第4節 未知と夢が溢れた場所
その日は、近くの建物で寝ることにした。
探索している時に事前に目星をつけておいたのが功を奏したようじゃ。
部屋を清掃し、石の台の上に草と布を使って簡単な寝床を作る。
一通り準備を終えたわしらは、建物の外で焚き火を起こした。
近くに獣の気配はない。
穏やかな風が吹く、静かな夜じゃった。
「はい、コペル。ご飯できたよ」
「ほっほっほ、道中で採集しておいて良かったのう。トワ、何から何までありがとう」
「別に良いよ。トワ、コペルといるの楽しい」
焚き火の明かりに照らされながら、トワと二人で食事を口にする。
昔、孫娘と野営を行ったことを思い出す光景じゃった。
会わなくなって、随分と久しい。
懐かしさに、思わず目を細める。
わしらが口にしたのは、野菜や穀物を水で煮ただけの簡単なスープじゃ。
携帯していた塩で味付けをしただけじゃが、空腹を満たすには十分じゃろう。
これらの野菜たちはいずれも自生しており、改めて箱庭の生命力を体感した。
「ねぇ、コペルの故郷はどんな場所だったの?」
スープを啜りながら、トワが尋ねてくる。
「わしの故郷かい? それほど珍しい場所ではないぞ?」
「トワ、箱庭しか知らないから。コペルの話、聞きたい」
「ふぅむ、そうじゃのう……」
顎ヒゲを撫でながら、わしは港町カフカのことを思い浮かべた。
「わしは南の大陸にある港町カフカに生まれ育ってのう。そこは貿易都市と言ってな、毎日のように色んな土地の装飾品や、本や、食べ物がやってきてはどこかへと旅立っていく場所なんじゃよ。物だけではないぞ? 情報も、人も、出入りが盛んでな。故に新しいものに触れる機会が多い場所じゃった」
わしの語りを聞いたトワは、目を輝かせる。
「へえぇ、良いなぁ! 楽しそう!」
「楽しい……か、そうかもしれんのう。ただ、わしには少し退屈な街じゃった」
「どうして?」
「知識を得てしもうたからかもしれん」
※
わしは元々商人の家の生まれでな、親の仕事を小さなころから手伝っておった。
その関係で、色んな大陸の本を読むことも多くてのう。
遠く離れた土地の民話や、見知らぬ分野の学術書、初めて耳にするような冒険譚に触れてきたんじゃよ。
本は良い。
たくさんの経験と知恵を届けてくれる。
そうして何百、何千、何万と本を読むうちに、わしの知識が人々の中で話題になり始めてな。
色々な人が、わしに教えを請うようになった。
「先生、この勉強教えて」
「それはこう解けば良いんだよ」
「先生、金の計算ってのはどうやりゃいいんですかねぇ?」
「この本を参考にしてやってみなさい。そう難しくはない」
人々に知恵を授けていると、噂が噂を呼び、やがて他国からもわしの知恵を求めて人がやってくるようになった。
「失礼、ここにコペルという若者がいると聞いたのだが」
「コペルは私ですが」
「おお、貴殿が! 私は大国リューゼの宰相をしている。貴殿の知恵を必要としているのだ。是非力を貸してほしい。見返りはあるぞ。貴殿は本を求めているのだろう? 我が国にある膨大な図書を自由に閲覧する権利を与えよう」
一日中本を読み、知識を得て、問題を解決する。
そんな慌ただしい日々が続いたよ。
やがて年が経ち、本を読み続けたわしは、気が付けば人類学者となり、賢者と呼ばれるようにもなっておった。
妻は寿命を迎えて死に、娘も結婚して家を出てしまった頃、わしは与えられた本をすっかり読み終えてしまったんじゃ。
「これもまた読んだことのある内容じゃな……」
本を読み尽くしたわしは、もう新たな知識を得ることはなくなった。
それはわしにとって、酷く退屈なことじゃった。
「カフカに戻れば、また新たなものに触れられるかもしれん」
そう思ったわしは、娘からの同居の提案も断り、故郷に戻ることを決意した。
何せカフカは世界一退屈しない街じゃからのう。
