第4話 見える? 見えない?
セントラル・パークから南下してほどなく。
有名デパートがひしめく商業区に差し掛かった頃。
「これで……終わりっと」
ローズがグシャリと頭蓋骨を踏みつけ、黒い骸骨を掃討。
七番街通りにいる目に見えたゴミを除去した後のことだった。
「ご苦労さん。……しっかし、ひどいな。モラルの欠片もないのかよ」
目線を向けた先には、世界最大級の百貨店『メイシーズ』。
街が骨に荒らされる状況下で行われるのは、略奪と暴行だった。
目先の生存欲求に駆られ、我先にと日用品の争奪戦が繰り広げられる。
「資本主義経済の壊れる音ぉ……。これじゃあ、原始時代に逆戻りだ……」
最もショックを受けていたのはラウルだった。
自分の頭を両手で抱え、その場でうずくまっている。
仰る通りの有様で、【お金】という概念は壊れつつあった。
「おい……そこの。いい身なりをしてるな。少し恵んでおくれよ」
すると、群衆の一人がラウルに視線を向けた。
ボロボロの衣服を重ね着している老齢の男性だった。
見てくれで人を判断するのは失礼だが、ホームレスだろう。
顔は濃い目で、鼻梁は高く、黒髪と黒髭を無造作に伸ばしている。
――イタリア系だな。
多文化共生の側面を持つマンハッタンでは珍しくない人種。
移民してきたはいいものの、職につけず、路頭に迷った類だろう。
大抵はマフィアに流れるが、社会や組織に属したくないものはこうなる。
今となっては身分や肩書きに意味なんてないだろうが、話がこじれるのは困る。
「俺のをくれてやる。こいつには手を出さないでやってくれ」
ノータイムで羽織っていたジャケットを脱ぎ、老人に渡す。
ジャケット一枚でどうにかなる問題なら、喜んで差し出してやる。
「……お、こりゃどうも。世も末だが、まだまだ捨てたもんじゃないねぇ」
特に異論が出ることはなく、話はまとまろうしていた。
「――――――」
しかし、ラウルは老人の腕を掴み、譲渡を阻止。
理由は分からんが、話が悪い方向に転がろうとしている。
「あいたたた。何すんだ、若いの!」
「そうだ。やめろ、ラウル。大した理由がないなら――」
ヒートアップしかけている老人の肩を持ち、急いで仲裁に入る。
並みの人間なら折れるところだろうが、これで止まる男じゃなかった。
「ルール違反だ。制服は会社の貸出品であり、安全保障上の観点から譲渡や販売は固く禁じられている」
ラウルは瞳を逸らさず、理路整然と持論を述べる。
言ってることは正しいが、状況が状況。面倒事は避けたい。
「おいおい……俺がくれてやるって言ってんだ。黙って見過ごしてくれ。どうせ、天下のアメリカン航空も今のご時世じゃあ破算するだろうし、会社が潰れれば規則もへったくれもないだろ。少しは空気を読んでくれ」
「機長、お言葉ですが、上からの正式な通達があるまで、我々はアメリカン航空の社員。ご時世がどうなろうと、遵守しなければならないルールが存在します。多少のことなら目をつぶりますが、これは……見過ごせません」
始まった。ラウルの長所であり短所の暴走だ。
これまで何度も衝突してきたが、説得には骨が折れる。
時と場合によって臨機応変に接してきたが、さすがに目に余る。
「あのなぁ。前から思ってたが、お前は頭が硬すぎだ。ルールってのはあくまで、社会が機能してる前提で成り立つもんだ。よーく、周りを見てみろ。商品をカートに入れて、レジに並んで会計してる行儀のいい人間なんて一人もいねぇ。もっと物事を柔軟に考えろ。ルールを守るのに躍起になってジャケットを取り戻した結果、この人が怒り狂って、俺を刺し殺そうとしたらどうする?」
「それは……法律違反なんで止めますよ。いきなり刃物で襲われでもしたら、防衛する権利だってありますからね。それに、周りがルールを無視しているからと言って、自分まで破っていいことにはなりません。赤信号を渡っている人がいたとして、それにつられた機長が信号を無視して交通事故に遭っても、先に渡っていた人のせいにはできませんよね? 世紀末でも、一人一人が意識を高く持ち、ルールを守ろうとすれば形は保たれるはず。……少なくとも、私はそう信じています」
諭すように押し切ろうとするものの、いつもの通りラウルは反論。
