第3節 夜の静寂にて
翌日から、私たちはお父さんを探し始めた。
トワちゃんの家を中心に箱庭の内部を歩いて、色んな場所を調べて。
だけどやはりというかなんというか、お父さんは見つからなかった。
箱庭はとても不思議な場所だと思う。
どこに行っても水があるし、果実や木の実が実っているから。
植物が完全に自生しているのだ。
トワちゃんの話では、それらの大半は口にしても問題ないものらしい。
そしてこれらの植物は、たとえどれだけ動物が食い荒らしてしまっても尽きないのだという。
例えばこんなことがあった。
探索の最中、私はトワちゃんにオススメされて、赤い果実を口にした。
その時種が残ったので近くの地面に捨ててしまったのだけれど、探索が終わって家に戻る時にその場所を通ると、たった数時間しか経っていないのに種が芽を出していたのだ。
どうやらここでは、すごい速度で植物が成長しているらしい。
そのせいだろうか。朽ち果てたはずの古代都市で培われた生態系は、衰えるどころか発展しているようにすら見えた。
「温かいね」
一日の終わり、お湯に入った私は思わず声を上げた。
一日中歩き回ってすっかりパンパンになった足を、お湯が労ってくれる。
「まさか箱庭に温泉があるなんて思わなかったなぁ」
「お湯が湧いてる場所は珍しいんだ。だからいつも、寝床はお湯がある場所の近くにしてる」
「じゃあ、他にもこんな場所が?」
「うん、たまに見かけるよ」
「へぇ……」
どういう理屈なんだろう。
何か特殊な技術が使われているのだろうか。
植物の件もあるし、改めてすごい場所だと思う。
「謎がいっぱいだな……。分からないことだらけ」
私はつぶやきながら空を見上げた。
崩れた天井から、真っ暗な夜空が見える。
まるで、暗闇がこちらを覗いているみたいだ。
「本当なら、こんな海のど真ん中に飲み水や温泉もあるはずないよね。どうなってるんだろう」
「アキナは難しいこと考えるの好きだなぁ。トワ、そんなこと考えたこともなかったよ?」
テトをお湯で洗いながら、トワちゃんは呑気な声を出した。
からかうような彼女の口調に、思わずムッとする。
「トワちゃんはずっとここで暮らしてたから疑問に思わないだけだよ。私みたいな外の人間からしたら、ここは謎だらけの秘境なんだから」
「そんなものかなぁ」
首を傾げながらも、トワちゃんが気にする様子はない。
緊張感のない彼女の姿を見ていると、こっちまで気が抜けてくる。
「もういいよ」と顔の半分をお湯に沈めていると、ふと、どこからかハミングが聴こえてきた。
トワちゃんが歌っているらしい。
気になって、思わず顔を出す。
「とってもにぎやかな歌だね。何の歌なの?」
「お日様の歌。昔、お父さんが教えてくれたんだ」
「聴いてみたい」
「歌えや歌え 踊れや踊れ 皆が歌えばお日様起きる お日様神様ともにある 太陽起きれば神様笑う 太陽みんな ともにある」
トワちゃんはきれいな歌声で歌い始めた。
彼女にぴったりな明るい歌で、思わず目が輝く。
「すごい上手。それに、とっても素敵な歌だね」
「お日様の神様に感謝する歌なんだって。昔はお祈りの度に歌ってたって」
「ふぅん。そうなんだ……」
トワちゃんは一体何者なんだろう。
この数日トワちゃんと過ごしてきてわかったのは、彼女が漂流者じゃなくて、元々この場所に住んでいた人だってことだ。
さもなければ、あまりに箱庭に詳しすぎるし、色々と説明がつかないから。
かつてここでたくさんの人が協力して箱庭を作り出して。
でも何かがあって、時間を掛けて一人、また一人と人が減って、お父さんも死んじゃって。
その先で、とうとうトワちゃんは一人ぼっちになってしまった。
そう考えると、すごく納得できる気がする。
世界最古の遺跡に住む、白銀の髪と赤い瞳をした不思議な少女。
トワちゃんが何か大きな秘密を抱えているのは明らかだ。
とは言え、色々尋ねてわかったのは、トワちゃんがご飯のことしか考えてないってことだけだったけど。
そもそも私程度の知識じゃあ、何を聞けばいいのかも分かんないや。
そこでふと、トワちゃんの身体に目が留まった。
視線を感じたトワちゃんが、珍しく女性らしい仕草で体を隠す。
「アキナ、見過ぎだぞ」
「あ、ごめん。前から思ってたけど、その体の入れ墨、変わってるなと思って」
トワちゃんの全身を包むように記された、黒と白の入れ墨。
黒の紋様は身体に蛇が巻きついているかのようで、それを制御するように太陽に似た白い幾何学模様が描かれている。
今まで服の隙間からチラチラ視えていたのだけれど、改めて近くで見るとすごい迫力だ。
「これ、入れ墨じゃないよ。昔からあるんだ。呪いなんだって」
「呪い……?」
物騒な言葉だと思った。
「どうして……呪われたの?」
