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すれ違う心  作者: 中辺路友紀
第三章 出張と田舎の弁護士
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「ようこそ、内削村へ」

 夜勤明け。営業所の連中は明けの日は朝から飲みに行ったりすぐ家に帰って寝たりするらしいが、俺は皆と少し違うようだ。大抵は近所を散歩したり、図書館へ寄ったりと昼頃までブラブラしている。あとは夕方にはなが帰って来るまで微睡む位か。

 遠路遥々中山県までやって来たものの、いつもと勝手が違うから何をしたらいいのかさっぱりわからない。充てがわれた部屋で何かしようにも着替え以外何も持って来ていない。この市に図書館はないのか?営業所の庶務に聞いてみたら、どうやら市の図書館は規模が小さいが、隣村の図書館は蔵書が沢山あって近隣の住民にも好評らしい。

 隣村か…ふと思いを巡らせようとした時、庶務の人が俺に告げた。

「隣の村って言ってもね、バスの便が殆どなくて…寮に行けば社員貸出用のスクーターか軽四があるからそれを使うといいよ」

 俺は借りたスクーターを隣村まで走らせる。親切にも地図はヘルメットと一緒に用意してくれていた。村まで一本道だし、まあ迷いはしないだろう。いざとなりゃスマフォの地図アプリを使えば何とかなる。

 図書館の前にスクーターを停め、俺は入口へと進んだ。言っちゃ悪いが人の住んでいなさそうなド田舎の割に建物がデカい。きっと他の施設も入ってるんだろう。だが、どう見ても入口には『内削(うちそぎ)村立図書館』としか書かれていない。クソ田舎にこんなデカい図書館…?

 中に入って驚いた。何と蔵書の多いこと…ウチの地元より多いかもしれない。折角こんな田舎まで来たんだから、郷土史のコーナーでも冷やかしてやろうか…

「郷土史の資料を何かお探しですか?」

 エプロンの胸元に『安村』と書かれた名札を付けた感じの良い女性が俺に話しかけてきた。

「ああ……俺はこの村の者じゃないんだが…出張で隣の市に来てて、それでこの辺の歴史でも覗いてみようかな、と」

「でしたら…私もここの出身じゃないので知らなかったんですが、内削村はかなり古くからある村でして、資料も数多くあるんですね…あ、そうだ。この概略版なら二時間もあれば読めますよ」

「ありがとう。じゃあこれを読んでみるよ」

「ごゆっくりどうぞ」

 彼女は微笑むと、カウンターへ戻っていった。いざ資料に目を通してみると、ただの田舎だと思っていたこの村は、平安時代に都から逃れてきた落人が開いたものらしい。へえ、知らない土地で郷土史を漁ってみるのも楽しいもんだ。また知らない町に出張があったら郷土史を漁ってみようか。

 資料を一気に読み終えた俺は、まだカウンターの向こうにいた安村さんに礼を言い、図書館を出た。

 スクーターのセルを回すと、古ぼけたスクーターは咳き込むように始動した。俺の間違いは、どうやらここから始まっていたようだ…


 しまった。村内のどこかで道を間違えたらしい。一応舗装はしてあるものの農道みたいな道で俺はスクーターを停めた。プロのドライバーが道を間違えるなんてお恥ずかしい限りだ。俺としたことが…

小高い丘か山みたいなところに千木が見える。あ、あれが郷土資料にあったお社…今、お社の裏にいるって事は、あそこで道を間違えたか…

 そう思って来た道を戻ろうと転回した時、そこにあった建物を見て俺は驚いた。一階がガレージで軽トラが停めてあり、二階が住居か倉庫みたいな小汚い建物。田舎によくある建物なんだろうが、俺が驚いたのはそこじゃなかった。入口に掲げられた、不釣り合いな程立派な看板。まるでどこかの相撲部屋か格闘技の道場みたいな…

そこに書かれていた文字は…


『長谷川光子綜合法律事務所』


 俺は慌てて上着のポケットに放り込んだ名刺を確認した。中山県本宮郡内削村…間違いない。何かの間違いで、俺はとんでもない所へ来てしまったらしい。

 呆然としている俺の前で、入口のドアが開いた。スウェットの上下にボサボサ頭、おまけにサンダル履きときてやがる。

 彼女も俺の姿を見て硬直した。

「ご、後藤様…?」

呆気にとられている俺に彼女は「し、少々お待ちください!」と告げると猛烈な勢いで建物の中に戻っていった。くそっ、これじゃ帰るに帰れないじゃないか…

 一階ガレージの天井からドスンバタンと物凄い音が響く。一体あいつは何をしているんだ?

