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すれ違う心  作者: 中辺路友紀
第七章 すれ違った心(後藤柚香の追憶)
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最後のお願い

「辻さんが信頼されてるんはエエことやねんけど、えらいカミングアウトされたなあ」

 顛末を報告する私に、先生は言葉を続けた。

「県立総合病院の連中が、なんでウチに柚香さんを送り込んできたかようわかったわ」

「どういうことですか?トラウマの原因が解って、柚香さんもそれを自覚しているってことはカウンセリングとかでいい方向に向かわせるなんてことは…」

 先生はため息をつくと、私を諭すように言った。

「解ってて止められへん、ちゅうのんが具合悪いんよ。そうなってしもたら薬で押さえつけるしか手はあれへん。よう考えてみ。薬で押さえつけられた人間が、今まで通り普通の生活出来ると思うか?」

「そうは言っても…在宅医療に移行する位は…」

 私に思いつく言葉はそれ位しかなかった。

「辻さんの気持ちは解らんでもない。せやけど、正直言うて上手い事いってもグループホーム暮らしがええとこちゃうか」

 私は何か他の方法がないか思いを巡らせた。

「ほんでな、まだ柚香さんの病気の話には続きがあるねん」

 ここまで来たら嫌な予感しかしない。

「心臓の具合、だいぶん悪いみたいやねん。県立総合病院で先週検査してもろてんけど、相当進んどる」

「ということは…?」

 先生は溜息をつくと、残酷な事実を告げた。

「今度大きいパニック発作起こしたら、心臓止まるかも知れん。まあ、そうならんように薬増やして気持ちの波が起きんようにするけど…でも、そうなったら柚香さんは今までの柚香さんやなくなるで」


 本格的な大量投薬が始まる前日、私は柚香さんの病室を訪ねた。

「綾乃さん…」

「柚香さん、今日のご気分は如何ですか…?」

 暫くの沈黙が病室を支配する。

「先生から聞いてるでしょ?私、パニックを抑える為に明日から投薬量が増えるんですって。そうなったら、私はもう私じゃなくなるかも知れない」

「…」

 私は何も言えない。出来るならば、今までのことを全てなかったことにしてこの場から消えてしまいたい。それ位の重い空気が病室を支配する。

「そんな悲しい顔しないで。これは私が望んだことでもあるんだから。そうでなきゃ、先生もそんな手荒なことしない」

 ただ黙っている私を、柚香さんはじっと見つめる。

「…綾乃さんにだけ、どうしても伝えておきたいことがあるの。聞いて下さる?」

 覚悟は出来た。

「ええ、勿論」

「綾乃さんに、これを託したいの」

 そう言って手渡された封筒の中は、角が擦り切れそうになった一枚の写真のみ。

「これは…」

「下の子が生まれたばかりの頃に撮った兄妹の写真よ。私が正気を保っていた最後くらいの写真ってこと?私の唯一の宝物。ね、ほら。二人とも可愛いでしょ?今まで他人に見せたことなんてなかったけど、綾乃さんにだけは自慢しちゃう♪」

 二人で布団に寝そべりながら生まれたばかりの妹を慈しむように抱きしめるお兄ちゃんの姿は、とても五歳児とは思えないくらい優しく、強く見えた。

「本格的な投薬が始まったら、私は全てを思い出せなくなってしまうかも知れない。もし、私の身に何かあったら…」

「そんなこと言わないで下さい!縁起でもないっ」

 柚香さんは私を諭すように口を開く。

「薬でどうなるかは私にも解らないけど、心臓のせいで先が長くないってことは間違いない…私が死ぬ時には、福祉の人たちから二人に必ず連絡が行く。そうしたら優しい二人の事だから、きっとここに駆けつけてくるわ。その時に、この写真を渡して二人が生まれた頃のお話とか名前の由来とか、教えてあげて欲しいんだ…」

「柚香さん…」

「私の最後のお願い、ね」


 次の日から、柚香さんは柚香さんではなくなった。何を問いかけても曖昧で虚ろな返事しか返って来ない。感情の起伏が無くなれば、心臓は守れる。でも…

 心臓を守る為に投薬量を増やした筈なのに、病状は悪化する一方。スタッフ一丸となって柚香さんのケアに注力したけど、遂に運命の日が来てしまった。

 発作を起こした彼女は、先生がいくら処置を施しても目を覚まさない。あと少しだけでも…生き別れた子供さん達が駆けつけるまで…ほんの数時間でいいからもう少し頑張って欲しかったんだけど…


