4.手を繋ごう
そんなことを思っていたのは最初だけでした。
予定の日が近づくにつれて私はどんどん緊張感が増していた。
早々に準備を終えてエヴァンスさんの迎えを待っている今も、落ち着きなく家の中をうろうろ歩き回るくらいには緊張している。
どこかおかしなところはないかと何度も鏡を見てしまう。
恋人などいたことが無い私は男性と二人きりで出掛けたことも食事に行ったこともない。
その初めてがエヴァンスさんだなんていきなり難易度が高すぎやしないだろうか。
心を落ち着かせるために深呼吸を繰り返していると、チリンチリンと玄関のドアベルが鳴った。
(き、来た……!)
時刻は10時ピッタリ。
私がそろっと顔を出すと、そこにはエヴァンスさんが立っていた。
「こんにちは」
「こんにちは。今日は時間を作ってくれてありがとう。けど、玄関を開ける時はちゃんと誰が来たか確認しないと駄目だよ?」
「でもこの時間にエヴァンスさんが来るのは分かっていたし」
「それでもね。セルジュさんは女性の一人暮らしなんだから、この前も言ったけどもっと警戒しないと」
君はやっぱり危機感が足りないとエヴァンスさんはぶつぶつ言っている。
「なんだかエヴァンスさんってお父さんみたいですね」
「……それは、嫌だな」
そんな会話をしながら向かった先は、植物園だった。
ここはいつ来てもその季節の花々が美しく咲いている私のお気に入りの場所だ。
「ここ……」
「この前ここが好きだって言ってたから」
たしかにこの間の食事会でそんな話をした気がする。
「あれ?でも。エヴァンスさんはあまりお花に興味が無いって言っていませんでしたっけ?」
「ああ、あの時はね。でもセルジュさんが楽しそうに話していたからちょっと興味出てきたんだ。だけど俺はそもそも花について知らなさ過ぎて見分けが付かない。だから今日はセルジュさんにご教授願おうかと思って」
よろしくと言ってエヴァンスさんは笑った。
もしかしたら最近は植物園に行けていないと言った私の言葉を覚えていてくれたのかもしれない。
(こういう所が女性に人気がある秘訣なのかも)
私の趣味に付き合わせてしまって申し訳ないなと思いながらもエヴァンスさんに花の説明をしながら植物園を回った。
エヴァンスさんは「あの花とこの花が同じ種類なのは知らなかった」とか、食用植物のコーナーではとんでもなく苦い葉を口にして「これは絶対食用じゃない、嘘つきだ」と渋い顔をしたりと楽しんでくれたようで私も楽しかった。
お昼の時間になって連れて来られたのは今女性が行きたいお店ナンバーワンのカフェレストランだった。
エヴァンスさんは事前に予約しておいてくれたようで、待つこともなくすんなりと席に着くことが出来たのだけれど――。
(視線が痛い……)
主に女性からの視線が。
女性が行きたいお店というのは伊達じゃないらしい。
店内にいる8割方は女性客だったのだが、その多くがエヴァンスさんと隣にいる私を見ていた。
何も言葉は聞こえなくても、「あれエヴァンスさんじゃない?」「隣の女誰よ」と視線が物語っている。
こんな不躾な視線を無視できるほど私の神経は図太くない。
縮こまっている私を見たエヴァンスさんは、店員に声を掛け何かを確認すると「ではそれで」と言い、そしてこちらを見て少し待ってくれと言った。
暫くして店員が戻ってくると、なぜか席を立つように言われて店の奥の方の一室に案内された。
「ここは?」
「個室だね」
どうやら、あの視線の中で縮こまる私を見てやはり個室に変更出来ないかと店員に聞いてくれたらしい。
「最初から個室とかは嫌かと思って一般席にしたんだけど、あの中じゃ落ち着けないよね。ごめん、読みが甘かった」
「いえ、あの、気を使っていただいてありがたいですがエヴァンスさんですし。私もゆっくりとお話したかったので大丈夫です」
「そう?」
「それにこのお店、来てみたかったんです」
私が笑ってそう言うと、エヴァンスさんも安心したように笑った。
食事を注文してやってきた料理に舌鼓を打ち、この間は職場で急にあのような事を言われて驚いただのと当たり障りのない会話をしていく。
そして一通り食事を終え、残すはデザートと言うところでエヴァンスさんが「この間の話の続きだけど」と本題に入った。
「俺はあの日、あの場所にやってくるのがセルジュさんだと分かった上であの食事会に行ったんだ。アレクに頼まれたから仕方なくじゃないんだよ。来るのが君じゃなかったら俺は行かなかった」
「どうして……?」
「セルジュさんのことをもっと知りたかったから」
エヴァンスさんが真剣な眼差しで私を見ながら言った。
「俺、結構前からセルジュさんのこと知ってたんだ」
話すことは殆どなかったが、見回りで配達所に立ち寄った時に笑顔で仕事をする私を見ていたらしい。
なにそれ、恥ずかしい。
「いつも笑顔で、対応も丁寧だし、誰にでも分け隔てなく接するし、俺たち警邏隊にも差し入れくれたりしてさ。気持の良い子だなって思ってた」
「誰だって同じことすると思いますけど、仕事だし……」
「それがね、意外とそうでもないんだ。あからさまに一緒に回ってるやつとの態度に差があったりするんだ」
自分で言うのもあれだけど俺ってこの顔だからとエヴァンスさんは続ける。
「仕事だからって言うのも嘘じゃないと思うけど、でもセルジュさんは普段からそうだったから」
普段?
