第7節 友達
朝、太陽が昇るのと共に私は地上に降りる。
地上に行くと、例の卵の近くにトワが立っていた。
「おはよう。よしよーし、今日も無事だなー」
あの日約束を交わして以来、トワは寝床を卵の近くに移したらしい。
卵が他の動物に食べられないよう、常に見張ってくれているのだ。
「トワ、おはよう」
「テト! おはよう!」
私の姿を見つけると、トワはいつも太陽のような笑みで迎えてくれる。
私を笑顔で迎えてくれるのはユミルだけだったから、何だか嬉しい。
卵の前に立った私は、いつものように卵に触れて日差しを当てる。
それがもう、すっかり日課になっていた。
「テトが卵に触れるといっつもお日様が当たるなー? どうしてだ?」
「偶然だと思うよ」
太陽の位置をコントロールする私を見て、トワはいつも不思議そうにしていた。
卵の中に宿っていた生命は、日に日にその気配を増していた。
温もりが生まれ、時折カタリと震えることもある。
「また震えた」
「孵化が近いんだと思う。もうすぐしたら、きっと生まれるよ」
「生まれてきたら名前をつけてやらないとなー。どんな名前が良いだろ」
「素敵な名前にしてあげてね」
「テトは何が良いと思う?」
「私?」
思わずきょとんとする。
意見を問われると思っていなかった。
トワは当然と言わんばかりに頷く。
「テトは頭が良いから、きっとトワよりもすごい名前を思いつく!」
「でも、トワは私にない感性を持っているから、もっとすごい名前を思いつくかもしれないよ?」
「なら、一緒に考える!」
一緒に、か。
「……何だか友達みたい」
「友達って?」
「仲が良い、心が許せる対等な関係の人のことだよ。血は繋がっていないけれど、繋がりを感じられる……そんな人のこと」
「じゃあ、トワとテトはもう友達だな?」
その言葉に、目を見開いた。
「私たちが、友達……?」
「うん! トワ、テトといるの楽しい! テトとトワは家族じゃないけど、繋がってるって思う!」
「友達……友達かぁ……!」
何度も呟き、噛みしめる。
――でももしいつか、あなたの声を聞くことのできる、巫女の立場にとらわれない子が生まれたならば……きっとその子は、あなたの友として生きられるかもしれませんよ。
いつかのユミルの言葉が、私の脳裏に浮かんだ。
ずっと求めていた、神の立場に縛られない、対等に話せる存在。
そんな存在に、トワはなってくれたんだ。
ユミル、あなたの娘が、私の最初の友達になってくれたよ。
彼女が生きていたら、きっとそう伝えたと思う。
このままずっと、一緒に居てトワのことを見守ってあげたい。
そう思っていたけれど。
平穏は、すぐに終わりを迎えた。
◯
いつもの夜明け。
日の出とともに地上に降りた私は、すぐに異変に気がついた。
周囲の建物が壊れ、激しく争った痕跡がある。
「何、これ……」
姿を消している間に、一体何があったんだろう。
嫌な予感がして、トワの元へと急いだ。
「トワ?」
市場の中に入ると、辺りは血だらけだった。
その上を何かが這い回った跡があり、血痕はズルズルと伸びている。
糸を張ったように空気が張り詰めていて、殺気が漂っていた。
ふと、足元に何かが転がっているのが見えた。
それを見て、心臓がドクンと鳴る。
トワのナイフだ。
トワが肌見放さず持っていた、トールの形見。
「トワ! 返事をして!」
私が卵の元へ向かうと、そこに九つの頭を持つ、巨大な蛇がいた。
ヒドラだった。
数日前に見つけた痕跡の主だとすぐに気付く。
夜の間に、卵を狙って来たのだろう。
禍々しい紫色の皮膚に、鋭い視線。
体は私やトワと比べ物にならないくらい巨大だった。
ヒドラの前には、割れた卵の姿があった。
そしてそのすぐ横に、トワが地面に横たわっている。
トワの身体からは、おびただしい量の血が流れていた。
「そんな……トワ……」
私は愕然とする。
トワの足は折れ、腕からは骨が突き出していた。
卵を護ろうとして、壁に強く叩きつけられたのだろう。
誰がどう見ても致命傷だった。
「トワ、しっかりして……」
私が近づくと、トワが僅かに動いた。
良かった、まだ息がある。
「テト、ダメだ。早く逃げて……」
トワは必死に震える手を私に伸ばした。
私はその手を握りしめる。
私の手はトワに触れることができないけれど、確かな温もりを感じた。
「ごめんなさい、トワ。私の約束のせいで……」
背後のヒドラが近づいてくるのを感じる。
卵を捕食し、次はトワを飲み込むつもりだ。
どうすればトワを助けられるだろう。
また私は、ユミルと同じように、娘であるトワが死ぬのをただ見ているだけなのか。
何かできることがないかと必死に考えた時。
ふと、あの時の光景が思い浮かんだ。
ユミルが死んだ時の光景が。
皆既日蝕が生じた時、トコヤミはユミルの肉体を依り代に顕現した。
それはユミルが、神と――私やトコヤミと繋がるだけの力を持っていたからだ。
だとしたら、私も同じことをトワにもできるんじゃないだろうか?
