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すれ違う心  作者: 中辺路友紀
第七章 すれ違った心(後藤柚香の追憶)
36/42

カミングアウト

 柚香さんが入院して数年位経っただろうか。私は先生から直々にお呼び出しを受けた。何か失態をやらかした覚えはないし、かといって飲み会のお誘いでもないだろう…

「実は、ちょっと話があってな」

「な、何でしょうか…」

 思わず身構えた私を見て先生が苦笑いする。

「別に怒ろうと思うて呼んだんと違うから安心しぃ。あのなぁ、今日話をしたいのは柚香さんの事やねん」

「柚香さんに何かありましたか?」

 先生が私の目をじっと見る。

「辻さん、あんたにしか頼まれへんことや」

 柚香さんの病状はある程度落ち着いてきたので、そろそろ一般病棟へ移すことを考える時期に来ているのは私も薄々感じていた。先生が私に頼みたかったことは、外出訓練の付き添い。町に出かけて心に刺激を与え、外の世界に耐えられるか、社会性を保てるかどうかを試すってやつ。

 私は今一つ事態が呑み込めない。

「はあ…私でいいんなら行きますけど…どうして私に?」

 先生は頭を掻くと私に告げた。

「いや、ホンマは誰でもエエっちゃエエねんけどな…ただ、柚香さんの場合過去に色々あったみたいでトラウマが多すぎるんよ。で、外に出すなら院内でもなるべく親しいもんを同行させろ、と院長から指令が出たワケ」

 それで私、ってこと?

「そういうわけで、頼むわ。辻さん」


 何をしたらいいかわからないまま、外出訓練の日はやって来た。医療相談室の人が車を手配してくれていたけど、病院名が大々的に書かれた車で外出するのはあまり良くないような気がしたので丁重にお断りして、今日は私が通勤で使っている車で出かけることにしよう。

 柚香さんは久しぶりの外出。嬉しさと緊張感が入り混じった表情で、先生と二人でエントランスに現れた。

「綾乃さん、今日は一日よろしくお願いします」

「ほな、辻さん。頼むでぇ」

 何を頼まれたのかはよく解らないままだったけど、とにかく私は車をスタートさせることにした。車に乗り込むと、柚香さんは不思議そうに車の屋根を見上げた。

「何か気になることでも?」

「この車って、屋根は布張りなの?」

 あら、お気に召さなかったかしら。

「あ、この車はですね…キャンバストップ仕様というもので、キャンバスという名の通り屋根そのものが布で出来ているのでその日の気分によって開閉が出来るんです」

 柚香さんの目が輝く。

「あ、是非開けてほしいな。私、風を感じられる乗り物って自転車以上速いものに乗ったことがないから」

 キャンバストップを開ける私を先生が茶化す。

「おっ、屋根開けるんか?走行中にバッタとか入って来んように気ぃつけや」

「入ってきませんっ!」


「凄~い。車で走りながらお空が見られるって最高ね」

 柚香さんには喜んでもらえているようだ。走りながらラジオのニュースを流すと何かのきっかけでトラウマが再燃しそうな気がしたので、通勤の時に聴いているCDをそのまま流すことにしよう。

「あ、この曲『愛のかけら☆恋のかけら』だ。私もこの曲好きよ」

 初めて会った時にそんな話をしたっけ。お愛想で言ってくれているのかと思ってたけれど、どうやら本当に好きだったみたい。

「車で通勤する時、サナトリウムも家も山の中だから通る道が悉く山道でして…刺激がないもんでよく屋根を開けたり音楽を聴いたりしてるんですよね…で、今日は一日時間ありますけど、どこ行きます?」

 柚香さんが空を見上げながら何かを考えている。

「本当はね…お洋服を買って、ファミレスやコンビニに立ち寄るんだって先生と約束してたの…でも、何かどうでも良くなってきちゃった。お洋服が必要なのは本当の事なんだけど」