職場以外でエヴァンスさんに会ったことは無かったと思うのだが。
「見回りしてると街中で見かけたりもするんだよ。おばあさんの荷物を持つの手伝っていたり、小さな子にしゃがんで視線を合わせて話していたり、厳つい顔の店の主人と笑顔で話していたり。俺が見た君は普段から誰にでも同じように優しかった。気づいたらよくセルジュさんを見つけるようになってた。本当はもっと早く話しかけたかったんだけどね。自分が周りからどう見られているかはよく分かっているつもりだったから、下手に声を掛けて軟派だとか軽い奴だと思われたら嫌だなと思うと出来なかったんだ」
エヴァンスさんは苦笑を浮かべる。
たしかにテンダーさんの友人として紹介されて、打ち解けたからこそエヴァンスさんが噂やイメージ通りの人ではないと分かったけれど、それが無い状態でいきなり声を掛けられたら揶揄われていると思ってしまったかもしれない。
「そんな時にアレクから恋人がいないんだったらブリジットさんの親友を紹介してやると言われた。最初は断ったんだ。気になっている人がいるってアレクにも話しただろって」
気になっている人、私か。
自惚れではなく、今の話の流れだとそれは私ということになるし、何よりもエヴァンスさんが私をしっかりと見ながら話しているから勘違いではないのだろう。
「そうしたらあいつ何て言ったと思う?誰だか聞かないで断ったら後悔するぞって言うんだよ。ニヤニヤしながら言うから何かと思って話を聞いて驚いたよ。その親友の名前がアリシア・セルジュ、君だったんだから。俺は初めて神に感謝したね」
そう冗談っぽく口にして、エヴァンスさんは目の前のケーキを一口口に運んだ。
「おっ、美味いなこれ。セルジュさんも食べてみなよ」
話に集中していて手付かずだったケーキをエヴァンスさんに促されて口に運ぶ。
甘酸っぱい果実の乗ったケーキはエヴァンスさんの言う通りとても美味しくて思わず顔が綻ぶ。
こんなに緊張している状態でも美味しいものはやっぱり美味しい。
そんな私の様子をエヴァンスさんが見ていることに気付き、私は恥ずかしさから顔を赤くした。
「実際に面と向かって喋ってみて、考え方とか、今みたいに美味しそうに食べる姿とかを見て、もっとセルジュさんのことを知りたくなったし、俺のことも知ってほしいと思った。……それに、そういう顔も俺だけに見せてくれたら良いのにって思うよ」
「そ、そういう顔?」
「そう。恥ずかしそうに真っ赤になった可愛い顔」
エヴァンスさんは私を見つめて目を細めた。
その視線に耐えられなくなって、私は両手で自分の顔を覆った。
自分の顔から湯気でも出ているんじゃないかと思うくらい顔が熱い。
「……そんなこと言うのエヴァンスさんくらいです」
男の人に可愛いなんて初めて言われた。
心臓がうるさいくらいにバクバク鳴っている。
「エヴァンスさん、一応確認ですけど、私のこと揶揄って――」
「ません」
「じゃ、じゃあ本気で――」
「口説いてます」
私が言葉を言い切る前にエヴァンスさんが被せるように答えていく。
「エヴァンスさん……もしかして目、腐ってます?」
「何でだよ腐ってないよ正常だよ……」
エヴァンスさんはがっくりと肩を落として言った。
「俺の言葉ってそんなに信用できないかな」
困ったように笑いながら言ったエヴァンスさんに私は首を横に振る。
「そうじゃなくて、でも、私だから」
私は俯きながらぽつぽつと自分の気持ちを語る。
エヴァンスさんのことを疑っているわけじゃない。
でも私のことを本気でそういう対象として見てくれる人がいるということを素直に受け止められない。
男性に家に送ってもらうのも、迎えに来てもらうのも、二人で並んで歩くのも、こうして二人きりで食事に来たことも、全て私にとっては初めての経験なのだ。
普通の女の子が10代で経験しているような事を私はこの歳まで、つい先日までしたことが無かった。
それだけ男の人とは縁が無かった。
それなのに、そんな自分がエヴァンスさんのような素敵な人にこんな風に思ってもらえているということが信じられないのだ。
そんな私の告白をエヴァンスさんは黙って聞いていた。
人のことだったり、大体のことは前向きに考えらえるけれど、恋愛事に関してだけはうじうじと消極的な考えになってしまう私のことをエヴァンスさんは呆れてしまったかもしれないと恐る恐る顔を上げれば、そこにはなぜか嬉しそうな顔をしたエヴァンスさんがいた。