胸を弾ませて故郷へ帰ったものじゃ。
だが、カフカに戻ったわしは愕然とした。
たくさんの情報や人が行き交う賑やかな港町には見知ったものしかなく、かつて『未知』が溢れていた港町はすっかりくすんでしかっていたからじゃ。
この退屈は永遠に消えないのだと思った時、幼き頃に読んだ、人類未踏の地のことを思い出したのじゃよ。
それが、箱庭じゃった。
※
「当時は技術的に渡航すら難しいとされていた箱庭じゃったが、精霊工学が発展した今となっては、現実的に渡航が可能な場所になっておった。あと必要なのは、航海をするだけの豊富な知識だけじゃった」
もう少し技術が発展すれば、そのうち箱庭は当たり前に来ることのできる遺跡となるじゃろう。
だが現状では、この航海を可能にした知識と好奇心の持ち主は、世界でわししかいないらしい。
他に箱庭へ来た人間がいないのが、その証拠じゃ。
あるいは、たどり着いても助からなかったのかもしれんがな。
トワと出会えたわしは、幸運じゃった。
「じゃあ、コペルは退屈だから、ここにきたの?」
「そうじゃよ」
焚き火を眺めながら、わしは薄く笑みを浮かべる。
「誰もが『一度は行ってみたい』と言った、海の中に浮かぶ巨大な古代遺跡。ここは大陸の人間にとって、未知と夢が溢れた場所なのじゃよ」
パチン、と焚き火が弾ける音がした。
薪の中の水分が熱され、膨張したのじゃろう。
ゆらゆらと上がる火の粉を、わしは眺める。
「実際にここに来て、分かったことがある」
「何?」
「この場所で使われている技術の全てを人間が生み出したとは考え難いということじゃ。もしかしたら、この場所を作った太陽一族は、人を超えた存在から知恵を与えられていたのかもしれん」
「人を超えた存在って?」
「そうじゃな、例えば太陽かのう?」
わしは空を指差す。
「太陽一族とはいわば、太陽の声を聞き、太陽に与えられた知恵を人々に届ける役割を持った一族だったと言えるかもしれん」
「じゃあ、トワもその役目を持ってるの?」
「心配することはない。ここが生み出されたのはもう何千年以上も前じゃからな。役割があったとしても、疾うの昔に風化しておるよ」
「みんな、何で死んじゃったのかな」
「お前さんが生まれる前に何かがあったのかもな。あの壁画にあった『闇』が関わっている可能性もある。お父上からは、何も聞かされておらんのかね」
「うん。『知らなくても良い』って言ってたから」
「話したところでお前さんを苦しめるだけだと思ったのかもしれんな」
落ち込んだ様子のトワの頭を、わしは優しく撫でる。
「わしはずっと太陽一族に会ってみたかった。お前さんがその末裔じゃとしたら、人生の晩年に夢が叶ったことになる」
「トワそんなにすごくないけどなー」
「ほっほっほ、自分をすごいと思う者はなかなかおらん。だがトワ、今日見てきただけでも分かるよ。お前さんは特別じゃと」
わしとトワは、何気なく空を眺める。
建物の隙間から見える箱庭の夜空には、ただの暗闇だけが存在していた。
何もない暗黒じゃが、わしには特別なものじゃった。
箱庭で見た、かけがえのない景色じゃ。
その時、不意に胸が苦しくなり、わしは思わず咳き込んだ。
心臓が痛い。
グッと押さえ、堪えるように体を震わせる。
トワが慌てた様子で「コペル!」と声を上げた。
「大丈夫!?」
近づこうとするトワを手で制する。
わしの口元からは、血が溢れていた。
「持病でな。そう長くないんじゃ。本当はあまり動かないようにと医者から言われておった。それでも無茶をしてここに来たのは、どうしても見てみたかったからじゃ。箱庭と、そこに眠るであろう『未知』を……」
額から汗を流しながら、わしは弱々しく微笑んだ。
「どうか老い先短い年寄りのワガママに付き合ってはくれんかね、トワ」
「コペル……」
トワは悲しげな顔をしていたが、静かに頷いてくれた。




