第6節 箱庭図書館
「大冒険じゃったのう。こんな経験ができるとは思いもよらんかった」
「コペルすごかった! トワびっくりした!」
先程までの興奮が冷めやらず、わしらはお互いを称え合う。
あの鐘は老朽化が進んでおった。
音を鳴らせば落ちてしまうほどに。
だからわしはトロルが真下を通るタイミングで思い切り打ち鳴らしたのじゃ。
結果として老朽化した鐘はトロルの頭を直撃した。
トワはわしの知恵を褒めてくれたが、そうではない。
あの作戦は、トワでなければそもそも成立しなかった。
すると、何か見つけたようにテトが「クエッ!」と鳴いた。
「どうした? テト」
トワがテトの視線を追い、釣られてわしもあとに続く。
ちょうどわしらのいる高台の当面に、同じような高台があるのが目に入った。
どうやらこの鐘の広場と向かい合わせになっているらしい。
それを見て、わしらは顔を見合わせた。
「トワ、あっちに行ってみようではないか」
「うん」
階段を降りて大通りを抜けると、緩やかな登り坂が見えてきた。
先程の高台はこの先にあるらしい。
テトの背中に乗ったまま、ゆっくりと坂を登る。
階下に古代都市が広がり、わしはハッとした。
「やはり箱庭には、二つの道があるのじゃな」
「二つの道?」
「弱き者と、強き者。それぞれのための道じゃよ。太陽一族がトワのような高い身体能力を持っていたとするなら、彼らは普通では通れない場所をも道として使えていた。だが、いくら太陽一族とは言え、わしのような老人や子供にそれは難しい。だからこうして、歩いて進むことのできる道も用意されていたのじゃろう。箱庭にある様々な仕掛けは、言わば戦士のための通り道なんじゃ」
「戦士のための道かー……」
古代都市に造られた壁の足場や出っ張り、手がかりとなる壁の蔦。
それらはすべて、超人的な身体能力を宿した太陽一族だからこそ通ることの許された道じゃった。
目を向ければ、ありありと光景が浮かび上がる。
壁を登る戦士の姿と、道を歩む人々の姿が。
「言うなれば、トワは太陽一族の末裔であり、最後の戦士じゃな」
「そんなこと言われてもなー」
「ほっほっほ。まぁ、お前さんにとってはどうでもいい話かもしれんのう」
やがて、わしらは目的の高台へとたどり着いた。
鐘の広場以上に見渡しが良い。
美しい空と、自然に呑まれた古代都市の幻想的な風景が一望できる。
「すごくきれいだね!」
「改めてみると、非常に完成された街並みをしておるのう」
それはまるで一つの絵画のようじゃった。
現実にいるはずなのに、物語の世界に飛び込んだかのような……そんな印象を受ける。
「結局、図書館見つからなかったね……」
悲しげにトワが呟いた。
じゃが、わしは首を振る。
「いや、あったよ」
「えっ?」
「図書館は見つかった」
わしはゆっくりと手を上げると、そっと遠くを指さした。
「見てごらん、トワ」
その先を、トワは目で追い、そして驚きに目を見開いた。
視界の先に、古代都市の中に浮かんだ絵があった。
鐘の広場に描かれた巨大な少女の壁画を中心に、古代都市の様々な場所に描かれた模様や壁画が、一枚の絵の形になっていた。
太陽の中に立つ白銀の髪の少女から光が大きく広がっている。
光は世界を照らし、水や木や土や風を生み出していた。
少女は太陽そのもので、光そのものじゃった。
それは世界の始まりが一人の少女であることを示していた。
世界の成り立ちが、ここに記されていた。
「この箱庭自体が、太陽一族の知恵や思想を描いた図書館そのものだったのじゃよ」
「すごい……」
「あの少女は、太陽一族の信仰の対象であり、偶像なのじゃろう。彼らは、太陽が元々一人の女の子だったと信じておったんじゃ」
「じゃあ、あの女の子は神様?」
「そういうことになるのう」
トワはじっと少女の絵を見つめ、やがて何かに気づいたように目を見開く。
「思い出した。トワ、あの子と会ったことある……」
「何?」
耳を疑う。
トワは泣きそうな顔をしておった。
