06 とある傭兵の最期
巨大な砂柱が上がる。船上からでも見上げるほどの砂柱だ。
私はすかさずそこに向けて魔法を放った。とにかく、この砂を払わなくてはならない。この砂が防壁の役を成しているのだ。
私の放った風により飛び散った砂の向こうには、その身をもたげた砂蟲の姿。
その姿が見えた途端、2本の槍のようなボルトが撃ち込まれた。この砂走船に搭載されているバリスタは5基。左右に2基、後方に1基。上下左右の射角はたかがしれているため、船の左後方へ撃つとなると、3基しか狙えない。
だが、飛んでいったボルトは3本ではなく、2本だ。
そもそも、そこら中から大型の砂蟲が湧いてでているのだ。1匹に集中するなんて連携などできていない。
私は砂走船の上を駆け回り、周囲に現れる砂蟲を守る砂を剥いで回る。
ドン!
不意に背に衝撃を受けて、私は船から落ちた。
慌てて風を身体に纏い、落下の衝撃と、流砂に沈み込むことを防ぐ。
「グズが! 餌にでもなって役に立て!」
ロクでもない声が聞こえた。
どうやら私は砂蟲を寄せるための餌にされたらしい。
落下の衝撃は大したものではなかった。でも足が沈む。
だがそれを気にするよりもこっちが先だ。慌てて砂蟲避けの水薬を頭からかぶる。刺激臭に鼻の奥が少しばかり痛いけど、砂蟲に飲まれるよりはずっとまし。
流砂に足を取られつつも、なんとか砂蟲の攻撃範囲から逃れた。
まったく、こんな砂漠の奥側を走らせること自体が無謀だったんだ。それに私を蹴落とすとか馬鹿じゃないのか? 役立たず? もう砂蟲の纏う砂を剥がせる魔法使いはいないぞ。
……いや、あの声は雇い主だったな。あ、そうか、報酬か。
聞いたことがある。雇った傭兵を中途で殺し、その報酬を浮かせる商人がいるという話を。どうやら私はロクでもない相手と契約していたようだ。
暑い暑い日差しの下、私は走って行く砂走船を見送る。いまも砂蟲に襲われているのが良く見える。
「沈んじまえ……」
流砂帯から抜け出して私は悪態をつくと、辺りを見回した。
大砂海の中央へと大分寄ってしまった状態だ。どこをみても砂、砂、砂だ。
懐から遠眼鏡を取り出し、あらためて見回す。
遠くに、明らかに人工物と思われる、非常に整った何かがみえた。
揺らいで見えるくすんだ影。あれはなんだろう?
「塔……? ってことは町でもあるのかな? それとも偏屈な魔法使いの隠れ家?」
こんな場所に町なんてあったっけ? 蜃気楼? いや、だとしてもあの建物がこの方向にあることは確かだ。
このホルスロー大砂海の中に誰か住んでる? 聞いたこともない。
まぁ、いいや。他に目指せる場所もない。それに、流砂帯の近くは砂蟲が多くいるし、なによりこの幅の流砂の川を渡ることなど無謀だ。
そもそもホルスロー大砂海の流砂は普通ではないのだ。普通、流砂というのは水を含んだものだ。底なし沼とも呼ばれているものだ。
だがここの流砂は乾いた砂が川のように流れているのだ。それも半島外縁をぐるりと円を描くように。それこそゆっくりとした速度ではあるが。
故に、ここはダンジョンであるだなんて噂もあるくらいだ。
この流れる砂の川を渡るのは自殺行為だ。水に溺れるのではなく、砂に生き埋めとなるのだから。無理に渡ろうとして、足をとられ沈みでもすれば、それで終わりだ。
砂蟲避けの水薬も、いつまもで保つものではない。とにかく離れなくては。
フードを目深にかぶり、歩き始める。もはや、あの壁に自分の命を賭けるしかない。ある程度離れたら、穴を掘って夜まで休もう。
遭難当夜:夜
日も落ちて、温度も大分落ち着いてきた。いまは大丈夫だけれど、数時間もすればかなり冷え込んで来るだろう。今の内に進めるだけ進んでおかなくては。
荷物は身に着けておいた最低限のものだけ。船に置いてあった荷物が全財産だった。まぁ、お金やらなんやらは身に着けていたから、置いてきたものは着替えや船上では使い勝手の悪い長剣に野営道具くらいだ。
