思う心と、強さの証
霧喰いの魔獣は、地面を深く抉るような一撃を残し、死に絶えた。
残されたのは、歪んだ地面と、大きな魔石と、二人だけ。
「……行った、ね」
フィオナが小さく息を吐いた。その声は震えていたが、それ以上に──どこか安堵しているように聞こえた。
倒れていたリュカの肩を抱き起こす彼女の目には、まだわずかに赤紫の残光が宿っていた。けれど、それもすぐに、霧の中へ溶けていく。
「……リュカ、大丈夫……?どこか痛む?」
肩を貸しながら、フィオナが覗き込んでくる。その瞳に、不安と安堵と──微かな微笑みが混じっていた。
リュカは彼女の顔をまっすぐに見つめられなかった。視線を逸らすと、立ち上がろうとする体に力が入らない。
「う、ん……大丈夫。大丈夫、だけど……」
力なく答えたリュカの声は、なぜか自分でも薄っぺらく感じた。
彼の脳裏には、ほんの数分前の“自分”の姿が、鮮明に残っていた。
(あれが──本当に、僕だったのか……?)
霧を割って現れた魔獣の前に、フィオナが立ちはだかったとき。
その姿が地に伏した瞬間、リュカの中で“何か”が弾けた。
身体が勝手に動いた。
筋肉が千切れそうなほど軋み、骨が軋んでもなお、止まらなかった。
自分の意思ではなかった。ただ、「守らなきゃ」という感情だけが、すべてを支配していた。
その結果、勝てた。フィオナを守れた。
──けれど。
(あの力は……本当に“僕”のものだったのか……?)
ただの農村の少年で、スキルだって何もなかったはずの自分が。
たった一つ得た《無意識強化》というスキルによって、あんな怪物じみた力を発揮するなんて。
「……さっきは、ごめんね」
不意に、フィオナがぽつりと呟いた。
「私、また暴走しかけて……リュカを、巻き込んで……」
リュカは咄嗟に顔を上げた。
「違う、フィオナのせいじゃ──」
けれど、言葉がそこで途切れた。
言い切れなかったのだ。
本当は、少しだけ──ほんの少しだけ、怖かった。
あのとき、フィオナの魔眼が完全に暴走していたら?
あのとき、自分の力が止まらなかったら?
もしかしたら、自分はフィオナをも──
「助けてくれて、ありがとう」
フィオナの手が、そっとリュカの頬に触れた。
優しい声だった。
揺れることのない、まっすぐな瞳だった。
「怖かった。でも、リュカがいてくれてよかった」
リュカは、微笑み返せなかった。
ぎこちないまま、うつむいてしまった。
心の奥に、黒く冷たい塊が沈んでいた。
(もし、次にあの力が暴走したとき、僕は……)
(フィオナを──巻き込んでしまうかもしれない……)
自分の意思とは関係なく暴走した《無意識強化》。
あの時、自分は確かに魔獣を圧倒した。
だが、もしほんの少しでも理性が飛んでいたら?
隣にいたフィオナすら巻き込んでいたのではないか?
恐ろしさが、じわじわと胸の奥を締め付けていた。
リュカは言葉を選びながら、小さく呟いた。
「……あの力は、僕の中にある“何か”が勝手に動いたような気がして……」
「守らなきゃって、そう思った瞬間……体が勝手に」
フィオナは静かに頷く。
「私にも、わかる気がするよ。リュカは、誰かのために動ける人だもの」
「……でも、それで自分を責める必要はないよ」
彼女の言葉に、リュカは目を見開いた。
「……それでも、僕は……」
「もし次に、あの力がまた暴走して、今度は君まで巻き込んだらって……」
「そう考えたら、こわくて……」
リュカの手が震えていた。
誰かを守る力が欲しかったはずなのに、
その力が誰かを傷つけるかもしれないという恐怖に飲まれていた。
フィオナは、そっとリュカの手を包み込んだ。
小さく、でも確かなその手は、リュカの手の震えを止めた。
「私のせい……かもしれない」
彼女は視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「私が、そばにいるから。私が危険を引き寄せてるから……」
リュカはすぐに、彼女の言葉を遮った。
「違うよ」
その声には、迷いはなかった。
「君のせいじゃない。誰かが傷つくのは、君のせいなんかじゃない」
「僕があの時、体が動いたのは……誰かを“守りたい”って心が、勝手にそうさせたんだ」
そう、自分で気づき始めていた。
あの力は、訓練でも技術でもない。
自分の深い心の奥、“守らなきゃ”という純粋な思いが引き金になった。
「だから、きっと……」
リュカは、真っ直ぐにフィオナを見つめた。
「“思う心”こそが、僕の強さなんだ」
フィオナは目を見開く。
それは自分が、ずっと恐れていた部分でもあった。
“心”が強さになるなら、心が揺らげば……暴走にも繋がる。
けれど。
「……じゃあ、私もなれるかな」
「強く、なれるかな」
ぽつりと、フィオナが口にしたその言葉には、震えがあった。
でもそれは、恐怖ではなく希望の震えだった。
「私も、誰かを守りたいって思っていいのかな」
「怖くないって、言ってみたい……私も」
その瞳に宿る光が、ほんの少しだけ青く揺れた。
リュカは、静かに微笑んだ。
「もう、なれてると思うよ。フィオナは、僕を守ってくれたじゃないか」
「それだけで、もう十分強いさ」
ふたりの間に、ようやく生まれた静かな空気。
霧が晴れ、差し込んだ陽光が木々の間から落ちてきた。
と──
「……珍しい。今どき、そんな風に“魔眼”を語る若者がいるとはな」
木陰から、ひとりの旅人が姿を現した。
フードを深くかぶったその男は、穏やかな口調で言う。
だがその瞳は、フィオナの魔眼を真っ直ぐに見つめていた。
「おぬしら、魔眼について知りたいか?」
リュカとフィオナは警戒しながら頷く。
「おぬしらには、知る義務がある」
「……そこの少女が、次に暴れ出す前にな」
その言葉に、フィオナは一瞬身を強ばらせる。
だがリュカがそっと手を取ると、その震えもすっと静まっていった。
二人は頷きあって、目の前の老人を見据えていた。
是非評価やブックマークで応援していただけますと、励みになります!
目指せランキング!!