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夢の檻

 翌朝。

 ギルドからの使いが、宿に二人を訪ねてきた。


「ギルドマスター・バルド様より、至急の伝達です。どうか、もう一度お越し願えませんか」


 リュカとフィオナは顔を見合わせて頷き、支度を済ませて再びギルドへ向かった。




 応接室で待っていたバルドの表情は、昨日よりさらに険しかった。

 机の上にはいくつかの報告書と地図が広げられており、そのいくつかには“赤い印”がついている。


「すぐに本題に入る。……君たちが塔を攻略して以降、いくつかの村で“異常”が報告され始めた」


「異常?」


 リュカが問い返すと、バルドは資料の一枚をめくって見せた。


「ああ、昼夜問わず昏睡状態に陥る者。目覚めても、夢と現実の区別がつかない者。悪夢を見続けて衰弱する者……場所によって症状は違うが、どこも、塔からそう遠くない村ばかりだ」


 フィオナが小さく息を呑む。


「それって……もしかして私たちが塔を攻略したから……?」


「ああ。だが、問題は“塔そのものはもう沈黙している”にもかかわらず、だ」


 バルドの目が鋭く光る。


「この現象が塔の残響なのか、あるいは――別の“因子”が動き始めているのか。調べる必要がある」


「……つまり、その調査に行ってほしいってこと?」


 リュカの問いに、バルドは頷いた。


「君たちは塔を越えた。それを評価している。そして何より……その目だ」


 彼はフィオナの目を見据えた。


「魔眼が反応するなら、それは我々には到底扱えない領域だ。だが、君たちなら、あるいは辿り着けるかもしれない」


 沈黙。

 フィオナはそっとリュカの方を見た。

 リュカは、まっすぐに彼女を見返す。


「……僕らにしか、できないことがあるなら、やるよ」


「……うん。わたしも、行きたい」


 二人の決意を前に、バルドは深く頷いた。


「目的地は、南の山沿いにある小さな村・ラフナだ。

 報告によれば、先週あたりから“誰も起きてこない朝”が続いているという」


 地図上で赤く囲まれたその村は、塔から南西に数日の距離にあった。




 ギルドを後にした二人は、町の商店街で旅支度を整えた。


 リュカは腰に下げた剣へと自然と手を伸ばす。

 数日前、町の鍛冶屋が自分に託してくれた、あの一本。

 古びた鞘に収まったそれは、今の彼にとって、信頼と責任を象徴するものだった。


 一方、フィオナは布地のしっかりしたローブと、目元を隠すための軽いフードを手に取る。

 塔の一件で、自分の“目”がどう見られるのかを、肌で感じたからだった。


「準備、できた?」


「うん。リュカは?」


「うん。……また旅が始まるね」


 二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。

 だが、その笑みの奥には、すでに覚悟が宿っていた。


 町の門を出ると、道は南へと続いていた。

 晴れた空に、旅立ちの風が吹いていた。



 ***



 夕暮れが迫る頃。

 リュカとフィオナは、南の山裾にぽつんと佇む小さな村――ラフナへとたどり着いた。


 村は、静かだった。

 ……いや、静かすぎた。


「……誰もいない」


 リュカがつぶやく。


 家々は並び、畑には耕した形跡も残っている。

 煙突からは微かな煙が立っている家もあった。

 だというのに、まるで“音”だけが奪われたように、村には動きがなかった。


「まるで……時間が止まってるみたい」


 フィオナの言葉が、夕陽の赤に溶ける。


 リュカは腰の剣にそっと手を添えた。

 剣の重みが、現実とのつながりを思い出させてくれる。

 この異様な静けさの中にあっても、今、自分が何者かを忘れないために。


 村の通りに足を踏み入れたとき、ふたりは道端に座り込んだ少女を見つけた。

 ぐったりとした体を揺らし、うわごとのように何かを呟いている。


「……ねえ、また夢の中で遊ぼうね……明日は……帰ってこようね……」


 リュカとフィオナが近づいても、少女はふたりに気づかない。

 その目は虚ろで、焦点はどこにも合っていなかった。


「夢に……囚われてる……?」


 フィオナが静かに呟く。


 そのとき、背後にひとつの気配が生まれた。


「――君たちが来るとは、思っていた」


 振り返ると、そこに立っていたのは、一人の青年だった。

 銀髪、整った顔立ち。そして、澄んでいるのにどこか沈みきった瞳。


 年齢は二人とそう変わらない。

 だが、まとっている空気は明らかに“異質”だった。


「ようこそ。……眠りの村へ」