 ここでまさかの方針転換。先生もある程度予想はしていたみたいで禁忌事項みたいなものは告げられていたから、私はそのルールに従い柚香さんの提案を受けることにした。

「あのねえ、私、お洋服を買った後で、綾乃さんが住んでいる町をお散歩してみたい」

 私は考えを巡らせた。一応、先生が決めたルールには違反しない。でも…

「駄目かしら?」

「いや、全然大丈夫なんですけど…私の地元って何も無い所ですよ?そもそも町じゃなくて村ですし」

「自然は…山とか川とかは?」

「う~ん、そうですねぇ…逆に自然と山と川しかないっていうのが答えかと…」

「じゃあ決まりね」

 柚香さんはそう言うと微笑んだ。


「ここが私の住む村、内削村(うちそぎむら)です。ものの見事に何もないですけど…アハハ」

 柚香さんは辺りを見回すと、大きく息を吸い込む。

「素敵なところ…空気がきれいねぇ」

「それ以外に何の取り柄もないですけど…でも、私は生まれ育ったこの村が気に入っています」

 ここまで来るんだったら、お弁当買わなくてもウチでお昼ご飯にすれば良かったかな…

「あの山に登ったら、素敵な景色を見られるのかしら」

 柚香さんが川向こうの山を指さす。

「そもそも登山道が整備されていないので登るのは至難の業ですよ。あ、でも展望台があるのでそこからなら村全体の景色が見えるんですけど…」

 柚香さんが、じっと私を見つめる。

「私、その展望台に行きたいな」

 しまった。あの展望台には防護柵なんてない。余計なこと言うんじゃなかった…

「大丈夫、飛び降りたりしないから。私を信じて」

 柚香さんは、今まで展望台に登ったことがなかったそうだ。目を輝かせながら辺りを見回すと嬉しそうに微笑む。

「施設にいた頃はどこにも連れて行ってもらえなかったし、入院してからは金網越しの遠景ばかり。高いところからこうやって景色を眺めるなんて最高だわ!」

 よかった。そう言ってもらえて私は少しほっとした。

 服を買いに行ったついでに買っておいたお弁当を食べながら、柚香さんは飽きることなく遠景を眺める。

「ねえ、あの大きな古い建物はなあに?」

「ああ、あれは学校です。田舎なもんで小学校と中学校が同じ建物に同居してまして…第二次世界大戦前に建てられたものなんですが、最初は軍の施設になる予定だったか何だかで耐震補強が必要ない位頑丈に作られているそうでして」

「あ、そうなの…」

 柚香さんが急に素っ気なくなってしまった。何かまずいことでも言ったかな…何となく気まずい感じ。

 時間もちょうどいい頃だったので私たちはサナトリウムへ戻ることにした。展望台の駐車場に戻ると、柚香さんが開けっぱなしの屋根から空を仰ぐ。

「私の子供も、今は中学生なんだ」

「え…?」

 私は絶句した。返す言葉が見つからない。て言うか何か変なトリガーを引いてしまったかも知れない。ヤバい…!私の全身からすっと血の気が引く。

「今まで誰にも言わずにいたけど、綾乃さんには言えるような気がする。言ってどうなるわけじゃないけど、聞いてくださる?」

「ええ、私でよければ」

 手の震えが止まらない。私は覚悟を決めると大きく頷いた。

 屋根を開けたまま座席の背もたれを倒した私たちは、暮れ行く空を見ながら話を続けた。

「私、高校の時に同級生が目の前で電車に飛び込み自殺するのを見ちゃったの。その時私は三年生だったんだけど、その子は二年生の時にいじめに遭っていたらしいの…三年生になる頃にいじめは止んだけど、ずっとトラウマになってたんだって。で、その日…私と会釈をした直後、衝動的に飛び込んだ。その話は後で警察の人から聞いたんだ」

 師長が聞いた噂話は本当だったんだ…

「柚香さんは、その同級生と仲が良かったんですか?」

「顔と名前が何となく一致する位で話は殆どしたことはなかった。相手も多分そう…でもね、あの現場を見た後、ずっと私の心の中で誰かが問いかけてくるの。


 『何故、止められなかった?』

 『何故、彼女の孤独に気付かなかった?』

 『何故、何もしなかった?』


そんなこと私に責任なんてないっていうことは解っていても、ね」

 柚香さんはそこまで言うと、起き上がってペットボトルのお茶に口をつけた。ふうっ、と軽いため息が聞こえる。

「私は電車に乗るどころか外出も出来なくなって…挙げ句にリストカットをするようになって…で、入院しているときに病院の屋上で彼と出会ったの。凄く真面目で、私の話にもいつまでも付き合ってくれるような優しい人。私、彼がいてくれたからこそ今日まで生きて来れたと思っているし、彼のおかげで一時は退院して普通に生活していた時期もあった…彼はね、そんな私と結婚しようって言ってくれたの。彼のご家族は『頭のおかしい奴と結婚するなんてとんでもない』って大反対だったんだけど、家族やお友達を捨ててまで私と一緒になってくれたんだ」

 私は柚香さんの話を聞き逃すまいとして、彼女の目をじっと見据える。

「私、結婚するときに言ったの。『今まで家族がいなかったから、もっと家族が増えると嬉しい。もしも私の願いが叶うなら…男の子と女の子、二人いたら嬉しいなって」

 その頃は、きっと柚香さんのトラウマも影を潜めていたんだろうな。

「最初に生まれたのは男の子。泣き喚いたり我儘言ったりなんて全くしない優しくて大人しい子で、寧ろ彼と私があの子に育てられたような感じだったんだ」

 柚香さんが遠い目をして過去の記憶を呼び戻している。私は柚香さんがパニックを起こさないよう、慎重に見守る。

「上の子が生まれた五年後に、女の子が生まれたの。下の子はお兄ちゃん以上に大人しくていい子だった…それに、お兄ちゃんがお色々手伝いとかしてくれたから。二人とも、笑顔の素敵な可愛い子だった」

