夢の継承者
朝靄のなか、リュカとフィオナは静かに村を後にした。
ラフナ村の人々は、それぞれに夢から覚めた。
目を覚ました時、誰もがぼんやりとした表情を浮かべていたが、次第に笑顔も戻ってきた。
「助かった……」
「ありがとう……」
そう言葉をかけられるたび、リュカはどこか居心地の悪さを感じていた。
助けた。それは事実だ。
けれど、その“夢”の中で何が起きていたのか、彼ら自身はきっと知らない。
「……あの人たち、本当に戻ってこれたのかな」
フィオナがぽつりと呟いた。
リュカは歩きながら、彼女の言葉の意味を噛みしめる。
「体は戻ってきた。でも……心は、どうかな」
「……私も、まだふわふわしてる感じがする」
「……無理もないよ。あんな場所だったんだ」
ふたりは、ギルドへの帰路を辿る。
道中、小さな町や休憩所に立ち寄る中で、奇妙な噂を耳にした。
「最近、夢見が悪いんだよ……」
「毎晩、同じ夢を見てる気がするんだ」
「町中の人が、同じ夢を見てるって……おかしいよな?」
――また、夢だ。
フィオナの足が、ふと止まった。
「リュカ……変だよ。魔眼が……反応してる」
瞳にうっすらと光が宿る。
フィオナが視ているのは、遠く、そして深い場所――
意識の底に沈んだ“誰かの夢”。
「この感覚、ラフナ村のときと似てる。でも……違う。もっと……広くて、深い」
ふたりは進路を変更し、噂の中心地とされる川辺の町ミュゲルへ向かうことを決めた。
移動の途中、フィオナの顔色が徐々に悪くなる。
「……ずっと誰かの声がするの。
“おいで、おいで”って……子供みたいな声……」
魔眼が干渉を受け始めているのは明らかだった。
精神に何かが入り込もうとしている。
フィオナがそれを自覚できるぶん、まだ耐えられている――そんな状態。
「……僕の声、聞こえる?」
リュカが手を握る。
フィオナははっとして、彼を見た。
「うん、大丈夫。ちゃんと聞こえてる」
「なら、平気。君の手が、こっちにあれば」
再び歩き出すふたり。
その足音の先には、まだ“夢の気配”が消えていない世界があった。
***
川辺の町ミュゲルは、静かだった。
町の入り口に立った瞬間、リュカは直感した。
ここは、何かがおかしい。
人の姿が少ない。
いるにはいるのだが、全員が“何かを待っているような顔”をしていた。
目の焦点が合っていない。
言葉をかけても、ゆっくりと反応が返ってくるだけ。
「……これは、夢の影響だ」
フィオナが呟く。
魔眼が疼いていた。
前より強く、重く――脳の奥をぐっと押されるような感覚――。
その晩、宿に泊まった夜、異変は起きた。
深夜。空気がねっとりと重く、湿った風が窓を揺らす。
フィオナが急に起き上がる。
「また……声が……」
額に汗を浮かべ、彼女は頭を抱える。
魔眼が、眠っているはずの誰かの“意識の流れ”を拾ってしまっている。
リュカは彼女を支えながら、低く語りかけた。
「名前を呼ばれたわけじゃない。君自身を否定されたわけでもない。
だから、飲まれるな。……大丈夫、まだ戻れる」
しばらくして魔眼の発光が収まると、フィオナは顔を上げて言った。
「この町には、“夢の核”はない。
でも……前に、ここで“誰かが夢を使った痕跡”が残ってる。
まるで、爪痕みたいに、空気に刻まれてる」
リュカは眉を寄せる。
「誰か……って?」
「わからない。でも、“強い精神干渉の力”があった。
普通の人間じゃ、こんな跡は残せない」
その言葉を裏づけるように、町の古い教会の奥に保管された記録帳に、一文が記されていた。
――数日前、夢の中で“真実”を見たという少女が、この町から消えた。
――その少女が、目を開けたまま、眠ったままだったことを誰も忘れられない。
「魔眼だ……」
リュカが呟く。
フィオナが静かに頷く。
「たぶん、その子は魔眼を継承してしまった」
「そして今も、どこかで……」
その時、風が吹き抜けた。
まるで“誰かの目”に見られているような、ぞくりとする空気。
「フィオナ。……魔眼が、何か感じてる?」
「うん。誰かの記憶が、私に触れようとしてる……。
これ、ラフナ村のときよりも……ずっと深い」
ふたりは思わず背を寄せ合う。
この町は“夢の終わった場所”じゃない。
“夢が残ったまま放置された場所”――だった。
リュカが目を細める。
夜の闇が、深く、重くなっていく。
夢の中から、誰かがこちらを覗いている――そんな気配が確かにあった。
***
翌朝。フィオナは目覚めなかった。
リュカが何度呼びかけても、身体はぬくもりを保ったまま眠り続ける。
「……まさか、夢に引きずられた……?」
彼女に触れると、うっすらと青い光が走った。
魔眼が反応している――が、それは外へ向けられていない。
“内側”に向けて、自らの記憶を掘り起こし続けている。
「……精神干渉。完全に引き込まれたんだ」
夢の“残響”が、フィオナの魔眼を揺さぶった。
そしていま、彼女は夢の中――記憶と願望のあいだ――で、自分自身を見失おうとしている。
夢の中。
薄暗い地下牢。
鉄格子の隙間から漏れる冷たい風。
フィオナは膝を抱えて座っていた。
誰かの足音。
鞭の音。
怒声、泣き声、祈り。
「……もう……やだ……」
彼女は、何も知らない少女だった。
名前も、過去も、未来も。
ただ“そこにいる”だけの存在。
でも――
「フィオナ」
ふいに、声が聞こえた。
懐かしい、優しい声。
自分を“名前”で呼んでくれる、たった一人の人の声。
リュカ――
記憶の断片が走る。
街で、彼と出会った。
棒切れで魔物に立ち向かう少年の背中を、守りたいと思った。
彼の笑顔が、自分の居場所になった。
「……私は……」
その瞬間、目の前に“もうひとりの自分”が現れる。
無表情で、夢の中に溶けようとしている自分。
あのまま、誰にも名前を呼ばれずにいた自分。
「おいで。ここにいれば、全部楽になる」
「名前も、過去も、いらない。ただ眠っていればいい」
フィオナは、震えながら立ち上がった。
「……違う。私は……あの人に、出会ったんだ」
顔を上げる。瞳に力が宿る。
「私は、“フィオナ”だ。あの人が呼んでくれた――“私の名前”」
もうひとりの自分が、ぱらぱらと崩れ、光の粒になって消える。
その光が彼女の身体に溶け込み、魔眼が白く強く輝いた。
***
「――っ、!」
フィオナが大きく息を吸い込んで、目を覚ました。
額から汗が流れ落ちる。
その瞳は、もう迷っていなかった。
「……よかった、気が付いた」
リュカが微笑む。
フィオナは彼の手をぎゅっと握る。
「ありがとう。……ちゃんと聞こえてた」
「声、届いた?」
「うん。夢の中でも、ちゃんと“私の名前”で呼んでくれてた」
リュカはほっと息を吐いた。
そして、静かに呟く。
「本当に………よかった」
部屋の窓から、朝日が差し込む。
フィオナの魔眼が、わずかに煌めいた。
“私は、誰かの夢じゃない”
“私は、私の意志で、生きてる”
ふたりは立ち上がる。
まだ終わらない夢の余波。
だが、それに立ち向かう力は、もう揺らいでいなかった。
――そして、物語は次の継承者へと繋がっていく。
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