 その青年――銀髪の男は、そう言い残すと、すぐに背を向けた。

 二人が何かを返す間もなく、その姿は夕暮れの小道の奥に消えていった。


 その背中に敵意は感じなかった。けれど、妙に“人の気配”が希薄で――

 夢の中の幻と話していたような、不思議な感覚だけが残った。



 ***



「……なんだったんだろう、あの人」

「分からない。でも……絶対、ただの村人じゃない」


 リュカとフィオナは少女をそっと寝かせ直すと、宿代わりに借りた空き家でその夜を過ごした。


 明かりを落とした室内。

 風の音すら静かで、耳鳴りのような沈黙が続く夜だった。




 そして朝――。


 目覚めても、何ひとつ変わらない村の風景が、そこにあった。


 朝日が村を照らしているはずなのに、人の動きがない。

 鳥の声も、井戸を汲む音も、炊事の気配すらも。


「……夢から醒めてないみたいだな」


 リュカの言葉に、フィオナは小さく頷いた。


 村の中を再び歩き始める。

 あの銀髪の青年――何者かは分からなかったが、彼の言葉には何か“確信”めいた重みがあった。

 だからこそ、無視できなかった。


 家々を巡ると、昨日見かけたように、椅子に座ったまま目を開けた人々が、口々に夢の中の言葉を呟いている。


「……今日は、どんな夢が見られるかな……」

「お母さん……帰ってこない……でも、夢の中では……」


 皆が同じように、目を開いたまま“意識だけ”を夢に沈めていた。

 まるで肉体だけが現実に置き去りにされ、心がどこかへ引き抜かれているような――。




 やがて、村の中央で杖をついた老人と出会う。

 初老の男性はふたりに気づくと、驚いたような目で近づいてきた。


「おお……生きて動いている方がまだいたとは……。わしはギオス。この村の長じゃ。おふたりは?」


「リュカと、フィオナです。ギルドの依頼で、この村に」


 リュカが答えると、ギオスは深く頷いた。


「……夢に呑まれたのじゃ、この村は」


 ギオスは、言葉を選びながら、ぽつぽつと語り始めた。


「数日前から、皆が“夢を見る”ようになった。最初はただの安眠じゃと思っておった。けれど、目覚めない者が出始め……今では、現実と夢の区別がつかなくなっている」


 フィオナは眉をひそめる。


「それって……」


「そう。“夢”に囚われ、そこに逃げ続けているのじゃ」


 ギオスの声には疲れが滲んでいた。


 彼によれば、この村には昔から“夢を喰う魔”の伝承があるという。


「昔話だとばかり思っておったが……今となっては、笑えんわい。

 この村の古井戸のあたり、最初に異変が起きたのも、あそこじゃ。今では誰も近づこうとせん」


 二人は顔を見合わせる。

 塔と同じ――中心に“何か”がある。


 フィオナは、背中に薄く走るぞわりとした感覚を覚えた。


「……視えてる」


「え?」


「気配がある。灰の塔とは違う……けど、似てる。視界の奥に、深く沈んでいく感じ」


 彼女の魔眼は、何かを“視よう”とするように、静かに光を宿しはじめていた。

 井戸の口の奥に、かすかに揺らめく霧のような気配。


 それを見つめていると、突如として背後から声が響いた。


「視えているんだね。……君のその目は」


 振り返ると、そこに立っていたのは――やはり、あの青年だった。

 銀の髪、灰色の瞳。そして、どこか夢のように焦点の定まらない表情。


「……昨日の、君か」


 リュカが少し身構える。


 青年は、どこか微笑んでいるような、けれど感情の読めない目でふたりを見ていた。


「昨日のことを覚えてくれていて嬉しいよ」


「君はいったい何者なんだ?」


 リュカのその問いに、青年は、わずかに顔を傾けて言った。


「名前は……いや、今はやめておこう。いちおう、この村に身を寄せている者さ。

 ただ……“ここにいる”のが現実かどうかも、僕にはもう、よくわからないけどね」


 フィオナが前に出た。


「あなた、夢の中に……“いる”人、なんでしょう? 本当に、そこから帰ってきたの?」


 その問いに、青年は肩をすくめた。


「君も……視えるんだね。なら話が早い」


 青年の視線がフィオナの目に吸い込まれるように向けられる。

 その瞬間、フィオナの魔眼が脈打つように熱を帯びた。


 ざらりと、空気が揺れた。


 青年の中に、“なにか”がある。

 夢ではない、“深層”の感情。闇に沈みきった記憶の断片。


「……あなたの中に、“誰か”がいる」


 フィオナの声が震える。


 彼は目を伏せる。


「……見てほしくなかったな。

 でも、そうか。君の魔眼は“過去と真実を視る目”だったか。

 やっぱり、あの塔と同じ……いや、それ以上のものだね」


