魔眼の真実
塔の奥へと進むたびに、空気が変わっていく。
ただ冷たいだけではない。重い――というより、“静かすぎる”のだ。
フィオナが一歩、足を止める。
その片目が、今までとは違い淡く青く光っていた。
「……この先だと思う」
小さく言った彼女の声に、リュカは黙って頷いた。
道の両脇には、ところどころに残された古い遺留品があった。欠けた剣、潰れた鞄、朽ちた革の外套。それらが何を物語るのか、リュカ達は聞かなくても理解できていた。
けれど、二人は止まらない。
リュカはフィオナの背中を見て、その一歩を信じて進む。
やがて、壁に変化が現れた。
古代語と思しき記号、幾何学的な文様。そして――その中に、見慣れた“文字”があった。
「……アーク……」
リュカは思わず、指でなぞっていた。
「リュカ、それって……」
「うん。僕の姓だよ。アーク家の……名前だ」
彫られた家紋も、間違いなくリュカの家に代々伝わっていたものと一致していた。
まるで、ここに来ることが“定められていた”ような気がした。
通路の奥には、小さな円形の部屋がぽっかりと口を開けていた。
中央には台座があり、その上に、ひときわ存在感を放つ古びた本が置かれていた。
「これ……」
フィオナが、片目を細めた。
リュカは無言で近づき、そっと本に触れた。
その瞬間、フィオナの“魔眼”――左目が、淡く光を帯びる。
直後、視界がふわりと歪み、光の粒子が舞った。
そして、そこに映し出されたのは――
――一人の女性の姿だった。
長い黒髪。柔らかな微笑み。
それは、間違いなく……リュカの母さんだった。
『リュカ。これを、あなたが読んでいるのなら――』
口元が、幻の中でそう動く。
『あなたがここへ来る未来を、私は視たの。だから、信じて、これを残した』
その言葉に、心の奥が熱くなる。
涙が出そうになるのを、必死にこらえる。
母が残したもの。それは、ただの手記じゃない。
未来視で“リュカが来る”と信じた母が、リュカのために記した、愛の記録だった。
「……母さん……」
リュカは膝をついた。
震える指でページを開くと、そこには丁寧な筆跡で、魔眼の真実とアーク家の記録、そして“ある運命”が記されていた。
そのすべてが、リュカに語りかけてくる。
「これは……君の家族が、君のために……」
フィオナが小さく言った。
「ああ。未来を信じて……僕を信じてくれた」
リュカは頷き、ゆっくりとページをめくる。
そこに綴られていたのは、ただの歴史じゃない。
手記は、まるで話しかけるように書かれていた。
『魔眼――それは、かつてこの世界に生まれた“九つの視”の力。
その力を持つ者は、世界の真実に触れ、同時に呪いを背負う。』
母の字は、美しく整っていた。
ゆっくりと、リュカはその言葉をなぞるように読んでいく。
『魔眼の継承は、偶然ではない。
血と因果、そして意志。
それらが交差した時、魔眼は“選ぶ”の。』
ページをめくると、九つの魔眼が一つ一つ、名前と力と共に記されていた。
その中で、第七――真眼の項に、母の名前が添えられていた。
「……母さん、真眼の継承者だったんだ」
震える指で、リュカはその名に触れる。
“セリア・アーク”。それは、リュカが覚えている母の名前。
「フィオナの持ってる魔眼と……同じ、だね」
隣で、フィオナがぽつりと呟いた。
彼女の片目が、一瞬、柔らかく揺れた気がした。
母がかつて継いだ魔眼が、今は彼女の中にある。
それは単なる偶然じゃないと、今なら分かる。
そして、次のページ。そこには“ある言葉”が、濃く、強く、書かれていた。
『双き者――ならびきもの。
この存在は、アークの血筋にしか選ばれない。
魔眼に干渉できる唯一の存在。』
「……双き者……」
リュカは思わず口にしていた。
『双き者は、魔眼と対を成す。
その在り方は“封”と“解”の間にあり、
