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EP1:Lyla, The Violet Spark

――人類の中には、眠れる細胞を覚醒させ操る者がいる。


人間は通常、その肉体の37兆ほどある程度の細胞のうち数%しか使っていないと言われている。


ただし、極限状態では一時的に力を引き出すことができる。

いわゆる“火事場の馬鹿力”や、集中力が極端に高まる“ゾーン”と呼ばれる現象はその入口だ。

眠れる細胞の覚醒。それは常人ではまず不可能。


だが、ごくまれに――。

自らの意思で眠れる細胞を覚醒させ、その力を自在に操る人間が存在する。


************************************************************


――サイバーシティ、ルクシオンの下層。


昼間の喧騒が消えた狭い路地裏には、ちらつくホログラム広告と、薄汚れたネオンサインがかすかな光を投げかけていた。


「……チッ、どこ行きやがった。」


数人の不良が鉄パイプやスタンロッドを握り、息を荒げながら走る。


その視線の届かない高所に、“フードを深くかぶった影”が静かに佇んでいた。

顔は闇に隠れ、その姿は人かどうか定かではない。


次の瞬間、ひとりが宙に舞い、壁に叩きつけられる。

「な、なんだ!?」

振り返る間もなく、影が飛び降り、拳と蹴りが鋭く突き刺さった。

武器が次々と地面に転がり、呻き声が短く響く。

残された者が逃げようとするが、その足を払われ、地に押さえ込まれる。


暗がりに残ったのは、縛り上げられた不良たちと、すでに姿を消した“何者か”の気配だけだった。


************************************************************


起床時間を知らせる電子音が軽快に鳴り響く。

ライラ・アステルは毛布の中で小さく呻き、片手を伸ばして止めた。


「……んん……あと5分……いや、10分...?」


机には学習用の支給端末、ベッドサイドには飲みかけのカップ。


重いまぶたをこすりながら上半身を起こす。

数十秒静止したのち、のそのそとベッドから降りた。


大きなあくびを一つして制服に袖を通し、朝の支度をしている親を横目に洗面所へ。

洗面台に立ち、冷たい水で顔を洗う。

少しシャキッとしたところで、鏡の前でざっと肩にかかる滑らかな髪を整えた。


朝のルクシオン。

高層の歩道は、出勤や通学の人々でにぎわっている。空ではドローンが縦横に飛び、透明なチューブの中をトラムが流線形の光を残しながら滑っていく。


その中を、ライラは半分眠ったままの足取りでふらふらと制服姿で歩いていた。

通行人にぶつかりそうになっても気づかず、ぎりぎりで相手が避けていく。


「……ライラ!」

ライラの親友、エリナが金髪のポニーテールを揺らしながら追いつき、慌ててライラの肩を軽く押した。

「ちょっと、危ないよ!」

「あっ、エリナ?おはよ。」

「眠ったまま歩くなんて、夜更かしでもしていたの?」

「……うーん。ちょっとだけ?」


ライラは欠伸混じりに返す。

エリナは苦笑しながらも歩調を合わせた。


「ほんとに大丈夫……?」

「うん。平気だよ。」

ライラはまた欠伸をひとつして、エリナとともに校内へ入っていった。


チャイムが鳴り、担任の声が響いてからしばらく経つ。

教室のざわめきが少しずつ収まり、生徒たちはそれぞれの帰り支度を始めていた。


そんな中、ライラは机に突っ伏したまま。

窓の外の夕日が、彼女の頬に淡い光を落としている。


「……ライラ。」

エリナがそっと声をかける。返事はない。

「……ライラ!」

彼女は少し顔をしかめて、机をトントンと軽く叩いた。

