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01 婚約破棄の理由


「アマンダ嬢、貴女との婚約は破棄させていただきたい」

「クレフティス様、それはどういう意味ですか?」

「どういうもなにも、そのままの意味です」

「それはつまり、わたくしを差し置いて、懇意になった女性がいらっしゃるということですね。どこのどなたですか」


 通りすがりにそんな言葉を聞いてしまったエイミー・サンソンは、さすが王都の有名学院は刺激的だなあと思った。

 田舎育ちで、高等学院へ入学するために都へ来て半年ばかり。話に聞く社交界は、末端の男爵令嬢には物語じみているが、今回のそれは流行の最先端といってもいいだろう。

 学院の裏庭、無観客。そんな場所で、若者向けの大衆演劇に描かれる婚約破棄物語が現実となって目の前で展開されるだなんて、都へ来た甲斐があったというものだ。しかしそれらは「()る」ものであって、婚約者のいない自分には縁がないシロモノ。そのはずなのに。


「彼女です」

「へあ!?」


 いきなり腕を取られ表舞台に引き出されたエイミーは、女優とは程遠い、へなちょこな悲鳴をあげた。



     ◇



「まずは、謝罪をさせてほしい」

「はあ……」


 学院併設のカフェ、その個室。皺ひとつないお仕着せ姿の給仕係が退出したのち、前の席に座っている男が頭を垂れた。

 白銀の髪がさらりと頬を流れ、天窓からの光に反射してきらめく。まるで絹糸のような美しく艶やかな髪をした青年の名は、たしかクレフティス・エトガル・フォルナー。フォルナー公爵家のご子息で、十六歳のエイミーにとってはふたつ年上の先輩だ。入学して半年ほどしか経っていないエイミーですら名を知っているのは、彼がその容姿でもって、とても有名なひとだからである。


 やや青みがかった銀髪は白に近い色で、金髪を主とする王都民のなかにあって異彩を放つ。髪色だけならともかくとして、ルビーのような赤い瞳は異質なものとして映った。建国神話に出てくる『魔の者』の瞳が赤く描かれることもあり、畏怖の対象とされることも少なくはない。

 時代錯誤もいいところだと、エイミー自身は思っている。

 白い毛に赤い瞳、ウサギみたいで可愛いじゃないか。


「巻き込むつもりはなかったのだが」

「まあ、あの状況だと仕方がないかと」

「本当に、すまない」

「あの方、すごい怖かったですもんねえ」


 クレフティスに詰め寄っていた女子生徒は、圧がすごかった。たまたまその場を通りがかっただけのエイミーも、震えて思わず立ち止まってしまうぐらいだ。

 貴族令嬢とはかくあるべきなのか。

 辺境に引きこもっていた男爵令嬢は感嘆の息を漏らすばかりである。


 エイミーの弁に、クレフティスは曖昧な笑みを浮かべた。たしかに自分の婚約者を「怖い」と称する意見に同意はできないだろう。


「ところで本当のお相手は?」

「相手?」

「婚約破棄を告げるからには、いわゆる『真実の愛のお相手』がいらっしゃるんですよね。威圧されて近くにいたわたしをうっかり紹介してしまって大丈夫なんですか?」

「ああ、そのことなら問題はないよ。そんな相手はいないから」

「え?」


 いないのなら、なぜ婚約破棄を?

 頭に疑問符を浮かべるエイミーに、クレフティスは苦笑して事情を説明してくれたが、それは想像していたものとは少々異なっていた。




 さきほどのご令嬢はショーン侯爵家のアマンダ。幼いころから社交界に顔を出していた、十七歳にしては大人びた顔つきの貴族令嬢だ。

 ショーン侯爵家はライバルである別の侯爵家と競い合っており、とにかく相手の上をいくことに執念を燃やしている。

 アマンダもまたそういった親の影響を色濃く受けており、自身の婚約者へも高いステータスの人物を求めた。そうして彼女が見出したのが、クレフティスであったらしい。


 クレフティスはその容姿も相まって、あまり表には出てこない少年時代を過ごした。両親も幼い子どもを悪意に晒すことを避けていたため、籠りがちなクレフティスに無理を強いることはなく、必要最低限の交流のみで暮らしてきた。

 そんな生い立ちでも公爵子息、さらには第一王子のランベール殿下の乳兄弟という立ち位置は、アマンダにとって大きな魅力になった。見た目がおかしいぐらい、些細なこと。


 侯爵家からの申し出に、クレフティスの祖父母は難色を示したが、両親は了承した。この先、自身の息子にこういった縁が発生するかわからないと考えたのだろう。

 貴族の子として、クレフティスもまた婚約を受け入れる。「そういうものだ」と思ったし、変わった見た目をしている自分に声をかけてくれた感謝も少なからずあったこともたしかだ。


