第10話 交渉
コロンビア大学内、とあるキャンバスの前の廊下。
机のバリケードから現れたのは、黒人のギャング集団。
その一挙手一投足を、ヴォルフ・シュトラウスは見ていた。
「……」
ギャングとマフィアは何が違うのか。一言で言えば、組織の強度になるだろう。ギャングは明確な階級制度がなく、衝動的で即物的。綿密に練られた組織的犯罪を行うことは少ない。一方でマフィアは、統率の取れた組織であることが多く、構成員、幹部、ボスという順序で階級制度がしっかりしている。『沈黙の掟』をはじめとした、厳格なルールも課され、裏切り行為はご法度。独自の采配で裏社会を構築できるほどの手腕と計画性があり、地域に根差した組織的犯罪を行うのがマフィアだ。
ヤツらは典型的なギャングにあてはまる。
若年層グループが中心で、ナイフやノコギリや包丁と言った原始的な刃物を好んで選んでいる。【火】の概念が消失した現在にとっては理に適った戦法ではあるが、組織的な統率が取れているようには見えねぇ。行き当たりばったりで、近くにあった武器を選んだだけ。計画性はなく、その場の思いつきの行動。本場のマフィアだったら、現環境に適応できる鉄砲の量産体制に入り、意思の力の普及を急務としていただろう。銃の素体と弾倉があれば、センス産の弾を用意するだけで一線級の活躍ができるはずだ。
どうも、そこまで頭は回らなかったらしい。
見たところ戦闘に関しては素人ばかりで、センスを纏ってはいるが、拙い。ライフルを扱うことなく、5秒もあれば片付くだろう。罠だろうがなんだろうが、どうとでもなる状況だったが、一人だけ別格なセンスを放っている存在がいる。恐らく、学のないギャングを顎で使い、組織的犯罪に都合よく利用した統率者。引退したマフィアのボス、もしくは、現マフィアのボス。
「テメェ……なにもんだ」
視線を飛ばしたのは、車椅子から降り、エデンの背後に回り込む老人。
尖った爪を突き立て、コチラが手を出せないよう人質を取った上で告げた。
「ロッキー・ルチアーノ。ただの隠居した爺とは思わんことだな」
やや振り返り、並々ならないガンを飛ばしている。
断りもなく動けば、容赦なく首筋に爪を突き立てるだろう。
それだけでも問題だが、名前が事実だとすれば、とんでもない大物。
「これはこれは……殺し屋稼業の創始者がお目見えとは……」
真っ先に反応したのは、ウォルターだった。
侮ることなく、ヤツの正体をおおよそ把握している。
レオナルドの入れ知恵か、元々知っていたのかは分からねぇ。
「さすがに大物過ぎるな……。どうするよ、リーダー」
戦うにせよ、降伏するにせよ、独断では動けねぇ。
今の状況を把握したであろうエデンに対し、判断を仰いだ。
「……そっちの要望は、身ぐるみを剥ぐだったな?」
「ああ。最先端の物資を根こそぎ渡せ、そうすれば見逃してやらんこともない」
ロッキーの主張は一貫して、得物の強奪だった。
それを足掛かりに、新しい事業を始めるつもりだろう。
なんにしてもタイミングが悪すぎる。最悪のエンカウントだ。
どんな指示にも従うつもりではあるが、血を見る確率が極めて高い。
「出番だ……ウィル。どうにか話をつけてくれ」
最もリーダーの手腕が試される場面で、エデンは詐欺師を頼る。
場にいる全員の視線が注がれ、部隊の命運は一人の中年男に託された。
◇◇◇
ようやくそれっぽい出番が回ってきた。台本のない即興劇が繰り広げられていたわけだが、部隊は危機的な状況に陥り、アドリブが試される場面。新進気鋭の監督がカメラを回してるんだろうな。世界がこうなる前は全シーンをワンカット撮影で話題を呼んだ作品があったが、それに近い斬新な技法。俳優の真価が問われる場面。
