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神の箱庭に棲む少女  作者:
第3話 トワと賢者コペル
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第5節 激闘

「おはよう、トワ」


「うん……」


 朝、トワと顔を合わせたわしは、何事もなかったかのように挨拶をする。

 ただ、トワは元気がないようじゃった。

 わしのことを案じてくれているのじゃろう。


 昨日焚き火をした場所には、わしの血の跡が残っていた。

 血の匂いを嗅ぎつけて獣が寄ってくるかとも思ったが、それはどうやら杞憂に終わったらしい。

 わしがテトの背中に乗ろうとしていると、トワが何やらものを言いたげにしておった。


「どうした、トワ」


「コペルは……もうすぐ死んじゃうの?」


 ずっと黙っていたのはそのことを考えておったのか。

 わしはテトに乗りながらゆっくり振り返ると、静かに目を瞑る。


「ああ、わしは死ぬ。そう遠くない未来にな」


「コペル死ぬの嫌だ」


「わしの死を悼んでくれるのか。ありがとう、トワは優しい子じゃの」


「昔、お父さんが死んじゃった時、すごく悲しかった。何日も泣いて、泣いて、泣き腫らした。泣くのに疲れて、ご飯食べて、何日も経ってようやく元気が出てきたんだ。でも、コペルが死んじゃったら、また同じようになると思う」


 アキナやミヤコの死も悼んでおったが、そこまで深く傷ついているようには見えなかった。

 じゃが、こうして死を目前とした人間と対峙すること自体が、トワにとっては不慣れなことなのじゃろう。


「恐れることはない。人はいずれ死ぬ。死という結末は、誰もが平等にたどり着く終着点なんじゃよ。お前さんの友達のアキナや、ミヤコがそうであったようにな」


「終着点……?」


「あぁ。だから後悔せぬように生きねばならん。やり残したことがないようにな。だからわしはここに来たんじゃ」


 すると、トワは何かを思い出したように呆然としていた。


「お父さん、『いつも太陽のように生きろ』ってトワに言った。いつもガッハッハって笑ってたし、やり残したことなんてなかったように見えた」


「お父上は生を全うしたんじゃよ。自分のできる限りのことをやって、懸命に生きた。その人生に、後悔はなかったじゃろう。そしてトワにも、そうあって欲しかったのではないかな」