現在の持ち物は、本当に必要なものだけだ。解体用の短剣。小型のクロスボウとボルト20本。砂エルフ謹製の砂蟲の外皮を使った布皮鎧一式にフード付き外套。ウエストポーチには砂蟲の干し肉が……節約すれば10日分。それとポーションが16本。暇を見て作っておいてよかった。これは薬としてではなく、水分補給用として使うことになるだろう。
口に一口サイズの干し肉を放り込み、それを含みつつ月明かりの元、しっかりと歩いていく。
間違っても干し肉を噛んだりはしない。そんなことをしたら歯が折れかねない。保存食用の干し肉は石と紛うほどに硬いのだ。唾液をゆっくりと染み込ませ、漏れ出る肉の味で空腹を紛らわせつつ、十分に柔らかくなったところで噛みきり、飲みこむものだ。
備蓄も今回のことで使い切ることになるだろう。また小型の砂蟲を狩って自作するか、アッディの集落で仕入れるとしよう。
遠くに見えた人工物は塔と壁であった。気温が下がったおかげで陽炎もなくなり、いまなら遠眼鏡ではっきりとその姿が確認できる。
あの程度の距離なら、きっと明後日には辿りつけるだろう。食糧も水も十分足りる。
遭難2日目:夜
おかしい。遠くにはっきりと見えるあの場所に近づいている気がしない。
解体用のナイフを獲物から引き抜きつつ、私は遠くにポツンとみえる影に視線を向けた。
それは相変わらずそこにある。でも、2日間、夜だけとはいえかなりの距離を進んだはずだ。それなのにいまだにさして近づけた気がしない。
ポーションと食糧の残量が不安に思えて来る。
日中の日差しは強烈だ。砂にもぐりやり過ごしているとはいえ、その熱は身体を蝕んでいく。いくらこういった荒野に環境特化した砂エルフとはいえ、今現在自分が置かれている状況下で生き延びることができるものではない。
水分補給の為にポーションを飲むという馬鹿げたことをしているが、これがいまもこうして自身がまともに動けている理由でもある。
脱水症状はまず内臓を蝕む。それをポーションが水分補給と同時に無理矢理癒しているのだ。でなければ、もうとっくに臓腑がイカレて死んでいる。
水を生み出す魔法は修得しているが、こんな乾燥しきった環境では水を創り出すことも困難だ。現状、自身の排出した尿でさえ魔法で飲用できるようにしている状態だ。
いや、いまはもうそれも叶わなくなっている。すでに半日以上催していない。それだけ身体から水分が奪われている。
毎夜消費するポーションを1本と決め、あとはどうにかこうにか創り出した水を水筒に溜め、なんとか凌いでいる。
……唾液すらでなくなったらかなり不味いよね。
足の下にいる巨大な節足動物に視線を落とす。
ホルスロー砂サソリ。さほど遭遇率の高い魔物ではない。群れを成して生活しているサソリだが、この個体ははぐれであるようだ。
こいつの体液も魔法で浄化すれば飲めるかな? 飲めるよね。……臭いは残るかもしれないけど。
夜の時間は惜しいが、それ以上に水分確保は大事だ。自分よりも大きいサソリの外殻を剥がし、その体液を浄化し、空いたポーション壜に入れていく。
これで多少は余裕ができるはずだ。
素材を持って行くことができないことが少し残念だが、この状況で無駄な重量増加は命取りだ。
遭難5日目:夜
厳しい。辛い。
水が欲しい。ポーションはまだ残っている。当初の予定からすれば、余裕があるといってもいい。だが、それ以上に私の消耗が激しい。
なんとか創り出した水をすべて飲み干す。
水を飲んだ気がしない。口に含み、飲みこみ、胃の腑に落ちるまでにすべて身体に染み込むような感じだ。
こうしてまだどうにか動けているのは、ポーションの効果のおかげだろう。だが、さすがにそれも限界に近い。
失われた水分までポーションは満たしてはくれない。そのポーションの量以外は。
これ、辿り着けるよね? 一応、近づけているのは分かったけれど。
というか、あれ、どれだけ大きいの!?