「もうホームルーム終わったよ。ほら、起きて。帰ろ?」


ライラはかすかに眉を動かしたが、それでも頭を上げようとはしない。

「ふふふ。今日、移動の時とお昼以外、ずっと寝てたんじゃない? 授業中に起きていた時間全部合わせても、5分も無いかもよ?」


エリナは今日のライラの寝太郎っぷりを指摘する。

その言葉に、ようやくライラは顔を上げた。

眠たげな瞳をこすりながら、あくびを噛み殺す。

「……そんなに?」

エリナは呆れたように笑いながらも、鞄を手に取った。


「このままじゃ、ほんとにまずいよ。カフェでも寄って、復習と明日の予習やろう?」

ライラは一瞬だけ考えて、それからぱっと表情を明るくした。

「助かる~! エリナがいなかったら絶対赤点だよ......。」

「それ、自覚あるんだ……。まぁ、私に任せてよ。」

「ありがとう。」


肩をすくめつつ、エリナは立ち上がり、眠気を残したまま鞄を背負うライラを促した。


エリナとカフェで勉強したのち、帰宅。

家の扉を閉めると、ようやく肩の力を抜いた。

靴を脱ぎ、制服を脱ぎ、さっさと部屋着に着替えた。


私用の端末に目をやる。今年出たニューモデルだ。

気づかれると、ちょっと嬉しい。

そこにはクラスの連絡、課題の進行、ありふれた通知が並んでいる。


夕食を終え、両親に「ちょっと部屋で休むね」とだけ告げて自室へ向かう。

その扉を閉めれば、もう誰にも見られない空間だ。


ベッドに腰かけたライラは、クローゼットの奥から小さなバッグを引き寄せた。

中には、夜のための装備。

黒いシャツに、白いフード付きのパーカー。

脚は白いショートパンツに黒いレギンス。

そして、ロール部分に紫が覗くスニーカー。

最後に、黒いグローブを両手にはめると、指先まで力がみなぎる気がした。


鏡の前に立ち、フードを深くかぶる。

わずかに覗く顎のラインと、影に沈む瞳。

「……よし。」

短く呟いて、窓を開け放った。


ルクシオンの夜風が頬をかすめる。

無数のネオンが瞬き、ドローンが低空を滑っていく。


彼女の住む中層の街路にはまだ人々の気配が残っていたが、彼女が向かうのは下層――雑多と影の街だ。


音もなく、ライラは夜の街へと飛び出していった。


フードを深くかぶった少女の足音が、暗い階段にこだまする。

高層の光と音から遠ざかるにつれ、空気は淀み、街の匂いは濃くなっていった。


ルクシオンは上層、中層、下層と呼ばれる層構造で構成されている。

上層は行政、企業、学術機関が集まる中心地。白い光が満ち、ドローンが秩序正しく飛び交う「理想の都市」。


中層は整えられた道路とトラムが走り、多くの市民が暮らす住宅と商業の区画。

ライラの家もここにある。

そして、彼女が今向かっているのは低層。かつては工業地帯として栄えたが、老朽化と共に放置され、今では貧困と犯罪がはびこる区域。

この時間に人知れず歩くにはあまりに危険な場所。

それでも、少女は毎晩のようにここへやって来る。


「……今日もやるぞ!」


小さく気合を入れ、狭い路地を抜ける。

白いフードの奥に隠れた顔は闇に溶け、紫のラインを覗かせるスニーカーだけが、濡れたアスファルトに軽やかな足音を刻んでいた。


湿った風が吹き抜け、油と焦げた金属の匂いが鼻を刺す。

老朽化した建物は補修もされず、むき出しの配管からは蒸気が噴き出していた。


道端に転がるのは、粉々に砕けたガラス片と焦げ跡のついたドローンの残骸。

違法改造のせいで制御を失った機体が、夜空を蛇行して飛び去っていく。


そのたびに低いサイレンが遠くで鳴り、誰かが追われているのか、暴走族のエンジン音と混じって夜をかき乱す。


「治安維持」をうたう警備ロボットも数体はいた。