……と、まぁ、冗談はさておいて、全部ガチなのは分かってる。あのじいさんが相当な実力者なのは見たら分かるし、この状況を切り抜けるのは俺の舌先にかかっているわけだ。責任重大かつ、失敗に終われば戦闘に発展する手に汗握る場面。問題はどこまで間の抜けた道化を演じ、どこまで本気を混ぜ込めるかだ。配分が命。道化に偏り過ぎれば修羅場になり、本気を出し過ぎれば本性が透ける。すでに怪しまれているのは重々承知の上で、どうにかウィル・チータムを演じ切ってやる。
「おいおいおい……責任重大だな。腕利きの交渉人も顔面ブルースクリーンな状況なわけだが、このウィル・チータムにお任せあれ。こう見えても、百戦錬磨の営業マンだ。表では言えないが、マフィア紛いの役員に暴力で脅されながらも、持ち前の交渉術で乗り切ったこともある。……あぁ、前置きが長い? そうだな。ここはパリッと単刀直入に言わせてもらおう。…………本気の交渉は別口だ。危険手当として、ギャランティは上乗せされるんだろうな?」
交渉を始めたのは、ロッキーではなく、エデン。
言うなれば、その背後についているアメリカ政府だ。
冗談と本音の割合で言えば、五分と言ったところだろう。
「この状況で金の心配か……。プラス100万ドルはどうだ? 個人資産の限界だ」
「あぁ、ダメダメ。まるで話にならんね。そのへんの一発屋俳優止まりのギャランティと一緒にされたら困る。……プラス1億ドルからだ。手元にないなら、アメリカ政府を担保に借りればいい。元海兵隊なら信用もコネもツテもあるんだろ? 借りて借りて踏み倒せ! それぐらいの度胸がなきゃあ、俺は動いてやらんよ」
指一本を立て、断固とした態度を取る。
脇道に思えるが、この時点で交渉は始まってる。
「あぁ、分かった。1億ドルで手を打ってやる。臓器でも不動産でも有価証券でも片っ端から担保にして、俺が責任もって調達してやるよ。……その代わり、成果を出せ。ここで全員バラされたら、一攫千金は夢のまた夢だ。頼んだぞ」
内々での交渉は成立し、成果報酬は総じて3億ドル。
贅沢三昧の生活をしても、人生何週もできるほどの額だ。
「聞いてたか? じいさん。『人類を救う』映画が取り終わったら、俺の手元には3億ドルもの綺麗なキャッシュが入ってくるって寸法だ。それを全部くれてやる。だからここは見逃してくれ。地獄の沙汰も金次第って言うだろ?」
それらを迷うことなく、全プッシュだ。
金に興味があるのは、今までの言動で分かる。
誰彼構わず通用する王道の交渉術なんてもんはない。
ヒントは常に相手方にある。そこを刺激すればイチコロだ。
「信じると思うか? お前の言い分が正しい証拠はどこにある?」
「お目当ての装備にはアメリカ政府の刻印がある。裏はそれで取れるだろ?」
持っていた拳銃を地面に滑らせ、ロッキーの足元によこす。
警戒しつつもじいさんはそれを拾い、じっくりと拝見していた。
「……金に加え、政府の装備をここに回せ。それで手を打ってやる」
「それは欲張りすぎだ、じいさん。……まぁ、電気自動車をレンタルしてくれるなら考えてやらんこともないが」
お互いの要望を伝え合い、相手の懐へ一気に踏み込む。
ここで嘘をつけば、どちらが損をするかは目に見えていた。
「若いのに目敏いやつだ。交渉成立といこう。……壊されたら困るので、運転はワシが担当するがそれでも構わんな?」
「元よりそのつもりだ。……ただし、道中で事故ってくれるなよ? もう若くはないんだからな」
ロッキーと握手を交わし、交渉は成立。
血を見ることなく、目的の乗り物調達は完了した。




