのベネッサが立ち上がっている。

 しかも、姿が先ほどまでの人間のものと違い、悪魔そのものの格好に変化している。

 悪魔がひょいと手を動かした。

 これは……、


「危ない!」


 聖女リイナの声に振り向く一同。

 しかし、その鋭い警告が発せられたときには、すでに遅かった。

 一同に向けての悪魔の攻撃が、みなが防御の姿勢を取るよりも早く、もう放たれていた。


「ぐあっ!」

「ふぐぅっ!」

「がはっ!」


 はた目からは悪魔は手を少し動かしたようにしか見えなかったに違いない。

 しかし、よく見ればその腕の動きは、ブレているように見えた。

 実際のところ、悪魔は一度ではなくて、何度も手を動かしていたようだ。

 悪魔の攻撃が一回だけでなく、二重にも三重にもなって襲い掛かっていたのだから。

 聖女リイナの周囲の人々が一人、二人と倒れ、さらにバタバタと倒れていった。


「ずっと人間のふりをしていようかと思ったが、そうもいかぬな。この姿になるのは二百年ぶりぞ」


 数百年ぶりに悪魔の正体を現したというベネッサ。

 その肌は人間ではありえない緑色だった。

 見る者には気持ち悪さを感じさせた。

 その頭にはやはり人間にはあるはずのない角を生やしていた。

 それを見た人は、その角に威圧されて悲鳴を上げた。

 見た目だけで人を圧倒する存在、それが悪魔なのだ。

 そんな中で一人の男が立ち上がった。

 それは意外な男だったと言えるだろう。

 腹に手傷を負っている者。

 サリエル王子だ。


「聖女リイナ、逃げてくれ。私はあなたを愛している。あなたには死んでほしくない」

「え? しかし、逃げる暇など、どこにも……」

「時間は私が作る。いくぞ、ベネッサ」


 ベネッサは驚いたように言った。


「お主は我を好きだと言うておったではないか」

「それはお前が悪魔だと知る前だ!」

「人間も悪魔もそれほど変わらぬと思うが、お主は薄情な男だの」

「それでは薄情な男に斬られて死ね!」


 サリエル王子は手近な剣を掴むと、ベネッサに斬りかかった。

 剣と剣がぶつかり、火花が散る。

 一瞬、白い閃光が走って、周囲がパッと明るくなる。

 ベネッサはなおも語りかけた。


「まあ、待て。お主は我には勝てない。だがこのまま殺してしまうには惜しい」

「それじゃこのまま逃がすってのはどうだ?」

「それでは我に得が何もなし。そうだ。良き方法があるぞ。お主を悪魔に変えよう」

「なっ!」


 サリエル王子の表情が驚きに変わる。

 ベネッサは流麗な剣の動きでサリエル王子の剣を絡めとると、自分の剣も捨てた。


「武器は無粋だ。このような物はいらぬわ」


 ベネッサが再びニイと笑った。

 人間だったときにも醜悪だと感じたが、悪魔の姿になってからは、さらに醜悪であった。

 ベネッサは素手でサリエル王子に襲い掛かると、両手で頭を挟んだ。

 ベネッサの手が緑色に光る。


「グワァアァァァ!」

「さあ。このまま悪魔になってしまうのだ」


 城内に王子の叫び声が響く。

 苦痛に表情を歪めたサリエル王子の顔に、血管が浮き上がる。

 このままサリエル王子は悪魔になってしまうのか。

 そう思われたとき、サリエル王子がベネッサの腕を掴んだ。

 一体なんのつもりなのか。

 誰もが疑問に思ったところで、サリエル王子が叫んだ。


「聖女リイナ、私ごとベネッサを攻撃しろ!」

「え、でも?」

「いいから早くしろ! 私はもう長くもたない!」

「わ、分かりましたわ」


 王子の声を聞いて、聖女リイナが魔法の準備をする。


「く、くそっ! 我に魔法から逃げさせぬつもりか!」