「図書館を見つけるのが、コペルのやり残したこと?」


「そうじゃよ」


「もし図書館を見ないまま死んじゃったら、後悔する?」


「きっと、もっと早く来るべきだったと悔やむじゃろうな」


「そっか……」


 トワは決心したように手をギュッと握りしめると、やがて顔を上げた。


「それならトワ、頑張って図書館を見つけ出す」


「ああ、ありがとう、トワ」


 ◯


 拠点にした建物から離れて大通りへと出る。

 すると、違和感を抱いて「待て」とトワを制止した。


「ここだけ少し様子が変じゃ。何かおるかもしれん」


 それまで整っていた古代都市の風景が荒れ果てている。

 建物のいくつかが倒壊し、大きな穴が空いている場所もあった。

 それはまるで、巨大な何かが通り抜けたかのようじゃ。


 苔が生えた地面は抉れ、巨人の足跡のような痕跡も見られた。

 足跡だけでわしやトワの体型をすっぽりと包めてしまうほどの、規格外の大きさじゃ。

 明らかに異様じゃった。


 すると、トワがそっと耳をそばだてた。

 辺りに意識を這わせている。

 テトも異様な気配を察したのか、忙しげに首をキョロキョロと動かした。


「何かの縄張りに入ったかも」


 その言葉に反応するように、壁の奥の向こう側で巨大な影が動いた。


「来た!」


 トワが叫ぶと同時に近くの建築物の壁が破れ、巨大な獣が姿を見せた。

 前傾姿勢で歩くその姿は、猿にも似ている。

 それはわしらを見つけると、興奮した様子で咆哮を上げた。


「トロルだ! すっごく力が強くて獰猛なんだ! 縄張りに入ったトワたちを敵だと思ってる!」


 昨日、この辺りに動物がいなかった理由に気がづく。

 このトロルの縄張りじゃったから、他の動物も近づけなかったのじゃろう。


 トロルは怒りのままに巨大な両手を地面に叩きつける。

 地響きがして、大きく箱庭が揺れた。

 じゃがトワは臆さず前に出ると、振り下ろされたトロルの腕に乗り、腕伝いに頭へ走って切りかかる。

 しかし頭蓋骨がかなり頑丈らしく、トワのナイフは通りもしなかった。

 鉄に打ち付けているかのような硬質な音と共に、刃が弾かれたのじゃ。


「刃が入らない!」


 苛立たしげに叫ぶと、トワはトロルの毛皮を掴んだ。


「テト、コペルと逃げて! こいつはトワが抑える!」


「クェッ!」


 トワに言われたテトは、わしを乗せたまま急いでその場を離脱した。

 何かできることはないかと思うたが、この老いぼれがいたところで返って足手まといになってしまうじゃろう。


「うわっ!」


 声がして振り返ると、トロルにしがみついていたトワが宙へ投げ出されるところじゃった。

 空中で無防備になったトワを、トロルの張り手が襲う。

 だが上手く体を捻り、指の隙間に逃げ込む形で致命傷となりうる一撃を回避していた。

 信じられない身体能力じゃが、状況は悪い。


「トワ! 無事か!?」


「何とか!」


 そこでふと、良いアイデアが思い浮かんだ。

 やるしかあるまい。


「わしに考えがある! 少しばかり時間稼ぎはできるか!?」


「わかった! トロルは動きが遅いから大丈夫!」


「急いで作業しようではないか。頼むぞ、テト!」


「クエッ!」


 テトはわしを背中に乗せ、昨日の鐘の広場へと走っていく。

 トワは適当な足場に着地すると、からかうようにトロルに向かって両手を振り回した。


「おーい! こっちにいるぞ!」


 トワの叫び声に刺激され、トロルが怒りの形相で振り返る。

 視認されるその瞬間、トワはトロルの顔に飛び乗ると眉間に蹴りを入れた。

 トロルは呻き声を上げ、トワを捕まえようと平手を自らの顔に振り下ろす。

 じゃが手が振り下ろされる前にトワは地面へ逃げておった。

 自身の顔を強く叩いたトロルは小さくよろめき、怒りの雄叫びを上げる。

 耳をつんざくようなトロルの叫び声は、辺りの建物をビリビリと震わせた。

 憤慨したトロルが地響きを立てながらトワへ手を伸ばしてくる。

 トワはその手の隙間をひょいと縫うように抜けると、トロルの背中側へと逃げ込んだ。

 何度かナイフで切れ込みを入れておるが、トロルの強靭な肌は刃を通しもしない。


 やはりトロルを屠るには、もっと強力な武器が必要じゃ。

 しかしこれなら、どうにかかるかもしれん。


「おーい、トワ! こっちにおいで!」


 わしは鐘の横にある足場に立つと、両手を振ってトワへ呼びかける。


「走ってこぉい! トワ!」


 わしの声を聞いたトワはこちらへ向かって走り始めた。

 その背後をトロルが追いかける。


 ドスンドスンと大きな足音が地面を揺らし、トワは足を取られて何度もバランスを崩した。

 じゃが見事な体幹でどうにか体制を立て直すと、必死に階段を登る。

 階段を昇りきり、ようやく鐘の下へたどり着くころには、既にトロルの巨大な手が迫っていた。


 掴まれたらひとたまりもない。


 じゃがそれこそが、わしの待ち望んだ瞬間じゃった。


 わしは手にした木槌を思い切り振り抜き、鐘へと打ち付ける。

 くすんだ金属からゴォンとくぐもった轟音が放たれ、トワもトロルも耳を塞いだ。


 すると、鐘の竜頭がピシリと軋み始めた。

 亀裂は一気に広がり、そして次の瞬間、竜頭が割れ、鐘はトロルの頭上へとまっすぐ落下する。

 落下した鐘に頭を潰されたトロルは絶命し、膝から崩れ落ちた。


 呆然と座り込むトワに、わしは手を振る。


「ほっほっほ、うまく行ったわい!」


 わしの高らかな笑い声は、静かな街によく響いた。


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