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神の箱庭に棲む少女  作者:
第4話 トワと暁の神テト
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第4節 予言の日

 ――太陽暦2500年



 皆既日蝕が訪れる、予言の日がやって来た。

 塔を囲む外壁の前には、太陽一族が集まっている。

 使命を果たす巫女を見送るためだ。


「ユミル、気をつけてな」


「ええ……。あなたも」


 ユミルは胸に抱えた大切な我が子を抱きしめると、夫のトールに預ける。


「トワをお願い。守ってあげて」


「ああ」


 トールは力強くユミルに頷いた。

 災厄を前にして不安なはずなのに、彼は決して弱みを表に出さない。

 妻が安心して巫女の務めを果たせるよう、自分の弱さを隠しているのだ。

 トールにはそれができる強さがあった。


 夫の優しさに気づいたユミルは、いつもの優しい笑みを浮かべる。


「しかし今日が災厄の日とはとても思えないな。見てみろ。雲ひとつない」


 トールに促されるがまま、ユミルはそっと空を仰ぐ。

 空の真ん中にはいつものように太陽が浮かんでいた。

 風は穏やかで、一見して何かが起こる気配はない。


「災厄なんてなかったということはないだろうな」


「族長、太陽神テトの言葉を疑うのですか?」


 一族の誰かが問うとトールは顔を歪めた。


「そんなつもりはないが……しかしこの様子だとな……」


「災厄は起こるわ」


 ユミルが言うと、皆が黙った。


「今日、災厄は起こる。そのために私たちはずっと備えてきたの」


 ゴクリと、誰かが唾を呑む。

 皆一様に、緊張した面持ちをしていた。


「じゃあ行ってくるわね」


 ユミルは塔を囲む外壁に向き合うと手を伸ばす。

 彼女の手が触れると、壁が輝き、中へ繋がる入口が出現した。

 それは塔を守るための封印だった。

 封印を解くことができるのは巫女の素質を持つ者だけだ。


 開いた入口から、ユミルと共へ中に足を踏み入れる。

 塔に入ると、最上階へ直通する昇降機を稼働させた。

 重力や慣性を弱め、磁力を用いて上昇と下降を行うものだ。


「ユミル、覚悟はできている?」


「はい。今日、私は闇を封じます。そして皆があなたを慕い、友となれるような……新しい世界が始まるのです」


「百年かけてこの日のために準備をしてきた。必ず倒せるはずだよ」


 太陽を影で覆い隠したトコヤミは完全な姿で顕現する。

 そしてその時、きっと私を殺そうとするだろう。

 だが、精神体である自分をどうやって殺すのかだけが分からなかった。


 やがて、昇降機が最上階へ辿り着いた。

 祈りの間では、私の御神体となる水晶が内側から光を解き放っている。

 何気なく輝く鉱石を見つめていると、背後からユミルの声がした。


「見てください、テト様。太陽が欠け始めました」


 その言葉に釣られて空を見上げる。

 太陽の端が、少しずつ……だが確実に欠けていた。

 まるで侵食されているように。

 今までは一部が欠けるような現象だったが、今回は違う。


 影は太陽を完全に覆い隠そうとしていた。


「ユミル……備えて」


「はい」


 ユミルは太陽石となった水晶に触れ、祈りを捧げる。

 ほぼ同時に、影が太陽を完全に覆い隠した。

 空から光が消え、世界を完全な夜が満たす。


 すると、天の中心で何かが蠢くのがわかった。

 太陽のあった場所に蛇の集合体のような不気味な黒い塊が出現し、膨れ上がっていく。


 そして太陽とほぼ同じ大きさになったそれは、流れる滝のように地上へ降り注ぎ始めた。

