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第三話 敬意なき英雄

 その街は、小さな祭典の最中だった。


 古い神殿の再興を祝う儀式。

 地方での開催にもかかわらず、今回は“勇者パーティ”が招かれているとあって、広場は大いに賑わっていた。


「――彼らが、勇者様か」


 人々の歓声の先に、白銀の鎧を纏った青年がいた。


 赤いマント、まっすぐな眼差し。

 その姿はまさに絵に描いたような“英雄”。


 だが――俺たちは、少し離れた場所から、その様子を眺めていた。


「……どうも、振る舞いが軽すぎる気がします」


「ええ。少なくとも、“見られている”という自覚は薄そうね」


 リリスの言葉に、俺は頷く。


 そのときだった。


 群衆の間を抜け、リリスがふと角を曲がった先――

 勇者パーティの一団と鉢合わせた。


「あ……」


 最初に声を上げたのは、パーティの一人、神官風の少女。

 その目が、リリスの瞳に注がれた瞬間、表情が引き攣った。


「……紫の瞳?」


 次の瞬間、勇者本人が、あからさまに顔をしかめた。


「おい。魔族か? 何でこんなとこに紛れ込んでんだ」


 その声は、大して大きくもないのに、やけに耳についた。


 リリスは目を伏せる。

 何も言わず、ただ軽く頭を下げただけだった。


「……私たちは通りがかっただけです。どうぞ、お構いなく」


「お構いなく? いやいや、構うだろ普通。

 紫の瞳なんて、俺ならすぐ排除してるぞ。

 ……ってか、お前ら、こいつ止めろよ。誰か通報しろよ」


 従者たちは苦笑し、誰も止めない。


 だが――そのとき、パーティの後方で黙っていた一人の男が、静かに顔を上げた。


 黒衣の上から白のマントを羽織り、背筋を伸ばした老境の男。

 その目だけが、どこまでも澄んでいた。


 彼は、何も言わなかった。

 ただ、リリスを見て、わずかに頭を下げた。


「……」


 リリスは、その目を見返して、一拍の間の後にまた軽く頭を下げ返した。


 それだけのやりとり。


 けれど俺には、はっきりと分かった。


 このパーティの中で、本物は“あの人だけ”だ――と。


「姫、行きましょう」


「ええ。ここにいる理由もありませんしね」


 俺たちはそのまま通り過ぎた。

 背後で、勇者の嘲笑が聞こえたが、もう意味はなかった。


 なぜなら、“あの人”が見ていたからだ。



 翌日。

 俺たちは神殿の資料室で、封印魔法の古記録を閲覧していた。


 リリスの目的は、母の仇討ちに繋がる痕跡を探すこと。

 昨日の出来事など、彼女にとっては些事に過ぎない。


 ……だが、祭典はまだ続いていた。


「おい、聞いたか? 昨日、勇者様が混血女に絡まれてたって」


「まさか魔族が紛れ込んでたなんてな。街の結界はどうなってんだよ」


「勇者様がいなかったら、あの場どうなってたか……」


 廊下を通る者たちの声が耳に入る。


 ――嘘が、もう“事実”として流され始めていた。


 レオンとしての俺は、剣を抜くようなことはしない。

 だが、胸の内で冷たく判断する。


 この街の空気は、すでに“勇者の言葉”を鵜呑みにする準備ができている。


「レオン。……抑えてくれて、ありがとう」


 リリスが、そっと俺に視線を送る。


「私は慣れていますから。……あなたが怒ってくれることが、少し嬉しかったわ」


「……姫は、何も悪くない」


「知っています。でも、“そう言われる”のが常なんです。……ふふ、ひどい仕組みでしょう?」


 そのとき。

 神殿前の広場から、大きな怒声が響いた。


「こんなところで魔法を使ってんじゃねえよ!!」


 広場に出ると、勇者が一人の老神官に声を荒げていた。


「説明が長ぇんだよ! 回りくどい!

