暴走の瞳、拒絶の檻
朝焼けの冷たい風が二人の背を押すように、村の外れの道を照らしていた。
「……昨日のこと、本当に僕たちがやったのかな」
リュカがぽつりとつぶやく。隣を歩くフィオナは、無言のまま前だけを見つめていた。
その表情に、昨日聞こえた村人の声が重なる。
『あの眼は……やはり厄災の……忌み子か……』
フィオナは笑ってみせたが、その笑顔はどこか遠かった。
「ねぇ、フィオナ。昨日の人のこと、気にしてる?」
「……いいえ、大丈夫です」
だが、言葉とは裏腹に、フィオナの肩は小さく震えていた。
森に差しかかる頃、異様な空気が辺りを包んだ。
風が止み、鳥の声も消える。
「……あれ、なんだろ」
木々の奥に、苔むした石造りの建物が見えた。
古びた祠。入口には、見覚えのある魔眼の模様が刻まれていた。
「……これは」
二人は中へと足を踏み入れた。ひんやりとした空気が肌を刺し、壁には古代語と魔法陣、魔眼の構造を示す図が並ぶ。
「ここ……魔眼の研究施設だったのかな」
リュカがつぶやいた直後、フィオナがふらりと前に出る。
その瞬間だった。
「っ……あぁ……!」
フィオナの右目が赤紫に発光し、激しい痛みに顔を歪める。
「フィオナ!?」
駆け寄ろうとしたリュカを、凄まじい“圧”が押し返した。
空気が歪む。祠の中が震え、壁の文字が脈打つように光り始める。
「な、にこれ……!?」
近くの森に潜んでいた小型魔獣たちが、一斉に身を翻し、逃げ出した。
フィオナの瞳が、まるで別人のように濁り、淡々と口を開く。
「見える……死が、刻まれていく……運命が、崩れる……」
その声は感情を失っていた。
フィオナの瞼の裏に、遠い過去の光景が浮かぶ。
――小さな部屋。木漏れ日の差す窓。だが誰も手を差し伸べてはくれなかった。
『魔眼の子は災いを招く』『あれは人じゃない』
幼いフィオナは、ずっと一人だった。
感情を見せれば殴られ、何も言わなくても疎まれた。
ある夜、ひどい頭痛と共に“視えた”。人の死の光景。誰にも言えず、ただ震えていた。
「もう……あんなの、いや……!」
祠の中、暴走の渦中で、フィオナは無意識に涙をこぼす。
「やめて……フィオナ、戻って……!」
リュカは、必死に叫ぶ。
圧力で足がすくみ、息が苦しくなっても、それでも前へ進もうと足を動かす。
「フィオナ! 大丈夫だから! 落ち着いて! ここには君を傷つけるものはない!」
フィオナの記憶が揺らいだ。
かつて、“化け物”と呼ばれた日々。
誰にも手を取られず、蔑まれた時間。
あの日も、目が疼いた。
(……嫌だ、また……)
リュカの声が、遠く聞こえた。
(また、私のせいで……)
「来ないで……リュカ様だけは、巻き込みたくない……!」
フィオナの身体から、魔力の奔流が渦巻く。足元の石が砕け、空間が歪む。
だが――
「それでも行くよ!」
リュカは叫ぶように、足を踏み出す。圧が全身を締めつけ、膝が砕けそうになる。
「だって、君が今……苦しんでるから……!」
光の奔流が走る。目を開けていられない。全身が焼けつくような熱に襲われ、呼吸も困難だった。
だが彼は諦めなかった。
一歩、また一歩。擦り傷と血で靴が赤く染まっても、彼は止まらなかった。
「僕は……君を、独りにしたくないんだ!」
圧力が最高潮に達した瞬間、祠の中央に立つフィオナが、泣き叫ぶように声を上げた。
「リュカ様……助けて……!」
その声を聞いて、リュカの腕が最後の力を振り絞り、フィオナに触れた。
――光が爆ぜた。
赤紫の閃光が祠を包み、石壁が音を立てて崩れ、天井が軋む。
中に描かれた魔眼の陣が、焼け焦げるように消えていく。
「フィオナ!!」
視界が焼かれたかのような光の中で、フィオナの身体が崩れ落ちる。
リュカはその身を抱きとめ、膝をついた。
「……フィオナ、大丈夫……?」
彼女はぐったりと、だが安堵したように微かに息を吐いていた。
リュカは、その頬に手を添え、額をそっと合わせる。
「君の力が怖いって言う人もいる。でも……僕は違う。君を見捨てたりしないよ」
彼女の頬に、涙が一筋こぼれた。
「君がどんな存在でも、僕は……君を守る。これから絶対に」
そう誓ったリュカの声に、フィオナの唇が微かに動く。
「……うれしい……です……」
フィオナは崩れ落ちるように倒れ、リュカがその身体を受け止めた。
小さく、細く、儚い命。
祠の光はゆっくりと消え、床に転がる古びた魔導書が目に入る。
そこには、かつて“魔眼の少女”と呼ばれた実験体の記録が綴られていた。
“魔眼は、強き意志で制御可能である――ただし、孤独の中では不安定化しやすい”
リュカはそれをそっと拾い上げ、そして抱いた少女を見つめた。
「僕が一緒にいる。君を、もう独りにはしない」
フィオナは、眠ったまま微かに笑ったように見えた。
――その夜、祠を後にした二人を、満天の星が静かに見守っていた。
是非応援よろしくお願いします!