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神の箱庭に棲む少女  作者:
第4話 トワと暁の神テト
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第5節 太陽のように

 痛いほどの静寂が箱庭を満たしていた。

 世界が終わってしまったかのような、張り詰めた空気が漂っている。

 トールはしばらく呆然としていたが、ようやく意識が戻ったかのように顔を上げた。

 彼は外へと目を向ける。


「皆は無事か……?」


 彼は力なく立ち上がると、床に寝かせていたトワを抱き上げて昇降機へと向かった。

 私はその背中を追いかける。

 トールが昇降機に乗ると、中心に記された陣から光が溢れ下降を始めた。

 巫女だけが動作させることのできる塔にどうやってトールが入れたのか疑問だったが、ようやくその理由に気づく。


 トワだ。

 ユミルの娘であるトワが、巫女の素養を持っていたからだ。

 妻の身を案じたトールが塔の中に入ろうとして、偶然トワが封印を破ったのだろう。


 もしあの時トールが来なければ、間違いなくトコヤミの闇は世界を包んでいた。


 世界は首の皮一枚で繋がったのだ。


 トールと共に塔から出だが、人の姿はない。

 相変わらず異様なほどの静寂が箱庭に満ちている。

 風から妙な香りがして、それが海の匂いだとすぐに気づいた。

 今まで海の匂いなんてしたことなかったのに。


「皆はどこに行った……?」


 トールは生存者を探すも、やはり人の姿はない。

 雨から逃れるため屋内に退避したのかと思ったが、違うらしい。


 奇妙なことに、地面には灰のようなものが小さな山を作っていた。

 それは、祈りの間で消えてしまったユミルのものとよく似ている。


 嫌な予感がした。


 その予感はトールも感じたようで、彼は躍起になって生存者へ呼びかけていた。

 だが、やはりその声に応えるものはいない。


「みんな、闇に呑まれてしまったんだ……」


 トコヤミが降り注いだ闇は、箱庭にいた皆を石へ変えた。

 そして、石へと変わった人々は急速に朽ち果て、灰となったんだ。

 それは、皆が闇に連れて行かれたことを物語っていた。


 やがて箱庭の入口に辿り着いた時。

 門から外を眺めたトールは、思わずその場に膝をついた。


「何だこれは……」


 そこにあるのは、海だった。

 高い丘の上に存在していた箱庭は、いつしか海の中にポツンと浮かぶ孤島になっていた。


 何が起こったか分からず、私は目を瞑って太陽から世界を俯瞰する。

 かつては一つだった大陸が、四つに分断されてしまっていた。

 トコヤミの降り注ぐ闇に呑まれ、大陸の大半が海に沈んだのだ。

 そして海に沈んだ大陸は、東西南北の四つに分断されてしまったらしい。


 箱庭の外へ繋がる階段もまた、今ではその全てが海の中に沈んでしまっていた。

 トールは近くの草の上にトワを置き、海へ近づこうと門へ近づいた。

 箱庭の敷地の外へと、一歩足を踏み出す。


 すると、突然ジュッという音とともに、手や足が焼け始めた。


「うおっ!?」と声を上げ、トールは咄嗟に身を引く。


 トールの足先や腕が、まるで酸に手を入れたかのように焼けただれていた。


「どうなっている?」


 恐る恐る、もう一度指先を差し出してみる。

 だが箱庭の敷地から外に出ようとすると、やはり再び手は焼けた。

 どうやらトールは、箱庭から出られなくなってしまったらしい。


 すると、トールの肌に巻き付くようにして、黒い痣が浮かび上がった。

 それは同時に、トワの皮膚にも浮かび上がる。

 ゴクリとトールが唾を呑み込む音がした。


「これは……呪いか。あの化物――闇の神が、俺たちを呪ったんだ」


 太陽石に封じられる間際、トコヤミは怨嗟の声を放っていた。

 あれはもしかしたら、呪いの言葉だったのかもしれない。

 闇を封じた代償として、トコヤミは太陽一族に呪いをかけたのだ。

 箱庭から、誰一人として逃さないために。


「トコヤミは、一族の血が途絶えるまで呪うつもりなんだ……」


