何逃げてんスか
「そっか…後藤クンもはなちゃんも色々と大変だったわね。で、双方の言い分を聞いてどうだった?」
鍋をつつきながら、缶ビール片手にリコさんが俺とはなに問いかける。
「二人がそんな理由で心がすれ違って、家族が離ればなれになって、あたし達が寂しくて辛い思いをして…そんなの納得いかないし認めたくもないです。でも、周りの人達に話を聞いて、現実を突き付けられて…現実を受け入れなきゃって…例えそれがどれだけ辛いことでも、これからは前を向いて一歩ずつでも進んで行こう、って…それが『生きる』ってことなんだよって看護師さんが教えてくれたから」
リコさんは慈しむような目ではなを見つめると、俺の方に視線を移す。
「で、後藤クンはどう思ったの?」
「以下同文。俺なんかよりはなの方が余程しっかりしてますよ」
俺は二人から目を逸らすと、缶ビールを一気に呷った。
「で、二人はこれから大丈夫なの?しっかりやっていけそう?」
はなが俺を見つめる。
「あたしはお兄がいてくれるから大丈夫。卒業するまではお兄にお世話になるけど、あとはあたし一人の力で生きていきます」
「はなちゃんは高校卒業したらどうするの?暁達館高校からだったら大学なんて選び放題じゃない」
リコさんが言うとおり、家事と学業を両立しながら学年トップクラスの成績を叩き出せるはなの思考回路が俺は未だに理解出来ない。
「いや、実はまだはっきり決めてなくて…あんまりお兄に迷惑かけるのも申し訳ないから就職とかも視野に入れてたりなんかして…アハハ」
「はな、お前は俺と違って成績もいいんだから大学に行け。何の心配もいらない」
はなが戸惑いながら呟く。
「いや、あの、そうは言っても学費とか何やらイロイロあるじゃん…」
「その為に親父は田舎の信用金庫ではなの為にチマチマ貯金してたんだ。それを使わない手はないだろ。それとも何か?あの金を結婚資金にでもする気か?あれだけあったら芸能人並みのド派手な式になるぞ?」
俺はもう社会人として一人前にやっていけているから俺名義の貯金は借金を返済して、あとは不慮の出費に備えりゃいい。はな名義の貯金を活用したら大学の学費なんて余裕綽々だ。
「そうは言っても学費以外に生活費とかもかかるし…実はあたし、大学に行くんなら育英会の奨学金とか申し込んでバイトしながらとか思ってたりしてるんだけど…」
俺はリコさんから新しい缶ビールを受け取りながらはなを諭す。
「現時点で二人の生活は成り立っているんだから生活費なんて問題じゃない。大体、育英会の資金なんか借りちまったら就職する時点で借金抱えてスタートすることになるんだぞ。マイナスからのスタートなんて考えるな」
ここでリコさんが俺を睨みつけた。
「後藤クン、何か大事なこと忘れてないかしら?」
俺には思い当たる節がない。
「年度の初めにキチンと説明したし、福利厚生のパンフレットも渡したわよね?」
あ、俺の部屋に置きっ放しだ…
「社員の親族が進学する時の奨学金制度について私がした話、まさか覚えてないワケぇ?制度を利用したら無利子で貸与されるって言ったじゃない!」
そうだ、すっかり忘れていた。
「毎日飲んでばっかりいるからそんな大事なことを忘れちゃうのよ、この莫迦っ!」
「ス、スミマセン…」
ひとしきり怒られたところで、気を取り直して…
「で、はなは進学して勉強したいことは何かあるのか…」
はなは暫く黙っていたが、やがて何かを決意したように俺達を見つめる。
「正直言って、今まで何の勉強したいとかってあんまり考えてなかった。う〜ん、上手く言えないけど、ほら、何となく大学に行くとかっていう流れみたいなアレ…?」
暫くはなは何か言いにくそうにしていたが、急に立ち上がった。勢いで椅子が後ろに倒れる。
「あたし、両親の『心のすれ違い』を目の当たりにして耐えられなかった。リコさんだって家族とすれ違ったりして…あたし、もうそんなの見たくないよ…そんな事で苦しむ人はあたしたちで終わりにしたい!だから、だから…」
俺とリコさんは次の言葉を待つ。
「えっと…何て呼ぶのかは上手く言えないけど、施設とか病院に『困ってる人の相談に乗りますよ』って人がいるよね…あたし、そんな人になりたい!」
リコさんが優しくはなに語りかける。こんな時は俺じゃなくてリコさんの出番だ…
「心理的な相談事ならカウンセラー。それ以外の相談事ならソーシャルワーカー、ね。はなちゃんなら、どっちにでもなれると思うよ」
リコさんはそう言うと、はなの手を優しく握りしめた。