魔眼の均衡を守るために存在する。』
読み進めるごとに、リュカの手が汗ばんでいく。
まるで、自分の存在そのものを説明されているようで――怖かった。
手記の余白に、優しい筆跡でこう綴られていた。
『私は、かつてこの塔を訪れた魔眼の継承者の記録を視た。
その者は、誰かと共に塔へ辿り着き、真実に触れた――
私は思ったの。あれは、あなたと誰かの姿だって。
確信なんてなかった。でも、そうであってほしいと、私は……信じたの。』
その一文が、胸の奥にじんと染みた。
母は未来を“視た”わけじゃない。
けれど、過去に映った似た誰かを、リュカに重ねて――信じた。
それだけで、こんなにも温かくて、こんなにも強い。
「リュカ……」
フィオナがそっとリュカの手に触れた。
目を上げると、彼女の片目に――過去と現在が混ざったような揺らぎが映っていた。
「私は……君が、双き者でも、そうじゃなくても、リュカであることには変わりないって思ってるよ」
その言葉が、優しかった。
リュカは深く息を吐き、続きを開く。
そして、最後の数ページには、“とある危機”について記されていた。
『九つの魔眼のうち、もっとも強く、もっとも破壊的な眼――第九・滅眼。
視たものを“崩壊”させる、その力は、不完全な継承者の手に渡れば、世界をも脅かす。』
そこに描かれたイメージは、見開きの半分を黒く塗りつぶすような衝撃だった。
『我々は、その存在を“封眼”により封じた。
だが、それも永遠ではない。
いずれ、誰かが滅眼に辿り着くだろう。
そのとき、双き者が必要になる。』
――封眼と滅眼。対となる存在。
そして、それに関わる唯一の存在が“双き者”だというのか。
視線を感じて顔を上げると、フィオナがまっすぐリュカを見つめていた。
「……リュカ。あなたが、何を選んでも――私は、そばにいるよ」
「……ありがとう、フィオナ」
震えが、少しだけ収まった。
ページを閉じたその瞬間――
塔の空気が、変わった。
石壁に刻まれていた魔法陣が、淡く青く輝き始めた。
「これは……!」
リュカが思わず声を上げると、足元にある石盤が静かに動き出し、“下へと続く道”が開かれていく。
塔は、道を示した。
この手記を読んだ者だけが、辿るべき“真の深部”への道を。
床に刻まれた魔法陣が、淡く青く輝きながら石を動かし、重く鈍い音を立てて開いていく。
その下に現れたのは、暗く、深く、まるで奈落のような階段だった。
「……下に、道ができた……」
リュカは呟いた。空気の温度が変わった気がした。まるで、そこから異なる世界が口を開けているようで。
フィオナは、静かに歩を進める。彼女の片目が、かすかに光っていた。
この空間に満ちる“魔眼の残滓”を感じているのだろう。
リュカも一歩を踏み出そうとして、ふと足を止めた。
「……正直、怖い」
言葉が喉から漏れた。
「自分が“選ばれた”なんて、今でもよく分からない。
母さんがそう思ってくれてたのは……嬉しいけど。
僕は、本当に……“そこに進む資格”なんて、あるのかな」
自分でも分からない感情が、胸の内で渦巻いていた。
双き者? 滅眼? 封印? その言葉たちが、重くのしかかる。
「僕には、特別な才能もないし、戦ってきた過去だって、みんなの足を引っ張ってばかりだった。
“スキル”だって、あんな扱いだったし……」
気づけば、かつての記憶がよみがえる。
仲間たちの冷たい目。
「無駄飯ぐらい」「お前なんかいなくても」――そんな言葉。
それでもリュカは歩いてきた。
それでも、ここまで辿り着けた。
けれど今、この先に進むには、何かを越えなければならない気がした。
そんなリュカの手を、フィオナが静かに握った。
「私は、知ってるよ」
その声は、はっきりとした芯を持っていた。
「リュカは、ちゃんと見てる。
誰よりも、周りを気にして、誰かの痛みに気づいて、危険を感じて、先に動ける。
