04 【黄】と【黒】
神殿内を彼女は我が物顔で歩いていた。
ここに至るまでに彼女の歩みを阻んだ者は、例外なく倒れた。
だが、誰ひとり命を落としてはいない。彼女と相対した直後、誰もがその場で恐怖に竦み、へたり込み、失禁したうえで失神したのである。
彼女は歩みを阻もうとした者共に辟易としていた。自分が何者であるのかも分からぬ愚か者共に苛々としていた。
いったい、どこまで無能であるのか。
知らずに踏みしめる足に力が入る。
真鍮製のブーツが床に当たると同時に、綺麗に磨き上げられた大理石の床が割れる。
その輝くほどに磨き上げられた床に負けぬほどに、ピカピカに磨き上げられた金色の鎧に身を包んだ女性は、神殿最奥部へと迷いなく進んでいく。
神殿最奥部。そこは存在せぬ神の御所であり、その隣には教皇の執務室があるのだ。
彼女は神の御所へと向かう通路を素通りし、教皇の執務室へと向かった。
そしてノックもせずに扉を開き突入した。
「あら、いらっしゃい。また騒々しい来訪ね」
その部屋の主がのほほんとした調子で彼女を迎えた。
「……なんだそのだらしない格好は」
「あら、久しぶりだというのに、第一声がそれなの?」
スーツアーマーの女性の言葉に、【黒教】の教皇は気だるそうに答えた。
【黒教】教皇。みたところ20代そこそこの女性に見える。長く艶やかな黒髪に白磁のような白い肌の女性だ。
彼女は執務室の片隅に置かれたベッドで寝そべりながら、焼き菓子を口に放り込んでいた。
鎧の女性は苛々とした気持を落ち着かせるように、大きく息をひとつ吐いた。
「とりあえず、その菓子を口に放り込むのを止めろ。私は大事な話があってきたのだ」
「貴女が直接――となると、なんのことかだいたいわかるわね」
教皇は最後の一枚をくちに放り込むと、置いてあったデキャンタから銀杯へと液体を注ぎ呷る。
「飲んだくれるのは褒められたものじゃないな」
「お酒じゃないわよ、これ。お酒を飲むと、途端に術の類が制御できなくなるのよ」
「冗談だろう? 姉上」
「冗談じゃないわよ。お母様が調整をした結果なんじゃない? 少なくとも私は下戸みたいなものよ。まぁ、私には絞っただけの果汁で十分よ。なんで態々お酒に加工するのか、私には理解できないわ」
教皇はベッドから降りると、ソファーに腰を下ろした。
「そんなところに突っ立っていないで、こっちに座りなさいな」
そんな教皇、【黒】の言葉に、金色の鎧の女性、【黄】は再度大きくため息をつくと、パチンと指を鳴らした。
途端、身にまとっていた鎧が消え失せ、淡い黄色のドレスへと切り替わった。
「それにしても久しぶりね。何年振りかしらね?」
「ここ数回の会合には来なかっただろう。少なくとも500年振りのはずだ」
「あー……。会合に参加する意味がなくなっちゃったからね。参加する必要もないと思ったのよ。他の姉妹にも特段、会いたいとも思わなかったし。なによりあの3人とは会いたくもないわ」
【黒】はどこからか取り出した紅茶と茶菓子をテーブルに並べた。
「どうぞ」
「戴こう。……3人か。ひとりは【白】のことだろうが、あとのふたりは誰だ?」
「【青】と【緑】よ。【青】は興味のあること以外はとことん無視するでしょう? 相手をするだけ無駄だわ。【緑】は自分の不手際の始末の手伝いに私を利用するだけして、礼のひとつもないのよ。顔も見たくないわね」
これみよがしに【黒】は肩をすくめて見せた。
「まぁ、気持は分からなくもないな。で、会合に参加する意味がないとはどういうことだ?」
「どういうこともなにも、お母様はとっくに死んじゃったもの。もう意味ないでしょ。あのダンジョンのための人除けもする必要はないわよ」
【黒】の言葉に【黄】は目を瞬き、ぽかんとした表情を浮かべた。その様子に、【黒】は満面の笑みを浮かべた。