「優しくて、暖かくて、トワに色んなこと教えてくれた。どうして忘れてたんだろ。大切な友達のはずなのに……」
「友達か……」
トワの言葉が、妙に腑に落ちた。
「そうか、太陽一族にとって、神様は偉大な存在であり、そして身近な友人のような存在だったのかもしれんのう」
森羅万象を知る少女は、太陽一族に多くの知恵を授けた。
彼らは少女の言葉を信じ、そしてその知恵を世界に広げる。
太陽一族と太陽神の少女は、お互いに支え合う関係だったのかもしれん。
「トワ、わしらはこの図書館を見つけることができて幸運じゃった。もう少し遅ければ、この光景はなくなっていたかもしれん」
「どうして?」
「見てごらん」
古代都市は、よく見ると所々が欠損していた。
壁が壊れ、老朽化で壁画の塗料も落ちてしまっている。
永遠に思えた古代都市は、少しずつ荒廃しておった。
「物は朽ち、そして消える。それは世の常じゃ。箱庭とて例外ではない。箱庭は長い歴史を持ち、今もまだ原型を留めておる。驚異的なことじゃが、やはりこの世の理には勝てん。永遠などない。万物は必ず変わっていく」
「じゃあ、箱庭はいつかなくなるの?」
「ああ。いつになるかは分からんがな」
「その時トワはどうなる?」
「お前さんが望むなら、世界を歩くこともできるじゃろう」
その時、不意に胸が苦しくなり、わしは地面に倒れ込んだ。
地面に倒れ込んだわしを、トワが慌てて支えてくれる。
口から液体が溢れ、吐き出すと真っ赤じゃった。
「コペル!」
「トワ……最後にわしの退屈を埋めてくれてありがとう……」
息も絶え絶えに、わしは告げる。
「……わしはこの世のあらゆる書物に触れ……多くの知恵をつけ……賢者と呼ばれるようになった。数多の疑問に答え……人々に感謝されたが……わしの中にはいつもとてつもない空虚だけがあった……」
額から冷や汗を流しながら、わしは目の前の景色を見つめた。
「世界の全てを知った気になっていた……。じゃが、それは間違いじゃった。わしは驕っていたんじゃ……。この箱庭で見た光景が……経験したことのすべてが……わしにとって未知じゃった。知識だけで知った気になっていたわしの驕りを……箱庭は正してくれた……。世界には、触れるべきものがたくさんある……。得るべき出会いにあふれておる……。わしは人生の終わりに、それを知ることができた……」
額から汗を流しながらも、わしはトワに微笑む。
「知らぬことがあると言うことは、幸せなことじゃな……」
「知らないことが幸せ?」
「そうじゃよ……」
そして、空を見上げた。
「賢者とは、未知の楽しさを知る者よ」
わしはそっと、血のついていない手でトワの頬に触れる。
トワは震えるわしの手を握りしめてくれた。
「トワ、どうか覚えていておくれ。箱庭が紡いだ、いつか消えてしまうこの光景を……。お前さんが見ているこの光景は……特別なんじゃ……」
「うん」
「そして知らぬことを悔いないでおくれ……。お前さんはこれから……たくさんのことを知ることができる……。お前さんが知りたいと思った時から……世界は変わっていくんじゃ……」
「うん。トワ、たくさん勉強するね」
「それで良い……」
トワの瞳には、強い意志と光が宿っていた。
「トワ、この光景も、コペルと過ごした時間も忘れない。だから、コペルは安心して休んで」
「ありがとう、トワ」
そしてわしは、そっと静かに目を閉じる。
陽の光に照らされた箱庭の風景。
壁を伝う蔦や流れる水は美しくきらめき、小鳥たちが青空の中を飛んでいた。
風は優しく、木々たちを揺らしている。
わしら以外に人の姿はなく、あるのは静寂だけじゃった。
その幽玄な風景の中で、わし――賢者コペルは眠るように死を迎えた。
わしの傍には、最古の一族の末裔となる少女が寄り添っている。
彼女は自らの無知を悔いたが、わしは彼女からたくさんのことを教えられた。
この世は未知に溢れている。
それは生きる希望に溢れていることでもあるのじゃと。
最期に見た青い空の中心には、世界を祝福する太陽が強く輝いておった。




