第2節 西の大陸
張り詰めた空気の中、ヴァリスとトワは真っ向から向かい合う。
ヴァリスが剣を振ろうと足に力を込めるのを見たトワは、直感的に上体を後ろに反らした。
鋭い一閃がトワの前髪をかすめ、ヒュッと空を裂く音が鳴る。
「良い反応だな。だが、これはどうだ?」
続けざまにヴァリスが二撃、三撃と無駄のない動きで突きを繰り出す。
いずれもトワの急所を狙っていた。
だがトワはいとも簡単にそれらを避けてみせる。
ヴァリスの予備動作や足の向きから、剣の軌道を完全に見きっていた。
ヴァリスの剣撃には無駄がなく、突きや切り落としも洗練されている。
だが、トワの速度には追いつけなかった。
攻撃が見切られていることにも気づかず、ヴァリスは更に猛攻を続ける。
「逃げているだけでは私には勝てんぞ!」
トワは反撃はせず、ひたすら回避に徹する。
すると、あまりに攻撃が当たらないことに業を煮やしたのか、ヴァリスは剣を両手で持ち、構えを変えた。
「ちょこまかと猿のような奴め……こいつはどうだ!?」
ヴァリスは全身から殺気を溢れさせたかと思うと、構えた剣を目にも止まらぬ速さで振り下ろした。
そのあまりの速度に、その場にいる誰もがトワの死を覚悟し、目を瞑る。
しかしそれは杞憂だった。
剣で切られたはずのトワは、振り下ろされた剣の上に立っていた。
まるで綱を渡るかのように揺るぎなく、足の指で器用に刃を挟んで。
予期せぬ結果に、ヴァリスが驚きに目を見開いた。
その顔を見て、トワはふふんと自慢げに笑みを浮かべる。
「降参か? トワの勝ち?」
「ふざけるな!」
激昂したヴァリスは力任せに剣を振った。
女性とは思えぬ膂力である。
しかしトワはヒラリと空中で身を翻すと、再び剣の切っ先に乗ってみせた。
「どうやったらトワの勝ちになる? この剣折ったら良いのか?」
「折れるものなら折ってみろ!」
ヴァリスが剣の上に乗るトワに向けて蹴りを放つも、トワは跳躍してそれを躱す。
空中で無防備になったのを見計らって、ヴァリスは突きを放った。
だが次の瞬間――
金属がぶつかる甲高い音と共に、ヴァリスの長剣は真っ二つに折れていた。
トワが腰に差していたナイフで断ち切ったのだ。
その一撃は、長剣の脆い部分を正確に撃ち抜いていた。
ヴァリスが額からは汗を流しながら、その場に膝をつく。
息を切らすヴァリスに、トワはナイフの切っ先を向けた。
「これでトワの勝ちだな?」
「くそ……、こんな小娘に」
全身から汗を垂れ流すヴァリスには、先程までの余裕はない。
様子を見守っていた男たちが、先程の武器を構える。
「ヴァリス様!」
「おのれ、よくも……!」
男たちが今にも攻撃を仕掛けようとした時。
大きな鳴き声と共に空からテトが姿を現した。
「クエッ!」
突然出現した巨大な鳥に「うわぁ! 化け物だ!」と男たちがどよめく。
その様子を見たリアナが叫んだ。
「待って、撃たないで!」
一瞬にして静寂が戻る。
動揺している人々をよそに、リアナは恐れることもなくテトに近づいた。
「この鳥……知ってる。緋色の羽と四本の足を持つ、伝説の鳥フェニックス。かつて西の大陸に勝利をもたらした、幻の神鳥よ……。まさかこんなものまでいるなんて……」
「何だと……」
「テト! トワは大丈夫だから隠れてろって言っただろー?」
「クェッ!」
テトの身体を撫でるトワを見て、ヴァリスは呆然としていた。
「お前は……何者なんだ、小娘」
「トワはトワだよ?」
◯
「何だか疲れたな、テト?」
「クェッ」
勝負が決し、何やら話し合っているヴァリスたちを、トワはテトと共に石階段に座って遠巻きに眺めていた。
先程まで敵視されていたが、どうにか敵対の意思がないことは認めてくれたらしい。
依然として警戒しているようだったが、もう攻撃されることはなさそうだ。
「トワ、さっきはごめんなさい」
いつの間にか横にリアナが立っていた。
トワがそっとズレると、リアナは隣に座る。
「ここが危険な場所だと聞いていたから、みんな気が立ってたの。何せ箱庭は、危険な獣に溢れてるって聞いていたから」
「別に気にしてないよ」
飄々とトワが言うと、アキナは探るような目を向ける。
「あなたはその……本当にミヤコやアキナと出会った『あの』トワ本人なの?」
「多分? あと、さっきリアナが話してたコペルとも会ったよ。みんな、トワの友達」
「三人とも歴史上の偉人だからちょっと信じられない話だけど……。でも、あなたが言うならそうなのかしら」
リアナは困惑したようにそっとため息を吐く。
「リアナたちは何でここに来た? それに、あの空飛ぶ船は何?」
「ああ、そう言えばまだ全然事情を話していなかったわね。私たちの乗ってきた船は飛空艇っていうの。あなたは知らないようだけど、もう外の世界では空を飛ぶのが当たり前になのよ」
「へぇ……そうなのかー」
「もっとも、こんな遠い海のど真ん中にやってくる人は私たちくらいでしょうけど。あの船も、元を辿ればミヤコの技術が使われているのよ」
「ミヤコが?」
「ええ。彼が考案した精霊工学の技術が組み込まれて、人類は自由に空を飛べるようになったの」
「そっかぁ。じゃあ、ミヤコは約束を守ってくれたんだな……」