 この国、ほんっとに“頭でっかち”な奴ばっかだな!」


 彼の声はよく通る。

 その場にいた者たちが、戸惑いながらも誰も止められない。


「勇者様……その方は神殿長で……」


「はあ? 何それ。偉いの? だったらなおさら、もっと分かりやすく喋れよ。

 “神の代理”だかなんだか知らねぇけどよ、戦場に出たことあんのか?」


 そのとき――

 昨日、沈黙していた“あの男”が、また静かに前へ出た。


 白のマントが、広場の光を受けて微かに揺れる。


「言葉が理解できないのは、話し手の責任ではない。

 “聞く耳を持たぬ者”の方に、問題があると心得なさい」


 勇者が振り返る。


「は? 何だよ、じじい。お前……パーティにくっついてきただけの書記官だろ?」


「……そう思うなら、それで構いません。

 ただ、あなたがその言葉を口にしたことは、記録しておきます」


 男はそう言って、再び静かに神官に頭を下げた。


「私からもお詫びを。

 この方はまだ、“言葉の重み”を知らぬ若者です」


 リリスは、その光景を少しだけ遠くから見ていた。


「……あの方、本物ね」


「ああ。口を開かず、見て、待ち、必要な時だけ言葉を選ぶ」


「レオン。――私たち、“見つけた”かもしれないわ。

 今の勇者ではなく、“残すに足る言葉を持つ人”を」


 俺たちは、まだ何もしていない。

 けれど静かに、舞台は整いつつあった。


 午後の神殿前広場は、ちょうど子どもたちの魔法教室が開かれていた。


 初歩の防御結界、簡易回復術、集中力の訓練。

 市民に開かれた教室は、リリスが調査の合間に見学を希望した場所でもあった。


「かわいいですね。ああして魔法に向き合う姿」


「緊張しながらも、信じてますからね。自分にも力があるって」


 俺たちが静かに見守るその横で――

 騒ぎが、唐突に起きた。


「なぁにやってんだこいつら。ぬるい、ぬるすぎる」


 広場に現れたのは、またしても“勇者”。


 彼は笑いながら、子どもたちが組んだ小さな結界を一蹴した。


「結界ってのはな、こうやって……叩き割って入ってくんだよ!」


 風圧と共に、子どもの詠唱が崩れる。


「やっ……!」


 転んだ子どもを、リリスがすかさず抱きとめる。


「大丈夫。……怖くありませんよ」


 勇者はそんな彼女を見て、また鼻で笑った。


「なんだよ、また“混血女”か。お前らって、こういうの好きだよな。“弱者に優しい”とかさ。

 でも、正義ってのは“戦える奴”の側にあるんだよ?」


 それを聞いた瞬間、

 昨日まで黙っていたあの男が、ついに歩み出た。


 杖も剣も持たない。

 ただ静かに、勇者の前に立ち、口を開いた。


「……あなたが正義を語るなら、

 その言葉に見合うだけの“矜持”を持ちなさい」


「……は?」


「私は王家直属・対魔審問局筆頭、“グレイ審問官”」

「あなたの言葉と行動は、すべて記録され、王都へ提出されます」


 勇者の顔色が変わった。


「なっ……そんなの聞いてねえ! お前、ただの記録係じゃ――」


「誰が、あなたにそう言ったのですか?」


 その声音は、凍てつくほど冷たかった。


「レオン」


「はい、姫」


「……もういいわ。この場に“意味”はなくなったから」


 リリスは、膝を擦りむいた子どもに微笑みを向け、軽く結界の残りを整えてやる。


「怖がらなくて大丈夫。……魔法は、守るために使うものです」


 そして、静かに歩き出す。


 誰も、止められなかった。


 勇者は、ただ呆然と立ち尽くし、

 その背後にいた“本物”だけが、深く静かにため息をついていた。


 神殿上層――賢聖院の会議室。

 正面に王家の紋章、左右に審問局と聖堂の代表席。


 その場に集められたのは、勇者とそのパーティ。

 そして、“名指しされた”当事者、リリス=アズラーリ。


 だがリリスは、この場に招かれたことにさえ、驚いた様子を見せなかった。

 むしろ、最初からすべてを知っていたように、整った姿勢で座っている。


「本日の議題は、“神聖式典中における不適切な言動と行為”についての聴取です」


 そう開会を告げたのは、グレイ審問官。

 王家直属の特権を持ち、正規の騎士でも止められぬ“知の裁き人”。