賭けだった。
でもその賭けをしなければ、トワは死んでしまう。
全ては終わってしまう。
「私は誰も助けられない神様だった。でも、せめてあなただけは助けたい。私の初めての友達になってくれた、あなただけは……」
私はトワの心臓に手を当てる。
「できるかはわからない。だけどやってみたいの。巫女であるあなたなら、きっと私を受け入れられる」
強く祈りを込めると、身体から光が溢れた。
トワは何か言おうと口を開く。
だが言葉を発する前に、口から血が溢れ出た。
「トワ、あなたは太陽のような人だった。あなたに友達だって言ってもらえて、心が震えるくらい嬉しかった。本当の太陽はあなたなんだって、その時思ったの。もし光の役目が私じゃなくてあなただったら、もっともっと世界には笑顔が溢れていたと思う。だから、私を……あなたの糧にしてほしい」
私を包んでいた光がトワに伝播し、その肌に白い紋様を刻み始めた。
トコヤミの闇の紋を制御するように、光の紋がトワに刻まれていく。
紋が刻まれると同時に、致命傷を負っていたトワの肉体が見る見るうちに治癒していった。
光がトワに伝わる同時に、私は足先から消失していく。
「ごめんなさい、トワ。私にあなたの呪いは消せない。私にできるのは、あなたに朽ちない肉体を与えることだけ。もしかしたらそれはあなたを永遠の檻に閉じ込めてしまうことにもなるのかもしれない。でも、いつかここを出ることができたら、私はあなたに世界を見てほしい。この世界はたくさんの美しいもので溢れているから」
私の存在が薄まり、体が透けていく。
涙を流しながら、私はトワの心臓を指差した。
「どうか寂しがらないで。私はいつもあなたと共にある。太陽はいつも、あなたと一緒だよ」
私がトワの中に宿ると同時に、背後からヒドラが襲いかかってくる。
ヒドラの牙が私とトワを飲み込もうとした、その時。
トワの肉体から溢れた光が、ヒドラを灼熱の炎に包み込んだ。
炎に焼かれたヒドラは苦しみにのたうち回る。
だが炎は一向に弱まらず、まるで太陽に触れようとした生物が焼かれるように黒焦げになった。
ヒドラが炭と化すと、蛇の焼けた独特な臭いが周囲に漂う。
意識が遠くなる。
急速に眠い。
そのまま私の意識は途切れ――
私は、トワと一つになった。
◯
胸元の温かな感触に、トワは目を覚ました。
体を起こし、周囲を見渡す。
しかしそこには誰もいなかった。
広場はまるで何もなかったかのように静寂に包まれていた。
「トワ、何してたんだっけ?」
トワは自身の体を見つめる。
重症を負っていたはずだが、体には傷一つついていなかった。
見ると、体に巻き付くように刻まれた黒い紋様と絡み合うように、それまで存在しなかった白い紋様が刻まれていた。
「何だろ、これ……」
トワは首を捻る。
「確か卵を守るためにヒドラと戦ったんだっけ……。あんまり覚えてないや」
しかしそこにヒドラの姿はない。
あるのは何かが焼け焦げた痕跡だけだ。
「誰かいた気がしたけど、誰だったかなー……。思い出せない」
大切なことを忘れてしまったように、トワは呟く。
そこで、割れた卵の姿が目に入った。
卵は真ん中から上がすっかり砕けている。
「そんな……せっかく守ったのに……」
卵が死んでしまった事実にトワが肩を落とすと、何かが視界の端で動いた。
小さな赤い毛玉がヒヨヒヨと声を上げ、鳴いていた。
それは雛だった。
緋色の毛をまとった、世にも美しい鳥だ。
だが普通の鳥と違い、羽とは別に四本の手足がある。
雛は犬と鳥が合わさったかのような姿をしていた。
トワが手を伸ばすと、雛は抵抗することもなくトワの手に乗る。
両手で持ち上げられるくらいの大きさで、つぶらな瞳をトワに向けていた。
「良かったー。ちゃんと生まれてきたんだな」
トワが声をかけると、雛は返事するように小さな鳴き声を上げた。
トワは雛を連れて建物を出る。
空を仰ぐとそこには、変わらず太陽が輝いていた。
「お前の名前をつけなきゃな」
太陽を見上げて、ふと何かを閃いたようにトワは「そうだ!」と声を上げた。
「テト! お前は今日からテトだ! お日様の神様と同じ名前だよ!」
トワが呼びかけると、雛は不思議そうに首を傾げる。
「よろしくな、テト!」
名を呼ばれたテトは、嬉しそうに小さく跳ねた。




