第1節 王と兵隊
――太陽暦5000年
その日はいつもと様子が違った。
「今日は何か嫌な感じがするね」
「クェッ!」
朝、起床したトワは、箱庭内部に満ちる妙な気配に呟く。
空気がざわめいており、傍にいるテトも何だか落ち着かない様子だ。
空を見上げると、いつもは明るく輝く太陽の光が弱く見えた。
雲一つない快晴なのに。
トワが空を眺めていると、どこか遠くから轟々と大きな音が聞こえてきた。
「何の音だ?」
音のする方に目を向け、ギョッと驚きで目を見開く。
空に見たこともない物体が浮かんでいた。
鉄でできた、楕円の形状をした何か。
まるで空を泳ぐ魚だ。
よく見ると足場があり、そこに立つ人の姿があった。
「これ、もしかして昔ミヤコが言ってた空飛ぶ船……?」
船はトワの頭上を通り過ぎ、箱庭の奥地へと向かった。
トワとテトは顔を見合わせる。
「行ってみよっか」
「クェッ!」
船は都市部にある大きな広場へと着陸したらしい。
昔トワとコペルが共に探索した場所だ。
建物に身を潜ませながら慎重に近づくと、人の気配がした。
先程の空飛ぶ船の前に、棒のようなものを持った男たちが、何十人も整列している。
「着きました、ヴァリス様」
「ああ。それにしても……」
男たちに囲まれて、女性が降りてきた。
名前はヴァリスと言うらしい。
その姿を見たトワは、ハッと息を呑む。
長髪の女性は、トワと同じ白銀の髪と、緋色の瞳を有していた。
「トワと同じ……」
思わず呟く。
ヴァリスは集団の中でも一際目立っていた。
来ている衣服も、最も立派なものに身を包んでいる。
この中の主かもしれない。
思わず前のめりになった時、不意にヴァリスがこちらに目を向けてトワは身を引いた。
ギリギリ気づかれなかったようだ。
「……が『箱庭』か。実際に立ってみるとただ……古代都市だな。……塔は……か? まだ距離が……な」
「本当は……ですが、樹や建物と衝突の危険性が……。安全を……飛空艇で近づけるのは……限界かと」
「やむを……。歩いて向かう……」
どうやら彼女たちは箱庭の中心にある塔に用があるらしい。
トールに決して近づいてはならないと言われた、あの塔に。
何の用でわざわざここまで来たのだろう。
この距離だと途切れ途切れにしか話が聞こえない。
「テト、回り込もう」
「クェ」
位置をずらして、より彼らに近づこうとした時。
僅かな足音を聞きつけて「誰だ!?」とヴァリスが声を上げた。
「何かいるぞ! 撃て!」
号令と同時に、男たちが背負っていた筒状の物体をトワたちの方へ向ける。
トワは咄嗟にテトの頭を押さえつけて体を引っ込めた。
刹那、強烈な破裂音と共にすぐ傍を何かがかすめ、壁にめり込む。
鉛玉だった。
目に見えない速度で、鉛玉がトワたちに向けて放たれている。
当たればただでは済まない。
「やめて! トワは獣じゃない!」
「撃つの止め! 人よ!」
女性の声で号令がかかると、破裂音が一斉に止んだ。
攻撃が止まったのを確認して、トワは顔を出す。
先程の筒が依然としてトワに向けられており、先端からは煙が上がっていた。
「人だ……。それも女の子だぞ」
「何でこんな場所に?」
「あの髪と瞳を見ろ。ヴァリス様と同じだ」
トワの姿を目視した男たちは、困惑したように顔を見合わせる。
その中から抜け出るように、ヴァリスはまっすぐこちらに近づいてきた。
トワは身構える。
「その髪と瞳の色……お前、何者だ」
「お前たちこそ何だ! あの塔に何の用がある!?」
「どうしてそれをお前に言う必要がある」
睨み合っていると「まぁまぁ」と割って入るように黒髪の女性が仲裁した。
ヴァリスの仲間だろう。
「見たところ言葉は通じるみたいですし、そう喧嘩腰にならなくても」
「油断するなリアナ。ここは何がいるかわからない場所だ。人に擬態した化け物の可能性もある」
「どうでしょう。そうは見えませんが……」
トワが獣のように歯をむき出しにして唸ると、「人真似が上手いことだ」と馬鹿にしたようにヴァリスは歪んだ笑みを浮かべた。
一触即発の空気の中、黒髪の女性がトワに声をかける。
「さっきはごめんなさい。私はリアナ。あなた……名前は?」
「……トワ」
「トワ?」
トワの名前を聞いたリアナとヴァリスは、意味深な様子で顔を見合わせた。
「箱庭に住む少女……トワ?」
「そうだけど、何だ……?」
二人の様子が変わったのを見て、トワは身を引く。
ヴァリスはジッと観察するようにトワを見つめていた。
「箱庭に関する文献の中に、トワという少女に関する記述があった。箱庭に生きた、最後の原住民だと……」
「ヴァリス様が目を通したのは、北の大陸出身の冒険者アキナと、東の大陸出身の機械技師ミヤコの記録ですね?」
「ああ。箱庭に関する正確な記録はその二人のものしかないからな。出身も生きた年代も違うにも関わらず、二人とも『トワ』という名を持つ少女と邂逅を果たしていた」
「その資料に関しては四百年前に賢者コペルが言及しています。少女の特徴や行動原理に同一性があることから、同じ人物ではないかと……」
「そんなはずないだろう。何年経ってると思っている」
「さっきから、何の話をしてる?」
困惑したようにトワが言葉を差し込むと、ヴァリスがヌッと顔を近づけてきた。
「おい、小娘……いや、トワ。お前、アキナやミヤコの名に覚えはあるか?」
「二人とも、トワの友達だけど……」
「友達?」
「昔一緒に過ごして仲良くなったから……。それが何だ?」
「どう思う?」
「嘘を言っているようには見えませんが……」
「こいつの話が本当なら、この娘はかつてこの箱庭を作った古代人の末裔で、しかも不死ということになるぞ」
「信じられない話ではありますが……」
「嘘なんかついてない!」
リアナは考えるように顎に手を当てる。
「他に、あなたの仲間はいるの?」
「ここにいるのはトワだけだ」
「じゃあ、あなたは獰猛な肉食獣がいる中を、ずっと生き延びてきたっていうの? 何年も、一人で?」
「そうだよ」
トワの返答に、騒然とした空気が流れる。
だがヴァリスだけが動じず、トワと対峙していた。
「人か化け物か……試してみる必要があるな」
ヴァリスは背中の長剣を鞘から引き抜き、トワへ突きつける。
それは女性には似つかわしくない長い剣で、ヴァリスの身長と同程度の代物だった。
重量を感じさせる長剣を、ヴァリスは片手で軽々と扱ってみせる。
「お前が何千年も生き延びてきたというなら、その証を私に見せてみろ」
「戦えばいいの?」
「そうだ」
「ヴァリス様! 相手は女の子ですよ!?」
止めようとしたリアナを、ヴァリスは鋭い眼光で睨みつける。
「気を許すな。ここはあの箱庭だ。こいつがもし、本当に人に擬態した化け物だったらどうする? 言葉巧みに私たちを騙し、全員が死ぬ可能性だってある。そうでなくとも、こいつが私たちの味方になるとは限らない」
言うやいなや、ヴァリスは剣を構えた。
「行くぞ、トワ」
「うん」




