流され続けた男の末路 ~伯爵夫人の離縁までの三十日レッスン・後日譚~
「伯爵夫人になれると思ったのに!」
馬車の中、隣に座るギルデは拳を震わせながら、繰り返し叫んでいる。おそらく彼女は、この豪華な馬車が向かう場所をわかっていない。
今朝、カトリナの叔父が屋敷に来て、僕の爵位継承が無効であることを告げられ、すぐに馬車に乗せられた。窓には黒い布が掛けられていて、どこを走っているのかわからないようにしてあるが、おそらくは王都の北にある、貴族の為の牢獄に向かっている。
馬車に乗る直前、離婚届の偽造、伯爵家の資産の不正移譲、その他いくつもの罪を囁かれた。
「私の十二年は何だったの! あんなつまらない子に仕えてきたんだから、私が伯爵夫人になるのは当然でしょ! 理不尽よ!」
「……あ、ああ」
僕はカトリナと離縁するつもりはなかった。この国では貴族に愛人がいることが普通で、カトリナが正妻、ギルデが愛人として暮らしていくと思っていた。
僕が伯爵になった途端、それまで控えめな性格だったギルデが豹変し、カトリナを放り出して自分を伯爵夫人にするようにと要求してきた。離婚届のサインを偽造したのはギルデだ。
子爵の父も手のひらを返して擦り寄ってきた。屋敷を抵当に入れて借金をすると言い、僕は知らなかったが、父はギャンブルで子爵家の資産を食いつぶしていた。伯爵家の現金を持ち出したのも、父の要求だった。
伯爵になるということは、巨大な権力を持つということ。
僕はそれを軽く考えていた。先代の伯爵夫妻は壮健で、まだまだ先の未来だと思っていた。これから時間をかけて学んでいけばいいと思っていた。
『見下してなんていないわ。一緒にこの伯爵家を継ぐと約束したでしょう? 私はフリッツを信じて結婚したのよ』
離縁を告げた夜の、カトリナの真摯な顔が思い浮かぶ。彼女は常に貴族令嬢として正しくて、僕は彼女の堂々とした正しさに、いつも引け目を感じていた。
その後、カトリナと顔を合わせることが気まずくて、何よりも伯爵夫人になれると権力欲に酔いしれるギルデの笑顔が怖くて、屋敷に戻りたくなかった僕は、毎晩あちこちで飲み歩いた。
伯爵という肩書は、劇場でも貴族向けの酒場でもどこでも優遇された。下級貴族の友人たちに頼られ、酒を驕り、称賛を浴びる日々は、正直言ってこれまでになく気分が良かった。言い寄ってくる女たちもいたが、ギルデの嫉妬が怖くて手が出せずにいた。
ある日、周囲の僕の扱いが変わった。伯爵家が困窮しているという噂が流れ、僕はカトリナが何か手を回したのかと屋敷へ走った。伯爵家が不用品を売るだけで、そんな噂になるとは知らなかった。
生真面目で、つまらない年下の少女。ずっとそう思っていたのに、離縁を告げてからのカトリナは、生き生きとして輝いていた。その輝きが眩しくて、心惹かれた。
仮面舞踏会で出会った時は、見違えるように美しいと感じた。ダンスの誘いをきっぱりと断られ、僕は恥ずかしくなって王城から逃げて劇場へと向かった。
悩みに悩み抜き、僕は最初の計画通り、カトリナを正妻にして、ギルデを愛人にしようと決めた。伯爵家当主の言葉は絶対だ。ギルデに反対されないように、先に決めてしまおうと、僕は初めて自分の意思を優先した。
カトリナへの求婚が断られるとは想像もしていなかった。昔から、カトリナは僕を好いていて、僕が一言誉めるだけで顔を赤らめていたのに。
追いかけようとしても、不摂生を続けた体がいう事を聞かなかった。カトリナを連れ去る男は遥か遠くに馬で走り去り、僕は失意で屋敷に戻った。
「私たち、どこへ向かっているの? 子爵家?」
「わからない」
牢獄だと言えば、ギルデはどうするのだろうか。おそらくギルデは、書類偽造の罪もあるが、僕の世話係として一緒に投獄されることになる。
怒り狂うギルデの顔は怖い。元の控えめでおとなしい顔に戻ってほしい。
生真面目過ぎるカトリナではなく、生き生きと明るく笑うカトリナを、僕は手に入れたかった。
僕は、どうすればよかったのだろうか。




