第8話 手記
機長と別れて丸3日が経った。今は9月5日の午後3時。天気は曇り。
カルロを筆頭にしたマフィアに誘拐されてから色々あった。事細かに全てを日記に綴るほど馬鹿でも生真面目でもないが、何かあった時のために要点だけ記しておこうと思う。彼らが私を誘拐した目的は一言でまとめれば、こうだ。
『ルチアーノファミリーのボスになれ』
マフィアのまとめ役と思われるカルロに言われた当時は、関わりがなさすぎて頭にすんなり入ってこなかった。何度か聞き返してやっと理解したが、ムッとされた表情を今でも覚えている。マフィアの生まれだったら、事の成り行きに納得がいくものだが、私は生後すぐにニュージャージー州の規律正しい教会に預けられ、暴力とは無縁の場所で育った。ルールに厳格なのも、そのせいだ。
親からもらった唯一の繋がりは、『ラウル』という名前だけ。毎年、教会には多額の寄付金が送られ、その宛名がラウルだったそうだ。おかげで胸を張って地元のコミュニティカレッジに進学でき、最短ルートで国家資格を取得し、下積み時代を経て、アメリカン航空に入社が決まった。それまで教会への寄付金が途絶えたことはなく、名も知れない『あしながおじさん』には感謝してもしきれない。ただ気掛かりなのは、寄付金が汚いお金であった可能性だ。
仮にマフィアが資金提供していたのだとすれば、血と暴力に染まったお金で育てられたことになる。それが身体の一部になっていると思うと受け付けない。ましてや、マフィアの血が流れているなんて考えたくもなかった。……ただ、現実から目を背けることはできないだろう。
恐らく私は……ルチアーノ家の血筋だ。
直接言われたわけじゃなかったが、状況的に明らか。そうでもないと、わざわざ赤の他人を誘拐して、閉鎖的なコミュニティのボスにする理由がない。受け入れたくはないが、事実として受け止めた。その上で気になったのは、彼らがマンハッタンで何をしようとしているかだ。逃げたいのは山々だったが、何も知らないまま逃げたとしても、また同じことの繰り返しだろう。少なくとも、何かしらの弱みを握りたい。彼らが二度と手出しできないよう痛手を負わせてやりたい。
そこで耳にしたのは、『ガンダールヴ』という飛行空母の話だ。
詳しい位置までは特定できないが、マンハッタンのどこかにあり、強奪を目論んでいるらしい。それを使って何をしたいのかは分からない。ただ結果として、ここ3日間は島内を転々とし、リスクを承知の上で探索を続けてきた。道中で組員が死ぬこともあれば、赤の他人を助けることもあった。略奪や暴力の仲裁に入り、警察顔負けの治安維持活動に精を出すこともあった。状況が状況だ。今の世の中は、彼らの気性に合った環境なのだろう。水を得た魚のように行く先々の人間関係を取り持ち、彼らなりの筋を通してきた。
気付けば、情が移ってしまった。
今ではマフィアに対する嫌悪感は徐々に薄れてきている。世の中が危機的状況にあり、法律が機能しないからこそ、独自の裁量でバランスを取れる組織が必要だと思えてきている。誘拐した加害者に好意を寄せる『ストックホルム症候群』に当てはまる可能性も否定できないが、これは今の私の本心だ。できることがあれば協力したい。組織に貢献して、役に立ちたい。最終的には、マフィアのボスになったっていい。
今、その山場を迎えている。
マンハッタンの北端。インウッド・ヒル・パークには、剥き出しになった基地のようなものを発見した。航空機が墜落し、包まれていた秘密のヴェールが剥がれたのだろう。あからさま過ぎて罠のようにも思えたが、探索に手詰まり感があったのは事実。もしここに、『ガンダールヴ』なるものがあり、手に入れることができれば、晴れてボスの肩書きを名乗ることができるだろう。機長には合わせる顔がないが、人は変わる。状況や環境や付き合う人によって良くも悪くも変化する。
もし、彼が止めにくれば、その時は――。
「ポエムはそれぐらいにしておけ。……潜入するぞ」
「ああ。分かってる。転職活動には持ってこいの現場だ」
紙とペンをしまい、前を向く。
今、どんな顔をしているんだろうか。
まだ副操縦士の面影が残っていると信じたい。
◇◇◇
現在地はマンハッタンの中央北。ハーレム地区。
アフリカ系アメリカ人の文化が根付いた地域だった。
その伝統の象徴。アポロシアターに面する大通りを北上。
寄り道をせず、道なりに北端を目指そうとしたが無理だった。
「ひどいな……これは……」
眼下に見えるのは、底が見えない大穴。
どう頑張っても直進することはできない状況だ。
「迂回せざるを得ないようですね」
「悪いがオレは土地勘がない。道案内はパスだ」
レオナルドとヴォルフは、匙を投げる。
「む? これもセットの一部か? 最近のCGは目を見張るものがあるな」
ウィルは片足を穴に近付け、ズレたことを言っている。
突っ込む気力もなく、今、考えるべきは別のルートだろう。
「…………」
ローズは相変わらずだんまりを決め込み、いない者のように振る舞う。
「コロンビア大学方面……。ブロードウェイを通れるか試してみるべきだろう。土地勘は俺がある。先導するからついてこい」
元々リーダーをやるつもりはなかったが、状況的に仕方ない。
超常現象に関する知識が不足してるが、部隊を率いた経験はある。
消去法で俺が残った。現場次第では降りるつもりだったが、無理だな。
「「「「…………」」」」
誰かが口を挟むこともなく、俺たちは大穴の迂回を開始。
放浪者の出現を警戒しつつ、小走りで移動し、無言の間が続いた。
「なぁ、ちょっといいか?」
すると、ふと声をかけてきたのは、ヴォルフだった。
超大口径のライフルを肩で抱えるも、重さを感じさせない。
常人離れした姿に気圧されそうになるが、ここは堂々といきたい。
「なんだ。世間話でも、文句でもいいが手短にな」
マフィアのボス同士の会話を意識して、肝の据わった態度で臨む。
舐める舐められないはどうでもいいが、控えめにすると距離が生じる。
円滑なコミュニケーションを取るには、相手の土俵で話すのが一番だった。
「率直に聞く……もし、敵がお前の身内だったら、手を下せるか?」
そこで問われるのは、もしもの話。有事に備えた、心の準備というやつだ。
確率的には0に等しいだろうが、雑談に比べれば有意義な時間の使い方だろう。
「俺は穏健派だ。まずは説得する」
「無難だな。……だが、説得が失敗に終わったら?」
仮定に仮定を重ね、行き着いたのは最悪の事態。
マフィアのボスならズバッと回答するのが筋だろう。
そっちの方が気持ちがいいし、肝が据わって見えるはず。
「分からねぇ……。その時になって見ないことにはな……」
ただ俺は、ハッキリした回答を先送りにする。
なぜそう答えたのかは、自分でも理解できなかった。