第1節 太陽の始まり
――太陽暦0年
かつて、この世界は闇に包まれていた。
見上げた空にはいつも闇が溢れ、人々の心にはいつも暗闇があった。
しかしその世界にある日突然、光がもたらされた。
光を生み出したのは、狩りをして暮らす平凡な夫婦の下に生まれた、一人の少女だった。
「見てあなた……。空が明るい」
「ああ。まるで世界がこの子を祝福しているみたいだ」
少女が生まれると同時にそれまで真っ暗だった空に光が満ち、青空が広がった。
白銀の髪と白い肌に赤い瞳を持ち、光と共に生まれた少女。
テトと名付けられたその少女が、私だった。
私は目覚めている間だけ空を明るくする力を持っていた。
私が起きると世界は明るくなり、眠ると世界は暗くなる。
それまで暗かった世界に光を得た人々は喜び、心に希望を宿した。
皆は私の生まれた日を『世界の始まりの日』として定め。
それは後に、太陽暦と呼ばれる歴史の始まりとなった。
――太陽暦15年
「テト様、おはようございます」
「おはよう」
「今日も温かいですね」
「そうだね」
今日も私は、人々に笑顔を向ける。
そうすれば心が癒やされると言ってくれるからだ。
疲れた人を労い、落ち込んだ人には寄り添って。
心に闇を抱えた人へ光を灯すのが、光の化身である私の仕事だった。
「テト様、どうか私のお話をお聞き下さるでしょうか」
「うん、大丈夫だよ。話して」
「寛大なお心に感謝いたします」
誰もが私のことを信頼し、愛してくれた。
でも一方で、私には対等な友達と呼べる人がいなかった。
私は世界に光をもたらした存在であり、あくまで崇拝の対象らしい。
だから私に話しかける人々は、いつも一歩身を引いている。
「もっと気軽に接してもらっても良いのだけど」
「とんでもございません! 何て恐れ多い! お立場ある身ですから、どうか発言は慎重になさってください!」
「そうだよね……」
誰も私と、対等になろうとはしてくれない。
両親ですら、少し遠慮しているように見える。
私にとって人と接することは、寂しさを積み重ねる行為でもあった。
「かけっこしようよ! あの木まで競走ね!」
「いいよ!」
「いいなぁ……」
村の広場で遊ぶ子どもたちの姿を見て、私は無意識に呟く。
私にもあんな風に対等に話せる友達がいればよかったのに。
友達は私にとっての憧れだ。
小さな喜びを分かち合い、下らないことで笑い合える相手が私にも欲しい。
でもわかってる。それは過ぎたる願いなのだと。
だって私は、普通の人間ではないのだから。
「そろそろ寝ないと。私が起きてるといつまでも明るくなってしまう」
私は家に戻ると、寝床で横になる。
「今日もたくさん人と話して疲れたな……」
一日の疲れを感じていると、やがて瞼が重くなってきた。
意識が覚醒と睡眠を往復し、世界が徐々に闇に包まれる。
意識が薄れるのを感じていると、不意に自分を見つめる人がいることに気がついた。
誰かいる……。
朧気な状態のまま、私は薄く目を向ける。
部屋の隅っこにある薄暗い場所に、人の姿をした影が見えた。
まるで空間を切り取ったかのように、ぽっかりとそこだけが暗くなっている。
人がいるのは確かだが、誰なのかまでは分からない。
ただ、影は何をするでもなく、じっと私のことを見つめていた。
あなたは誰……?
言葉にする前に、私の意識は眠りに落ちた。
「テト、そろそろ起きる時間よ」
次に目が覚めた時、私の前にはお母さんが立っていた。
身体を起こして部屋の隅に目を向けたが、そこにはもう影はいなかった。
夢だったのだろうか。
見たものを伝えようか迷う。
「何もない場所を見て、どうしたの? 具合でも悪い?」
「……何でもない」
お母さんは私のことになると少々過敏になってしまう。
過剰に心配される気がして言葉を呑み込んだ。
それから度々、私は影の存在を感じるようになった。
影は決まって私が微睡むと現れ、物陰から私を見つめている。
最初は薄気味悪いと思っていたけど、どんな日でも必ず私の前に現れてくれる影に、いつしか親しみすら抱くようになった。
「ねぇ……あなたは誰……?」
ある日の夜。
意識が薄れるのを感じながら、私は初めて影にそう尋ねることができた。
「あなたの名前が知りたい……。名前はないの……?」
「トコヤミ」
何度か質問をして、唯一その返事だけが返ってきた。
低くしわがれた男の声は、年老いた老人にも思える。
影が返してくれたのはそれだけだったが、それで十分だった。
「トコヤミって言うんだね……。ねぇ、トコヤミ、私の友達になってくれる?」
私と人々の立場が違うというのなら、影であるトコヤミとなら仲良くなっても良いかもしれない。
そう思って尋ねてみたけど、やはりトコヤミは答えなかった。
でも、私の前から去ろうとしないのは、受け入れてくれたからかもしれない。
初めてできた友達に、私の心は小さく踊った。