「で、その時の写真がこれですか」

 俺は辻さんに改めて確認した。

「そう。その時柚香さんに確認したけど、他に写真は無いって言ってた。最後に手元に残していた一枚って事になるのかなぁ」

 はなは、その写真を胸にぎゅっと抱えたまま涙を堪える。

「はなちゃん、辛いときはうんと泣いてもいいのよ。でも、泣くだけ泣いたら次は前を向いて進むの。どんなに辛くても、歩みは遅くてもいいから一歩ずつ…それが『生きる』っていうことだから」

 はなは堪えきれずに泣き出した。

「お父さんもお母さんも莫迦だよっ!こんなつまんない心のすれ違いで家族をバラバラにしちゃうなんてっ!そのせいで、お兄とあたしがどれだけ寂しい思いをしたか解ってんのっ?うわああぁぁ!」

 俺も涙が出そうになるのを堪え、辻さんに深々と頭を下げた。

「母が色々とお世話になりまして、有難うございました」

 辻さんは困ったように頭を掻くと呟く。

「いや、まあ…これが私の仕事だし…困ってる人がいたら誰でも助けるっていうのが内削村の掟みたいなもんだし…そんなに感謝されるようなことは…参ったなこりゃ…」


 数日後。

 辻さんが親身に手配してくれたお陰で、村の斎場で簡素ながら葬儀を済ませた俺達は関係者に挨拶周りをしたあと家に帰る事にした。

「辻さん、本当にありがとうございました」

「気にしなくていいのよ。あ、そうだ。お母さんの事を思い出したくなったらまた村にいらっしゃい。そのときはまた一緒にゴハン食べながら思い出話でも、ねっ!」

「はいっ!その時は宜しくお願いします!」

 元気に答えるはなを見て俺は安堵する。ある程度吹っ切れたようで少しは安心できた、かな。


 辻さんに礼を述べ、その場を立ち去ろうとしたその時、彼女が俺を呼び止めた。


 丸半日かけて高速を走らせた俺がガレージに車を戻しに行くと、既にリコさんはシャッターを開けて腕組みをしながら待っていた。

「はなちゃん、おかえり!よく頑張ったわね」

「リコさんっ!」

 はなが一目散にリコさんに飛びつく。

「よしよし、いい子だ。流石は私の妹って感じかな♪」

 リコさんは徐ろに俺の方を向くと、俺の肩をポンと叩く。

「帰りの道すがら、はなちゃんが報告メールくれてたから大体の事情は聞いたわ。お疲れ様。君もよく頑張った」

「大切な車をお借りして、本当に有難うございました。お陰で葬式も出してやれましたし…」

 リコさんは俺の挨拶も聞かず、先日と同じ行動に出始める。

「私、後藤クンとはなちゃんに『お土産は袖もなか以外で』ってメールで伝えたわよね?さて、本日のお土産は…」

 リアハッチを開けたリコさんが絶句する。

「後藤クン、キミって本当に莫迦じゃない?先日クソ程貰ってきた野菜をまた貰ってきたの?ひょっとして八百屋でも始めるつもり?で、この陶器の壺は何?」

 はなが助け舟を出してくれる。

「あ、それは帰る途中で買った梅干しです…リコさん、焼酎に梅干し入れて飲んでたから…お兄とあたしで試食したんですけど、ご飯にも合いそうだし、お兄が『焼酎に合いそう』って言ってたからこれにしたんです」

「流石、はなちゃん、気が利くわね〜。でかした我が妹よ!」

 チョイスしたのは俺だ…て言うか、はなはリコさんの妹じゃない。俺の妹だ。

「で、こっちの色違いの壺は…」

「あ、それは骨壷です」

 そのタイミングでリコさんがキレた。

「この莫迦!あほっ!荷室に仏様を入れるなんて失礼極まりないっ!」

「スミマセン、そんな事知らずに生きてきたもんで…」

 リコさんは溜息をつくと、気を取り直して微笑む。

「さて、何処かのお莫迦さんのお陰で当分食費は安くつきそうだけど少なくとも一週間はベジタリアン生活かしら」


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