それが、どんなにすごいことか――リュカは、自分で分かってないだけなんだよ」
彼女の片目が淡く輝く。そこに、揺らぎはなかった。
「スキルがどうとか、選ばれたとか、そんなの関係ない。
君は、“今ここにいる”だけで、もう――私にとって、特別だから」
心臓が、強く脈打った。
自分のために、ここまで言ってくれる人がいる。
誰かの言葉で、自分を縛っていた鎖を、今、フィオナが解き放とうとしている。
リュカは、彼女の手を握り返した。
「ありがとう、フィオナ。
……なら、行こう。僕は、僕のままで、この塔の奥に進むよ」
不安がすべて消えたわけじゃない。
でも、それでもいい。恐れたままでも、一歩ずつ、進めばいい。
二人で、深く深く降りていく。
石の階段を進むたび、空気が変わる。
まるで、空間そのものが少しずつ、時を越えているかのようだった。
壁には、過去の記録のようなものが刻まれていた。
古代文字、象形のような印、そして――魔眼を象る円形の模様。
「これ……全部、魔眼の記録……?」
「……ううん、たぶん、“魔眼を巡る戦い”の記録……だと思う」
フィオナが指差した壁画には、一つの眼に人々が膝をついている場面。
次の場面では、その眼を囲うように、複数の眼が対峙していた。
「……これは、滅眼と、他の魔眼……?」
「分からない。でも、何かが始まったのは……この“最奥”だったのかも」
やがて、階段は終わりを迎えた。
そこに広がっていたのは、まるで神殿のような、開けた空間。
中心には、丸い祭壇。
その周囲には、魔眼の印が九つ刻まれている――ただし、一つだけ、砕けた痕跡がある。
「……滅眼の……座?」
リュカの言葉に、フィオナは頷いた。
そして、祭壇の裏側。
そこに、再び“文字”が刻まれていた。
母の筆跡ではない。けれど、明らかに“誰かが遺した記録”だと分かる。
『ここに、封じた。
滅びの眼を、再び解かぬために。
もしこの封が破れたならば――
双き者よ、魔眼を導け。』
「……僕たちが、来るべき場所だったんだ……」
リュカは小さく呟いた。
父と母がここへ来た理由。
そして、自分が今ここに立っている理由。
全てが、ひとつにつながっていく。
塔の最奥――
すべての始まりにして、すべての“封じ”の場所。
リュカとフィオナは、並んで立っていた。
それぞれの歩んできた道と、今ここにいる意味を胸に抱いて。
「リュカ」
フィオナが、ぽつりとリュカを見上げる。
「もし……この先、君が“特別”じゃなくなっても――私は、君の隣にいるから」
その言葉に、リュカは静かに頷いた。
「うん。……僕も、君の隣にいたい。
誰かを守るって、きっと……そういうことなんだと思う」
父と母がそうしてくれたように。
リュカも誰かを守りたいと思った。
それが、怖くないって、今なら言える。
振り返ると、階段の先に淡い光が差し込んでいた。
塔の上層から、夕暮れの陽が射している。
二人の少年少女は、ゆっくりとそこへ歩き出した。
まだ、この物語は終わらない。
けれど――ようやく、ほんの少しだけ、踏み出せた気がする。
そして、二人がその場を離れた時――
祭壇の奥、砕けた“滅眼”の紋のさらに下で、
――“なにか”が、脈動した。
これにて一章「視えない力と視える真実」は終わりになります!
思い付きと勢いのみでここまで書いてきましたが、あちこちに話の風呂敷を広げては、置いてきたままなので、これからどんどん話が進むにつれて、一つずつ回収できればいいな……なんて思ったり。
そしてここまで読んでくれた皆さん!
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二章からはぼちぼち毎日一話から二話ずつ投稿になります!
新たな眼やそれを取り巻く事件に二人が巻き込まれますが、二人なら立ち向かっていけるでしょう!ご期待くださいませ!