「君、塔のことを……?」


「知ってるよ。だから、君たちがここに来たのも……“夢”の導きだと思った」


 リュカが半歩踏み出す。


「じゃあ教えてくれ。……この村で何が起きてる? 君はそれを知ってるんだろ?」


 しかし青年は、静かに首を横に振った。


「知っていることと、伝えられることは違うんだ。

 僕が何を語っても、それが“現実”だという保証はない」


「ふざけるな……!」


 リュカの語気が強まる。だが、その背後でフィオナが静かに言葉を挟んだ。


「……怖いのね。あなた自身が、もう夢と現実の境界を見失ってる」


 青年の表情が、そこで初めて揺れた。

 無感情の仮面に、微かに“ひび”のようなものが入る。


「君の目……とてもよく視えるね。

 僕が“なにを失ったか”まで、いずれ辿り着いてしまうだろう」


 その言葉を最後に、彼はふたたび歩き出す。

 今度は、井戸の向こうではなく、村の奥へと。


 リュカが追いかけようとするのを、フィオナが手で制した。


「……リュカ、追わなくていい。彼の“中身”を感じた。今はそれで十分」


 静けさが戻った井戸の前に、再び二人だけが残される。

 魔眼がいまだ微かに共鳴していた。


「リュカ……あの人、“夢”の中に取り残された人だ」

「……そうかもしれない。でも、まだ助けられるなら……」


 井戸の底へ――心の底へ。

 この村に起きていること、その真実に、踏み込まなければならない。



 ***



 日が傾き、村の空に赤が差し始めたころ。

 ふたりは再び井戸の前に戻っていた。


 井戸の奥から立ち上る、わずかな気配。

 それは風に乗るでもなく、視線を返すでもなく――ただ“そこにいる”という、圧のようなもの。


「リュカ。少し、だけ……視てみたい」


 フィオナが言った。


「でも危険かもしれない」


「意識を深く落とさなければ、多分……大丈夫」


 そう言ってフィオナは一歩、井戸へと近づく。


 魔眼が、開かれる。塔で継承されてから、彼女の瞳はそれまでと違い、蒼く、強く光るようになった。


 フィオナの眼が井戸の奥を捉えた瞬間――視界が“裏返った”。


 景色はひび割れ、色を失い、現実の輪郭が剥がれていく。


 見えてきたのは、“夢の世界”と重なったこの村のもうひとつの顔。

 眠りの中に沈んだ人々の記憶が、空間に滲んでいる。


 老人が泣いている。

 子どもが家族の手を振りほどいて駆けていく。

 若い女性が誰かの墓の前で、言葉もなく立ち尽くしている。


 それらは“記憶”であり“夢”だった。


 過去に縋り、望み、抗えず、そこに閉じこもった人々の心が――村全体にしみ込んでいた。


 そしてその中に、一瞬。


 フィオナは銀髪の小年の姿を見た。


 誰かの手を握り、崩れゆく小屋の中で叫んでいる。

 目の前で何かが消えていく。


 声にならない悲鳴。

 胸に突き刺さる、喪失の感情――。


 


「――フィオナ!!」


 リュカの声が、現実へ引き戻す。


 はっと目を開くと、視界は夕暮れのままだった。

 けれど、彼女の頬には、ひとすじの涙が残っていた。


「……ごめん。ほんの少しだけ、深くまで視た」


「平気か?」


「うん。でも……わかった。

 この村の“夢”はただの現象じゃない。記憶に寄生して、心の隙間に入り込んでくる。

 誰かを想う気持ちが強いほど、そこに縛られて抜け出せなくなる」


 フィオナの言葉に、リュカは深く頷いた。


「それじゃ……村の人たちはきっと、その中に何か――誰かを……」


「きっと、失った誰かを今も夢の中で探してる。だから、現実を受け入れられずにいる」


 空気が冷えていく。

 陽が落ちるにつれ、“夢”の世界がふたたび濃くなるのを、フィオナの魔眼は察知していた。


 村の上に、見えない膜が一枚、そっと降ろされるような。


「リュカ……私、今日の夜、夢に入る」


「夢に……入る?」


「わたしの魔眼なら、行ける気がする。……でも、危ないかもしれない」


「だったら、僕も行く。君だけに行かせない」


「でも、リュカは――」


「僕は“君と一緒に夢を見たい”って、言ったよね」


 その目は、揺れていなかった。

 フィオナは少しだけ、唇を噛んで……ふっと微笑んだ。


「……うん。そうだったね」


 その夜。

 ふたりは再び村の空き家に戻り、静かに目を閉じる。


 フィオナの魔眼が、閉じた瞼の奥で光を帯びる。


 “夢の檻”の扉が、静かに、軋みを上げて開かれていく――。



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