「えっ?」
聞き返すリアナに、トワは「何でもない」と首を振る。
「それより、リアナたちはどこから来たの?」
「西の大陸にあるリアラルティアっていう国から」
リアナはどこか遠くを見つめる。
「ヴァリス様はリアラルティアの皇帝陛下で、私はヴァリス様の側近なのよ。私たちは神様に会うためにここに来たの」
「神様……?」
「西の大陸は長い間争いが続いていたの。何万もの人が死んで、幾度となく血が流れて苦しんできた私たちを、神様は助けてくれた」
※
西の大陸は元々、様々な人種や、民族や、文化が集う場所でね。
人が多いということは、思想や文化の違いによる摩擦も多いということなの。
摩擦はやがて争いへと代わり、そして戦争と化していった。
毎日どこかで火の手が上がり、人が焼ける臭いの漂う、争いの絶えない場所が、西の大陸だった。
誰もが平和に生きたいと願い、穏やかな暮らしを心から望んでいたけど、争いが終わることはなかったわ。
私たちの国リアラルティアは、小国の乱立する西の大陸の中でも、一際小さな国でね。
いつ徴兵されるとも殺されるとも知れない日々に、国民は毎日のように怯えていたの。
そんな時に現れたのが、ヴァリス様だった。
「神の声を聞いた」
突如としてその言葉と共に戦場に降り立ったヴァリス様は、次々に戦争を勝利へと導いたわ。
白銀の髪と赤い瞳を持つ、神の声を聞く少女。
誰もがヴァリス様を神の使いだと信じた。
「恐れるな、私に従え。私には神がついている。私を信じれば、道は開かれる」
その言葉通り、ヴァリス様のお陰でリアラルティアは勝利を重ね、やがて大国へと至り、国民の総意でヴァリス様は皇帝陛下となった。
さらに、優れた内政のお陰でバラバラだった思想や価値観も共存するようになり、リアラルティアは西の大陸で最も安全で暮らしやすい国と言われるようになったの。
西の大陸に住む多くの人々が、リアラルティアの国民になることを望むようになったわ。
そしていよいよリアラルティアが大陸を統一するという段階に来た時……。
敵対する国々が手を組んで、大規模な戦争を行おうとしていることがわかった。
戦争が起きれば何十万、何百万もの人々が死ぬ。
大陸統一を目前に、リアラルティアは最後の選択を迫られたわ。
「神よ、これが最後になっても構いません。どうか我らをお導きください」
争いを前に祈りを捧げたヴァリス様の枕元に、再び神託は届いた。
『箱庭の塔で待つ。我を迎え入れよ』
声を聞いたヴァリス様は、箱庭に向かうことを決めたの。
※
「神託はこれまで何度も私たちを救ってくれた。だから誰も、ヴァリス様の決断を疑ったりしない。だってリアラルティアは、今まで何度も神様に救われてきたのだから」
リアナは子供のように純粋な瞳で、箱庭の中心部に見える塔を眺める。
「あの塔に行けば、きっと神様が待ってる。リアラルティアを救ってくれる、守り神様が。その力を借りれば、誰も死なずに済むかもしれない」
「それが、リアナたちの来た理由?」
「ええ」
リアナの話を聞いたトワは、釈然としない面持ちで黙り込む。
すると「トワ」とヴァリスが近づいてきた。
「聞きたいことがある。お前、箱庭の地理には詳しいのか?」
「うん。全部は知らないけど、それなりにわかると思う」
「なら、お前に塔への道案内を頼みたい」
「道案内……」
トワは顔を強張らせる。
「私たちは箱庭の中心にあるあの塔を目指している。本来は空から向かう予定だったが、船をつける場所がなく、歩いて向かうしかない。闇雲に目指すよりは、お前に案内を頼った方が効率的と判断した。お前も我らが大勢で住処を闊歩するのは気が休まらぬだろう。目的を達成すれば速やかにここを立ち去ることを約束する」
「悪いけど、トワ……あの塔には行けない」
「何故だ?」
「あそこにいるのは、悪い神様だから」
トワはハッキリと告げる。
「ヴァリス、リアナから話は聞いた。でも、あそこにいるのは守り神なんかじゃない。昔から絶対に近づくなって言われてる」
「そんなはずないだろう。あの塔にいるのは私を幼き頃より導き、争いを勝利へと導いてくださった神だぞ? 私は何度もその方の声を耳にし、人々を救ってきた。ここに来ている皆が、その神に救われたのだ。お前は、我が国の民を救ってきたお方を邪神呼ばわりするのか?」
「そんなつもり……ないけど」
「お前が協力せねば我が国に住む民が死ぬかもしれない。まぁ、お前にとって知りもしない者たちの命などどうでも良いのかもしれないが」
「トワのせいで人が死ぬ……?」
「そうだ。それも、何万もの人間がな」
「うう……でも……」
トワが口ごもると、庇うようにリアナが口を挟んだ。
「ヴァリス様。意地悪な言い方をしてはトワが可哀想です。ちゃんと話せば、きっとトワも分かってくれます。ね? トワ」
「それは……」
「あなたの助けが必要なの。お願い」
期待に満ちた眼差しを向けられ、トワは断りきることができない。
二人の交渉術に誘導されたトワは、しぶしぶ首を縦に振る。
そんなトワの手を、リアナが強く握りしめた。
「良かった! ありがとう、トワ!」
「うん……」
トワは、抗うことができなかった。




