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交錯する幻像

 澄んだ空の下、二人は次の町へと向かう街道を歩いていた。


 風は涼しく、森の木々は柔らかく揺れ、道端には小さな花が咲いている。

 けれど、その穏やかな風景の中でも、フィオナの左目はずっと、どこか疼いていた。


「……なんか、変なの」


 フィオナが立ち止まり、眉を寄せる。


「さっきからずっと、左目がざわざわする。……あの時から、ずっと」


 “あの時”――夢に引きずり込まれ、自分を見失いかけた夜。

 リュカがその言葉を思い出して、少しだけ顔を曇らせる。


「魔眼が……まだ影響を受けてるのか?」


「ううん……違う。影響じゃなくて……“何かが残ってる”感じ」


 フィオナは左目の上にそっと手を置いた。

 いつものように光ることはない。けれど、自分の内側から、誰かの気配が静かに息づいている。

 それは恐ろしいわけじゃない。ただ、居心地が悪い。


「……“誰かの目”が、まだ私を見てるみたいなの」


 その呟きに、リュカの手がそっと肩に置かれた。


「僕の目は、君の味方だから」


「……ふふ、なにそれ」


 少しだけ緊張がほぐれて、フィオナが微笑む。

 けれど、その穏やかさは長く続かなかった。


 午後を過ぎ、街道を進むにつれ、周囲がうっすらと霧がかる。

 最初は地面の湿気かと思ったが、すぐに違和感に変わる。


「……この感じ、前にもあった」


 リュカが周囲を見渡す。


 霧は音を吸い取り、空気の色さえ淡く染めていく。

 世界が、少しずつ“夢”に侵食されていくような、あの感覚。


「気をつけて。これ、多分……」


 その時――


 ぽつん。


 街道の先に、一人の少女が立っていた。

 背丈はフィオナと同じくらい。くすんだフードを深く被り、口元だけが見える。

 白い足首が、霧に濡れながらゆっくりと動いた。

 リュカが前に出る。


「誰だ?」


 少女は、にこりと笑った。


「――夢の中では、もっと話せたのに。忘れちゃったの?」


 フィオナが、びくりと肩を揺らす。

 その声に、聞き覚えがあった。


 夢の中で、自分に話しかけてきた声。

 あの、“もうひとりの自分”が崩れ去る直前に、ふと感じた“誰か”。


「あなた……夢の中に……?」


「ううん、私はずっとここにいたよ。あなたたちが、追いついてくるのを待ってたの」


 少女の言葉は不思議な響きを持っていた。


 夢とも、現実ともつかない。

 過去でも未来でもないような、“幻像”のような声。


 リュカが剣に手をかける。


「フィオナのことを、知ってるのか?」


 少女はふわりと笑った。

 その笑みの奥に、何か“底知れぬもの”が垣間見えた。


「左目がうるさいでしょ? それ、わたしのせいかもね」


 霧の中で、少女の姿が揺れる。

 次の瞬間――彼女の左目が、フードの隙間からちらりと覗いた。


 淡い赤の光。


 それはフィオナの魔眼とはまるで違う、“奥に吸い込まれそうなほど深い光”。

 精神を揺らがせるような、濁った夢の渦。


「……!」


 フィオナが左目を押さえる。

 リュカが彼女を支え、少女との距離を取ろうとした。


 だが、少女はそれ以上近づいては来なかった。

 ただ、霧の向こうで囁くように言う。


「また、夢で会いましょうね」

「今度は、もっと深く、もっと楽しい夢の中で」


 次の瞬間、霧がさっと風に流され――

 少女の姿は、そこから消えていた。


 ただ、草の上に小さな足跡だけが残っていた。

 裸足だったのか、足跡には靴の跡もなかった。


 リュカは剣を抜いたまま、周囲を警戒する。


「……気配がない。完全に消えた……?」


「でも……確かに“いた”よね」


 フィオナは左目を押さえながら、少女が立っていた場所に目を向ける。


 心の奥に、“うっすらと残る声”が響いていた。


 “おいで”

 “夢なら、痛くないのに”

 “ひとりじゃないよ”