「私ね、ずっと友達が欲しかったの……。対等に話せる友達が……」
話をしようとして、私の意識は眠りに落ちた。
眠る直前に見たのは、私をジッと見つめるトコヤミの姿だった。
それからは、私にとって睡眠の時間が一日の楽しみとなった。
一日の務めを終えて微睡むと、トコヤミは決まって姿を現してくれる。
心地よい眠りに身体を預けながら、その日あったことを途切れ途切れにトコヤミに語るのだ。
名前を教えてもらった時からトコヤミが言葉を発することはなかったけれど、どんな話でも否定せずに聞いてくれるトコヤミの存在は、私にとっての癒やしだった。
そして私は十六歳になった。
「今日はいつもより忙しかったの……。私を讃えるお祭りをすることになってね……。大きな儀式をするからって、私も祭壇に立たされて、舞いを練習して……」
いつものように、微睡みながらトコヤミに語りかける。
眠気と戦いながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「お祭りって初めて見るから、楽しみだな……」
瞼の重みに耐えきれず目を瞑ると、明るかった空が徐々に暗くなった。
いつもならそのまますぐ眠ってしまうのだけれど。
その日は妙な疲れが残っていたのか、眠りが浅かった。
眠りに落ちたはずなのに意識は半覚醒状態のままで、私はトコヤミの気配を肌で感じた。
すると、ヒタリと足音がした。
トコヤミの足音だと気がつく。
いつもは暗闇から自分を見つめるだけだったトコヤミが、こちらに近づいているのだ。
そんなことは初めてだった。
トコヤミは私のすぐ傍まで来ると、そっと耳元に顔を寄せてくる。
何か言おうとしているのかもしれない。
薄れる意識の中で、私は耳を傾けた。
トコヤミは一言だけ呟く。
「早く死ね」
驚いてハッと目を開けた。
私が起床すると光が灯り、世界が明るくなる。
心臓の鼓動が脈動するのを感じた。。
嫌な汗が額から流れ、呼吸が荒れる。
「今のは悪い夢……?」
口にしたものの、すぐに違うと気づいた。
あれは現実だった。
あの声は、間違いなくトコヤミの声だ。
聞き間違いなはずがない。
私はそこで初めて気づいたのだ。
トコヤミは友達などではないと。
あれは私の――光の死を望む、闇の住人だった。
トコヤミが暗闇から私をジッと見つめていたのは、私が死ぬのをただ待っていただけなんだ。
「どうして……」
口にはしたものの、本当は分かっていた。
私が死ねば、また世界に暗闇が戻ってくるからだ。
だからトコヤミは、私が消えるのを待っている。
私が生まれて初めて、この世に光が生じた。
光が生まれて初めて、闇は自分が闇であると自覚する。
それまで闇の中で生きたトコヤミは、私が生まれたことで初めて自分がトコヤミという個体であることを知り、自我を持ったのだろう。
そして、光に自由を奪われた。
「世界を光で満たす私のことを、トコヤミはずっと疎ましく思っていたんだ……」
だからトコヤミは、再び世界が闇に覆われることを望んだ。
ショックだった。
昨日までずっと友達だと思っていた相手に、死を願われていたのだから。
悔しさとも悲しみとも言えない感情が入り混じり、自然と涙が溢れた。
泣いているのを誰にも知られたくなくて、私は森の奥へと逃げ込む。
人知れず涙を流していると、村の方から人々の楽しげな声が聞こえた。
まだ私が起きて間もないというのに、もう仕事をしているらしい。
「この祭りは立派なものになるなぁ」
「ああ、テト様も喜んでくださるだろう」
「あの方の笑顔は、陽だまりのようだもの。大切にしないと」
みんな、私のために祭りの準備を頑張ってくれているのだ。
村の人は、誰もが私によそよそしかったけれど……それは私を嫌いだからではなく、敬ってくれているからだ。
誰もが私のことを大切にし、感謝してくれている。
私に親愛を向けてくれている。
私は村の人たちのことを遠く感じていたけど、彼らが好きだ。
でも。
「私が死んだら、みんなの笑顔も消えてしまうかもしれないんだよね……」
私が死ねば世界は再び暗闇に満たされる。
これほど自分を慕ってくれている人々が、闇の中で苦しむ姿は見たくなかった。
この世界に光を残さなきゃダメなんだ。
地面に咲く花のように、川を流れる水のように、光はこの世界に当たり前に存在しなければならないものなのだと思う。
光はこの世界に朝をもたらし、光が消えれば闇が夜をもたらす。
そうやって、人々が目覚める時間と眠る時間、双方の時間がこの世界には必要なのかもしれない。
そしてきっと、私はその摂理を生み出すために生まれてきた。
ふと、空に呼ばれた気がして私は目を向けた。
青く広がる空には、雲一つ存在しない。
もしここに、光りをもたらす天球のようなものがあればどうなるだろう。
一日の始まりに天球は昇り、そして一日の終りに天球は沈む。
そうすれば、朝と夜が訪れる。
答えを得た気がした。




