第15話 勧善懲悪
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ……」
病院内の分娩室に響き渡るのは、生まれたばかりの赤ん坊の産声。
今から何年前のことだったか。当時は副操縦士だったことは覚えてる。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
看護師に声をかけられ、へその緒が繋がったままの赤ん坊を抱く。真っ先に目に入ったのは頭髪だ。どちらの遺伝でもない銀髪が薄っすら見え、一瞬戸惑った。銀髪の男に浮気されたんじゃないかってな。……ただ、すぐ勘違いだと気付いた。耳は母親に似てピンと尖り、目や鼻や口は俺によく似ている。月並みな感想だが、これが俺の……エデン・キースとしての人生の頂点だった。俺の血を分けた子供が生まれたのもそうだが、母親となった彼女が無事だったことも同じぐらい嬉しかった。
「頑張ったな。ミーナ。名前はなんてのにするんだ?」
目の前には、青い分娩着に袖を通した大人の女性。
長い金髪を巻き髪にしており、身長は平均よりも高め。
容姿は二十代後半。実の年齢は三十代後半だと聞いている。
「……『パンドラ』とでも名付けましょうか」
「その心は?」
「わたくしたちや人類にとって、『贈り物』になるという意味を込めて」
その会話を最後に、ミーナ・グレンツェは姿を消した。
まだ生まれて間もない、ガキ未満の俺たちの赤ん坊と共に。
◇◇◇
戦略飛行空母『ガンダールヴ』が積む武装は、恐らくレーザー兵器。どういう仕組みかは分からんが、全人類をターゲットにすることが可能で、発射まで残り2分を切った。もうカウントを聞く余裕なんてねぇ。物理的に止められるのは、機長などの飛行に関連する専門的な資格を持つ者だけ。取得には最低でも200時間以上の飛行経験が必要で、2分以内に艦橋にある操作盤に接触できる人物は極めて貴重。
つまり……全人類の命は俺一人の手にかかってる。
「――!!!」
責任と重圧を右手で握り込み、俺は真っ正面に拳を放つ。
「…………」
真っ向から受け止めるのは、もう一人の俺。
詳細は不明だが、恐らく未来からきたエデンだ。
意思の力か、それに付随した能力によるものだろう。
――なんにせよ、邪魔だ。
現在、空母の支配権を握っているのは、ヤツ。
同時に全人類に憎悪を向けている黒幕でもあった。
存在を無視して、先に操作盤に触れようと意味がねぇ。
『機長』の肩書きを持つのは確実で、どうせ書き換えられる。
――倒すか、倒されるか。
原始的だが、それが勝利の鍵であり、人類の命運を分ける。
例え研鑽を積んだ未来の自分でも、負けるわけにはいかねぇ!!!
「「――――らぁぁぁああああああっっっ!!!!!」」
殴り合う。殴り合う。ひたすら殴り合う。
顔に鳩尾に脇腹に、がむしゃらに拳を叩きつける。
お互いノーガード戦法。思考回路は全くもって同じだった。
――だが。
「……どうした? 止まって見えるぞ、ウスノロ!!!」
一発殴れば、三発にされて返ってくる。
圧倒的な手数の差を前にして、目の前が霞む。
威力も速度も技量も精度も段違い。敵う余地がねぇ。
立っているかどうかの感覚すら消えて、意識は朦朧とした。
「これで――」
未来エデンが放つのは、フィニッシュブロー。
顔面パンチをお見舞いして、勝負を決めにかかる。
「パン……ドラ……」
夢か現実か分からないまま、俺は娘の名を口走る。
成長を見守れなかったことに心残りがあったのかもな。
だからローズに娘の姿を重ねた。守ってやりたいと思えた。
「……………………」
するとなぜか、迫る拳はピタリと止まった。
未来エデンは、倒せる寸前のところで手を緩めた。
『人類焼灼まで残り1分。繰り返す、人類焼灼まで残り1分――』
静まり返った艦橋に響くのは、終わりまでの時間。
このまま何もしなければ、60秒後には人類は滅亡する。
人類史では類を見ない危機を迎えながら、頭が急速に回る。
考えるのは――未来の自分のこと。
なぜこの場に立ち、人類に歯向かったのかを思案する。
戦うんじゃなく、話し合うことに意味があったと今さら気付く。
「まさか……娘と人類を天秤にかけたってのか?」
そこで思い至ったのは、根拠に乏しい予想だった。
考察材料は『パンドラ』の名を出し、手加減したことのみ。
「人類を敵に回しても、娘を守りたい。それが親の心情ってもんだろ?」
なぜか諦めたような表情を作り、未来エデンは語る。
勝ち誇るべきところなのに、負けたかのように振る舞う。
――胸がグッと締め付けられるのを感じた。
表面的な痛みとは全く異なる、内面的なものだ。
理屈より感情が先行した。起こるべき未来を理解した。
飛行空母の支配条件を満たしている人物は……もう一人いる。
「副操縦士であるラウル・スミスが命じる。黒骨の元凶を破壊せよ」
タッチパネルの操作盤に両手を乗せ、告げるのはラウル。
内容は極めてシンプルで、誰にでも伝わる言葉を用いている。
『ターゲットの変更を確認。……対象者パンドラの焼灼を開始』
「やめろぉぉぉぉっぉぉぉおぉおおおおおお!!!!!!!!」
拳の構えを解き、必死で手を伸ばすが、届かない。
物理的に間に合わない。時間は残酷にも過ぎ去っていく。
「運命を呪え。お前はいずれ……俺になる」
実の娘の終焉が差し迫る中、未来エデンは冷静に語る。
なぜ途中で諦めたのか。どうしてラウルを野放しにしたか。
過去を知っていれば、未来は変えられるはず。それなのに……。
「「「――――――」」」
カッと辺りが眩しくなり、轟音が遅れて聞こえた。
どういう仕組みか、窓には外部の映像が映し出される。
見えたのは、空母底部。そこから、レーザーが発射された。
――放たれたのは、ハーレム地区。
具体的に言えば、通りに広がっていた大穴部分。
局所的に絞られた光線は、迷わず地下深くを目指す。
1秒か、10秒か、100秒か、1000秒か照射が経過した後。
「――――あぁぁぁああぁあっぁああああああああ!!!!」
ここまで響き渡ってきたのは、女性の悲鳴。断末魔。
放浪者の元凶となった悪者は始末される。世界に殺される。
「やった、ぞ……。晴れて私は、ルチアーノのボスに……」
確かな実績を残したラウルは、満足げな表情で気絶。
その胸元からは、ヒラリと紙とペンが地面に落ちていった。
「…………」
未来エデンは落ちたものを拾い、筆を走らせる。
その身体は消えかけ、役目が果たされようとしていた。
「これをローズに……。中は覗いてくれるな……」
四つ折りにした紙を渡し、彼は優しく言い放った。
受け取る以外の選択肢はなく、残された時間も少ない。
「お前はこの結末を望んでいたのか? それとも……」
「自分の目で確かめろ。今から12年後の9月5日がXデーだ」
短いやり取りを交わし、含みのある回答が返ってくる。
そこで未来エデンの姿は消え、人聞きに知る術はなくなった。
次の瞬間、どっと疲れが襲い、糸の切れた人形のように倒れ込んだ。
「…………くそったれ、人類」
託された紙を懐にしまい、恨み節を吐き、意識が途絶える。
娘が殺され、世界は救われる。それが、俺の人生の底辺だった。




