※ あるドリュアドの話
それは20数年ほど前の事でした。
ドリュアドの里に新たな命が生まれました。それは百数十年ぶりのこと。
里の者たちはたいへん喜びました。ですが、同時に悲しみにも暮れました。
生まれてきた子は双子だったのです。
ドリュアドは樹と供に生きる妖精種です。
そして樹とドリュアドは1対1でひとつとなる種です。決して1対2でひとつとなることはありません。
というのも、樹はふたりを支えることが出来ないからです。もし、1本の樹にふたりのドリュアドが棲まうとなると、樹はたちどころに枯れてしまうのです。
20年。
樹が幼木から成木へと成長した時、はじめてドリュアドは樹とひとつとなります。そうして、ドリュアドとして大人となるのです。
ですが、双子である場合。いずれか片方が樹との縁を切り、里を出なくてはなりません。
働き者で、控えめな性格の姉。愛らしく、社交的で皆に愛されている妹。
通例であれば、里を出されるのは“妹”でありました。ですが、心優しき姉は、自分が里を出ると長に申し出たのです。
そうして姉は里を後にし、妹はひとり残されました。
妹は姉が里を出ていくことを見届け、その姿が見えなくなると大層喜びました。うまく姉を追い出すことができたのだと快哉を叫びました。
妹にとって、姉は“樹”を共有する邪魔者でしかなかったのです。
樹をひとり占めすることができ、ご機嫌な妹は、これまで以上に里の者たちと遊び、だらけ、放蕩していました。
樹の世話を一切せずに。
しばらくして、枝葉が大きく張り出し、辺りは暗くなりました。
ですが、妹はそのことに気がつきません。
しばらくして、樹が鹿たちに齧られはじめました。
ですが、妹はそのことに気がつきません。
しばらくして、葉枯らしが蔓延り始めました。
ですが、妹はそのことに気がつきません。
しばらくして、樹が弱り始めました。
ですが、妹はそのことにまったく気がつかなかったのです。
すっかり生命力を失い、樹が枯れだしてはじめて妹はそのことに気がついたのです。
対の樹をはじめ、辺りの樹の枝葉が張り出し過ぎた結果、周囲はじめじめと暗く森を腐らせ、鹿に齧られ皮を失った樹は葉枯らしに巻き付かれ、もはや絶え絶えとなっていました。
里長は問いました。なぜ樹の世話をしなかったのかと。
妹は云い放ちました。それは自分のすることではないと。
里長はため息をつくと、すべてを諦めたように妹の所から帰っていきました。
誰も妹を助けてはくれません。
自身の樹の世話をするのは、ドリュアドにとっては当然の事なのです。
妹はかんしゃくを起こしました。ですが、それで樹の命が永らえる訳でもありません。
そして妹は思い出しました。樹を蘇らせる方法を。かつて聞き齧った方法を。
樹に十分な養分を与えさえすれば、問題は解決するのだと彼女は思ったのです。
確かにそれは重要な事です。ですが、本当に重要なことは、お天道様の光を十分に浴びることができるように樹々の剪定をし、樹の皮を齧る鹿たちを追い払い、樹の養分を吸い取り絞め殺す葉枯らしを引き抜くことなのです。
ですが妹はそれを面倒だとやらずに、やってはならない方法を選びました。
「きちんと樹の世話をすればいいのでしょう!」
妹は森にやってくる狩人や山菜取りの者たちを誑かし、そして殺しました。
樹の養分とするために。
殺した者を樹の下へと引き摺り、血を根元に注ぎ、刻んだ肉を土に埋め、挽いた骨を辺りに蒔きました。
樹はかろうじて命を永らえました。ですが、醜く歪んでいくこととなりました。
自身を殺した者を恨み憎んだ被害者の血肉は怨念を含み、それをも取り込んだ樹は狂っていったのです。
しばらくして、ドリュアドたちは妹のしていることに気がつきました。
そして恐れ戦きました。
それは決して行ってはならぬドリュアドの外法と同じであったのです。
樹精であるドリュアドが、邪精となるための外法。