でっかい主語を付け加えたりせず、あくまで自分事なのも合理的だった。
「今の世界じゃ……いいや、このマンハッタンじゃ通用しねぇって言ってんだろ!」
「だから、我々がルールを守ろうとすれば、他の人も守ってくれる可能性があるんです! どうして、それが分からないんですか!」
分からず屋のラウルの襟を掴み、口論は激化する。
感情と理屈。いや、現実と理想の衝突ってところだった。
「…………揉めるんだったら、返すよ。ほら、これ」
そこで折れたのは、口論に巻き込まれた老人だった。
一連のやり取りの責任を感じたのか、表情は困り果てている。
「「どうも!!!」」
ラウルと同時に手を伸ばし、ジャケットを受け取る。
険悪な雰囲気のまま羽織り、同じタイミングで襟を正す。
「…………馬鹿丸コンビ」
遠くで見ていたローズは、ボソッと辛辣な感想を口にしていた。
◇◇◇
口論を終え、『メイシーズ』は完全にスルー。
大した物資を調達することもなく、南下を開始する。
骨共のクリアリングは済み、今のところ道中は安全だった。
「「「…………」」」
そこで満ちるのは沈黙。誰も話そうとしない。
さっきのやり取りを考えれば、しかるべき結果だ。
服は返してもらったが、心の距離は開いたままだった。
ここで謝るのが大人な対応だろうが、信念は曲げたくない。
向こうも同じ心境だろうから、かなり気まずい状況ではあった。
「あ。――あれ」
そんな中、唐突に声を上げたのはローズだった。
人差し指を差し、その先には超高層ビルが建っている。
――エンパイアステートビルだ。
ニューヨークを代表する102階建ての巨大建築物。
公に開放され、年間数百万人が訪れる観光名所になる。
その実物を見れば、人差し指を差したくなる気持ちは分かる。
――ただ。
「そんなに珍しいもんかね。ここがホームなら嫌でも目に入るだろ」
アメリカ政府に属する戦闘員の発言とは思えない。
マンハッタンに来たのが初めてなわけもなく、違和感が残った。
「いや、違う。そうじゃなくて」
「――――――――流れ……星」
しかし、異なる反応を示したのは、ローズとラウル。
見たところ何も見えなかったが、何かを目で追っている。
その直線上。視線の終着点には別の高層ビルが存在していた。
「「「――――ッッッ!!!?」」」
直後、周囲は激しく揺れ、ビルの一部が倒壊していた。
時間差で崩れたのか、あいつらが見た何かがぶつかったのか。
今のところ、どちらとも断定できない災難がすぐ近くで起きていた。
「見えないか。見えないに決まってるよね。だから……」
「帝国風に言えば、触らぬ神に祟りなし。くわばらくわばら……」
幸いこちらに被害が被ることはなく、二人は訳知りな反応を見せる。
「なんだかよく分からんが、急ぐぞ。……嫌な予感がする」
ともかく、三人の意見は一致し、歩むスピードは少しずつ速まっていった。
◇◇◇
百貨店メイシーズの裏手。そこには黒服の集団がいた。
拳銃やバッドを装備し、物々しい雰囲気を醸し出している。
「そこのホームレス、ちょっとこっちにこい」
声をかけたのは、黒の中折れ帽子を深く被った黒服の男。
右手の甲には髑髏の刺青が彫られ、派手な指輪をいくつも装着。
細身で身長は高く、ところどころ発達した筋肉が威圧感を生んでいる。
「は、はい、お呼びでしょうか……」
恐る恐る老人は近付き、震えながら反応する。
「さっき、青髪の男と話していたな。名前か身元に通じるものを口走ったか?」
帽子を被る黒服男性の質問は、単純明快。
先ほど行われていた会話の関係者を探っていた。
「なんで、そんなことを……」
「御託はいい。聞かれた質問にだけ答えろ」
空気は張り詰め、剣呑とした雰囲気に満ちる。
部下か同僚か、周りの黒服の目つきは鋭くなっていた。
「た、確か……ラウルとか呼ばれていたような」
直近の記憶を頼りに老人は回答をひねり出す。
「――――」
そこで質問していた男は、唐突に上着を脱いでいた。
同時にホルスターに装着された二丁の拳銃が露わになる。
「ひ、ひぃ!!?」
その光景に老人は尻餅をつき、心底怯えていた。
男は脱いだスーツを震える肩に被し、その理由を告げた。
「褒美だ。くれてやる。……ただし、このことは他言無用にしてくれ」