だが、錆びついたボディで街灯ネオンの下に立ち尽くすだけ。

投げ捨てられたゴミ袋と同じように、ここでは誰も気に留めない存在になっていた。


路地の片隅にはジャンクショップが並ぶ。

光を放つネオン看板には違法改造パーツの広告が躍り、並んでいるのは正規流通では見かけない部品ばかり。

通りを歩く影たちは、皆どこかしら怪しげで、足早に視線を逸らす。

フードの奥で目を細めながら、ライラは一歩ずつ進んだ。

白いパーカーの裾が闇に溶け、スニーカーの紫のラインだけが、時折ネオンを反射して瞬く。


突然、濁ったネオン街の角を、誰かが勢いよく駆け抜けた。

手には小さなバッグ。


後ろからは必死に声を張り上げる女性の悲鳴が追いかけてくる。

思わず笑みがこぼれる。

今日の"ワルモノ退治"の標的が決まった。

「今日もやるぞ」というのはつまり、低層の自警活動である。


ライラの足が自然と前へ出る。

濡れた路地を蹴り、闇に溶けるように走り出した。


「――っ!」

強盗が振り返る間もなく、白いフードの影は加速する。

紫のラインが一閃し、次の瞬間には数メートル先をふさぐように立っていた。


「……ちっ、なんだ、ガキかよ。」

乱れた呼吸の合間に、強盗が舌打ちする。

息を切らしていたはずの彼の目に、警戒よりも先に浮かんだのは侮りの色だった。


細い腕、華奢な体格の女の子。

自分の敵になるはずがない――そう思わせるに十分な外見。


ライラは静かに首を振る。

「子供だと思ってバカにしないで。それ、返したら? 今なら、痛い目を見ずに済むよ。」


強盗の顔に、苛立ちが走る。

「……あぁ? ガキがイキってんじゃねぇ!」

肩をいからせ、一歩踏み込む。

振り上げられた拳が、夜の路地に影を落とした。


勢いよく振り下ろす拳を、ライラは半歩の重心移動でかわした。

続けざまに飛んできた蹴りも、身を傾けるだけで避ける。


「……遅いよ。」


フードの奥で口元がわずかにゆるむ。

強盗は苛立ち、さらに踏み込んで拳を繰り出す。


しかし、その三発目をライラは逆に腕で受け止めた。

――硬い。

細身の少女に打ち込んだはずが、返ってきたのは鋭い衝撃。

顔を歪め、強盗は思わず息を呑む。


「ほら。早くそのカバン、返しなさい。」


静かに放たれた声が、路地の闇に溶ける。

それは子供の戯言ではなく、確かな圧を帯びていた。


「……クソガキが」


強盗の手が、懐へと滑り込む。

次の瞬間、鈍い銀光が路地を裂いた。

刃渡りの長いナイフ。

ただ持っているだけではない。

手首の返し、重心の置き方――使い慣れているのがよく分かる。


街の不良ならただの脅し道具で終わるはずのものが、彼の手に収まった瞬間、確かな脅威となっていた。


強盗の刃が、湿った空気を裂いた。

ライラはその動きを見切り、すべてを紙一重で躱す。


白いフードがひるがえる。


刹那、ライラの姿に変化が生じた。

彼女の黒髪の先端が淡く紫に染まり始める。

同時に、脚を包むレギンスやスニーカーのライン、グローブの掌の中心がぼんやりと発光し、手足には薄紫の光が脈動のように走る。

その身体の周囲で、電気の火花を思わせるような粒子が飛沫のように舞い散った。



――自らの意思で眠れる細胞を覚醒させ、その力を自在に操る人間が存在する。

そしてそのエネルギーは、単なる身体の超強化にとどまらず、人間の意思やイメージと同調し、常識を超えた現象さえも引き起こす。



「なっ……」

強盗は動揺しながらも、ナイフを振り回す。

しかし刃は一度も少女の体を捉えない。


軽やかな身のこなしでかわし続け、やがてライラの掌が鋭く彼の手首を打った。

まるで雷に打たれたかのような強い衝撃。


さらに蹴り上げた足が追い打ちをかける。

金属音が響き、ナイフは弾かれて暗闇の奥へ転がった。


