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EP2:Trouble in Lumen-37

午後の授業が終わると、教室の空気は一気に緩んだ。

机に突っ伏す者、友人と廊下に駆け出していく者、さまざまだ。


窓際の席にいたライラは、珍しく目を覚ましたまま椅子に腰掛けていた。

壁一面に投影されるホログラムのスクリーンには淡い光のラインで数式や文献を映し出し、生徒の端末と連動して自動的に記録されていく。

午前中こそライラは寝てばかりいたが、午後は意識をはっきりと保っていた。


居眠り自体に罰則はない。教師に叱責されることもほとんどない。

だが支給された学習用の端末は、瞳の動きや姿勢を逐一記録している。秒単位の居眠りログや私語が蓄積され、やがて内申点に反映される仕組みだ。

今週はすでに数値がかさんでいた。これ以上は危うい。だから今日は必死に起きていた。


帰り支度を済ませていると、聞きなじんだ友の声が聞こえてきた。

「ちょっと聞いてよ……!」


声をかけてきたのは、隣の席のエリナだった。

周りに聞かれないように小声で話しかけてくるが、抑えきれない興奮が言葉の端々に滲んでいた。

普段は落ち着いた雰囲気の真面目な優等生。だがその声音は、いつもの落ち着きとは別人のように熱を帯びていた。


ライラが視線を向けると、エリナは少し頬を赤らめて言った。

「今週末、リオ・サヴェリオと出かけるの」


リオの名前に、ライラは眉をひそめる。

浮かぶのは、整えすぎない髪、気取った笑み、教師を煙に巻く返し。

要するに――やんちゃ坊主だ。


真面目なエリナだが、意外とワイルド系の男子やスリルのある恋愛が好きなのだろうか。

人は見かけによらないものだ、と心でぼやいた。


彼とデートすること自体も驚きだったが、それよりもライラを驚かせたのは、彼と低層に行くということだった。

「……本気で言ってるの?」


「うん。夜景がきれいだって聞いたから。ちょっと覗いてみたいの」


ライラは思わず息を呑んだ。

「危ないよ。低層は治安が最悪って知ってるでしょ?」


低層――街の最下層は、光が届かず影ばかりが積み重なる場所だ。

常に陰が濃く、ひとつ通りを抜ければ空気の匂いも変わる。

表向きには小さな商店や屋台も並んでいるが、その裏側には売買や小競り合いが絶えない。

ライラは趣味の夜回りで何度も足を運んでいるため、その光景をよく知っていた。

エリナが言うように入口付近をうろつく程度で済ませるのだろうが、それでも危険なことには変わりなかった。

しかし―。


「大丈夫。リオが一緒だから。きっと守ってくれるよ!」


即答だった。まるで疑いを知らない子どものように。

ライラは短く息を吐いた。エリナの慎重さが、こういう場面では楽観に変わる。信じたいものをそのまま信じ込む、頑なな無邪気さ。


「……エリナって、いつもは警戒心強いくせに。」


「そうかな?」とエリナは首をかしげて笑った。


ライラはそれ以上何も言わなかった。説得したところで止まる気配はない。

彼女の決意は柔らかく見えて、実は容易には折れない。頑固なのはよく知っている。


窓の外、沈みかける光が街を褐色に染めていた。

結局、ライラは心を決める。

危ない橋を渡らせるくらいなら、先に道を掃き清めておくしかない。


デート予定の周辺の厄介払い。これが今夜のライラのミッションだ。




夜の帳が降りるころ、ライラは少し早めに家を出た。

本当は休みたかった。居眠りログは今週がすでに赤に近い。これ以上ログを積み上げれば、内申に確実に響く。

それだけは避けたい。だから手短に済ませて、少しでも睡眠時間を確保するつもりだった。


街の中央を抜けるリフトを降り、ライラは中層から低層へと足を踏み入れる。

「第7メイズ区ルーメン37番街」――入り組んだ路地と立体歩道が複雑に重なり、昼でも迷いやすい構造がその名の由来だった。


エリナたちが目指すのは、その通りの奥にある小さなショップだという。