 液体状になった闇が、濁流のようにまっすぐここへ落ちてくる。


「ユミル、離れて!」


 咄嗟に叫んだが、ユミルは私の声に気づかず祈りを続けていた。

 まるで声が聞こえていないかのように。


 そこで初めて、私は自分の体の変化に気がついた。

 身体が半透明に薄れている。

 太陽が覆い隠されたことで、私の存在は希薄になっていた。


 それは、かつてのトコヤミを思い起こさせる。


 十二方向に開く天窓から闇が流れ込んだかと思うと、あっという間にユミルを呑み込んでしまった。

 ユミルは叫び声も上げることなく、闇の中に沈んだ。


「あ、あぁ……。そんな、どうして……」


 私が助け出そうと手を伸ばしてもその手がユミルに触れることはなく、空を切るようにすり抜けてしまう。

 闇はユミルの肉体を完全に包んでいた。

 静寂が辺りを満たし、仄かな輝きを放つ太陽石と、闇に呑まれたユミルだけがそこにある。


「ユミル……?」


 テトは恐る恐る声をかける。

 すると、祈りを捧げた姿勢のまま不自然に静止していたユミルがゆっくりと動いた。

 こちらに振り向いたユミルを見て、私は驚きに目を見開く。


 若く美しかったユミルの顔は、人間の顔をしていなかった。

 皮膚が剥がれた老人のような、しわ怨嗟えんさに満ちた異形がそこにいた。


 ユミルの肉体に宿ったトコヤミだった。


「この瞬間を待ち望んだ。我の存在がお前を凌駕するこの瞬間を」


 聞き覚えのあるしわがれた老人の声が、私に語りかける。


「お前のせいで、多くの者たちが空を見上げるようになった。目に光を宿らせ、声を出すようになった。暗澹あんたんたる世界に希望が満ち、我が静寂は踏みにじられた」


 トコヤミの一言一言が、侵食するように心を蝕んでくる。


「太陽、お前が与えたものを我は壊しに来た」


「私が与えたもの……?」


「希望、喜び、光……。それらを全て壊す」


 トコヤミの言葉に呼応するように、天から雨が降る。

 その雨は黒く濁り、泥のような粘質を持っていた。

 闇の雨は箱庭を中心に大陸へ降り注ぐと、まず最初に太陽一族を打った。

 雨に打たれた人々は、皮膚が焼きただれ、硬化し、やがて石へと変化する。

 それを見た人々は次々に逃げ惑ったが、やがて降り注ぐ闇の雨に焼かれて恐怖と混乱の表情を浮かべたまま石化した。


「やめて!」


 私は叫び、トコヤミにすがりついた。

 だがトコヤミに触れることができず、空を切ってそのまま地面に倒れこむ。


 天から光を奪われた私の存在を保ったのは、眼の前の太陽石だけだ。

 それは、莫大な闇を操るトコヤミを前に、あまりに頼りない光だった。


 ユミルがトコヤミの依代になってしまうだなんて。

 元よりユミルは私を視認することができるほど強い力を持っていた。

 それが神と繋がることのできる力なのだとすれば、ユミルはトコヤミとも高い親和性を有してしまっていたことになる。


 そのことに私は気づかなかったけど、トコヤミは気づいていた。

 だから太陽が隠れる瞬間を狙って、ユミルの中に宿ったんだ。

 そうすれば、肉体のない私は、受肉したトコヤミに何もできなくなるから。


 太陽石にトコヤミを閉ざさねば皆が死ぬ。

 しかしそれを実行できる者はもういなかった。


「無力で愚かな太陽、お前が育てた世界が壊れるのをそこで見届けよ」


「ダメ! あぁ……、みんな、みんなが死んじゃう!」


 泣き叫ぶ私を見て、トコヤミは歪んだ笑みを浮かべた。


 その時、不意に昇降機が音を立てて稼働を始めた。

 予期していなかったことに、私とトコヤミは同時に視線を向ける。


 塔の中に入ることができるのは巫女だけのはずだ。

 誰かが入り込めるはずがない。


 すると、トコヤミの体が震え始めた。