 ◯


 太陽に戻った私は、空から二人の生活を見守った。


 箱庭で暮らすことを余儀なくされたトールとトワだったが、幸いにも生活に困ることはなかった。

 ここには果物も、野菜も、水も豊富にあるし、それらを目当てに集まった動物も多い。

 狩りに卓越したトールがトワと暮らすことは難しくないだろう。


 月日が経つと、箱庭の生態系に異変が起こり始めた。

 それまで草食動物しかいなかったはずの箱庭に、見たこともない異質な外見をした肉食獣が現れ始めたのだ。

 箱庭に残った闇の残滓が、動物に影響を与えたのだろう。

 異形となった動物たちは大半が箱庭に残ったが、一部は東西南北の大陸に渡って行った。


 大陸では魔物と称されたそれらは、多くの土地を荒らし、やがて各地にいる戦士や狩人に討伐され姿を消した。

 そんな獰猛な獣を、トールは何匹も単独で狩り続けた。


 何年経っても消えた人々は結局戻って来なくて、気が付けばトワも十六歳になった。

 トールが倒れたのは、そんな時だった。


 最初は風邪かと思った。

 身体が冷えると訴え始めたトールは、見る見るうちに衰弱し、動けなくなってしまったのだ。

 私は太陽から日差しをトールに降り注いだが、どれだけ温めようとしても、トールを凍てつく寒さから救うことはできなかった。

 明らかに呪いがトールの身体を蝕んでいた。

 トワは懸命に父の看護に当たっているが、トールの体調が回復することはない。


「お父さん、お湯沸いたよ」


「ああ、すまん」


 まともに動くこともできなくなったトールは、器に注がれた湯を少しずつ口に運ぶ。

 だがやがて諦めたように器を置くと、静かに横たわった。

 もう長くないのは、誰が見ても明らかだ。

 だが、トールは決して目から光を離さなかった。

 それは彼が持つ、父としての、戦士としての強さだった。


「トワ、一つだけ、父さんと約束をしてほしい」


「約束?」


「太陽のように生きろ。いつもお前らしく、笑顔でな。さすれば太陽の祝福はお前に届く」


 トワは一瞬、その言葉にどう答えれば良いかわからないようだった。

 だが、真剣な父の眼差しを受け、やがて小さく頷く。

 トールは衰弱した手を懸命に伸ばしてトワの頬を撫でた。


「お前は太陽の血を受け継ぐ最後の子だ。どうかたくましく、そして無事に生きぬけ。そのための強さを、俺から受け継いでいる」


 トールは静かにそう呟き、まっすぐ私を見つめた。

 天の中心に浮かぶ、太陽を。


「太陽神テトよ、どうかこの子に、あなたの祝福をもたらしてくれ……」


 二人の姿を空から見守っていた私は、胸が締め付けられる。


 私はこの十六年間、ずっと空に逃げていた。

 救うことのできなかったトールや、トワの前に姿を示すのが怖かったのだ。

 特に、巫女の素養を持つトワが私を見つけてしまうことを恐れていた。

 私のせいでみんなが死んだことを咎められてしまうかもしれない。

 そう思うと、怖くて姿を現せなかった。


 私は神様の癖に、臆病で、卑怯者だ。

 でも。

 トールは、そんな私をまだ信じてくれていた。


 私は意を決して、地上に降りる。

 突然現れた私に、トワは困惑したように目を見開いた。


「……誰?」


 トワの視線は、まっすぐ私を捉えていた。

 私は目を細める。


「……あなたも、私が見えるんだね」


 私は長い眠りについたトールに近づくと、そっと手を触れた。


「ありがとう、トール。こんな状況になっても、太陽を信頼してくれて。あなたの祈りは、ちゃんと届いた。だからゆっくり休んで」


 トールは私の言葉が聞こえていたかのように微笑むと、やがて動かなくなった。

 涙を流すトワに、私は振り返る。


「トワ、祈ろう。あなたのお父さんが安らかに眠れるように」


 私が声を掛けると、最初は困惑した素振りを見せたトワは、やがて小さく頷いて隣に座った。

 私は彼に深い感謝を抱き、そして偉大な戦士の魂が穏やかに眠れることをトワと共に祈った。


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