 柚香さんが記憶を呼び起こす視線が、急に厳しいものになった。私は、万一の為に持って来ていた鎮静剤の在りかを鞄の中でそっと確認した。いつでもいける…

「でもね、その頃から生活が一変したの。彼は工場で働いていたんだけど、真面目な働きぶりが認められて管理者的な立場になった」

 それで二人の距離が…

「毎日頑張って家族の為に働いている彼が…何時になったら戻って来れるのか、彼がいない間に子供に何かあったらどうしたらいいか、私は勝手にパニックを起こすようになった」

 再燃、って奴だ。もし今、柚香さんのパニックが再燃したらどうしよう。手に汗が滲む。

「私はヒステリーを起こして彼に噛みついたの。家族がいるのにどうして夜遅くまで帰って来ないの、って。そしたら彼『新人の女の子に仕事を教えなくちゃいけないんだ』って答えたの。その瞬間、私の心の中にある歯車は完全に噛み合わなくなった」

 きっとこの瞬間から柚香さんの人格は崩壊し始めたんだ。

「耐えなきゃいけない、頑張らなきゃいけないっていうこと位私も解っていた。でも、自分の心を制御できなかった…駄目な自分から逃避するために、一番近くで寄り添ってくれていた彼を槍玉に挙げたのっ!家庭を顧みない、挙句には会社の女の子といちゃいちゃしてるとか妄想を膨らませて…」

 私は思い切って口を開いた。

「妄想だ、って事は…」

「勿論解っていた。でもね、どうしても制御できなかったの。人に愛されたのは彼が初めてだったし、勝手な妄想で嫉妬するのも初めてだった。だって今までヤキモチすら焼いたことなかったんだもん」

 柚香さん、そこまで自分を責めなくても…

「主治医の先生に結婚する話をした時に忠告されていた」


 「すれ違い始めた心は、もう誰にも止められない」


「今になって考えてみたら、その『すれ違う心』っていうのは彼と私の心だけじゃなくて、私自身の心の話も含んでいたのかも知れない。先生が仰っていた通り、もう誰にも止められないの」

 そう言うと柚香さんは儚げに微笑む。私は、彼女を刺激しないように恐る恐る尋ねた。

「で、その後は…」

「ああ、そう。話はまだ終わっていなかったわ。じゃあ、起承転結の結、ね」

 ついに柚香さんは涙を流し始めた。私は鞄からハンカチを取り出すと、彼女にそっと手渡した。

「ありがとう…私が思っていた通り、いや、それ以上に綾乃さんって優しくて温かい人なんだね。じゃあ、話を続ける…妄想が頂点に達した私は、遂に彼を家から閉め出した。鍵を交換して、インターホンの電源を切ってしまったの。当てつけか嫌味みたいに最低限の着替えだけ外に放り出して…窓を破って入るような手荒なことをする人じゃない、と計算までして」

 ここまで来てしまったら、もう止められないんだ…

「暫くしたら、彼から手紙が届いた。もう一度話し合いたい、僕はいつまでも待っているからって住所と連絡先を書いたメモと一緒に。で、私はその住所に離婚届と彼が子供の頃からつけていた日記帳を送りつけた」

 柚香さんの涙が止まらない。連鎖反応で私の目にも涙が浮かぶ。私は必死に堪えた。

「これからは私一人で子供たちを育てなきゃいけない。働いて二人を養わないとって思いはしたもののそんな状況で働けるはずもない。で、それを知った保健師さんや先生が来て下さったの。結婚してからも、ずっと通院は続けていたから…」

 柚香さんは最後の力を振り絞るように言った。

「こんな状況で、働くどころか自分一人の生活すらままならない。もう私に選択権は無かった。療養している間だけでも子供たちを施設に預けましょうって言われて…そう、その時その瞬間に私は二人を捨てた」

 捨てたって言うけど、別に未来永劫会えないわけじゃないと思う…

「子供たちを捨てたその時に私は思ったの。もう、子供たちに会う資格なんてないし、会わせる顔もないんだって。だから、施設の人たちにも私の居場所は誰にも知らせないでってお願いしてあるの」


 そこまで話すと、柚香さんは小さく一つ溜息をついた。

「私の人格が完全に崩壊していること位私には解っている。だって自分自身のことだから……これからも定期的にパニック発作を起こすだろうし、退院して普通の生活を送るなんて出来っこない。やったってその頃のトラウマが再燃するだけだから…あ、でも調子がいい時には今日みたいに綾乃さんと一緒に外出させてもらえたらなって思う。昔、テレビで観た任侠映画で言ってた『久しぶりの娑婆の空気』っていうのかしら?」

 彼女はそう言って微笑んだけど、私は何も出来ずに曖昧なリアクションをするだけだった。

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