「だったら大学に行きなさいな…お父様が遺してくれた貯金があるなら、それを使えばいいじゃん。何なら、ウチの奨学金制度を使ったっていい。我が鞆浦通運株式会社は、他の運送屋より福利厚生制度が充実してるのが自慢なんだから!私は育英会の資金を借りて浪花市の大学に行ったけど、返済に苦労したから会社の奨学金を利用するといい…返済は父兄の給料から天引きになるから、いざとなりゃ後藤クンに頑張って貰えばいいだけだし」
そう言ってリコさんは悪戯っぽく微笑んだ。
「はい…お兄、リコさん、ありがとう。あたし、頑張る…」
「大学に行ったら、思う存分勉強して、遊んで、素敵な恋もして…私みたいなイイ女になりなさい」
「はい!」
前から思っていたけど、自分を美人だのマドンナだのイイ女だのって言い切れるリコさんの自信に満ち溢れた態度の根拠は何なんだろう…一度聞いてみたいところではあるけれど、車を借りたときみたいに蹴りを喰らわされるのは御免だし、多分そんな事聞いたら蹴りだけじゃ済まないから止めておこう…
はなが一大決心をしてくれた事で、俺はちょっと安心した。ひと息つこうと俺はベランダに出ると、焼酎のグラス片手に煙草に火をつけた。窓は閉めてあるが、部屋の中から二人の声が聞こえる。
「リコさん、本当に色々とありがとうございます」
「何言ってるのよはなちゃん。私だってはなちゃんに随分助けられたわ。はなちゃんがトリガーを引いてくれなかったら、あのクソ親父と一生絶縁してたかも」
そういや、はながそんな話してたな…
「あたしが何の役に立ったかは解らないですけど、リコさんとご主人の御両親の間にあった『すれ違った心』も解消出来て良かったじゃないですか!」
「ありがとう、はなちゃん。貴女のおかげよん♪」
「感謝されるとなんか照れるもんですね…エヘヘ」
俺が煙草を吸い終えようとする頃、はなが思いがけない一言を口にする。
「で、あれからリコさん、御主人のお墓参りには行かれたんですか?」
「それがね、まだなのよ……暇がないってワケでもないんだけど、何かこう、足が向かないって言うか…」
「どうして…?」
「親同士の『すれ違った心』を放ったらかしにしたまま三年。今更どのツラ下げて行きゃいいのか、って言うのが正直なところかな…」
言うんなら今しかない。俺は部屋に戻ると、リコさんに吐き捨てるように言った。
「リコさん、何逃げてんスか」
「えっ?」
二人が驚いたように俺を見つめる。
「『たった三年』会えなかっただけでしょ。それを遠い昔の事やら未来永劫解決できない事みたいに言って…」
「そうは言っても、一度は途切れちゃった関係だし…」
俺は苛ついた。隣の部屋にある、亡くなられたご主人の遺影と思しき写真を指さす。
「だったら何故、旦那さんの遺影を後生大事に飾ったりなんかしてるんですか?気持ちが離れてるんならそんなもん飾ったりはしないでしょっ!」
「後藤クン…」
リコさんの目に涙が浮かぶ。
「あの…俺…生意気で失礼なのは承知の上で言います。俺とはなはもっと長い間、家族の間で『すれ違った心』を抱えたまま生きて来た。でも、今になってやっとその『すれ違った心』を埋めようっていうスタート地点に立ったんです。ここに来るまで、どれだけ辛かったか、どれだけ寂しかったか…」
はなが俺の目をじっと見据えている。
「すれ違った期間が長ければ長い程、余計に辛くなる。だから、だから…」
暫く黙っていたリコさんが、俯いたまま呟く…
「そうは言っても、知らない町だし不便な所らしいから…」
「そんなもん言い訳にもならんでしょ!」
険悪な雰囲気になりかけた俺とリコさんを、はなの言葉が遮る。
「え、そんなに遠いんですか?何ならあたし、図書館で地図借りてきますよ?」
「私、地理に疎いって言うか方向音痴なのは間違いない。嘘じゃない……はなちゃんも知ってるでしょ…?でも、本当に知らない所だし…」
「営業所の連中に聞けばすぐにでも解りますよ。で、どこなんですか、お墓の場所って」
「中山県の内削村っていうところ。村に一つしかないお社の近くにあるって…」
はなが驚いたようにリコさんを見つめる。
「そこ、お母さんのお葬式やってもらった村です…場所ならお兄が相当詳しいですよ」
「えっ…?」
椅子から崩れ落ちそうになるリコさんをはなが支える。
俺は止めを刺した。
「行かない、行けないっていう言い訳は無くなりましたよね。さあ、皆で『すれ違った心』を取り戻しに行きましょうか」
今まで涙なんか見せた事がないリコさんの瞳から、涙が零れ落ちる。
「アハハ…参ったねこりゃ。はなちゃんの次は、後藤クンが私のトリガーを引いたってことか…君達には叶わないなぁ…後藤クン、ありがとね♪」
そう言って俺に抱きつくリコさんを、はなは台所にお皿を下げに行って見ないふりをしていた。