 以来、それなりの対応はしてきた。婚約者に対する振る舞いとして、常識に外れたことはしていないと思うし、相手から不満をぶつけられたことはなかった。

 学院を卒業すれば、そのまま婚姻を結ぶことになるのだろうと考えていたが、ここで転機が訪れた。第二王子ベルナールがアマンダに懸想したのだ。




「あら、まあ。それもまた戯曲みたいですね。第二王子殿下のためを思って、クレフティスさまは身を引かれたのですか? 嘘をついてまで?」

「どうだろう。頼まれたことはたしかだけど、ベルナールの我儘に付き合ってやったのは、アマンダ嬢の気持ちを知りたかったというのもあるのかもしれないな」


 アマンダが求めているのは、未来のフォルナー公爵夫人という肩書なのだろうという疑惑は、クレフティスの中でくすぶっていた。貴族間の、親が決めた婚約に恋情が介入することは稀だと知っているけれど、親愛の情ぐらいはあってほしいと願うのは、我儘ではないはず。


 逢瀬の場でも扇で口許を隠し、微妙に視線を外しながら会話をするアマンダ。

 本音を見せない、上滑りするだけの会話に疲弊していたクレフティスにとって、今回の騒動は自分たちの関係を見直すキッカケになればと思ったらしい。


 破棄を告げたあとのアマンダの顔は、焦りに満ちていた。

 公爵夫人への執着、相手の有責による婚約破棄によってもたらされる利益、より自分に優位になる形に持っていくための策。

 瞬時にそういったことまで脳内に巡らせているようすが見て取れて、感心するとともに落胆も覚えた。やはり彼女にとって自分は、お飾りなのだ、と。


 切なそうに微笑むクレフティスに、エイミーはなんと声をかけていいのか悩む。恋愛には無縁だったので、対処法がわからない。演目としての恋愛劇には精通していると自負するが、それは現実に即していないことぐらい、さすがに理解している。



「今後はどうされるおつもりなんですか? あれは王子の気まぐれで、振り回されただけなんだーって、ネタばらしをして元鞘に収まるのでしょうか」

「ベルナールの出方次第ではあるけど、王子から想いを寄せられていると知れば、アマンダ嬢は僕よりベルナールを選ぶのではないかな」


 達観したように言うクレフティス。彼の語るショーン侯爵令嬢の姿がそのまま本当ならば、たしかにそうかもしれない。

 けれど、彼女はあくまでも被害者としての立場を保ちつつ、王子からの求愛を受け入れるポジションを望むのではないだろうか。男性有責にするために、浮気相手を用立てる可能性が高い。ハニートラップというやつだ。


「彼女は侯爵令嬢だよ、自身の手を汚すようなことは、さすがに」

「ハニトラを甘くみてはいけませんよ、クレフティスさま」

「……君はそういう経験が?」


 そんな芋娘みたいなナリをしているのに? という聞こえない声を勝手に受信したエイミーは頭を振って、否定の意を示す。癖の強い薄茶色の髪が揺れた。

 彼女の知識はすべて物語から得たものだ。興行すらおこなわれない娯楽の少ない田舎において、読書は唯一の娯楽にして身近な友。それらは決して現実ではないけれど、大衆受けするパターンは心得ている。


「よろしければ協力しましょう」

「というと?」

「うっかりとはいえわたしを紹介してしまったのですから、そういうことにするんです。王子殿下が事を成したあと、わたしとは円満にお別れすれば問題ありません」

「ちょっと待ってくれ。それでは君に利がないではないか。こちらの事情で迷惑をかけるわけにはいかないよ」


 慌てたようすでクレフティスが言い、エイミーの説得を開始する。

 公爵家のご子息なのだから、ふんぞり返って命令してもいいぐらいなのに、なんという低姿勢。

 エイミーは感動とともに宣言した。


「利はありますよ。うちは自然だけが取り柄の田舎の貧乏貴族でして、王都(こちら)にまったく伝手がありません。わずかな期間とはいえ公爵家と縁ができるだなんて、親に褒められる案件ですよ。むしろお礼を言いたいぐらいです」


 あそこを通りがかったわたし、グッジョブ! と、ニコニコ笑顔のままでエイミーは続ける。


「婚約破棄にかかわる浮気相手は男爵令嬢と相場が決まっていますから、むしろ納得されるのではないでしょうか。せいぜい嫌な女を演じてみせますよ」



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