訳が分からず不思議そうな顔をする私にエヴァンスさんは気づいた。
「ごめん。でもちょっと嬉しくて」
「……どこら辺が?」
「セルジュさんが俺のことを素敵だと思ってくれているってとこと、初デートの相手が俺だってこと」
「……デート?え?デート?!」
「え?嘘だろ。そこから?俺は今日デートのつもりだったんだけど」
「デ、デデデ、デートとは恋人同士が二人で出掛けることを言うのでは……?」
「多少なりとも意識し合っている男女が一緒に出掛ければデートじゃないか?」
「い、意識?」
「いや、さっきから言ってるけど俺はセルジュさんのこと意識してるから。セルジュさんだって俺はそういう意味でアレクたちから紹介された男だろ?……それとも、初デートの相手は俺じゃない方が良かったかな」
「そんなことないです!だって」
だって私は楽しかった。
エヴァンスさんと一緒に植物園に行ってご飯を食べて、いつも以上に楽しかったのだ。
これが人生で初めてのデートだというのならすごく素敵な思い出になる。
「……俺はさ、セルジュさんのこれからの色々な思い出の中にいる相手が自分だったら良いなって思うよ。セルジュさんは俺じゃ嫌かな?」
ずるい。そんな聞き方ズルすぎる。
「嫌じゃ、ないです」
私の答えにエヴァンスさんはぱっと表情を明るくして笑うと「これからもよろしく」と言った。
レストランを出て二人で並んで私の家までの道を歩く。
周りには誰も居なくて肩と肩が触れ合いそうな距離感にドキドキして心がふわふわしていると、不意にエヴァンスさんの手が私の手に触れてさらに心臓が跳ねた。
そして次の瞬間、エヴァンスさんの手が私の手を握った。
「うわぁっ!」
私は思わずその手を振り払ってしまった。
そして振り払われたヴァンスさんは私のその行動に心底驚いたようだった。
「え……?さすがにこれは凹む……嫌だった?」
「嫌というか!あの、手を繋ぐのは恋人同士だけだと思います!」
私がそう言うとエヴァンスさんは目を丸くすると、その場にしゃがみこみ、自分の頭をガシガシと掻いて「あ~、そうか、そういうことか」とため息混じりに呟いた。
そしてすくっと立ち上がると私の正面に立ち真剣な眼差しを向けた。
「ごめん、ちゃんと言わない俺が悪かった。セルジュさん、俺はセルジュさんのことが好きです。どうか俺の恋人になってください」
「私で、良いんですか?」
「セルジュさんが良いんだよ」
「私、何もかも初めてで。たぶん面倒臭い女ですよ」
「一緒に色んなことを経験出来るなら嬉しいよ」
「まだ、エヴァンスさんのことをそういう意味で好きかどうか、分かりません……」
「嫌われていないなら問題無い。そこは俺の頑張りどころ」
「お付き合いして、もしちゃんと好きになったら……け、結婚してとか、言っちゃうかもしれませんよ?」
「望むところだ」
結婚してほしいと言えば承諾してくれるのか。
即答で返ってきたエヴァンスさんの言葉に私が驚いていると「俺の本気を甘く見ないでほしいな」と言った。
そしてもう一度「俺の恋人になってくれる?」と聞かれて、私はもう頷く以外の返事が出来なかった。
初めて掛けられた甘い言葉に舞い上がっているだけかもしれない。
けれど、もしそうだったとしても、私がこの目で見たエヴァンスさんは素敵な人だし、これから一緒に過ごす内に色々な一面を知ったとしても、彼のことを嫌いになることは無いだろうと不思議とそう思う。
それよりも、知ることによってもっとエヴァンスさんに惹かれていきそうな、そんな予感がするのだ。
「じゃあ、正式に恋人同士になったわけだし、手を繋いでも良い?」
私は頷いて自分の手を差し出す。
その手を取ったエヴァンスさんはぎゅっと握ると手を繋ぐのも初めてかと聞いてきた。
「も、もちろん初めてに決まってるじゃないですか」
私の答えにエヴァンスさんは満足そうに「そうだよね」と笑う。
その顔が本当に嬉しそうで、私の心をとくんと揺らした。
手を繋いで歩く帰り道は、いつもと同じ道のはずなのに妙にそわそわして落ち着かない。
そんな私をエヴァンスさんは面白そうに見ていて、でもその瞳は優しくて、繋いだ手は温かくて、今まで感じたことのない感情を上手く表現できそうになかった。
ブクマ、評価などありがとうございます。
楽しんでもらえていると嬉しいです。