 ものの五分もしないうちに彼女は再び入口に姿を現した。初めて会った時と同じ、就活中みたいなスーツ姿で。

「お待たせしました。中へどうぞ」

 家の近所でばったり会っただけなら何か理由をつけて立ち去ってもいいようなもんだが、今回は偶然と言えど俺が態々こいつを訪ねてきてしまった以上、断るわけにもいかない。俺は人を不安にさせるほどギシギシ軋む錆びた鉄の階段を上り二階へ向かった。

「何だこれ…」

 案内された部屋は誰がどう見ても台所。ファミリータイプのマンションにあるようなダイニングキッチンでもなければ、一人暮らしアパートのキッチンでもない。昔のドラマで見るような長屋の台所そのものだ。

「誠に相済みません…弁護士事務所とか大層な看板掲げているのに、中はこんな有様でして」

 寝癖だらけの頭を気にするでもなく、ぼりぼりと頭を搔きながら彼女が呟く。

「あの看板は…?」

「ええっと、あの看板はですね…いつもお世話になっている工務店のお婆さんが開業祝いに、って態々木材を切り出して書いてくださったんです」

 相撲部屋か、ここは。

「で、何だってこんな田舎で弁護士なんかやろうと思ったんだ?」

 彼女はぼそぼそと語り始めた。

「もともと私はこの村の生まれで先祖代々農家だったんですが、家は兄が継ぐことになっているので私は比較的自由にやらせてもらいまして…で、都会の大学へ進学し、司法試験、司法修習等を終えたのですが…都会とはあまりご縁がなかったようで…」

「で、地元で開業したって訳か」

「左様でございます。お恥ずかしい限りで」

 どこか朴訥な感じを漂わせる彼女は、そう言うとまたぼりぼり頭を掻いた。

「とはいえ、実家を間借りして事務所を構えると遊び半分でやっていると取られかねないですし、何よりも自立出来ていないことを周囲に触れて回るようなものなので…」

「で、いくらポンコツ…いや荒ら家でも独立した事務所としてここを借りた」

「全てお見込みの通りです。予算が限られているのと、このような何もない村ですので個人事務所に適した物件が殆どないこともありまして、必然的にこのような状況に」

「ドラマで見るような華やかな弁護士だけが弁護士じゃないってことか」

「はあ、まあそういうことにしておいてください」

 本当にこいつ、大丈夫なんだろうか。だんだん不安になってきた。まあ、いずれ俺はこいつに『相続なんて結構。縁の切れた人間だから何も引き継がない』と最後通告しなきゃならないと思っていたから、偶然とはいえ丁度いい機会かも知れない。

「で、態々手紙を寄こしたり、家に押しかけて来たりしていた件だが…」

「それだけではありません。実は一度、ご自宅の近所にある営業所にもお伺いしました。住所が社宅になっていたので、そこへ行けばお会いできるのではないかと思いまして…」

 そんなことまで逐一報告する必要もないと思うんだが…莫迦みたいに正直な奴だな。

「私の読みは当たっていたようなのですが、ご不在だったようで…」

「当たり前だ。運送屋のドライバーなんだから昼間っから営業所にいるわけないだろ」

「ええ、確かに仰る通りでして…ちょっと迂闊でした。応対してくださった方も全く同じことを仰っておられました」

 誰だ、そんな事言った奴は?からかい半分に俺はその質問を彼女にぶつけてみた。

「名前はど忘れしましたが、大正琴を弾く活弁士さんにそっくりな方でした。お姿だけじゃなく声までそっくりだったので驚きましたよ」

 こりゃ面白い。リコさん、ずいぶん手荒な応対してくれたもんだ。

 彼女は一つ咳払いをすると、話題をがらりと変えた。

「只今午後一時三十分です。一通りご説明差し上げるのにおよそ二時間程のお時間を頂戴しても宜しいですか?」

「ああ、構わない。俺の中でもう答えは決まっているんだが、説明をすべて聞いたうえで答えなきゃいけないんだろ?」

「ご名答、です。説明が終わった後にご決断いただき、あとは書類上の手続きを淡々と進めていくことになります」

「わかった、説明してくれ」

「では、始めさせていただきますね」

 さっきまでの朴訥な雰囲気とは打って変わって、凛とした彼女がそこにいた。


「すまん、ちょっと待ってくれ」

 相続人の確定に至る経緯(戸籍を調査したが俺とはな以外に相続人がいなかったこと、はなの後見人は俺なので、俺がすべての決断をする必要があること)、相続財産・物件等の取捨選択はできないこと(相続か放棄のオールオアナッシングであること)、相続に関する費用は事前に支払われており、俺達には一銭の負担も必要ないこと等々の説明を受け、あとは財産目録の説明と決断、というところで俺は音を上げた。

