夢の深層
足音が、吸い込まれる。
土を踏む感触がある。風も、匂いも、太陽の光さえ確かにある。
けれど、それはどこか“つくられた現実”だった。
夢の中にいる――それは、感覚ではなく確信だった。
「……ラフナ村、に見えるけど……」
フィオナが呟く。
村の形は、現実のそれと寸分違わない。
でも、空の色が――おかしい。
青空に、微かに赤が差している。それも、染まっていくわけではなく、“止まっている”のだ。
まるで、朝焼けでも夕暮れでもない空が、凍りついたまま上空に貼りついていた。
「人の声も……聞こえない」
リュカは剣に手を添えながら、周囲を見渡した。
風が木々を揺らし、草がさわさわと音を立てる。
だが、その中に人の気配だけが、妙に欠けていた。
やがて、ふたりは一軒の家の前で足を止めた。
窓の中――小さな食卓に、家族らしき影が見える。
母親と、父親。そして、少女が笑っている。
フィオナが小さく息を呑んだ。
「……この人たち、たぶん……現実ではもう」
魔眼が感じ取っていた。
そこにあるのは“過去”の風景。
この夢の世界が、彼らの“記憶”と“願望”で作られていることを。
他の家も同じだった。
誰かが縁側で歌を口ずさみ、
誰かが同じ本を何度も読み返し、
誰かが壊れた人形に耳を寄せ続けていた。
「同じことを……繰り返してる」
リュカの声は低く、警戒を含んでいた。
ある家では、少女が誕生日を祝われ続けていた。
部屋にはケーキ、家族の拍手、歌声――けれど、それが“永遠にループしている”。
「これが、夢の“檻”」
フィオナが言った。
「記憶に縛られて、願望に溺れて、動けなくなる。
……心を閉じ込めるには、ぴったりの牢獄だよ」
ふたりは夢の村を静かに歩く。
その中で、徐々に“おかしなこと”にも気づいていった。
花壇の花が、毎秒同じように揺れている。
時計の針が、まったく進んでいない。
風鈴が、風のない場所で揺れているのに、音がしない。
この世界は“現実を模した虚構”だった。
「視えてる」
フィオナが囁く。
魔眼の奥に、うっすらと浮かぶ“もうひとつの層”。
人々の“本来の姿”が、夢の幻の下で苦しんでいた。
少女は部屋の隅で膝を抱え、
母親は空の食器を握ったまま凍りついていた。
それでも、夢は優しく囁く。
――ここは、あたたかい場所だよ。
――ずっと一緒だよ。
――あなたが欲しかった時間だよ。
「リュカ……わたし、わかってきたかも」
「……え?」
「ここは、“癒しのふりをした監獄”だよ。
……願望を餌にして、人の心を縛る」
リュカは、そんなフィオナを横目に見て、小さく頷いた。
「君の目に、そこまで視えてるなら……僕は、信じる。
この村の人たちは……救わなきゃいけない」
「うん。私たちの夢じゃないからこそ、私たちだけが“ここを壊せる”気がする」
二人は、夢の村の中心へと歩き出す。
まるで“止まった世界”に挑むように――ゆっくりと、確かに。
村の中心――かつて祭事が行われていたという石畳の広場。
その一角に、まるで“焼け焦げたような”黒い裂け目が口を開けていた。
地面はひび割れ、周囲の景色が歪んで見える。
空すらもそこだけ色が沈み、薄暗い赤に変わっている。
「……ここだけ、夢じゃない」
フィオナの声が震えた。
魔眼が強く反応していた。
これは“他人の記憶”ではない。もっと深い、“誰かの本質”が封じられている。
リュカが剣の柄を握りしめたまま、その裂け目に近づく。
「ここは……?」
「うん。たぶん、ここが“夢の起点”。
――ここから、全部が広がった」
ふたりが裂け目に足を踏み入れた瞬間、世界が反転した。
次の瞬間、周囲は暗転。
空気が焦げたような匂いを帯び、瓦礫が散らばった空間に変わっていた。
かつて家だったもの。焼け焦げた柱、割れた食器、ぬいぐるみ。
そして――
「やだ! やめて、やめてぇぇぇええ!!」
悲鳴が響いた。
それは、誰かの心の奥から引き裂かれるような絶叫。
リュカがフィオナの方を振り向くと、彼女の肩が震えていた。
「……魔眼が……っ」
瞳が淡く光り、何かを“視させられて”いる。
赤く光る魔眼、暴走しかけていた。
「フィオナ!」
リュカが肩を掴み、強く呼びかける。
