悪役王女、名誉失墜 !
天井から下げられたシャンデリアが眩しい光を放っていた。
王宮の広間。大勢の貴族とその婦人や娘たちが集まっている。総勢で二百人ぐらいであろうか。
大理石の床には長い絨毯が敷かれている。広間の入り口から奥の玉座へと真っ直ぐに。それは貴人が歩むための通路だ。
貴族とその子女たちは、長い絨毯の両脇に立って、緊張した面持ちを向けていた。
宮廷の廷臣が広間に入ってくる。直立不動の姿勢を取った。大きな声を張り上げた。
「ローラシア大帝国、皇太子、アレクサンドル殿下、ただ今ご到着にございまする!」
馬の蹄と馬車の音が、城門のあたりから聞こえてくる。
耳を澄まして、貴族の一人が声を漏らした。
「さすがは大帝国の皇太子様。大勢のお供と警護の兵を引き連れておわす」
城門の物音から大行列だと推察できたのだ。
別の貴族が頷き返す。
「大帝国の威勢のほどが知れようというものですな」
「我らの王国など、大帝国から見れば、辺境の小領主にすぎない……」
貴族の夫人の中年太りした女性は、首を傾げている。
「大帝国の皇太子様が、なにゆえ、こんな辺境の王国に足をお運びくださったのでしょうか……」
別の貴族夫人が口許を扇子で隠しつつ、耳打ちした。
「求婚にいらしたのですよ!」
「まぁ! すると、求婚相手は、我が王国のエレナ王女様!」
「すでに婚約は済ませてあるとの噂ですわ」
扇子での口許をおおった夫人は、ますます声を潜めさせる。
「エレナ王女様は、天使もかくやと見間違えるほどの美しさ……。皇太子様はエレナ様の美貌にすっかり誑かされた、という噂ですわ」
中年太りの貴族夫人は眉をしかめる。
「誑かされたなんて言い方は、よろしくなくってよ」
「でも……、あのきついご気性ばかりは……どうにも、ねぇ?」
夫人二人は顔をしかめて、首を横に振った。
エレナ王女の日頃の振る舞い、思い出しただけでストレスが溜まる、と言わんばかりの顔つきだ。
*
大広間の扉が開かれた。衛兵たちが緊張して背筋を伸ばす。貴族たちも、その妻も娘たちも、一斉に表情をこわばらせた。
王女エレナが大広間に入ってきた。
頭に戴くのは白銀のティアラ。ダイヤモンドと真珠が散りばめられている。王家の姫、それも、第一王女だけに許される名誉のティアラだ。
黄金色の巻き髪が優雅な縦ロールを作っている。この髪形をセットするだけで侍女が十人がかりで三時間もかかる代物だった。
シルクサテンの純白のドレス。全身のいたる所を宝玉が飾っている。
エレナ王女は絨毯の上を静々と歩む。玉座に向かって歩んでいく。
貴族と子女たちがサアーッと低頭した。エレナは手にした扇子で口許を隠しつつ、目だけを貴族たちに向けた。お気に入りの者たちには微笑みを。意にそわぬ者たちには冷たい眼差しを向けている。
貴族も、その妻も、娘たちも、エレナに目を合わせることができない。ただ恐怖して冷酷な王女が通りすぎてくれるのを待つだけだ。
足を止められて「この者を追放せよ」などと宣告されたら最後、貴族の身分を剥奪されて外国に追放されるか、あるいは処刑台に送られるか。悲惨な運命が待っていた。
しかし。エレナは今日のこの日だけは、慈悲の心で皆を許すつもりであった。
今日は人生最良の日。
最愛の皇太子、アレクサンドルがエレナを妻に迎える日なのだ。晴れてエレナは皇太子妃となり、ゆくゆくはローラシア大陸に、最高位の独裁者として君臨する。
絨毯を歩むエリナの正面には大理石の階段があった。階段の上には黄金に輝く王座があった。そこにはアレクサンドル皇太子が礼服を身につけ、片手には皇家の錫杖を手にして座っていた。
皇太子の横には、皇太子妃の座る椅子がある。王女エレナの座る場所。将来を約束された者のための場所だ。
ところが−−。
エレナは、キッと目を怒らせた。優美な微笑はたちどころにして消し飛ぶ。満面に怒気を昇らせた。
「なにゆえ、そなたがその席に座っておるのかッ!」