ライラの眼も淡い紫色に光りだし、周囲を走る紫電がさらに強く光を帯びていく。

「な、なんだコイツ!」



――それは“PSI(サイ)” と呼ばれる。

ある者は、空を自由に浮遊する。

ある者は、手をかざすだけで鋼鉄さえひしゃげさせる。



「うおおっ!」

後がなくなった強盗は、吠えるようにライラへ飛び蹴りを放つ。


だが、その一瞬――ライラは逆に踏み込み、目にも留まらぬ勢いで跳躍した。

宙で絡みつくように両腿で相手の首を挟み込み、反転。勢いよく地面に叩きつけるように投げ飛ばした。

アスファルトが鈍く軋み小さなクレーターをつくりだす。男の体は地面に沈んだ。



ある者は、自らの生体エネルギーを開放する。その瞬きは稲光のように。

人の意志と肉体から生まれるその異能。

このPSIを持つ者を、"特異者(シンギュラー)"と呼ぶ。



倒れ伏す強盗を、フードの落ちた少女が見下ろす。

頬にかかる黒髪の端はまだ紫に光り、その四肢には紫電の奔流がまとわりついていた。

路地の闇を照らすその光は、ただの人間のものではなかった。


地面に叩きつけられた強盗が呻き声をあげ、そのまま動かなくなる。

ライラは軽やかに身を翻し、わずかに乱れた呼吸を整えた。


「――ふぅ。」

吐息とともに、髪先を彩っていた紫の光はゆっくりと消え、手足を包んでいた紫電の残滓も薄れていく。


「これに懲りたら……もうこんな事はやめることね。」

放たれる冷ややかな声が響く。


指先にかすかに残っていたエネルギーを宙へ放ち、弾けて紫電が舞う。

彼女なりの勝利のサインだ。


そのとき、遠くからドローンの回転音とサイレンが近づいてきた。

ライラはフードをかぶり直し、街灯の影にすばやく身をひそめた。


すぐに数体の警備ロボットとドローンが現れ、強盗の身体をセンサーで走査した。

機械的な無線音声が路地に響く。


『――指名手配犯、トマス・グレインを確認。』

『最近、市内で多発していた強盗事件の犯人であることを認証。』

『拘束を開始―。』


赤と青のパトライトを点滅させながらロボットが現場を制圧していく。

しかし、ライラの姿はすでにそこにはなかった。

濡れたアスファルトには、まだ紫の残光が淡く揺れていた。


翌朝、差し込む光が、カーテンの隙間からゆっくりとベッドを照らす。

布団の中でライラが顔をしかめ、枕にうずくまる。

「……ん……」

無理やり伸ばした手でアラームを止めると、そのまましばらく動かない。

やがて、のろのろと起き上がり、ベッドから降りる。


机の上には教科書と端末、昨日置きっぱなしにしていた飲み残しのカップが置かれている。

自室の姿見の前で軽く髪を整える。

制服に袖を通したライラは、大きな欠伸をひとつ。


「眠いなぁ……。」


誰に聞かせるでもなく呟くと、通学バッグを肩にかけて部屋を出た。



PSI(サイ)

人間が持つ潜在的な細胞エネルギーを意志で解放し、常識を超えた現象を引き起こす力。

超人的な身体能力から、物質操作や空間干渉に至るまで、その形は多様。

だが発現する者はごく少数であり、その存在は秘匿されている。


特異者(シンギュラー)

PSIを自在に操ることができる人間の呼称。

都市伝説ですら語られず、ごく限られた研究機関と当人しか知らない。

その力は畏怖と興味の対象であり、表には決して出ない。


【ルクシオン】

巨大な階層都市国家。上層・中層・低層に分かれ、格差は歴然としている。

核融合発電による技術の恩恵のもと、高層には光り輝く街並みと権力者が集い、中層は大多数の住人が平穏に暮らす。一方で低層は治安が荒れ果てる闇の底である。

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