「ここはダメ……これは、誰かの――っ」
その瞬間、彼女の視界に“記憶の断片”が流れ込む。
火に包まれる木造の村。
泣き叫ぶ子供。
誰かを呼ぶ声。
届かなかった手。
中心で叫ぶ銀髪の少年。
“僕が守れなかったせいだ”
“僕が見てしまったせいだ”
それはあの青年の記憶。
彼が夢に逃げた理由。
彼が“真実から目を逸らし続ける”根本。
リュカは彼女を抱きとめ、静かに語りかけた。
「大丈夫。僕がいる。
君の眼が視ているものを、僕が支える」
フィオナの瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。
そして、魔眼の光が次第に収まり、蒼く光る。
ふたりが再び顔を上げた時、焼け跡の中心に“扉”のような影が現れていた。
それは記憶の核――“夢の奥”に繋がる入り口。
「行こう」
リュカが言った。
「ここにいるだけじゃ、何も変わらない。
……きっと、向こうに答えがある」
フィオナが頷いた。涙の跡を拭って、もう一度前を向く。
そしてふたりは、“夢の深層”へと足を踏み入れた。
扉の奥は――空虚だった。
黒く、深く、静かで、ただ果てがなかった。
リュカとフィオナは、重力も音も失われた世界を歩く。
次第に、景色が“変化”していく。
足元が瓦礫から石畳に。
周囲に木々が現れ、いつしか夜空が広がる。
そこは、“どこでもない場所”だった。
現実でも夢でもない、――夢の最奥。
「来たんだね」
少年の声が響いた。
振り向けば、そこにいた。
静かに佇む銀髪の少年。
ローブはなく、幼さを残す顔。
けれど、その目だけが、異様なほど冷たかった。
「ここは僕の世界だ。
来ていいなんて、一度も言ってない」
フィオナが一歩、前に出る。
「あなたの夢だったんだね。
ラフナ村の人たちを、夢の中に閉じ込めたのはあなたなの?」
少年は、少し黙って、静かに言った。
「僕が“望まれた”だけだよ。
あの人たちは、自分で夢に沈んだ。
僕はただ――居場所を用意しただけ」
「違う」
リュカが割って入った。
「現実から逃げたい気持ちは、誰にでもある。
でも……“戻れない場所”に変えるのは、優しさじゃない」
少年はリュカをじっと見つめた。
まるで、自分の中の何かと重ねるように。
「じゃあ、君ならどうする?
全部を視て、全部を知って、全部を失った誰かを……どうやって、救うっていうんだよ」
その声には、怒りではなく、深い疲労と諦めがあった。
「救えないよ」
リュカは、そう言った。
フィオナが驚いたように振り返る。
「全部なんて、救えない。
でも、“ひとつ”なら、手を伸ばせる。
僕は、君が苦しんでるってことだけは、視えたから……だから、手を伸ばした」
沈黙が落ちた。
少年はその言葉に目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「……ほんとに、君らは不器用だよね。
そんな生き方、……疲れるだけなのに」
フィオナが、その隣に並ぶ。
「疲れてもいいよ。
だって、あなたが視えたあのとき……私、助けたいって思ったから」
少年は目を閉じた。
その身体が、ゆっくりと光に溶けていく。
「……本当は、気づいてたんだ。
こんな夢、続けちゃいけないって。……でも、怖かった。あのときの痛みを、思い出すのが」
リュカは微笑んだ。
「怖がっていい。
でも、その先に進むなら……一緒に行こう」
最後に、少年は静かに微笑んだ。
「この夢の元凶は……僕じゃない」
それだけを言い残して、その姿が光の粒となって、空へ消える。
世界が、崩れ始めた。
視界が反転する。
地面の感触、空気の重さ、遠くの物音。
現実の感覚が、少しずつ戻ってくる。
「……帰ってきた」
フィオナが呟いた。
「この夢の元凶は……僕じゃないって」
リュカが小さく息を吐く。
フィオナは、夢の中で見たものを、まだ引きずるような目で空を見上げる。
「……あの子、今どこにいるんだろう」
リュカはその隣に立って、同じ空を見上げた。
「どこかで……夢を見ずに、生きてるといいな」
朝の光が、空を満たしていく。
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