店先には古びたホログラム看板がちらつき、色褪せた文字や光の装飾が時折かろうじて映し出される。

扱っているのは規格外の中古アクセサリーや、模造品とわかっていても見た目だけ派手な装飾品。

低層の同学年の子供には流行の一端だが、決して健全な遊び場ではなかった。


――わざわざ低層まで降りて行くものじゃない。

しかもエリナは、「通りの奥まで少し覗いて帰るだけ」、「ちょっとした肝試し」という軽い調子だった。

入口付近を歩くだけならまだしも、夜の低層は昼間以上に危うい。

ライラは夜な夜な私警として何度も足を運んでいるからこそ、表面の賑わいの下に潜む影を知っていた。


さらに、その店に行くには暗がりの多い通りを抜ける必要がある。

肝試し感覚――エリナはそう言ったが、ライラにとっては笑えない話だった。


低層は、地上に近いほど湿った空気が重く、どこか錆びの匂いが漂う。

表向きには屋台や小さな商店が並び、賑わいを見せる通りもある。

しかしひとつ裏道に踏み込めば、様子は一変する。

闇商売の客引き、酔客の喧嘩、規制品の取引――ライラは私警として何度もその光景を目にしてきた。

入口付近を歩くだけでも危うい場所だ。まして夜ならなおさらだ。


足を進めると、通りの先にざわめきが広がっているのに気づいた。

低い怒声と、何かを打ちつける鈍い音。


ライラは歩調を緩め、物陰に身を潜めた。

街灯の明かりが途切れ、建物の影に沈んだ広場の一角。

そこでは、一人の男が縄で縛られ、口にテープを貼られたまま地面に押さえつけられていた。

5人の若者が取り囲み、容赦なく暴行を加えている。

蹴りを入れるたびに、抑え込まれた呻き声が洩れた。


――どうする。


ライラは一瞬、迷った。

ただのケンカに見えなくもない。

だが男は両手両足を拘束され、反撃する術を持たない。

明らかに一方的な暴力だった。


身を乗り出そうとしたそのときだった。


「おい、何やってんだ?」

背後に生ぬるい気配が走る。

息を潜めていたはずの呼吸音、地面をかすめる靴音。

咄嗟に身体をひねり、襲いかかってきた影をかわす。


「……ッ!?」


反撃の肘が相手の脇腹を捉えた。呻きが漏れ、男が崩れる。

しかしその一撃で物陰にいた存在が露わになった。


「おい、何だ?」

「誰かいやがったぞ」


暴行していた5人の視線が一斉にこちらを向いた。

暗がりの中で目が光り、口元に笑みが浮かぶ。



「全く、ガキがこんなとこに来るなんて、命知らずだな。」

「おい、結構可愛いじゃねえか。」

「楽しませてもらおうぜ。」


軽薄な声が交錯する。

ライラは一歩前に出て、縛られた男を指し示した。


「その人を解放しなさい。」


だが相手に動じる気配はなかった。

「どういうつもりかは知らねぇが、仲間をやられた借りは高くつくぞ」

リーダー格らしき男が口元を歪め、手にしていたスタンロッドを振りかざす。


通りの空気が、じりじりと重くなるのをライラは感じた。

今夜は、ただの見回りで済むはずではなかった。


最初に飛び込んできたのは2人だった。

一人は素手。勢いだけで突っ込んでくる。

ライラはわずかに身をひねり、足払いをかけた。勢いのまま男の体が宙を舞い、硬い舗装の上に背中から叩きつけられる。追い打ちをかけ拳を腹部へ突き立てる。

呻き声と同時に呼吸が止まり、動かなくなった。


顔を上げると、もうひとりはナイフを握っているのが見えた。

刃が街灯の光を掠め、冷たい輝きを放つ。

だがライラは1歩も退かなかった。

腕が振り下ろされる寸前、彼女の手が素早く持ち手をつかみ、捻り上げる。

骨の軋む感触が掌に伝わり、男は悲鳴をあげてナイフを手放した。

同時に腰をひねって体を投げ飛ばす。

路地に叩きつけられた衝撃で、ナイフが遠くに転がった。

この前の強盗と比べればなんてことはない。


2人が瞬く間に倒れ、残る3人がざわめいた。

「ちょっとやるじゃねえか……」

「遊びじゃねえぞ、ガキが!」


その背後で、縛られた男が必死に身をよじる。

声は塞がれているが、目には驚愕が浮かんでいた。


ライラは静かに息を整えた。