ロクに変わらない風景の中、重くなった足取りを忘れようと遠眼鏡を除く。
そのシルエットは初めて見た時よりもずっと大きくなった。だがそれだけに、距離感がわからなくなった。
誤算は、あの塔が神聖国の街には必ず建てられる白教の塔と同じくらいだと思い込んだことだ。
あのシルエットの塔は、おそらくその袂に立って見上げれば、それこそ天にまで届くと思えるに違いない。
遭難7日目:夜
遂に食事が困難になった。唾液がまったくでない。仕方がないので、口に干し肉を放り込み、ポーションを口に僅かに含んで歩く。
少しばかり不自由と云うか、ポーションを含んだまま進むというのは些か辛いものがある。
噛み切れるほどにまでポーションを吸い、柔らかくなったところで咀嚼し飲みこむ。
さすがにこの状況は不味い。
多分、明日で限界になるだろう。どうにもならなくなったため、ポーションの消費は4日目から倍に増やしている。残りはあと5本。
明日、出発時に全て消費するつもりだ。
なにかモンスターとでも遭遇すれば、その体液で多少なりとも命を繋げることができるかもしれないが、生憎と砂サソリ以降、まったく遭遇していない。
いや、砂魚と遭遇する程度なら問題ないが、もしも砂竜とでも遭遇したら、美味しく……いや、すでに半ば乾燥している私が美味しいかどうかは分からないが、食べられて終わりだ。
凍えるような気温の中、すっかり重くなった足を持ち上げ進む。
シルエットは大分大きくなり、塔の表面の模様? も分かるようになってきた。
まるで渦を巻く竜巻のようなデザインの塔。なんとかして、あそこまで辿り着かなくては。
……あぁ、でも、辿り着いたとして、私はそれで助かるのだろうか?
遭難8日目:夜
砂を掘り、身を潜めて暑さに耐え、日が落ちると同時に歩き始めた。一睡もできなかった。あんな奴等のせいで死ぬのは嫌だ……。
最初に残りのポーションを飲む。1本目は飲んだ気がしなかったが、3本目ともなるとお腹に溜まった感覚となった。
3本目の残りで干し肉を口に含み、進む。
残りは2本。全て飲み干すつもりだったが、飲み切れない。
ここで多めに飲んだのが功を奏したのか、体調がわずかではあるが上向いた。
逸る気を抑えて、転倒などしないようにしっかりと砂を踏みつけて進む。
昨晩よりも足に力が入るような気がする。本当に気がするだけなのかもしれないが。
そして明け方、どうにかその場所に辿り着いた。
目の前にはやたらと滑らかな白い壁。
もう日が昇るけど、ここで休むと、もう目が覚めないような気がする。
壁に沿って歩く。
入り口……入り口……。
ポーションの壜をとりだす。
難儀して何とか栓を抜き、口に流し込む。
効いた感覚がない。背中が……脇腹の奥が痛む。
乾き過ぎだ。
最後の1本も煽る。多少はマシになるはずだ。
ノロノロと進む。暑い。
緩やかな弧を描いている壁を進み、やがて影へとはいる。
少しは暑さはマシになった。でもたかが知れてる。
それからどれだけ歩いただろう?
いや、歩いていたのだろうか?
気が付いたらいつの間にか私は倒れていて、目の前に伸ばした手に砂が僅かばかり積もっていた。
なんとか身を起こし、立ち上がる。でも、歩き出そうと足を出すと力が入らず、そのまままた倒れてしまった。
あぁ……もう、身体が動かないや。
せめて、敵くらいは取りたかったなぁ……。
……寒い。
朦朧とした意識の中。最後に見えた物。それは真っ赤な、宝石のようななにかだった。