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恋愛系短編集です

王子なんてろくなもんじゃない

 アパートの狭いベランダで上着を着込み、冴え冴えとした三日月を眺めていた。 


「何もきかないんだね」


 肩に乗ったコビトの声はため息混じりだった。


「何を?」


 僕は訊ねる。


「私が何者か」


 コビトは素っ気なく答えた。

 ひと月前、民家の庭から道路に落ちた柿の葉の下に、小さな生き物が隠れているのを見つけた。見た目は人間の若い女性のようだが、身長は20センチもない。透明な羽が背中から生えていたらおとぎ話に出てくる妖精そのものだった。

 コビトは自分のことを姫だと言った。

 家出中で行くあてがないというので、僕の家、といっても賃貸アパートの一室で保護している。


「寒いね」


 姫は肩から腕を伝って僕の手の甲まで降りてくると、ベランダの手すりに降り立って僕を見上げる。


「温かいお茶が飲みたい」


 そう言われ、僕はカイロ代わりに手に持っていたお茶のペットボトルを開け、オレンジ色の蓋にお茶を注いだ。

 姫は大事そうに、少し重そうに蓋を受け取る。


「素敵な香り」


 そう言って一口飲むのだけれど、決まってくちびるの端からお茶がすこし溢れてしまう。


「もう」


 コビトの姫はイライラとして蓋を僕に返した。


「うまく飲めない」


「そりゃ蓋だから」


 僕はポケットからティッシュを取り出す。ペットボトルの蓋は、コビトが液体を飲むために作られていないから。


「そうね。蓋だものね」


 姫はティッシュを受け取ってゴシゴシとお茶を拭った。


「それで、姫は何者なの?」


「お姫様」


「どこの?」


「どこかの」


 けしかけておいて答える気がないのか。苦笑いの僕から目をそらし、姫は手すりに腰掛ける。


「王子様を探していたの」


 ぼんやりと月を見上げてポツンと言った。


「私との結婚が嫌で、王子はコビトの世界から人間の世界へ逃げ出したの」


「……ヒドイ男だね」


「そんなことない。素敵な人だった」  


 姫から逃げ出したのに。素敵なわけない。


「その王子に会ったことあるの?」


「もちろん。会ったことない人を探せないでしょ。でも、まあ、遠くから見ただけで話したことはないんだけど」


「王子なんて、きっとろくなもんじゃないよ?」


「だからそんなことないって! 理由があったの!」


 王子を庇う姫から僕は目をそらす。


「姫のように?」 


「意地悪な言い方ね」


 姫は僕を少し睨んだ。


「ごめん。でも、不思議なんだ。どうしてそこまでして王子を探したかったのか」


 本当なら、コビトは冬になる前に元の世界へと戻らないといけない。人間の世界からコビトたちの世界へ。

 その掟を破ってまで、一人でここに残ったのはどうしてなのか。


「知りたかったの。だから、どうしても帰りたくなかった。今でも王子に聞きたい。私から逃げた理由を」


 姫は一人黙って再び月を見上げた。


「姫。暖かくなって桜が咲いたら一緒に見に行こう。きれいだよ。夏は花火が見えるよ。このベランダからもみえるんだよ」


 僕はその横顔に投げかける。何を焦っているのだろう。自分でもわからない。でも、姫が僕のもとから去ろうとしているような気がして、静かに胸が痛いのだ。

 ふと、姫が振り返る。


「あなたみたいな人が王子様ならよかった」


「僕?」


「素敵な香りのお茶をくれる人」


「このお茶を作っているのは僕じゃないよ」


「いいの、そんなこと」


 黙り込む二人の間に冷たい風が吹いて、頬を冷たく撫でていく。


「そろそろ戻りましょ」


「でも」 


 僕は戻りたくなかった。


「彼女なら許してくれるよ」


 窓の向こうの温かい部屋の中で、僕の彼女が待っている。喧嘩中の彼女が。

 つまらないことで言い争って、険悪になった。いつものことだ。そうなるといつも僕はベランダへ逃げる。彼女は黙って、僕の気持ちが落ち着くのを待ってくれる。今夜もそうだ。


「許してくれるかな」


 喧嘩の理由は、彼女が僕の両親についてまた訊ねたからだ。


「彼女なら大丈夫だよ」


 僕の差し出した手に姫は飛び移った。僕らは顔を見合わせ、確かめるように微笑み合う。それから、そっと姫を自分の肩に乗せ、ペットボトルのお茶をスボンの後ろポケットにねじ込むとベランダの窓を開けた。 

 途端、暖かい空気といい匂いに包まれる。


「クリームシチューね」


 姫が耳元で囁いた。クリームシチューは彼女の得意料理で、市販のルーでは出せない優しい味がする。

 カウンターの向こうのキッチンで洗い物をする彼女が顔を上げた。僕は大股で彼女のもとへと向かう。


「ごめん」


 僕が言うと、


「わたしこそ、ごめん」


と、彼女は笑う。


「夕飯にしよう」


「うん、手を洗ってくる」 


 僕は洗面所へと急いだ。

 洗面台の鏡に映る僕は少しにやついている。彼女の笑顔を見ることができて安堵したのだ。

 手を洗う僕の肩で、ふと姫が僕の耳たぶを引っ張った。


「何故私が見えるの?」


 僕はハンドソープの泡を洗い流す。


「秘密」


 そう答えたけれど、姫はどんな顔をしているのだろう。姫の姿は鏡に映らないからわからない。

 あちらの世界の住人であるコビトは、普通人間には見えない。人間になる呪いを自らにかけた愚かな元コビト以外には。人間のニセモノ以外には。

 手を拭くとポケットからペットボトルを取り出して、オレンジ色の蓋を開けて茶を飲む。


「王子なんてろくなもんじゃない」


 僕は自虐的に呟いた。

 素敵な香りに包まれながら、三日月の夜は更けていく。

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