まだ序の口だ。これで怯むような相手ではない。



背後から気配。

壊れたスタンロッドを握りしめた男が、背後から振り下ろしてきた。

通電はしていない。だが硬質な金属の一撃は、直撃すれば十分に致命的だ。


ライラは振り返らなかった。

彼女の皮膚に走るのは風のわずかな流れ。空気が押し分けられる微細な変化を、PSIによる鋭敏な肉体感覚で確かに捉えていた。


次の瞬間、彼女の身体は宙に浮かぶ。

背を反らしながら後方へ宙返りし、頭上をすり抜ける。

振り下ろされたロッドは空を裂き、男の手元を震わせる。


「がはっ!」


驚愕に顔を上げたその瞬間、ライラの踵が後頭部を捉えた。

乾いた衝撃音と共に男の身体がぐらりと揺れ、そのまま地面に崩れ落ちる。

ロッドが手から滑り落ち、鈍い音を立てて舗装に転がった。


残るは2人。

その目に、先ほどまでの余裕はなかった。



残った二人が視線を交わした。

言葉はなくとも、息は合っている。

リーダー格の男がロッドを構え、真正面からじりじりと距離を詰めてくる。

放たれるであろう一撃に集中するライラの視線――その刹那。


横合いから石が飛んだ。

不意を突かれ、頬をかすめる。

熱い血が一筋、皮膚を伝った。


「っ……!」


視線が逸れた瞬間、ロッドが迫る。

かわしたつもりが間に合わず、肩口を叩く。

「痛ったぁ…!」


衝撃とともに痺れるような痛み。軽い打撲ではあったが、相手には十分な手応えを与えてしまった。

「どうした、お嬢ちゃん。」

リーダーが口元を歪め、ロッドを構え直す。


再び石が飛ぶ。

今度は顔を正確に狙いすました一撃。

わずかに首を傾け、石は紙一重でライラの顔の横を通り過ぎた。


投石手は思いのほかコントロールが良い。

正面から圧をかけるリーダーと、後方から狙い澄ました投石。

2人の呼吸は驚くほど噛み合っていた。



投石手が腰のポーチに手を伸ばした。

次の瞬間、白い閃光が視界を覆う。

「うわっ!」


視界が白に塗り潰される。

目を閉じても焼き付いた光が網膜を灼き、世界が消えた。


その刹那、空気が裂ける音。

ロッドが振り下ろされる。

光を奪われた状態では、回避は不可能――普通なら。


ライラの身体は、見えないはずのその軌跡を捉えていた。

空気のわずかな流れ、振り下ろされる圧、風圧の変化。

PSIによる異常な感覚が、そのすべてを輪郭のように描き出す。


足が自然に動いた。

振り下ろされたロッドの軌道に合わせ、蹴り上げる。

硬質な衝撃音。

ロッドの先端が彼女の足に弾かれ、火花が散った。


「なにっ――!」


リーダー格の男が驚愕の声をあげる。

力任せに振り下ろした一撃が、視界を奪われた少女に正確に止められた。


焼き付いた閃光がようやく薄れ、輪郭が戻ってくる。

ライラは足先をわずかに下ろし、冷たい視線をリーダーに向けた。


「もう手加減しないよ。」


髪の先端が淡く紫に発光し、手足や服のラインに沿って光が走る。

さらに彼女の周囲に細かな紫電が散り、空気がわずかに焼ける匂いを漂わせた。

その瞳までもが淡い光を宿し、夜の闇に輪郭を浮かび上がらせる。


「な、なんだ……?」

「目が、光って……?」


得体のしれない少女の変化に恐怖が混じる。


「...クソ!これでもくらえ!」


リーダー格の男が薙ぎ払う。

電流が唸りを上げるが、ライラの姿はすでにそこにはない。

軽やかに身体をひねり、ロッドをかわして路地の床を蹴る。


彼女の手が伸びたのは、先に倒した男が落とした故障ロッドだった。

金属の重みを確かめるように握り直し、すぐさま振り抜く。


「それっ!!」


飛来していた石。

それをフルスイングで弾き返した。

鋭い音を立てて軌道を逆走し、投石手の鳩尾を直撃する。

男はうめき声をあげる間もなく崩れ落ちた。


「女の子の顔ばっか狙うなんて、ひどいじゃない」

ライラは吐き捨てるように言った。


「お前みたいな女がいてたまるか!」

リーダーが歯噛みし、ロッドを握り直す。