 体の自由が利かなくなったように体を強張らせ、苦しげな声を上げる。


「ぐっ……何だこれは……」


「何? 何が起こったの……?」


 状況が呑み込めず、混乱した頭で私は呟いた。

 ほぼ同時に昇降機がたどり着き、部屋に誰かが飛び込んでくる。


「ユミル! 無事か!?」


 入ってきたのはユミルの夫のトールだった。


 ◯


「トール? 何故ここに……?」


 驚いて声を上げるも、その問いに答えが返ってくることはない。

 祈りの間に飛び込んできたトールは、その胸にトワを抱き、右手に黒曜石のナイフを握っていた。

 彼は妻の姿を探して室内を見渡し、そして眼の前にいる異形に目を留める。


「何だこいつは……」


 トールが呟くのとほぼ同時に、トコヤミからユミルの声が聞こえた。


「トール! お願い、抑えている間に私を殺して! 今すぐ!」


「くっ……!」


 トールは抱えていたトワを床に置くと、ナイフを握りまっすぐ走った。

 トコヤミの様子がおかしかったのは、ユミルがトコヤミの中で抵抗していたからだ。

 だがすぐに体の支配を取り戻したトコヤミは、動ずることなくトールへ右手をかざした。

 すると黒い霧がトールの首元を包み、それは手を象ってトールの首を締め上げる。


「ぐうぅぅ……!」


 握りつぶすような声と共に、骨の軋む音がした。

 血流が滞り、トールの顔が赤黒く膨れ上がる。


 しかしトールはそれでも怯むことなく足を踏み出し、トコヤミと距離を詰めた。

 業を煮やしたトコヤミが左手をかざそうと、一瞬右手の意識を逸らす。


 トールはその隙を見逃さずに地面を蹴り、ナイフをまっすぐ突き出した。


 ナイフは、トコヤミの――ユミルの首元を正確に貫いていた。


 喉を貫かれたトコヤミはよろよろと後ずさり、トールに押し付けられる形で太陽石にぶつかる。

 口から血を流しながら、ユミルが息も絶え絶えに封じの呪文を紡いだ。


「ひ……かり……を……はな……て……」


 すると太陽石に眠っていた光が一気に解き放たれ、灯台のように世界へ広がった。

 風が集い、世界を覆う闇が太陽石へと吸われていく。

 ユミルの肉体に寄生していたトコヤミの闇もまた、太陽石に吸い込まれていた。

 トコヤミが苦しげな呻き声を出す。


「覚えていろ、闇は決して消えぬ。我が呪いはいつかこの世から光を消す……」


 怨嗟の声を上げるトコヤミは殺意を込めて私を睨んだあと。

 闇とともに太陽石の中へと消えていった。

 全ての闇を吸い込んだ太陽石はその輝きを失い、真っ黒に濁る。


 身体を包んでいた闇が祓われ、残ったのはナイフで喉を貫かれたユミルだけだった。

 倒れ込むユミルを、トールが抱きしめる。


「ユミル……。ああ、何てことだ……」


 悲痛な声を上げたトールに、ユミルは笑みを浮かべた。


「あり……がとう。あ、なた……」


 ユミルを照らすように、窓から光が差し込む。

 太陽をおおっていた影が動き、世界に再び光が戻ったのだ。

 天に青空が広がる。


 すると、ユミルの肌が足先から灰色に染まり、石化し始めた。

 日差しに照らされたユミルの肉体は完全な石化を果たすと、灰となりボロボロと崩れ落ちる。


「ユミル! 逝かないでくれ!」


 その叫び声も虚しく、トールの腕の中からユミルの灰はこぼれ、消えてしまう。

 消えた妻を抱きしめるように、トールは悲しげに腕を強く抱え込んだ。


「ユミル、ごめんなさい。私は神様なのに……誰も助けられなかった……」


 涙を流して懺悔をしても、私の言葉は誰にも届かない。

 悲しみが満ちた空間に、トワの笑い声だけが響き渡っていた。


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