第3節 トワの家と、古い民族
さっそくトワの拠点に向かうことになった。
海辺から本格的に箱庭の内部へ足を運ぶ。
箱庭は空から眺めるよりもずっと美しい場所だった。
遺跡のほぼ全てが精巧な石造りになっており、それらは草や苔で覆われている。
職人の手で彫られたであろう石像やレリーフなども存在し、どこか芸術的に思えた。
僕が暮らしていた世界とまるで違う。
異なる世界に迷い込んだかのような錯覚さえ抱いた。
「本では読んでたけど、本当にきれいな場所だね。そこら中に水路があって、水もこんなに澄んでる。海の水が流れ込んでるのかな」
「この水飲めるよ? トワもよく飲んでる」
「煮沸消毒もせずにってことかい? そんなに清潔なのか……。いや、それともトワの胃が頑丈なのかな」
「トワ、お腹壊したことない。お肉もたくさん食べる!」
ムンと腕を上げるトワを見て、思わず苦笑した。
水だけでなく、食用にできるような動物もいるのか。
「でもそうか。水が流れてるってことは水源があるのか……。技術が使われてるとしたら、その辺りなのかな」
「どういうこと?」
いまいちトワはピンときていない様子だ。補足することにした。
「ここは海のど真ん中にある場所だろ? 本来なら真水が湧くなんて考えられないんだよ。なのに飲めるくらい清潔な水が豊富に存在してる。貯水された雨水の可能性もあるけど、流石にこれだけの量の水が流れているのはちょっと不自然に思えるんだ」
「最近雨は降ってないなー」
「なら、海の水を何らかの方法でろ過してる可能性があるね。とは言え、塩水は簡単にはろ過できないから、どうやってるかまではわからないけど。火力を使って蒸留した水分を集めてるのか、あとは圧力を使うとかも聞いたことあるけど、ろ過するための膜が必要なはずだし……。いずれにせよ、何らかの理由があると思うんだ。そこに、僕の探している技術が眠っているかもしれない」
「ふーん。なるほどな?」
分かっているのか分かっていないのか、トワは曖昧に頷く。
この様子だと、疑問にも思っていなかったのだろう。
「トワはいつから一人なの?」
「子供の頃にお父さんが死んでからかなぁ」
「その……寂しいとかは思わないの? 外に出てみたいとか」
「外かー。出たいと思ったことはあったけど……」
トワはしばらく思案したあと――
「考えなくなっちゃったな」
と諦めたように笑った。
どうして彼女がそんな顔をしたのか、僕には分からなかった。
◯
しばらく歩くと、ようやくトワの拠点に辿り着いた。
石造りの小さな建物の中に、草と動物の毛皮を用いたベッドが作られている。
外には焚き火の跡があり、傍には枯れ枝の束が積み重ねられていた。
これを薪にしているのだろう。
風通しの良い場所には、薄く切った肉が干してある。
干し肉を作っているらしい。
「ようこそ、トワの家へ!」
「お邪魔します」
トワはどこかはしゃいでいるように見える。
来客が嬉しいのかもしれない。
謎に包まれた少女が見せるあどけない一面に、思わず笑みが浮かんだ。
「適当に座ってて。すぐに火を起こす!」
「お構いなく」
何気なく家の中を見回っていると、裏口があるのを見つけた。
外に出ると、すぐ目の前に石で造られた水場がある。
中には美しく透き通った水が張られていた。
眺めていると喉が乾いてくる。
考えてみれば、ここに来るまで何も飲んでないな。
そして更に愚かなことに、自分が水も持ってきてないことに今さら気がついた。
「トワ、ここの水って飲んでも大丈夫かい?」
「うん、良いよー」
快い返事が返ってきたので、お言葉に甘えることにする。
水を両手ですくい、口に運ぶ。
海の水が混ざっていたらどうしようと思ったけど、塩辛さなどの一切ない、清冽な水だ。
むしろ、こんなに美味しい水は飲んだことがない。
喉の渇きを潤すため、夢中になって水を啜った。
水を飲んで顔を上げると、ざっと風が吹き抜けた。
心地よくて、思わず深呼吸する。
すっかり古びてしまった石の表面には草木や苔が生い茂り、床を突き破って樹木も伸びていた。
木の上にはリスや小鳥などの小動物の姿もある。
自然に侵食された人工物ならではの幻想的な情景だと思った。
「海のど真ん中にこんな場所があるなんて……本当に不思議だな」
美しい風景に目を奪われていると、不意に肩を叩かれた。
いつの間にかトワが背後に立っている。
「ミヤコ、ごはん食べよう」
「ああ、ありがとう」
「何見てたの?」
「いや、きれいな場所だと思って。トワは、ずっとこの家に住んでるの?」
「ううん。同じ場所にいると飽きるから、たまにお引越しする」
「こんな場所が他にもあるのかい?」
「うん。でも、昔よりは数が少なくなったってお父さんが言ってた。崩れちゃったんだって」
「へぇ……」
父親が何故死んだのか尋ねかけて、言葉を飲み込む。
秘境の人だからってそんな質問をするのは、流石に無神経だ。
話を変えよう。
「トワのお父さんたちが、この箱庭を作ったのかな」
「うーん、そうなのかな? トワもあまり知らないんだ」
元々、箱庭は噂でしか語られないような伝説的な存在だった。
だがその遺跡が存在することを証明したのが、冒険家のアキナだ。
アキナは人類未踏の地に足を踏み込み、それらを次々と手記に記録した。
当時は詐欺だと言われることも少なくなかったみたいだが、後にその記録がいずれも正しかったことが判明し、箱庭にある記録も真実として認められることになる。
現存する箱庭の情報は、アキナの手記に記された内容が全てだ。
つまり、ほとんど知られていないに等しい。
この遺跡がどのような経緯で作られたのかも、謎だらけだった。
もしトワが、かつてこの場所を作った民族の末裔なのだとしたら。
箱庭の秘密は、失われつつあるのだろう。
いや、彼女が知らないということは、歴史を知る人はもういないのか。
一族が閉鎖的な空間で少しずつ数を減らし、やがて一人の少女を残して滅んだ。
そう考えると、とても悲しいことのように思える。
西の空では太陽が沈み始めていた。
世界が茜色に染まり、夜が近づいている。
その夕陽を眺めながら、僕はかつてここで暮らしていた古い民族へ想いを馳せた。