ライラはロッドを捨て、一歩踏み出した。

「これでアンタひとりだね。覚悟しなさい」


静かな声に込められた圧力に、男の表情が引きつる。

一瞬の逡巡。

次の瞬間、背を向けて駆け出した。


だがそれは無意味だった。

路地の暗がりを駆け抜けるより早く、紫の残光がその背に追いつく。

リーダーが振り返った時には、すでに襟首を掴まれ、体ごと地面に叩きつけられていた。


リーダー格の身体が地面に沈黙すると、路地には静寂が訪れた。

まだ紫の火花が散っていたが、ライラは深く息を吐き、力を収める。

髪や衣服に走っていた光がふっと消え、瞳の淡い輝きも元へ戻る。

周囲の夜気が、ようやく普段の冷たさを取り戻した。


空中へ紫電を放つ勝利のサインはしなかった。

この後も見回る予定だ。余計なエネルギーを消耗するつもりはない。


「っと。 いけない。」

ライラは捕らえられていた男に近づいた。

膝をつき、口を塞いでいたテープを剥がす。

呻き声が漏れる。

続けて、手足を縛っていたロープを解いた。


男は荒い呼吸を繰り返し、やがて肩を震わせながらこちらを見上げた。

「大丈夫? ほら、これで動けるでしょ。」

「……。」

「何があったの?」


解放された四肢を確かめるように動かし、恐る恐る声を絞り出す。


「……助かった……あんたいったい何者だ?」

「質問してるのは私。」


掠れた声でようやく言葉が出る。

「はは......分かったよ。連中と一緒にちょっとした商売をしてた。偽もんのブランド品を仕入れては売りさばいたり、盗品の仲介をしたりな。せいぜい小遣い稼ぎさ。」

苦笑がこぼれる。

「でも、潮時だと思って足を洗おうとしたら、このザマだ。」



「なるほどね。裏切り者は身内に一番嫌われるってやつ?」


男は気まずそうに目を逸らした。

その態度に、ライラは小さく鼻で笑う。


男が立ち上がる。

その動きはまだ覚束ないが、口元にはわずかな皮肉が浮かんでいた。


「ま、今回は見逃してあげる。でも、悪さしてるとこ見つけたら……その時は容赦しないから。」


男が口の端を歪めて吐き捨てる。

「……一丁前にヒーロー気取りか?わかった。あばよ、光るお嬢ちゃん。元気でな。」


そう言い残し、よろよろとした足取りで低層の闇に消えていった。


ライラはその背中を見送りながら、小さく息を吐く。

(ヒーローか……ちょっとかっこいいかも……?)


ほんの少しだけ、口元に笑みが浮かぶ。

だが次の瞬間、思い出したように眉をひそめた。


(でも、“光るお嬢ちゃん”って……センスもひねりも無くない!?)



その後も少しだけ周囲を見回り、危険が潜んでいないか確かめた。

ようやく十分と判断し、ライラは帰路につく。

眠気が押し寄せる中で布団に潜り込むと、意識はあっという間に途切れた。



――翌朝。


目を開けた時、窓の外はすでに明るかった。

慌てて学習端末の時刻を確認する。

授業開始時刻まであと5分。


「うそ……っ!」


大急ぎで制服に袖を通し、髪を整える暇もなく家を飛び出した。


1限目も終盤の教室へ駆け込む。

ぼさぼさの髪、着崩れた制服。

教壇の教師がこちらをちらりと見やり、無言で端末を操作した。

教師の端末の画面には、遅刻ログがしっかりと記録される。


ライラは机に突っ伏し、額を押さえる。

(……居眠り減点どころじゃない。これ、居眠りより最悪じゃん……)

エリナ達の安全と引き換えに、学内評価を失った。


しばらく悶々とした後、深いため息。

やがて小さく肩をすくめ、半ば開き直ったように瞼を閉じた。



(もういいや……寝よ…テストの点さえ高くとればいいだけ…)


そうして二度目の睡眠に沈み、午前の太陽はすっかり彼女の頭上を過ぎていった。








【第7メイズ区ルーメン37番街】

中層と低層の境界に広がる、迷路のように入り組んだ区画。

古い配管や廃ビルが張り巡らされ、昼でも薄暗い路地は犯罪の温床になっている。

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