魔眼を喰らう者
その夜、エリュデアの霧は、ひときわ濃くなった。
まるで大地ごと“夢”の中に沈めるように、重く、息苦しく――そして、どこか“意志”を持って渦巻いている。
リュカは目を覚ました。
外はまだ深夜、だが窓の外に感じる気配に、背筋が冷える。
「……この霧、昨日までのとは違う」
隣のベッドで眠っていたフィオナも、わずかに眉をひそめて目を開けた。
「……誰かが、呼んでる」
彼女の左目が疼いていた。魔眼が、霧の奥に“何か”を感じ取っている。
ふたりは静かに身支度を整え、宿の扉を開ける。
深夜の町は、まるで時間が止まったかのように静かで――
その中央に、ひとつの影が立っていた。
「……!」
それは、かつて森で襲ってきたフードの男だった。
黒いフードを被り、無表情な顔をした“魔眼狩り”の男。
あの夜と同じ姿で男は佇む。
男は何も言わない。ただ、両手をゆっくりと上げる。
指先が、街の北端――古びた教会の方角を指した。
「……“あの方”が、お待ちです」
それだけを言い残し、男は霧の中へと音もなく消えていった。
リュカとフィオナは顔を見合わせる。
言葉は交わさない。だが、互いの中にある覚悟だけは、確かだった。
“会うべき時”が来た。
魔眼を狙う者たちの“大元”――その存在と向き合うために。
ふたりは霧の中へと足を踏み出す。
濃霧の奥、道はなく、音もなく、ただ彼らだけが、夢の層を超えていく。
その先に、何が待っているのかはまだわからない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
これは“警告”ではない。
“招待”なのだ。
彼らを、夢の深淵へと導く――“魔眼を喰らう者”からの。
街の北にある廃教会は、十数年前に火災に遭い、半ば崩れたまま放置されていたという。
瓦礫と焦げ跡の残る石造りの回廊を、リュカとフィオナは無言で進んだ。
教会の奥、地下へ続く階段がぽっかりと開いている。
ふぃおなの“魔眼”が僅かに光っている。
そこに、“何か”がいる。
階段を下りると、湿った空気と共に、異様な静寂が広がる。
祭壇跡らしき場所――その中央に、“黒衣の者”が立っていた。
背は高く、全身を漆黒のローブで覆っている。
顔は見えない。影に呑まれたように、完全に黒に沈んでいる。
彼は語り始めた。まるで詩を紡ぐように、抑揚のない声で。
「かつてこの世界には、九つの眼が存在した」
「それらは真理を映し、死を見通し、過去と未来を侵した」
「そして幾度も、人の世を壊しかけた」
フィオナの眉が動く。
「……あなたは、誰?」
「名はない。名を捨てた。魔眼を狩ること――ただそれだけが、我らの“使命”」
声に感情はない。ただ、深い“信念”のようなものがあった。
「継承とは、呪いだ。魔眼は器を選び、心を蝕む。いずれ、お前自身もも狂うだろう」
フィオナの魔眼が微かに反応する。
彼はそれを見逃さない。
「汝の眼――“真眼”よ。既に多くを見過ぎている」
「……私たちは、見たいから見てるんじゃない。ただ自分を、大切な人を守るために使ってるのよ」
リュカが一歩前へ出る。
「そしてあんたは、“眼の力”を恐れているだけじゃないのか?」
黒衣の者の沈黙が、場の空気を変えた。
「力は恐怖ではない。だが、制御できぬ力は“災厄”だ」
「我らはその前に、種を断ち切る。……それが、我が“始祖”の意志」
始祖――?
フィオナが、ふと脳裏に浮かぶものがあった。
過去に継承を受けたとき、朧げに見えた幻――塔の最深部にあった、黒い炎のような意志。
「まさか……あなた、“封眼”に関わっている?」
黒衣の者は応えなかった。
だが、空気の圧が強まった。
「……選べ。魔眼を差し出せば、この連鎖は断たれる。あの眠る少女も救えるだろう」
その“選択”が放たれた瞬間――
フィオナの瞳に、迷いが走った。
「……私のせいで、あの子が巻き込まれている……?」
リュカが叫ぶ。
「違う!」
彼の声が、祭壇跡に響く。
「フィオナのせいで継いだんじゃない。それに君は誰かを助けるために、その力を選んだんだ!」
「それは呪いじゃない、“想い”だ」
沈黙。
やがて、黒衣の者はふたりを見据え、こう告げた。
「ならば、証明せよ。次の“夢の崩壊”にて」
「“継承”が祝福であると、汝が語るなら――その身で証明してみせよ」
影が蠢いた。
霧が逆流し、黒衣の姿は消える。
残されたのは、沈黙と――次なる試練の予感だけだった。
廃教会を後にし、ふたりはゆっくりと街へ戻った。
外はまだ深夜。けれど、エリュデアの空気は明らかに“変質”していた。
霧がただの自然現象ではなく、意志を持ったもののように、街全体を包んでいる。
「……この霧、見られてるみたいだ」
リュカが呟く。
フィオナは立ち止まり、振り返った。
あの男――“魔眼を喰らう者”が、最後に告げた言葉が頭をよぎる。
「次の“夢の崩壊”にて、証明せよ」
それが試練であるならば、自分たちが向き合うべきは、きっと――
「……あの子を中心に、“夢”が動き始めてる」
宿へ戻ると、神父が血相を変えて飛び出してきた。
「来てください! あの子が――!」
急いで孤児院へ向かい、少女の部屋に駆け込むと、彼女はベッドの上で苦しそうに身をよじっていた。
だが目は閉じたまま、意識は夢の奥へ沈んでいる。
「目を……開けようとしない。まるで何かに引き込まれてる」
フィオナが膝をつき、少女の額に手を置いた。
左目――魔眼が、はっきりとした“干渉”を感じ取っていた。
「……これは、“夢幻眼”の揺らぎ」
霧が、窓の隙間から流れ込んでくる。
床を這うように部屋を満たし、その中心にいる少女を包んでいく。
「……まだ、名前が、彼女には何かを守る強い意志がない。だから抗えない」
リュカが少女の傍に寄り添い、強く呟いた。
「なら、俺たちが呼ぼう。何度でも。“ここにいていい”って」
フィオナが少女の手を握る。
左目が、強く、光を帯び始める――。
***
その夜、街の広場で、ひとりの老婆が言った。
「……また一人、眠ったよ」
朝になっても目を覚まさない人々が増え始める。
目覚めない人々が増えるのに比例するかのように、少女の目の光は強さを増していく。
彼女の右目に、うっすらと蒼い光。
その微かな輝きが、夜明け前の霧に溶けていく。
“夢幻眼の継承”は、確実に進行している。
物語は静かに――しかし確かに、“崩壊”へと進み始める。
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