その昔、人を愛したドリュアドが、その人に酷い裏切りを受けた際、その恨みを晴らすべく行った忌まわしき呪術。
邪精となり果てたドリュアドは樹に縛られることもなく、その醜くなった姿を幻術で美しく見せ、人に憑いては殺して回る化け物となったのです。
きっと、妹も遠からずそうなるでしょう。もう、手遅れです。
ドリュアドの里の長は苦渋の選択をしました。
このままでは、人間たちにドリュアドの里を滅ぼされてしまうかも知れません。だから里の長は人里へと赴き、彼らに“助け”を求めたのです。
「私たちの森の側に、悪意に満ちた呪いの樹が生まれ、ほうぼうに迷惑を掛けています。聞けば、こちらの方々にも犠牲がでたとのこと。私たちはドリュアドです。例え呪われた樹だとしても、樹を殺すことができません。どうかお願いです。私たちの代わりに、樹を切り倒してはもらえないでしょうか?」
人里の者たちは長の訴えを聞き入れました。ドリュアドたちには、彼らも世話になっていたのです。道に迷った者、薬草を探す者を助け、森の理を人々に教えたのはドリュアドです。それに加え、森の奥に入った者が帰ってこないと、ここのところ騒ぎとなっていたのです。
その原因を伝えられ、彼らが怒りに駆られたことは当然のことでしょう。
長の案内により、人々はおどろおどろしい姿となった樹の下へと辿り着きました。
あたりには、犠牲となった者たちの身に着けていた品々が散らばっています。
家族の遺品を見つけた男が泣き崩れました。山菜取りに出掛けたまま帰らなかった娘の髪飾りが落ちていたのです。
彼らは怒りの声をあげ、樹に手にしていた斧を容赦なく振り下ろしました。
長はその光景に涙を流し、一番外れにいた樵に一礼すると、森の奥へと逃げるように帰っていきました。
樹精であるドリュアドです。やはり樹を切るこの光景は思うところがあるのだろうと、樵は思いました。
そのとき、異様な叫び声が聞こえました。
手足が赤黒く染まり、錆色の長い髪の女が叫んでいました。
その姿はおぞましく、つり上がった目に大きく裂けたような口。そしてなによりも、その手はあらぬ方向に首を曲げた青年が捕まれていたのです。
「ば、化け物だ!」
「に、逃げるんだ! 殺されるぞ!」
「馬鹿野郎! あいつがみんなを殺したんだ! 殺せ!」
人々が口々に騒ぎ、ある者は逃げ、ある者は斧を手にその化け物に襲い掛かりました。
化け物。すっかり姿の変わり果てた妹は向かってくる里の人間に襲い掛かります。
男の顔を引っ掻き、その目を潰します。
斧を振るわれ、手の指が斬り飛ばされました。
力の限り殴り、老人の頭が弾けます。
思い切り鉈が振り下ろされ、肩に食い込みました。
そんな争いを他所に、樵は恐怖に負けぬよう歯を食いしばり、涙を流しながら樹に斧を振るい続け、遂には呪いの樹を切り倒しました。
妹は絶叫をあげました。
妹を殺さんと向かって行った里の者は、もうひとりも立っていません。
その肉を喰らうことで、妹は欠損した体を治していきます。
そのあまりの光景に、樵は斧を放り出して逃げていきました。
妹は切り倒された樹の下で泣き崩れました。そして里長の下へと向かおうとします。ですが、ドリュアドの森に入ることができません。
その事に混乱し、妹は入れてくれと叫びました。ですがドリュアドの森に入れません。
やがて答えが返ってきました。
「ドリュアドの掟を破り、外法を行い、邪なる者となったお前を森に入れる訳にはいかない。どこへなりとも去るがよい」
無情な言葉に妹は泣き叫びました。
ですが森は受け入れてはくれません。
このままここにいては、死んでしまいます。対となる樹が切り倒された以上、代わりの寄る辺となるモノが必要なのです。
妹は泣きながら森から姿を消しました。
ほどなくして、人里で干乾びたような死体が見つかるという事件が起きるようになりました。
それが、人に憑いて回るという、邪精の仕業であるのかは、知る由もないのです。