アレクサンドル皇太子の隣−−エレナが座るはずのその場所に、貧しい身なりの、容貌も冴えぬ、一人の小娘が座っていたのだ。
その娘、サンシアは、エレナに睨みつけられてオドオドと怯えた様子を見せた。
怯えているのはサンシアだけではない。居並ぶ者たちもどよめき、表情をこわばらせ、成り行きを見守っている。
エレナはますます激怒した。絨毯の上で大の字に立ち、階段上のサンシアを睨みつける。
「そなたは台所で働く端女ではないか! なにゆえ“名誉あるその御座”に座りおるのかッ」
サンシアは急いで立ち上がり、その席を譲ろうとした。
だが、サンシアの腕をアレクサンドル皇太子がギュッと握る。
「この場におれ」
と、囁く声がエレナの耳にまで届いた。
エレナには何が起こっているのかわからない。だが、このままにはしておけない。
「衛兵!」
警備の兵を呼ぶ。
揃いの赤い制服を着け、腰にはサーベルを下げた男たちが駆け寄ってきた。
エレナはサンシアに向けてビュッと指をつきつけた。
「あの愚かな女を捕らえなさい! 地下牢に叩き込んでおやりッ」
衛兵たちは玉座に殺到し、無礼で愚かな村娘−−サンシアを捕らえるはずだった。
ところが。
「衛兵どもッ、静まれィッ」
白い髯を長く伸ばした大臣が踏み出してきて、衛兵たちの前に立ちはだかった。
「法務大臣の命である! 衛兵どもは引けッ」
白髯の老大臣は、この国の法務大臣−−すなわち警察官を支配する重職だ。王宮の衛兵といえども彼の命令には逆らえない。
エレナは仰天した。
「法務卿ッ、どういうおつもりッ?」
大臣は背後にサンシアを庇う格好で、エレナと衛兵たちの前に立ちはだかっている。まったくもって許しがたい。
「このわたくしの、邪魔だてをするおつもりなのかしら!」
老大臣はサッと低頭する。
「臣は、この国の法律に仕える者にございます。法に背いた命には、たとえエレナ王女が発した命であろうとも、従うことはかないませぬ」
態度と口調は恭しく遜っているが、エレナに逆らっていることに違いはない。
エレナはますます立腹した。
王国一の美貌−−と、遠く東の山脈や、西の大海の小島にまで知られた顔を怒りで醜く歪ませる。
気高く取り澄ましたエレナ王女の、真の素顔だ。
この怒り顔を見た者は、処刑、追放、拷問、投獄などの、悲惨な仕打ちを受けたのだった。
エレナは殺気立った顔をサンシアに向けた。
「あの村娘が座っている場所は、わたくしが座るべき場所。アレクサンドル皇太子の妻となるべき者の席! かの神聖な場所に村娘が座っておることこそ罪であろう! 法務大臣であれば、咎めずにはおかれぬはずじゃっ!」
すると、今まで静かに聞いていたアレクサンドル皇太子がスッと立ち上がった。
年齢はまだ15歳だが、さすがに皇国の後継者。生まれながら身につけた威厳は本物だ。
金髪の巻き毛が美しい。地上に降り立った天使のような麗しさ。貴族たちは自然と頭を垂れ、女性たちは賛嘆の吐息を漏らした。
「エレナ王女よ。そして一同の者、聞くが良い」
皇太子が声を放った。15歳にしては幼い、声変わり前の透き通るような美声だ。
「いかにも。余の隣の座は、余の妻となるべき者のために用意されておる」
エリナは悲痛に叫び返した。
たった今まで、鬼のごとき怒りの形相だったのだが、一転して悲劇の主人公のごとき、哀切な泣き顔となる。
「その不埒な村娘をお退けください! そこに座ることが許されるのはあなた様の婚約者であるわたくしのみではございませぬか! わたくしの席に、その者が座っていることは辛抱できませんわッ」
すると−−、皇太子は冷やかな目をエレナに向けた。そして冷たく宣告した。
「そのほうの申す通り、余の隣に座ることのできる者は、余の婚約者のみだ。よって告げる。エレナ王女よ、そなたとの婚約を破棄する」
広間に集った者たちのすべてがどよめいた。
はじめまして ! WEB小説はじめました。
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