「あなたのそんな顔を見ることができるなんて、今日はここ数百年で一番いい日だわ」
「ま、まて。まてまてまて。母が死んだだと?」
「えぇ。あそこを追い出される際に、ダンジョン・コアに状況に変化があった場合に連絡をくれるように頼んでおいたのよ。おかげで不定期ではあるけれど、お母様の状況は知れたわよ」
【黄】は額に手を当て俯いた。
「なぜそれを報せなかった」
「報せたところで、私たちのやることなんて変わらないでしょう?」
「確かにそうだが……」
「それよりも、本題に入りましょうか」
「まて、その前にだ、なぜ母は死んだのだ?」
【黄】が身を乗り出した。【黒】は小さくため息をついた。
「研究方針を変えた結果ね。“生まれ直し”による損失を20%前後にまで軽減できたようだけれど、それ以上は見込めなかったみたいよ。だから、不老不死化へと研究をシフトさせた。ダンジョン・コアを用いてヴァンパイアを召喚して、あれこれ実験したみたいね。そうこうするうちに、次の“生まれ直し”の時期に入った。
きっと、自信があったんでしょう。作り上げた不老不死化の術式を発動させた。結果、母は“生まれ直し”を必要としない不老不死となったわ」
「それでは――」
「結果は成功したけれど、同時に失敗でもあったわ。母は不老になった。死ぬこともできなくなった。けれども、身体は再生を繰り返す死体と成り果てた。お母様は時間と共に腐れ、再生し、それを繰り返すたびに壊れていく」
【黒】が自分の頭を指差す。
「最終的にはゾンビと変わらない代物になってしまったそうよ。魂を保持したゾンビという、珍しい存在にね」
「なんてことだ……」
【黄】はがっくりと項垂れた。
「さて、それじゃあなたの本題にはいりましょうか。“神”についてでしょう?」
【黒】が問うと、【黄】は疲れ果てたような顔をあげた。
「あぁ、そうだ。システム神の神託はこちらにも降ったのだろう?」
「えぇ。巫女が狂喜していたわね。なにせ“生命を司る神”ということでね」
「あぁ、それだが。どうやら教義にあわせた神託であったらしいぞ」
【黒】が怪訝な表情を浮かべた。
「どういうこと?」
「【白】のところでは“雷神”、【赤】のところでは“工神”、【緑】のところでは“樹神”、【青】のところでは“時神”となっていたな」
「は?」
【黒】は目を瞬いた。
「待って、いくらなんでもおかしいわ。神が持ち得る主権能はひとつだけのはずでしょう? 副権能をもっているにしても、多過ぎるわ。なにより時間を操るって、神にしても異常でしょう!?」
「私に云われてもなにも答えられんぞ。私は事実を伝えているだけだ。【黒教】も神捜索隊をだしているのだろう?」
「えぇ。先日戻って来たけれど、芳しい結果はなかったわね。しばらく休息させたら、また捜索に出すそうよ」
「場所の見当ならついているぞ」
【黄】の言葉に、【黒】の目が細まった。
「どこかしら?」
「私たちの生まれた地。母のいた場所だ。例の神託以降、私は世界中を延々と飛び回って探索していたのだ。ほぼ全て巡り、発見するに至らなかった。あと探していないのは――」
「“はじまりのダンジョン”だけということね」
そう答え、【黒】はほんの少し眉根を寄せた。
「なぜ私の所に来たの?」
「他の連中はそう簡単に動けないだろう? 各教会は国との繋がりが大きくなりすぎているからな。おいそれと教皇が姿を消す訳にはいかない」
「私も教皇をやってるんだけれど?」
「のほほんと焼き菓子を頬張っていたな」
【黒】はそっぽを向いた。
「姉上は自由に動けるだろう? 国など無視して【黒教】を作り上げているわけだし」
