霧に潜む牙、選ばれし瞳
朝靄が森を薄く包む道を、リュカとフィオナは肩を並べて歩いていた。
黒い霧の噂を耳にし、その正体を確かめるべく次の町を目指している。
だが、フィオナの足取りはどこか重い。
右目の奥が、じんわりと熱を帯びているような違和感。
魔眼の力を抑え込んでいるつもりでも、最近はふとした拍子に疼くことが増えていた。
(もしかして、また制御できなくなるかも……)
彼女の脳裏には、村で魔眼を使ってしまったときの記憶が焼き付いていた。
あのとき、誰かが確かに言った。
――「やはり忌み子だ……」
口に出してはいないが、その言葉は心を深く切り裂いた。
(……また、リュカを巻き込んでしまったら)
俯くフィオナに、リュカが言葉をかける。
「……大丈夫? さっきから元気ないけど」
「……ううん、ちょっと、目が疲れてるだけ」
笑ってごまかすが、目の奥の鈍痛は嘘をつかなかった。
ふと、後ろから乾いた足音がした。
コツ……コツ……一定のリズムでついてくる誰かの気配。
リュカも気づいて立ち止まり、森の影を見つめる。
「……誰か、いる」
やがて、木立の奥からフードを深くかぶった男が姿を現した。
仮面に覆われた顔、その手には杖のようなものが握られている。
「見つけたぞ、魔眼の娘」
その声はまるで、長年探し続けた獲物を前にした狩人のようだった。
「……誰?」
フィオナが声を震わせる。
「“魔眼狩り”……忌み子を処すために存在する者だ」
仮面の下の目が、赤く光る。
「貴様のような災厄を放っておけば、また村が滅びる。……そうなる前に、俺が裁く」
リュカが一歩前に出る。
「ふざけるな……フィオナは、そんな奴じゃない!」
「無知な少年よ。力の本質を知らぬ者は、いつか破滅に巻き込まれる。……死ぬのはお前の自由だ」
その言葉に、フィオナの中で何かが弾けた。
(また……私のせいで)
ずきり。右目が焼けるように痛む。
(また誰かが、私を……!)
「──やめて!!」
フィオナの叫びと同時に、右目が赤紫に染まり、地を震わせるような“圧”が周囲に放たれた。
焚き火が吹き飛び、周囲の小型魔物は一斉に逃げ出す。
リュカは無意識に後退し、地面に手をついた。
「……ぐっ……!」
空気が、重い。鉛のように張り詰め、呼吸すらしづらい。
フィオナの足元に紫色の魔力の渦が巻き起こり、地面がひび割れていく。
「ま、また……暴走……!」
仮面の男がひそやかに呟き、フードの奥で笑った。
「やはり、処すべき存在だ」
フィオナの視界が歪み、過去の幻が脳裏をかすめた。
――「あの子がいると、また魔物が来る!」
――「あの目は不幸を呼ぶ……!」
(わたしなんて、いない方が──)
そんなとき。
「──フィオナ!!」
リュカの声が響いた。
彼は恐怖に顔を強張らせながらも、一歩、また一歩とフィオナに近づいていく。
「来ないで……わたし、また……あなたを傷つけるかもしれない……!」
「それでも、僕は──君を助けたいんだ!」
渦巻く魔力に押されながらも、リュカはなんとかフィオナの腕をつかんだ。
その瞬間。
ズドン──!!
魔力の衝撃が炸裂し、二人の間に爆風が走る。
リュカは吹き飛ばされながらも、しっかりとフィオナの腕を離さなかった。
「っ……!」
やがて、フィオナの身体から力が抜け、彼女は崩れるように倒れ込んだ。
「フィオナっ!!」
彼女を抱き止めたリュカの腕の中で、フィオナは震えていた。
右目からは血が一筋流れている。
「……私、また……暴れちゃった……」
「もういい。大丈夫だ。僕がいる」
リュカは彼女の頭を抱え、震える背をそっと撫でた。
その時だった。
「……ふむ。暴走する力をも、抑え込むか」
仮面の男が一歩前に出た。
「今回は見逃そう。……まだ“刻”ではないようだ」
そう言い残し、男は黒い煙のように森の奥へと消えていった。
「待てっ……!」
リュカが叫んでも、返事はなかった。
その場には、燃え尽きた焚き火と、ぐったりとしたフィオナだけが残された。
──
朝。霧が森を包む。
フィオナはリュカの膝の上でゆっくりと目を開けた。
「……また、迷惑かけちゃったね」
「迷惑なんて思ってないよ。……君のこと、守りたいだけだ」
リュカの優しい声に、フィオナの目尻がわずかに潤む。
「……ありがとう」
小さく呟いたその声は、夜明けの霧よりも静かで、温かかった。
遠く、霧の中で何かが蠢いた。
異変は、まだ始まったばかりだった。
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