 ベネッサの声に焦りがにじむ。

 ベネッサはサリエル王子の手から逃れようとする。

 しかし、サリエル王子は意外にも強い力でベネッサを掴んで離さない。

 その間にも聖女リイナの魔法は完成していく。


「世界を守る見えざる結界よ、邪悪なる者を拒み、その存在を永遠に封じ込めよ。悪魔封(デモニシュ)!」


 聖女リイナから白い光が放たれて、二人に到達する。

 二人の頭上から降り注いだ光は、その全身をすっぽりと包み込んだ。


「ギャアァァァアァァァ!」

「ぐぉぉぉおぉぉぉ!」

「こんなところで、こんなことで我が消滅してたまるか!」

「お前は終わりだ、ベネッサ!」


 白い光が点々と二人の身体を焼け尽くしていく。

 じょじょに焼ける範囲が広がっていき、残っている身体のほうが小さくなっていく。

 消滅のときが近づいている。


「死にたくない! 消えるのは嫌だぁあぁぁぁ!」

「リイナ嬢……愛している……」


 一方は無念が残る言葉を吐きながら、もう一方は悟ったような言葉をつぶやく。

 やがて二人の身体は完全に焼き尽くされ、この世から完全に消滅した。


 ◇ ◇ ◇


「聖女リイナ様、改めてオレと婚約してほしい」


 アベル王子は聖女リイナの前にひざまずいてそう言った。

 アベルの表情はほがらかで明るい。

 しかし、聖女リイナの顔は気のせいか暗く沈んでいるように見える。

 いや、気のせいではなかったのだろう。

 続く彼女の言葉が心に抱えた不安を告げる。


「でも、わたくし、聖女の力を失うのですよ。それでも良いのですか?」

「ああ、それだったらペイジ国で昔、同じようなことがあったんだ。ベネッサと同じように聖女に化けて、引継ぎの魔法を悪魔が使わせた。しかし、悪魔だとバレて倒された後、引継ぎの魔法の力は元の聖女に吸収されて元に戻った。聖女は力を失わなくて済んだんだ」

「まあ、そうだったのですか」

「それにだ。仮に聖女の力がなくなったってかまわねえ。ドレナに戻ることもできるようになったが、どうする? ドレナに戻るか?」

「いえ、ドレナには戻りませんわ」

「それじゃあ、オレと結婚してくれ」

「はい……」


 事件のあと、聖女リイナとアベル王子の婚約が大々的に発表され、リイナ嬢はペイジの聖女として国民から圧倒的な支持を受けた。

 悪魔ベネッサとの戦いは人々の間で語り継がれ、早くも吟遊詩人が歌を作ったという。

 子供たちはその歌に熱狂し、聖女リイナに強烈な憧れを抱いているという。

 それに対して、ドレナ国では聖女を失い、暗く落ち込んでいるらしい。

 第一王子と聖女を同時に失うことは、ドレナ国では過去に例がなかったことだ。

 王子については、第二王子が第一王子へと繰り上げとなり、なんとかなるだろう。

 いや、なんとかならないとしても、するしかあるまい。

 しかし、聖女についてはどうしようもない。

 ドレナ国はこれから四十年に渡って聖女がいない暮らしをしていかなければならないのだ。

 そのことについて考えると王族たちは頭を抱えた。

 ドレナ国の冬の時代が、いまから始まることになる。

 聖女リイナを裏切った報いを受け続けるのだ。

 しかし、そんな中にあって、悪魔ベネッサを早々に倒せたのだけは朗報だっただろうと王族は思った。

 もし、四十年に渡って悪魔ベネッサに災厄を振りまかれ続けるのに比べれば、いまの現状はマシであるのだから。

 だが実際には悪魔の来訪はベネッサが最後ではなく、これからが始まりであることを王族は知らなかった。

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