「教団なんてものにする気はなかったんだけれど。“命を大事に”ってことを徹底して説いていたら、いつのまにかこんな有様になっちゃってねぇ」
「そういえば、なぜ【黒教】は国家に与しないんだ」
「国は戦争をするでしょう」
【黒】は残念なものを見るような目を【黄】に向けた。
「いや、さすがにそれは偏見ではないか?」
「なにを云ってるの。戦争をしない国はないわ。たとえ自分から戦争を仕掛けなくとも、仕掛けられるものなのよ。それは貴女も見てきたことでしょう」
【黒】は細めた目で不機嫌そうに【黄】をみつめた。
「……いつまでも愚かであるとは思わないが」
「私たちでさえこの有様よ。【白】の鼻持ちならなさは、もう救いようがないわ。思うに、きっと神に喧嘩を売るわよ。私の角を賭けてもいいわ」
【黒】の言葉に【黄】は頭を抱えた。
「どうしたのよ」
「そのことも含めて、私は来訪したのだ。場合によっては【白】を始末せねばならん」
「あー。世界が滅ぶかもしれないわね。でも、私が手を出すのも問題よ。宗教戦争は国家間戦争よりも質が悪いそうだから」
「どこからそんな話を?」
「ダンジョン・コアがシステム神より得た情報ね。だからこそ、私たちにいがみ合うなと厳命していたのでしょ。実際、ダンジョン・コアから異世界の宗教関連の情報を教えてもらえたわ。管理システムが危機感をもったらしくて、それらの情報をリークしてくれたのよ」
「……内容は?」
「同じ宗教でも、見識の相違ってだけで殺し合いをしていたわね。そしてやることはどれも権力争いと詐欺行為に薬物を用いての束縛。まるっきり欲の権化ね。これはどこの世界でも一緒のようよ。聖女なんて謳われ尊敬を集めていた人物でさえ、自身の考えを一切変えず、その結果、救える者たちを片っ端から死に至らしめていたって例もあったわ。それらを見るに、基本、宗教っていうものはロクでもないものなのよ!」
「姉上……仮にも【黒教】のトップなのだから、その云い種は……。見ろ、姉上のところの巫女が、いまの発言を聞いて頭を抱えて蹲っているぞ」
【黄】が開け放たれたままの扉に視線を向けた。それにあわせて【黒】もそちらに視線を向ける。
そこには真っ黒な法衣に身を包んだ黒髪の娘が、頭を抱えてしゃがみこんでいた。
いや、その手は頭にではなく、耳に当てられていた。
教会トップである教皇の、宗教を半ば否定するような言葉を聞きたくなかったのだ。
「……現実を知るにはいい機会だったのよ」
「姉上……」
【黒】は【黄】の視線に耐えられず、そっぽを向いた。
「そ、そんなことよりもよ!」
「自身の現在の有り様を全否定したことを“そんなこと”で済ませてよいのか? 姉上」
「些細な事でしょ! だいたい、貴女が私のところに来たのは、神のもとへと向かうからでしょう!?」
【黒】のその言葉に、巫女が顔をあげた。
「丁度いいわ。貴女も一緒に来なさい」
「姉上。彼女は神託の巫女だろう? 実務面のトップが不在となるのは問題ではないのか?」
「トップが1年やそこら不在なだけで瓦解する組織なんて、あるだけ無駄よ!」
【黒】は【黄】の懸念を斬って捨てた。
「さぁ、急いで支度なさい。すぐに出発するわよ!」
立ち上がり、【黒】が有無を言わせぬ口調で命ずると、神託の巫女は弾かれたように立ち上がり走って行った。
「姉上。ひとつ確認したいのだが」
彼女が走り去るのを待って、【黄】が【黒】に問いかけた。
「なにかしら?」
「彼女は我らの正体を知っているのだろうな?」
【黒】は無言でそっぽを向いた。
【黄】は再度頭を抱えた。
かくして、1時間後。彼女たち、2頭の祖竜は【黒教】大神殿より飛び立った。
女性の悲鳴を響かせながら。
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