「説明が解りやすいから話の中身は理解できているんだが、ちょっと頭の中を整理させてくれ」

「一気に詰め込み過ぎてもいけませんしね。では小休止といたしましょう」

 彼女はそう言って微笑むと、当初の朴訥な感じに戻った。

 彼女がお茶を淹れてくれる間、俺達はまた下らない話をしていた。

「この事務所は、開業してどの位?」

「一年半、位でしょうか。もっとも当初は開店休業状態でしたし、今も決して忙しいとは言えない状況ですが」

 彼女はお茶の用意をしながら、肩をすくめて苦笑いして見せた。

「済まない、そういうつもりで言ったんじゃ…」

「承知していますよ。今のは自分を奮い立たせるために言っただけですから。営業エリアを拡張しないといけないのは解っているのですが、市にも弁護士さんは何人かおられますのでねぇ」

「じゃあ今は村内だけで?」

「今のところは、です。とはいえ、この村はいい人たちばかりで他人と揉め事を起こしたり捕まったりする人もいませんから主たる業務は相続関係ですね」

 お茶を戴きながら俺は更に問いかけた。

「他にはどんなことを?」

「相続、です」

「…てことは、今までに相続以外は?」

「やったことがない、という言い方もございましょうが、私はあえて『相続のスペシャリスト』と他人様にはご説明申し上げております」

 そう言うと彼女は背筋をピンと伸ばし、凛とした弁護士の姿に戻った。


「最後に、資産及び負債について御説明申し上げます。負債については故人の申立及び調査結果によると何もございません。ゼロです。光熱水費、携帯電話料金等についても私が全て清算済みです」

 借金でも残して俺とはなに押しつけるつもりだったんじゃないかと危惧していたが、どうやらそれはないようだな。

「次に、資産ですが…」

 え?そんなもんあるのか?

「土地・家屋等の不動産、自動車・美術工芸品等の動産はございません。給与振込や光熱水費等の支払い用に御本人名義の普通預金口座がございまして、こちらは私が最後に清算した結果、十七万円程残高がございます」

「何だと?たったそれだけの為に相続だ何だ言って動き回ってたのか?」

「話にはまだ続きがあります。実は、村内にございます信用金庫の貸金庫に別の預金通帳が保管されています」

「は?どういう事だ?」

「故人が遺言の依頼に当法律事務所へお越しになられた際に仰っておられました。『手元に通帳やハンコを置いておくと、何かの拍子に使ってしまいそうだから、敢えて費用を払ってでも貸金庫に預けてあるんだ』と」

「じゃあ残高も何も解らないって訳か」

「左様でございます」

ちっ、あの莫迦…最後の最後まで面倒かけやがって…

「じゃあそれを確認しないと相続するか放棄するかも…」

「ご判断は、貸金庫を開けてから…」

 腕時計に目をやると、丁度三時半を回るところだった。くそっ、今日一日で終わらないな。

「信用金庫も閉まる時間だ。この件は明日以降に持ち越し、だな」

「後藤様のご予定は如何…」

「今日は夜勤明け。明日、明後日は休みで出発は明々後日の夜だからそれまでは隣の市にいる。明日また来るさ」

「お手数をおかけします」

「あんたが悪いんじゃない。俺達に手間暇かけさせているのは死んだアイツだ」

 彼女は明らかに困惑している様子だった。何かを言いたい。言わなくちゃならない。でも言えない。そんな感じだった。

「じゃあ、また明日」

 そう言って俺はスクーターで颯爽と立ち去った、と言いたいところだがそうはいかなかった。セルを何度回してもエンジンがかからない。キックでも無理だ。くそっ、プラグでもイカれたか?

「困ったことになりましたねぇ」

 朴訥な方の彼女が、俺のスクーターを覗き込む。

「なあ、この辺にバイク屋はないのか?」

 スマフォの地図で探しても全然出てこない。て言うか地図が出てくるのも異様に遅い。何だこの通信環境は…

「生憎、村内に自動二輪や原付を扱う店はございません。最寄り、となりますと市の高校近くに一軒ございますが…あと、村内に自動車の板金工場がありますが二輪の修理となると望み薄かと」

「バスは?」

「お社前のバス停から市まで行けなくもないですが、恐ろしく不便です」

 八方塞がりってことか。

「ですが後藤様、手荒ながらに唯一かつ合理的な解決策をご用意出来ます」

「何だそれ?あんたにそんなこと出来るのか?」

「お任せ下さい!」

 彼女が誇らしげに指差した先には、俺がこの事務所を見つけた時と同じように古ぼけた軽トラが停まっていた。

「コイツを貸してくれるのか?」

「ではありません。そんなことしたら今度は私が身動き取れなくなります」

 彼女は俺の質問に答えながらテキパキと準備を始める。農機具なんかを軽トラに積み込むブリッジを奥から引きずり出してくると、スクーターをあっという間に荷台に積んでしまった。

「あ、それ位俺が…」

「こういう作業は、慣れている者がやる方が早いです」

 俺は返す言葉もなかった。積み込まれたスクーターに荷崩れ防止の処置を施し終わるまで五分足らず。

 彼女は満足げにトラックを眺め回すと、腕についた砂ぼこりをパンパンと叩いた。

「お待たせしました。では参りましょうか」

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