第5話 洗礼
そこは、こじんまりとしたイタリア料理店だった。
白いテーブルクロスが引かれ、椅子で囲う席がいくつか。
壁には洒落た絵画が飾られ、小粋なジャズのBGMが流れていた。
「立て……」
ただ聞こてくるのは、不快な音色。
感情や思いやりの精神に欠けた非情な言葉。
「………………」
グラリと揺れる視界の中、無理をしてでも立ち上がる。
そこには、ボルサリーノハットを被るマフィア気取りの男。
両拳には血がこびり付き、奥には黒服に囲まれるラウルがいた。
――役者と舞台はそれで十分。
フルフェイスマスクを被る『ヒーロー』はいない。
ワケを詳しく語ることもなく、とんずらこきやがった。
なぜこうなったかは、ボルサリーノ野郎が口を割るはずだ。
「ラウルを渡せ。逆らえば、痛めつける。従えば、見逃してやる」
思った通りのタイミングで、男は再び脅しをかけてくる。
あいつを欲しがる理由は不明だが、人身売買に似た何かだろう。
男との実力差は明白で、身のほどを考えるなら諦めるのが無難だった。
「誰が従うか、ばーか。そいつはな、うちの大事な社員なんだ。引き抜きたいなら、アメリカン航空に筋を通せ。電話番号は800-334-7200までだ。カスタマーサポートに繋がれた挙句、シャープのたらい回しにあって、人生の貴重な時間を30分ほど浪費するだろうよ。それを承知で、正々堂々と真っ正面から仕掛けてみろってんだ」
ただ、不利を承知で真っ向から歯向かう。理由は述べた通りだ。
何度目か分からないファインティングポーズを取り、鋭い視線を向ける。
「ヒュー。言うねぇ。口が達者な野郎だ」
「舐めてんのか、コイツ。誰に口利いてんだ」
「身の程ってもんを分からせてやれ……カルロ!」
取り巻きのヤジが飛ぶと、明らかになったのは名前。
マフィアかどうかは分からんが、出身は恐らくイタリア系。
ファミリー名が分かれば絞り切れるが、そこまで都合よくはない。
「加減は止めだ。次も生きていられる保証はないが、いいんだな?」
カルロは左手の小指に金の指輪をはめ、警告。
平坦な表面には『L』という文字が刻まれていた。
確かあれは、『シグネットリング』と呼ばれる代物だ。
最低ランクでも数千ドル、あのレベルなら数万ドル以上。
封蝋の印にも使えるらしいが、現代社会では機能不全だろう。
気にすべきは購入層。男女問わずのデザインだが、好むのは……。
「殺し屋ビジネスを立ち上げた、あの『ルチアーノファミリー』が相手とは光栄だね。ボスか幹部かは知らんが、罪もないカタギを痛めつけた上に惨殺した挙句、悪評が広まって、表社会からも裏社会からも干されてくれ」
指輪の情報をもとに仮説を重ね、探りを入れる。
生き残れるかどうかは置いといて、反応次第では所属が割れる。
「御託はあの世でするんだな。……くたばれ」
望んだ回答が返ってくることはなく、振るわれるのは左拳。
今までの攻防から勝利を確信し、避けられるとも思っていない。
「舐め、やがって!!!」
一か八かの状況で放つのは、ボディブロー。
カルロの隙だらけな腹部に向かって、右拳を放つ。
初速がこちらが上。先に叩き込めれば十分に勝機はある。
「――ッッ!!?」
しかし、届かない。拳はカルロの腹部前で不可思議に停止。
見えない壁に阻まれる感覚があり、全身の毛穴がブワッと開いた。
(何か、ある……。俺の知らない何かが……)
明確な根拠こそないものの、違和感が確信に変わっていく。
仮に事実だったとしても手の施しようがなく、喧嘩は終わりを迎える。
「……………がっ!!!」
カルロの拳は右頬を叩き、身体は宙に舞った。
窓を突き破り、向かいの店の扉を破壊し、ようやく停止。
もう痛みすら感じない。立っているか寝転んでいるかすら分からない。
『『『『――ギ、ギ、ギ』』』』
そこで聞こえてきたのは、骨共のB級っぽい声音だった。
瓦礫の下から現れ、囲い込むようにして戦闘態勢に入っている。
(最悪中の最悪だ……。どこまでツイてねぇんだ、今日の俺はよぉ……)
迎撃できる体力はなく、骨との戦闘経験は皆無に等しい。
これまでの道中は、便利な『護衛』が全てやってのけていた。
頭が弱点なのは分かるが、万全の状態だとしても凌ぐのは難しい。
『ヒーロー』が遅れて登場するのを願いたいが、現実ってもんは非情だ。
(せめて、一体でも……っっ)
極限の状況下で、標的に絞るのは最も近い位置にいる骨。
攻撃するタイミングを伺い、今にも飛び出そうとしてる個体。
倒しても意味がないとは分かっていたが、身体は勝手に動き出す。
「――――骨畜生が、俺を殺せると思うな!!!」
火事場の馬鹿力のようなものか、不思議と力が湧いた。
標的にした骨の思考が手に取るように分かり、軌道が読める。
前方に跳躍して、両腕を突き立てる、芸のないワンパターンの技だ。
「――らぁぁぁぁっっ!!!!」
そこに拳を合わせる。敵の勢いを利用し、地面に叩きつける。
『…………ガ、ギ――』
バキリと音を立て、頭蓋骨はイメージ通りに粉砕。
目標としていた『一体撃破』は成し遂げた形になっていた。
『『『……ギ、ギ、ギ』』』
それを見て、嘲笑うような骨共の声が聞こえてくる。
理性があるのかないのか、馬鹿にしてるのだけは分かった。
(クソが……っ。もう少し強ければ、ラウルも、こいつらも……っっ)
本日三度目の窮地に追い込まれ、メンタルは失意のどん底。
自分自身の不甲斐なさを呪うばかりで、抵抗する気力はなかった。
というか身体がもう動かない。とっくに限界を超えていて、熱暴走状態。
「…………」
バタンと仰向けに倒れ、崩れた天井を見つめる。
ザ・世紀末と呼べるような殺風景で、風情は最高だった。
残すイベントは、人ならざる者に無抵抗のまま蹂躙されるだけだ。
『『『―――――』』』
案の定、骨共が襲い掛かってくるのが見える。
足の指先一本すら動かせず、されるがままだった。
後悔はあるが、死の覚悟は墜落した時に済ませている。
これといって思い返すこともなく、感情は無に等しかった。
『『『ギ――』』』
期待も失望もないまま聞こえてきたのは、骨の断末魔。
頭蓋骨は的確に砕かれ、空中で瓦解するのが視界に入った。
どうやったか、なんてものは知らんが、誰がやったかは明らか。
「まだ……見えてる?」
そばには、遅れて登場したクソったれな『ヒーロー』がいた。
相変わらず赤のフルフェイスマスクを被り、その表情は見えやしない。
「そこは、まだ……生きてるだろ? ボケ、ナス――」
そこで視界は暗転。正真正銘、限界を迎えた。
後のゴタゴタは、有能な護衛様に全部お任せだった。