「わかんない。悪い神様がそうしたんだって」
「悪い神様……? どんな神さまなの?」
「それは、トワも知らないけど……」
トワちゃんはスッと、どこか遠くを指差した。
その先には、箱庭でもっとも目立つ、高い塔がそびえ立っている。
「あそこにいるって、お父さんは言ってた」
平坦な声に、お湯の中にいるにもかかわらず寒気が走る。
どんな呪いなのかとか、どうして呪われたのかとか、色々聞きたかったけれど、何となく怖くなってそれ以上の追求はしないでおいた。
ここは、分からないことだらけだ。
◯
「じゃあアキナは先に寝てて良いよ。トワは獣が来ないか確認してから寝るから」
「大丈夫? いっつもトワちゃんばっかり見張りしてくれてるけど、たまには変わろうか?」
「大丈夫だよ? それにアキナが起きてても獣に勝てないし」
「役立たずですいません……」
面と向かってハッキリ言われると落ち込む。
肩を落とす私を特に気にもせず、トワちゃんは近くに落ちている木の棒を拾うと焚き火の調節を始めた。
その姿を眺めながら、私は草の上に布を敷いた寝床に横たわる。
一日歩いた疲れと、お風呂に入った心地良さから、すぐに重たいまぶたが降りてきた。
抵抗する余地もなく、半ば気絶するように私の意識は落ちていく。
――懐かしい夢を見た。
在りし日の故郷。
まだ私が幼なかったころだ。
お父さんが私を、村の小高い丘に連れて行ってくれたことがあった。
「アキナ、早くおいで」
「お父さん、待って!」
息を切らしてどうにかお父さんに追いつくと、そこにある光景を見て言葉を失う。
美しい風車と自然が調和する、故郷の村の風景が広がっていた。
「ほら、アキナ。きれいだろ」
「すごいすごい! 村の畑がぜんぶみえるね!」
すぐに、お父さんが私を特別な場所に連れてきてくれたのだと気がついた。
はしゃぐ私を、お父さんは嬉しそうに見つめる。
「ここは、父さんが子供の頃に初めて冒険をして見つけた秘密の場所なんだ。村の大人たちもこの場所は知らない。祭りの花火も、初日の出も、ここで母さんと見てきたんだよ」
「こんなすごい光景が見られるなんて……冒険ってすごいね!」
「そうだな。冒険は、この世に隠れている秘密を教えてくれるんだよ」
「秘密?」
「父さんやアキナが知ってるこの世界は、ほんのひとつまみ程度なんだ。この世界はたくさんの秘密で溢れている。父さんやアキナの想像を超えた風景や、自然や、文明がこの世にはいっぱいあるんだ」
幼い私の脳裏には、まだ見たこともない世界の景色が浮かんでいた。
巨木に囲まれた未開の森。
底まで見えるほどの青く透明な湖。
秘境に存在する――遺跡の風景。
「ねぇ、お父さん。アキナもいつか冒険に出たい。それで、世界の秘密を知るの」
「そうだな。一緒に見つけよう。父さんが心から感動できるものに出会えた時は、必ずアキナにも見せてあげるからね」
「私はお父さんに負けないくらい立派な冒険家になる!」
「ははっ、そりゃあ楽しみだな」
幼い日のあの日、私は確かにお父さんとそう約束した。
それなのに――
「お父さん、どうして、私とお母さんを置いていったの……?」
呟く自分の声で目が覚めた。
一瞬どこにいるのか分からなくなる。
すぐ近くでパチパチと薪が爆ぜる音がした。
寝ぼけた頭で、そちらに視線を向ける。
焚き火の傍に座る、誰かの姿があった。
そうだ、トワちゃんが火の番をしてくれてたんだっけ。
そう思った時、ふと違和感に気がついた。
違う。
トワちゃんじゃない。
トワちゃんに似た……誰かが座っている。
白銀の髪と赤い瞳で、外見的な特徴はトワちゃんに似ていた。
でも、服や顔が違う。
人間離れをした端正な顔立ち。
身にまとう白くシンプルなワンピースには、トワちゃんの服と同じ太陽の刺繍がされていた。
どこか神々しくて、全身が光に包まれているようにも見える。
嫌な感じはしなかった。
むしろ、少女を見ていると不思議と心が安堵した。
彼女は柔らかな笑みを浮かべながら、テトを撫でている。
「あ、アキナ。もう起きたの?」
声をかけられ、ハッとした。
驚いて瞬きすると、既に先程の少女の姿はなく、そこにはトワちゃんしかいなかった。
「あれ? さっきの女の子は?」
「女の子?」
トワちゃんは首を傾げて、辺りを見回す。
「トワしかいないよ?」
「とってもきれいな子がそこにいたの。白い髪をして、真っ白な肌で」
「トワのこと?」
「ううん……トワちゃんはあんなに神々しくない」
「ひどいこと言うなぁ」
ムッと唇を尖らせるトワちゃんをよそに、私は小さく首を傾げた。
あれは夢だったのだろうか。
気が付けば、睡眠前に感じていたような疲労感はすっかり消えていた。
身体の中にあるのは、妙な心地良さだけだった。