 勇者は顔をしかめ、椅子に踏ん反るように座った。


「チッ……なんだよ、たかが混血の女一人に。

 こっちは命張って戦ってんだぜ? 戦場を知らねぇ学者に何がわかんだよ」


 その言葉に、周囲の空気がぴたりと止まる。


 グレイ審問官は、静かに口を開いた。


「……あなたが語った“戦場”とやらは、

 市井の子どもに魔法を向け、神殿長に暴言を吐き、

 混血と見れば魔族と断ずるほど、狭い世界なのですか?」


 勇者の顔が引きつった。


「っ……あ、あれは……! おかしなやつがいたから注意を――!」


「私はすべてを見ていました。

 ……あなたの“英雄”という名の仮面が、

 人を傷つけるために使われていたことを」


 レオンがその横で小さく息を吐いた。


「……裁きは、もう終わっているようなものですね」


「ええ。あとは形式だけ。……“どう落とすか”だけです」


 リリスはそれでも、何も言わなかった。


 審問官は、最後に静かに言葉を告げる。


「本件により、勇者ラウル・フェリスタの称号は保留とし、

 王都における再教育および、言動の見直しを義務づけます」


 ガタッと椅子の音が響く。


「待てよっ!? 俺は勇者だぞ! 国に選ばれた英雄だぞ!? なんでそんな――!」


 そのとき。

 今まで何も言わなかったリリスが、はじめて口を開いた。


「“国に選ばれた”という言葉で、人を見下すのであれば――

 あなたの“勇者”とは、誰のためにあるのですか?」


 その問いに、誰も答えられなかった。


 勇者パーティの聖女が、うつむきながら涙を拭い、

 魔術師が「……すまない」とだけ呟いた。


 リリスは、何も追わず、何も罵らず、

 ただ一礼し、静かに席を立つ。


 それは、

 裁かれたのは“言葉”ではなく、“人”だったという、無言の示しだった。


 あの裁きから、三日が過ぎた。


 街の喧騒は次第に落ち着きを取り戻し、

 勇者一行は予定より早く、王都へと戻ったという。


 再教育、称号保留、旅の一時中断。

 ――形としては、それだけの処分だった。


 けれど、それで充分だった。


「もうこの街に、私たちの用はありません」


 リリスはいつも通りの落ち着いた声でそう言い、旅支度を整えていた。


 宿の主人は、何度も頭を下げていた。


「こんなことになるなら、あのときもっと強く言っていれば……申し訳ありません」


「いえ、何も。……私は、別に傷ついてなどいませんから」


 リリスの微笑みは静かで、けれどどこか遠くを見ていた。


 俺たちは東門へと向かう。

 人の少ない道。

 いつものように、誰にも見送られずに。


 ……だが、門を出る直前、

 そこに一人、佇んでいた男の姿があった。


「……お二人とも」


 グレイ審問官――いや、“王家直属審問局筆頭”の彼が、

 杖を手に、ほんの少しだけ微笑んでいた。


「ご挨拶をと思いまして。……本来、私の立場からはするべきではないのですが」


「……お別れに来てくださったのですか?」


「ええ。ほんの短い間でしたが、私は貴女から“敬意の意味”を学びました。

 それだけで、出会った価値があると、私は思っています」


 リリスは、少しだけ目を伏せて、


「……ありがとうございました。

 あなたの言葉があったから、私は何も言わずに済みました」


「私の言葉など必要ありませんでしたよ。

 “あなたが黙っていたこと”こそが、あの場で最も雄弁でした」


 それ以上、何も交わされることはなかった。


 ただ、深く丁寧に交わされた一礼。

 それだけが、すべてのやりとりだった。


 やがて、俺たちは街を後にする。

 街の背後には、白い神殿の尖塔が遠くに見えていた。


「レオン」


「はい」


「……また、どこかで誰かに見下されるのでしょうね。きっと」


「そのときも、黙って通り過ぎますか?」


 リリスは、ほんの少しだけ唇をゆるめた。


「ええ。どうせ最後は、頭を下げてくるのだから」


 風が吹いた。

 彼女の髪が揺れ、旅の匂いがまたひとつ、静かに始まった。


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