 ――声が、優しすぎるのが怖かった。


「フィオナ、大丈夫か」


「……うん。でも、あの子の目……私と違った。

 あれ、多分第五の眼、“夢幻眼”だと思う」


 左目の内側がじくじくと痛んだ。

 九つあるとされている魔眼の一つ、夢幻眼。視たものの精神を侵し、夢の中に捕えてしまう眼。


 夢の中で一度だけ感じた、濁った感覚。

 “眠らせる”のではなく、“自我を溶かす”ような……もっと根源的な侵蝕。


 ふたりは少女の足跡をたどり、小さな林に踏み入った。

 やがて、古びた祠のような建物が見えてくる。


 中は埃だらけで、人の気配はない。


 だが、壁に彫られた文字がリュカの目を引いた。


「……“瞳を開く者よ、夢に沈め”?」


 古代語に似た文。読み解けたのは、ほんの一節だけだった。


「多分、あの子が残していった……“夢の痕”だ」

「夢幻眼の継承者って、こんな痕跡まで残せるのか……」


 ふと、足元に何かが落ちているのに気づいた。

 それは――紙片だった。


 拾い上げると、そこには誰かの手記の断片が記されていた。


 《私は眠る。夢のなかで名前を呼ばれるたび、少しずつ薄れていく。

 私が私でなくなっても、それで良いのなら――》


 リュカが息を呑む。


「これ……まさか、“継承の記録”かもしれない」


「じゃあ、あの子が書いたの……?」


「いや、違う。これは……もっと前の、誰かのものだ」


 霧の中で交錯した幻像。

 そしてこの紙片は、それを支える“記憶の断層”。


 誰かがかつて夢に沈み、やがて“夢の中に棲む存在”に変わったのかもしれない。


「……フィオナ。君の魔眼って、誰かの記憶に触れること、ある?」


「……うん。時々だけど。とくに、“同じ魔眼の系譜”にある記憶は、強く響く」


 左目がぴくりと反応する。

 まるで、“何かが入ってこようとする”ような、侵蝕の兆し。


「このままじゃ、また夢に引きずられるかもしれない」


「……でも、知りたい。あの子のことも、この魔眼のことも」


 覚悟を決めたように、フィオナは祠の奥へ進んだ。

 リュカがその背中を、迷いなく追いかける。

 祠の奥には、薄い結界のような空気の歪みがあった。

 フィオナが手を伸ばすと、左目が青白く光を放つ。


 ――その瞬間、空気が“裏返る”。


 世界が、ひっくり返ったような感覚。

 気づけばふたりは、夜のない場所にいた。

 真っ白な地平、色彩のない空。静まり返った、異形の空間。


「……ここは……?」


「夢……の記憶。誰かが残した記憶の殻の中」


 周囲には、浮かぶようにいくつかの“記憶の影”が揺れていた。

 それは誰かの過去の断片であり、心象風景の断面だった。


 一つの影が動く。


 それは、あのフードの少女だった。

 白い寝間着のまま、石畳の広間で膝を抱え、誰かの夢を聞いているように見えた。


 “夢って、優しいね”

 “誰にも傷つけられない”

 “でも……終わるのが怖いの”


 声がこだまする。

 それは“想い”というより、“願い”に近い響きだった。


「この子は……?」


「わからない。でも、たぶんさっきの……」


 ふと、空間が震える。

 いくつかの影がばらばらに崩れ、少女の姿がゆっくりとこちらを向いた。

 そして、まっすぐにフィオナの“左目”を見た。


 次の瞬間、少女とフィオナの間に白い糸のようなものが走る。

 記憶が流れ込んでくる。感情が、痛みが、名前のない孤独が――


 フィオナの意識が溺れかける。


「……っ、フィオナ!」


 リュカの声が、遠くで響く。

 その声に縋るように、彼女は踏みとどまった。


 “名前を呼んでくれた”――


 少女の記憶の中には、それがなかった。

 誰にも名を呼ばれず、忘れられ、ただ夢の中に溶けていった少女。

 “夢幻眼”の継承と引き換えに、すべてを置いてきた誰か。


「……あなた、名前が……ないの?」


 少女の幻影が、少しだけ笑った。


 “名前なんていらない。夢の中では、誰でもない方が楽なんだよ”


 けれど――

 フィオナは強く、言った。


「……私は、名を持ってる。だから、夢に呑まれたりしない」

「あなたも……いつか、思い出せるといい」


 少女の幻影が、静かに消えていく。

 その背に向けて、リュカが呟いた。


「夢の中で生きるのは、誰にも否定できない。

 でも、名前があるってことは……誰かに、必要とされたってことだから」


 空間が徐々に色づき、音が戻ってくる。

 祠の中に、ふたりは戻っていた。

 手には、祠の床に落ちていた紙片が握られている。


《私の名は、まだ、ここにあるのかな》

《夢のなかで、それだけが怖い》


 左目が、ほんのわずかに震える。

 フィオナが目を細める。


「この魔眼……もしかして、私たちに“願ってる”のかも」


「夢に溺れるなって?」


 リュカは笑った。


「それなら、なんだかんだで味方かもな」


 霧の向こう、また少女の気配がかすかに残っていた。


 けれどそれは、敵意の気配ではなかった。


 ただ――名前を失くした誰かの、静かな残響。




 ふたりは祠を後にする。


 “魔眼”を巡る旅は、また次の局面を迎えようとしていた。

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